青い羽根にまつわる収録されなかった短文(6)
例によってこのエピソードは非公開のモノとする。
本作はあくまで僕らの旅の記録であって、超常現象体験談ではないからだ。
話は、前エピソードからそのまま繋がるモノである。
石碑を眺めていると、強い風が吹いた。
「うわ……」
「ずいぶんと強い風が吹くの」
帽子が飛ばないように両手で押さえながら、ケイは空を見上げた。
そういえば、雲の流れがずいぶんと早い。
「風」
ふと、胸に手を当てた。
熱じゃないけれど、何だか力のようなモノが、コート越しに伝わって来ていた。
「まさか」
コートの懐を除くと、青い光が明滅を繰り返している。
僕が確認するのを見計らったように、その光は強さを増し――
セピア調に近くやや色彩を欠いてはいるけれど、森自体はさして変化がなかった。
だが、石碑はなかった。
……が、代わりに、二頭の龍がいた。少し離れた所に、何故かラクチョが佇んでいる。……いや、僕達の乗ってきたのじゃないよな、鞍ないし。
「どうしても残るのか、リント」
「ああ。彼女の身体では、皆と共に行く事は出来ない」
その言葉は異国のモノなのに、すんなりと僕の頭に入ってきていた。
ケイがさっきまで見上げていた空にも変化がある。
小さな、幾つもの影。
翼はあるが、有翼人ではない。数十はいるだろう、龍の群れだ。
勘で分かった。
この森に残っているのは、この地の最後の龍達なのだ。
「しかし、奴らは執拗だ。いずれ追い詰められ、お前達も狩られてしまうだろう」
「そう簡単にはやられはしないさ」
「だが」
言い募るもう彼に対し、リントと呼ばれたもう一頭は長い首を振った。
「アレは子を産みたいと言っている。叶えてやりたい」
どうやらこの龍は、番がいるらしい。
「それが終われば、こちらに来るのか」
と言い、彼は空を見上げた。
「行ければな。六禍選といったか。敵も手強い」
「死ぬなよ」
「死ぬつもりはない。……が、最悪でも、子は守る」
リントはラクチョの方を向いた。
龍の視線にも、そのラクチョが恐れる様子はない。
「その為のラクチョか。我らの視線にも騒がぬとは、良い鳥だな」
「ああ。本当は、有翼人の友がいればよかったのだが……」
「奴らをアテにするな。あの臆病者どもめ」
ケッ、と龍は唾を吐く真似をした。
ゲッゲッゲ、とリントが喉を鳴らして笑う。
「そう言うな。敵が軍隊なら、誰だって怖い。たまたま、味方になってくれるモノがいなかっただけさ」
「しかし、ラクチョを用意しているって事は……お前の連れ合いは……」
言い難そうな彼の言葉を、リントは遮った。
「あくまで、最悪のケースを考えてのことだ。いや、最悪の一歩手前か」
「違いない」
二頭は軽く笑い合った。
つまり、リントは奥さんが身重で、皆と一緒に移住する事が出来ない。
しかも身体が弱いようだ。最悪が夫婦二頭とも捕らえられる事ならば、最悪一歩手前というのは、母体が死んでしまうという事なのだろう。
けれど、オーガストラ神聖帝国の六禍選が迫ってきているので、逃げる事も出来ない。
だから、リントはここで踏ん張らざるを得ない……と、そういう事か。
バサリ、と龍の背にある翼が開く。
「そろそろ行かなければ」
「そうだな。殿は俺が務めよう」
リントは身体を沈め、四肢を踏ん張る形を取った。これが、彼らの戦闘態勢なのだろう。
そして二人の会話から察するに、敵はもう目前まで来ている。
「必ず、生きて戻って来い。我らの飛ぶ方向を見逃すな」
龍は羽ばたき、群れに戻っていく。
それを、リントは見上げていた。
「叶うならば、いずれ第四軸の郷で」
「うむ」
龍の姿はどんどん小さくなっていく。
やがて、彼らは彼方へと去って行った。
……雲に隠れ、もはや見えない。
『リント』
どこかから、女性的な声が響いた。
「ブルーム。声を上げるな。ボルコを差し向ける」
リントが鳴くと、ボルコ――ラクチョが踵を返して駆け出した。
声の主、ブルームというのがリントの奥さんなのだろう。
そして、ボルコは彼女の元へ向かったのだ。
『貴方は』
「ここで踏ん張る事にする」
『そう』
彼女の方も、それを止めるつもりはないようだ。
多分、最初から分かっていたのだろう。
「お前はそこで頑張れ。悲願なのだろう」
『ええ。ごめんなさい』
「気にするな。自分で決めたことだ……そろそろ来る頃か」
