三度目の魔法
「ニワ・カイチの魔法という奴か」
既にレポートに目を通したのだろう白戸先生の問いに、僕は頷く。
「ええ、世界の法則を変える術です。これでチルミーには縛りが生じました」
「縛り? 大して変わりがあるようには見えないが」
確かに、一見して大きく何かが代わったようには見えない。
強いて言うなら装置が動き、黄色いバーが横に伸びた事ぐらいか。そのいく分かは減り、端が赤いゲージに変わっている。
それとは別に……妙に周りの人間がのっぺりとしたように見える。まるで背景のように。
ただ、問題は見かけじゃない。
もしもこれが、あの世界だとするならば……。
「まず、法則として、この境内から出ることが出る事が出来なくなっているはずです」
僕の仮定を、ジョン・タイターが補足する。
「スタンダードな格闘ゲームは、ある一定の領域が存在する。それより向こうには進めない」
「そう、見えない壁が存在するんですんですよね。そして、遙か高みまで飛ぶ……これも、おそらく使えないはず」
白戸先生が、まだ青さを保っている空に視線を向けた。
そこに遮蔽物はない……が、存在するのだ。
「格闘ゲームでは、届かない距離に逃げる事は基本、出来ないんですよ」
せいぜい画面数枚分が限界だ。
「左様。追えば届く距離、悪くても飛び道具の届く距離が離れる限界じゃ。ここには今、ススムの言う見えぬ天井が存在するのじゃ……となると」
ケイも察したらしい。
空に何か異常を見つけたらしいチルミーは、急降下して再びニワ・カイチに蹴撃を放つ。
だが今度は空に戻らず、地面に足を滑らせ、両手をついて無理矢理ブレーキを行なう。
完全に停止するより前に、ザワリ、とその青髪と背中の羽が逆立った。
そして、チルミーは消えた。
「な」
「先生、あっちです!!」
僕と同じような声を上げた白戸先生を、園咲女史が指で指し示す。
ニワ・カイチのすぐ目の前に、チルミーは立っていた。
そしていつの間にか無数の青い羽根が、ニワ・カイチの周囲を取り囲んでいた。止まっているように見えたのもほんの一瞬、全ての青い羽根がニワ・カイチの身体を貫いた。
ビクリ、と身体を一瞬震わせ、ニワ・カイチが仰向けに倒れる。
背後の装置は、左側のバーが真っ赤に染まっていた。
ほんの一瞬でついた決着に、周囲も無言だった。
「って負けたじゃないか!?」
「……いや、多分そこも織り込み済みというか」
「うむ」
僕達は、白戸先生のようには慌てなかった。
だって、僕らの予想通りなら……。
しばらくして、むくり、とニワ・カイチは起き上がった。
身体から、青い羽根がパラパラと取れる。
その身体のどこにも、傷はない。
「……致命傷だったはずだぞ」
「ああうんまあ、実際死んだかもしれねーな、今のは」
そして、背後のゲージを指差した。
横に長いバーの両端には、よく見るとスポットライトのようなモノが二つ、取り付けられていた。
その右側のバーのライトが一つ、灯っている。
「でも、ここでは、この世界では命が三つある。その内の一つが消えただけに過ぎない」
「格闘ゲームは基本、三本勝負なのじゃ」
事情を飲み込めていない白戸先生に、ケイが説明した。
「逆に言えば、三本勝負で最初の一本取られたって事は、追い込まれたとも言える訳だけどね」
「こればっかりは、どうにもならぬの」
「魔法ってのはアレだよなぁ。基本使用者のアドバンテージって、先にルールを把握してることぐらいしかないよね」
何せ、ニワ・カイチの傷は完全に回復したとは言え、それはチルミーも同じ筈だ。
格闘ゲームの法則が働いているならば、今の二人の体力は完全に回復している……という事になっているだろう。
実際、ゲージも両方、黄色に戻っている。
そして、戦いが再び始まる。
チルミーも最初こそぎこちなかったものの、すぐにそのスピードは本来のモノに戻っていた。
ルールでは、この空間からは出られない……が、全力で動いてもダメージは受けないと気付いたかのようだ。
その間も、僕とケイのやり取りは続く。
「あとは、自分に有利なルールを引き出すことだけじゃ。逆に言えば、相手が馴染んでしまえば意味がない」
「イフの無双の時にしたって、大半の兵士が雑魚化したとはいえ、帝国側に勝ち目がなかった訳じゃないし……そもそも、魔法は強力だけど、『必殺技』でもないしな」
「まあ、必殺技というのならむしろ魔術の方が……おお、二戦目はニワ・カイチが勝ったのじゃ」
ニワ・カイチの放った金色の金具が、チルミーの身体を縛り付けた。
それが強烈に締まり、チルミーは石畳に転がった。
……金色の金具というかアレだ……その、どこから取り出したのか分からなかったけど、巨大な――スプリングである。
「さすがにストレート負けはないと思ってたけど。……あれ、絡まると元に戻すの面倒なんだよな」
「そうなのかや」
どうやらあの道具には、ケイは馴染みがないらしい。
「下手に弄ると、逆に重なる部分が増えたり、変な癖が付いたりするんだよ」
スプリングから脱出したチルミーが、眉を顰める。
「何故だ……」
それは、本来の自分の性能の一部を引き出せなかったからか。
最も身近でそれを見ていたニワ・カイチがその問いに答える。
「自分の能力が使えないのがそんなに不思議か。いや、ちゃんと使えるぜ? そこまで俺も非道くない。ルールがあるのさ」
チルミーが立ち上がり、服の埃を軽く叩く。
ただそれだけの動作で、周囲から黄色い悲鳴が上がっていた。
「教えてやる。『瞬間移動』はともかく、『時間停止』は超必扱いだ。ゲージを溜めなきゃ使えねえんだよ。他、『大旋風』『衝撃の間』も同様だろうが、こっちの方がまだゲージは少なくて済むだろうな」
「ゲージ……」
「感覚で分かるはずだぜ? さあ、ラスト一本、観客もいるんだ。派手に行こうじゃねえか」
「……いいだろう」
バサリ、と羽を鳴らし、後ろに下がる。
「珍しく、上機嫌だな」
「ああ、興味深い戦いだ」
だが、ニワ・カイチの魔術はほとんど手持ちの術を使い切っている。
その戦い方は基本、トリッキーなモノだ。
相手の虚をつかなければ、割と好きが多い。
だから。
「最後に取っておくつもりだったんだがな……」
ニワ・カイチはローブを翻した。
その裏地には、いくつかの仮面が張られていた。