鏡の魔女の城
森を抜け、さらに大峡谷の先を目指す。
やがて、少しずつ鏡の魔女の城の姿が大きくなってきた。
ただ、半ば予想はしていたけれど、場所に問題があった。
「ソアラさん、あのお城、崖の上にあるみたいなんですけど」
僕達のラクチョが走っているのは、大峡谷の下側だ。
当然、ここからだと登る必要がある。
「妾達も、最初は崖の上にいた。多分どこかにスロープになっている所があるのではないかの」
背中にしがみついているケイの言葉に、並走するソアラさんが頷いた。
「はい、正解です。この先右手にスロープがありますから、そこを登っていきましょう」
スロープを登り、少し進むと鏡の魔女の城の足下に到着した。
「綺麗なお城じゃのう」
素材自体は普通に石みたいに見えるのに、太陽に照らされている全体は、まるで硝子か何かで出来ているかのように輝いている。
さながら、建物自体が鏡のような城なのだ。
城には二種類あり、戦用の城砦と、宮殿タイプの城があるというが、これは明らかに後者だった。
「当時のまんま……なんですか?」
「いえ、さすがに数回、改修工事が行われています。形自体は、昔のままですが。なお、中の見学はかなり制限されていますが、一番の目玉である大鏡はちゃんと見る事が出来ますよ」
ソアラさんが、正面の幅広い階段を指差す。
この先が、入り口なのだろう。
「ほほう。確か魔法の鏡じゃの」
「はい、そういう言い伝えになっていますね」
「よし、ススム行くのじゃわわわわわ」
駆け出したケイが、階段の一段目でいきなりつまずいた。
もっとも、転ぶ前に僕が後ろから支えたが。……うん、予想してたしね。
「……頼むから、走らないでくれよ。そのたびに、僕が庇う事になる」
「た、た、たまたまじゃ!」
僕の手から逃れ、ケイが強がる。
「ちゃんと足下を見て。ゆっくりと。一歩一歩階段を登っていくんだよ」
「区切るでない! 妾は子供か!?」
「子供でも、もうちょっと落ち着きがあると思う」
「ぐう」
ケイは唸った。
「ぐうの音がでるだけ、マシだね、うん」
城の中は、まず大きなホールになっていた。
小さな受付カウンターに、何人かの観光客がチラホラと。
ただまあ、そんなのはほとんど意識になく、というか真っ正面にインパクトの強いモノがあって、それどころじゃなかった。
言わずと知れた、この城のメイン、魔女の大鏡だ。
「でかっ!?」
「大きい鏡とは聞いておったが、想像以上じゃの」
幅は小劇場の舞台ぐらいはあるだろう、そしてその高さ、建物で言えば吹き抜けで……五階分はある。
鏡には黄金の額が縁取られているのだが、頂上が見えない。
「あー……天辺、僕んちより高いぞ、これ。どうやって磨いたんだ……?」
この場合の家、というのは爺ちゃんちではなく、生みの親の家の事だ。あっちも大概大きかったけど、高さだけならこの鏡はそれを上回る。
「まあ、磨くの自体は問題ないのじゃ。要は寝かせた状態で鏡を作ればよかったのじゃから。むしろ、これを維持し続ける事の方が大変じゃの。有翼人の都でなければまず無理じゃったろう」
……ゴンドラって、いつぐらいに発明されたんだっけ。
背中に羽根がある種族じゃないと、ホントこれの管理って、難しいと思う。
「そうですね。この鏡は十人がかりで清掃されているそうです」
「……ソアラさん、ちょっと思うんですけど、その、この鏡で魔女は占ったりしてたんですよね」
「はい」
「ここまで大きいの、必要なかったんじゃないですか? というか明らかに上とか無駄だと思うんですけど」
一体、何を見るのさと言いたくなる、馬鹿馬鹿しい大きさだ。
映画館のスクリーンでも、こんなでかくないぞ。
「うーん、強いて言えば、これが鏡の魔女にとっての権力の象徴だったんですね。そういう意味ではこの城全体よりも、この鏡が魔女にとっては一番大切だったと言えます」
