第一章
ドーバー北 サズボーン館
館の書斎の窓に雨が強く打ちつける。長年、積もった埃でくもる窓から、濃い霧に包まれた森が広がるのがかすかに見える。夜と言うのにはまだ早い時間だが、雨と霧のせいで夜の帳が下ろされたようだ。
館の主が目を細め、くもる窓の外を見つめていた。部屋の中はろうそくが灯され、主の影が部屋の片隅に映しだされていた。
嵐になりそうだ。館から出るのは今夜はひえた方がよいだろうか。いや、慣れた森だ。雨の中で過ごすのも悪くはないだろう…
厚く重い扉の外から、鈍く響くいつものノックが聞こえた。
「どうぞ。」館の主が扉に向かって外にいる執事に言った。扉が開き執事の目には、暗闇から外套に包まれ、背を向けて窓際に立つ男が映りだされていた。
男の長い髪は革紐で後ろに束ねられ、その髪の色は闇の色と言っていも良いほど黒く、先代の館の主と同じ風貌の男だった。先代と違うのは、長髪と長身の男と言うことだった。
執事は扉で一礼をし、部屋の中へと入り、嗄れた声で主に向かって言った。
「旦那様、今夜はお部屋の方でお休みになられるかと、思っておりました。」
「うむ、そう思ってはいたのだが…」
「先程、ロンドンより旦那様宛に使いの者が急ぎの言付けを持って参りました。旦那様のご返事を頂きたいとのことです。」
執事は、白髪を額から後ろになでつけた、六十をかなり過ぎた男だった。背筋をピーンと伸ばした状態で主のそばまで静かに歩みより、深々と頭を下げ羊皮紙を差し出した。
主は片方の眉を上げ、執事の手から羊皮紙を受け取り険しい顔つきで読んだ。その内容に度々頷き、眺める顔がしだいに力が入り、羊皮紙を手で握りしめたのだった。エドワードは執事のルークに怒りを堪え、羊皮紙を握りしめた手を下ろし尋ねた。
「使いの者は、今どこにいる?」
「ロンドンより休まずこちらに出向いたとの事なので、厨房にて有り合わせの食事をさせております。」
「うむ。酒も用意し、今夜はこちらで休ませると良い。明日の朝、返事をロンドンに持ち帰るよう伝えてくれ。」
「かしこまりました。」
「ルーク。わたしも、何日かロンドンへ出向く。」
「旦那さま、もしかして、あの方の事で使いがきたのでしょうか?」
「うむ、そうだ。留守を頼めるか?」
「わたくしで宜しければ、承知いたしました。」
「では、明日から暫くの間任せよう。下がってよい。」
「では旦那様、失礼いたします。」
執事は深々と頭を下げ、扉に向かって静かに歩き部屋を離れた。
書斎に一人になったエドワードは、口元をゆがめ鋭い目で扉を睨みつけていた。
まったく、なんということだ。どうして、こんなことになるのだ。たとえ、亡き母同志が決めた事とは言え、どうしてこの様な事態になるのだ。まあ、わたしとしては少し早くなろうが都合が悪いわけでもない。寧ろ、良いくらいだ。さぞかし、彼女は前より美しくなった事であろう…。エドワードの口元が僅かにほほ笑んだ。
やはり今夜は、森に行くことにしよう。エドワードは、外套を翻し、ブーツの足音を響かせながら大股で書斎を後にしたのだった。