ネモルドーム城
「それにしても、お主は小食じゃの」
小皿に取り分けたパスタを頬張りながら、ケイの視線が僕の食事に向く。
その量は、私塾の女の子のお弁当並に小さい。正直、全然足りない。
けれど、今はこれでいいのだ。
「……お前、時々ものすごく観察力がなくなる時あるよね」
「空腹時は特にの! うむ、旨い! 素で旨いが、やはり空腹は最高の調味料じゃの!」
笑顔でコンソメスープを啜り、ご満悦である。
「駄目だ、聞いちゃいない……」
「うまうま」
その笑顔も、十分程度で失われた。
「うう……」
お腹ぽんぽこりんにしたケイは、ソファにほとんど仰向け状態になっている。
俯せになると、多分胃を圧迫するんだろうなあ。
「ほれ見ろ。加減しないで注文するからだ」
なお、料理はまだ三分の一ほど残っている。
うんまあ、頑張った方じゃないかな。もっとも、残した事には変わりはない。
「よ、よくぞ見抜いたのじゃ……しかしお主、妾の余りでよいのか」
「よいも悪いも、残すよりはよっぽどマシだろ。それに最初からこうなるって分かってたから、僕の方は注文少なくしてたんだ」
トマトパスタに使っていた取り皿で、ミートパスタを掬い取りながら言う。
コンソメスープ、海老フライは食べきったけどサラダが少し残っている。
これはちょっと助かる。
大食いで一番きついのは、同じ味が続く事だってどこかで聞いた事があった。
「ああ、それとパフェは食い切れよ。いくら僕でもドロドロのペーストになったそれは食べたくない」
「うむ……うう、さすがに反省なのじゃ」
「ま、反省するだけ、学習能力があるって事にしといてやるよ」
なお、パフェは底の方にあったバニラアイスとコーンフレーク、フルーツを少しもらっておいた。
……冷たさを和らげるウェハースは残しておく程度の情けは残しておいた。あれないと、きついんだよなぁ。
何とか食べきって、僕達は喫茶『エムティ』を出た。
「ここでは飯に負けた人間の事を、遭難と呼ぶらしい。よかったな、救助隊がいて」
背負っているケイに語りかける。
勝負には勝ったが、ケイ個人としては完敗だろう。
「うう……すまぬのじゃ。超反省したのじゃあ……」
「反省はいいとしてお前、バスの中で吐くのだけは絶対やめろよ。唯一の通訳がそんな状態になったら、僕はどうしていいのか分からない」
「ぬ~……何とか、我慢するのじゃ……」
時計を確かめると、バスが来るまで残り三分。
危ないとみるかセーフとみるかは微妙な時間だったが、間に合ってよかった。
「ふぃー……」
バスの窓のヘリに首を預け、ケイは安堵の吐息を漏らしていた。
乗客率は二割程度。
右の、二人用座席に座るのには成功した。
「……どうやら気分的に、窓側の方がいいみたいだな」
「うむー……これは、よい運転なのじゃ……」
言われてみれば、余り揺れない。
風景は荒野が続き、道路の舗装もかなり杜撰な点(整備するのにすごくお金が掛かるらしい)を考えると、運転手の腕がいいのだろう。
やがて、点々と家が増え始め、いくつかビルも見えてくる。
もう、ネモルドームが近いのだろう。
「さて、そろそろ見える頃か?」
「む……うむ、アレじゃの」
やや小高い場所にあるのだろう。
木々と城壁に囲まれ、その城はあった。
色は全体的に黒の、いわゆる城砦型。尖塔、円筒が幾つも見える。
僕は城にそれほど詳しくはないけれど、これは品があるのだろう、城砦型であるにも関わらず、どこか宮殿型にも似た、優美さを持っていた。
何というかアレだ、黒く輝く石の……そう、黒曜石。どす黒い色ではなく、そういう輝きを持つ城だった。
「真っ黒だな」
「綺麗じゃが、夜になるとまるで見栄えがしそうにないの。いや、ライトアップすれば意外に絵になるのかの?」
このバスから見える大きさで推測すると、距離的に直接出向くとちょっと時間が足りないか。演劇を観に行く約束も、ソアラさんとした事だし。
「で、あの城の由来ってのの解説を頼む」
「……お主、妾が吐きそうなのを知ってて、それを言うかや」
ぐたり、とケイは窓に頭を預ける。
「自業自得って言葉も、僕知ってるぞ」
「ぬう……」
「ま、いいや。とりあえず降りてから、講義してもらおう。いやマジでここで吐かれたら、すごい後ろめたいし」
「そうしてくれると、助かるのじゃ……」
今思えば割と自分が情け深かったのは、昼食の味がよかったからかもしれない。
排気音を吐き出しながら、バスが出発する。
ケイを、バス停の長椅子に腰かけ、休憩させた。
「ふぅ……大分、よくなったの……」
「何より」
見ると、膨れあがっていた腹も大分、へこんでいるようだ。
「とはいえ、もうちょっと休みたい所じゃ。ただ座りっぱなしと言うのもアレなので、さっきの第五次魔王城に関する説明をしてやろう。本来の名前はネモルドーム城じゃの」
どうやら、喋るのに差し障りがない程度には、回復しているようだ。
そういう事なら、僕も乗る事にした。
「えーと、確か前に聞いたのはグレイツロープ城だったよな。三魔王が支配してたっていう」
「そう、冷酷王、狡猾王、統率王の三魔王じゃ。大体千年ほど前。つまりユフ王の治政からは約五百年後。三人とも獣人族であり、獣人の支配する世界を作ろうと画策した。その力は強く、このラヴィットからガストノーセン全体、そして大陸のいくつかの国にも飛び火した」
「獣人か」
獣人は種類が多く、その呼称だけではどういう獣人だったか分からない。
なので聞こうとしたら、ケイに先回りされてしまった。
「ちなみに、狼獣人、猿獣人、狸獣人じゃの」
「……前から思ってたけど、人間って猿から進化したよね?」
「お主、ここで進化論について議論したいのかや? 人類と猿獣人は起源こそ同じじゃが、そこから枝分かれした別種なのじゃ。詳しい話をしてもよいが、ここで日が暮れてしまうぞよ?」
「うん、僕が悪かった。それで……えーと、冷酷王を倒したのがグレイツロープの暗殺姫だっけ?」
「うむ。ここからは昨日ネットで調べておいたのじゃ。ま、どうやって王を倒したかは、名前で察するがよい。そして、冷酷王が倒れたはよいが、すぐにその後を狡猾王が継いだ。歴史では、そもそも冷酷王の先が長くないと読んでおったようじゃの」
「だから、狡猾王ってあだ名だったのかな」
ケイは否定しなかった。
「そうらしいのう。冷酷王はそのやり方から、家臣に恐れられておった。一方狡猾王は上から下までよく似ておった。だからまあ……どうなったかは分かるの?」
狡猾な王に狡猾な家臣。
……ちょっと考えて、答えを口にした。
「謀殺された……とか?」
「その辺り今でも確たる証拠はないのじゃ。ただ状況から、そうではないかという推測はあったがの。そして城内は揉めた。そりゃ揉めるわの。故にこそ、これをまとめ上げた狸獣人が統率王と呼ばれるようになったのじゃ。この頃には獣人達と他種族の間の戦いも膠着状態にあったらしくての。結果、これ以上の争いは不毛という事になり、戦は終着を迎えたのじゃ。そしてあの城は、その長い戦役の名残という訳じゃな」
なんて話が、あの城にはあったらしい。