『敵が来るのね』
「ああ、これが最後の会話になるかもしれん」
そして、リントは大きく一鳴きした。
同じく、ブルームも一鳴きする。
意味は分からなかったけれど、別れの言葉かそれとも愛の囁きだったのか。何となく、両方の意味のような気がした。
僕達が見ている、この二頭がレパートの両親なのだろう。
やがて、遠く森の奥から一人の男が姿を現わした。
見知ったその姿に、僕は思わず声を上げていた。
「来たか」
「やあやあ、お待たせお待たせ。ほら、風で髪が乱れちゃってさあ。セットするのに苦労したんだよ」
軽い口調でこちらに近付いてくるのは、水色に近いローブを羽織り顎鬚を蓄えた、屈強そうな老人だった。
不在不明のプリニース。
前六禍選の筆頭であり、ユフ王の養父を倒した男だ。
「別に、貴様個人を待ってはいないがなプリニース」
「そんなつれない事を言うなよう。ところでどうして、そんな姿を取ってるのさ。いやいや、龍ってのはあれだね。人の姿を取っても様になるねえ」
え? と思ってリントをみると、彼はいつの間にか人間の男性の姿を取っていた。
短く刈り上げた緑色の髪、太照の着流しのような衣装に身を包んだ、二十代半ばぐらいの青年だ。
「……無駄にこの地を荒らしたくないだけだ」
プリニースは道化じみた仕草で、手を叩き笑った。
「なぁるほど、龍は自然に優しいんだ! あ、それよりもだね、今からでも良いから僕達の味方にならないかい? 条件は単純で、新しい龍の郷を教えてくれればいいんだよ。それだけでいいんだ。あの龍の群れって、どこに行くのかねぇ?」
「戯言を。その結果が見えているのに、教えると思うか」
「えー? でも君は無事で済むよ? 生活だって貴族級のを保障しちゃうよ? 僕が保証する! まあ、皇帝陛下が責任持ってそれを叶えてくれるかどうかは、分からないんだけど!」
あ、相変わらず、すごく適当な爺さんだ。
当然、リントは怒った。そりゃ怒るわ。
「同胞の血と肉と引き替えの生など、いらぬわ!!」
「強情だねえ……龍狩兵団を作り出すには、大量の死体が欲しいってのに」
龍狩の兵団……?
龍狩を生むには龍の血と肉が必要になる。
兵団ともなれば、それは大量の龍の死体が必要だ。
っていうか、なんて物騒な事考えるんだこの人。
「笑わせる。俺一人倒せぬ身が、同胞共を皆殺すだと?」
「ま、その辺は色々やりようがあるんだよ。でも僕も、そんなに暇じゃないんだけど。セッキーの行方も追わなきゃならないし、新しい検体の確認とか、魔導学院の偵察とかさぁ」
セッキーというのは、ユフ王の養父セキエン氏だろう。
とすれば、新しい検体というのは、狼頭将軍の故郷グレイツロープの兵士だか将軍達。
魔導学院は言うまでもなく、ニワ・カイチの召喚された場所だ。
この空間がいつなのかは不明だけれど、セキエン氏を探していると言っている時点で、ラクストックでみたあの幻視よりも、時間軸的には前に当たるのだろう。
「よく回る舌だ」
「はっはぁ、それが売りだからね! いいけどね、最悪君だけ連れ帰っても、皇帝陛下には、血を献上出来るし、最低限の任務はこなせた事になる ま、ともかくこれは交渉決裂かな?」
「元より、交渉などしておらぬ! ゆくぞ、六禍選!!」
「どーぞどーぞ。でも、出来れば名前で呼んで欲しいなあ」
そして、龍と六禍選の戦いが幕を開く――
――と、一番良い所で景色がぼやけ、世界の色が戻った。
「お……」
「戻った……のかや?」
どうやら、そうらしい。
「緑色の髪、ねぇ……」
人間体のリントの姿を思い出す。
そして今、僕達のすぐ傍にその、同じ色の髪を持った女性がいる訳だが。
「どうかしましたか? さ、そろそろこの森を抜けて、鏡の魔女の城へ向かいましょうか」
ソアラさんは前と変わらぬ様子だった。
「ススムよ、妾を乗せるのじゃ」
「はいはい」
僕はケイの両脇を持って、ラクチョの背中まで持ち上げる。
ケイがよじ登ったら、次は僕の番だ。
ふと、後ろにいるソアラさんが気になって振り返ると、彼女は空を見上げていた。
はて、何かあるかなと思ったが、何もなかった。
が、すぐに思い出す。
龍の群れが去って行ったのが、あの方角だ。
これが青い羽が見せた、レパートにまつわるエピソード。
この地で最後に、青い羽が力を放つのは、かつてオーガストラ神聖帝国の首都があったシティムでの事となる。