そしてポン、と手を打って微笑んだ。
「あ、チルミーを除いて、ですけれど」
「比重はやっぱり、そっちの方が上なんだ!?」
「当時を知っている人間なら、誰もがチルミーを選んでいたでしょうね」
「まるで、当時を知っているかのような口ぶりじゃのう」
ニヤニヤと笑うケイに、ソアラさんの微笑みがわずかに引きつった。
「そそそ、そんな訳、ななな、ないじゃないですかあはははは」
面白いのう、と邪悪な笑みを浮かべるケイの後頭部を、僕は軽く叩いた。
「遊ぶな」
「あうっ」
それから、さっきからどうも気になっている事があった。
「ところで、何か地響きみたいなのが聞こえてきてるんですけど」
すごく遠く……ダダダ……だか、ドドド……だか知らないけど、そんな一定のリズムっぽい響きが身体の芯に伝わってくるのだ。
「地震ではないの。空間全体に響いておるような感じじゃ」
「ああ、この先がこの大峡谷の自然の中でも一、二を争う美しさといわれる、ダイバクフなんですよ」
ソアラさんは鏡の方角を指差した。
「だいばくふ」
その響きが、僕にはピンと来なかった。
「つまり、でっかい滝じゃの」
なるほど、大瀑布か。
しかし、ケイの余りと言えば余りにぶっちゃけた説明に、ソアラさんも苦笑いを浮かべるしかないようだった。
「そう言われると、そうとしか言いようがないんですけど……まあ、百聞は一見に如かず、でしょうか。それに一応、ユフ王の伝説に関係もしてますから」
「あれ、そうなんですか」
「はい。先ほどの説明は博物館内でしたけど、実際にオーガストラ軍とユフ一行が戦ったといわれる場所はそこなんですよ」
「ほほほう、それはそれは……って、何故妾の首根っこを掴むのじゃ」
出口に向かおうとするケイの首を、僕は掴んでいた。
「身に憶えがないとはいわせない」
「むむぅ……」
「では、ご案内しますね?」
再びラクチョに乗って、しばらく。
水の落ちる音はやがて大音量となり、大瀑布に到着した頃には、僕達の声は自然、大声になっていた。
「先に言っておく。お前絶対、縁まで近付くなよ!?」
滝の飛沫に濡れた崖に立ち、僕は叫んだ。
「心配性じゃのう! さすがの妾もそこまで命知らずではにゃわっ!?」
「うおおっと!?」
足を滑らせたケイを、とっさに僕は支えた。
さすがに、これは文句が言えない。
今回はケイの方が早かったけど、僕が転んでもおかしくなかったのだ。それほど、ここは危なっかしい。
「気をつけて下さいね。飛沫のせいで滑りやすくなっていますから」
「は、はい」
そろそろとケイを下ろして、僕達は大瀑布を改めて眺めた。
パノラマで広がる超巨大な滝壺だ。
峡谷は直線ではなく幾つもの曲線で成り立っている。
だからこの滝も幾重にも重なって見えるのだ。
飛沫が生み出す虹も、幾つも発生している。
水の量は一体どこからこれ沸いてんのいつまで吐き出し続けるの、と思う、膨大な量だ。そりゃこんな大音量にもなる。
柵なんてない大変危なっかしい場所だけれど、僕達はしばしアホみたいにその光景を眺めていた。
「にしてもすんごいな、また」
「さっきの鏡と言い大峡谷と言い、どうにもこの土地は色々とスケールが違うのじゃ」
「確かに、それはあるねぇ」
確実に、交通費と掛けた時間分の価値はあった、と僕は思った。
「一応こちらに石碑がありますが、文章自体は博物館のモノと同じです」
そう言ってソアラさんが指し示した先には、あのクリスタル石柱状の石碑があった。
「ニワ・カイチの魔法とかのアレかや」
「はい」
僕は改めて、石碑から大瀑布に視線を向けた。
「……こんな地形じゃ、人間は絶対有翼人には勝てそうにないなあ」
落ちたら、絶対死ぬと思う。