10 国王陛下は今日も不機嫌
「暇」
宮子はぐったりとソファーに倒れ込んだ。
突然わけのわからない世界に連れて来られ数日が過ぎたが、することがほとんどないのである。
というのも侍女のエリー曰く、王妃となる者は婚礼の日まで、髪を梳かし化粧をして美しくあるべきだとか。
ちなみに王妃となるまで無闇に部屋の外に出て、人前に姿を晒してはいけないらしい。
窓から見える見事な薔薇園を散歩することも出来ない。
つまりは暇で退屈で死にそうな毎日だった。
夜に国王陛下と食事をする以外、することがない。
エリーはこんな生活に何とも思わないのか、にこにこと宮子の髪を梳かしている。
自分で出来ると突っぱねたところ、とても悲しい目をされたので為すがままにされている状態だ。
自身を磨けと言われたって元が良くなくちゃ意味ないじゃないの。
何度目かわからない溜息を吐きながら、忙しく過ごしていた日々を思い出す。
あの頃はのんびりしたいと願っていたものだが、こうまで暇だと働きたくて仕方ない。
日本人はワーカーホリック気味なのだから。
「ねえ、エリー」
「はい、ミヤコ様」
にこにことエリーは尋ねてくる。
大好きなミレーネ様と引き離されてしまったというのに、彼女は屈託がなくてかわいい。
それどころか何故か宮子にもとても懐いていて、なんだか無碍に出来なかったりする。
「何か読む物はないかしら。本でも読んで暇つぶししたいわ」
「まあ!ミヤコ様もミレーネ様と同じで読書を!?素晴らしいですわ!」
「えっと、そんなにすごいこと?」
「ええ!ミヤコ様の国では普通のことなのかもしれませんが、カヤランでもリコリスでも字を読める女は少ないです。王族や貴族は嗜みますがそれも必要最低限です。わたしはミレーネ様と長く一緒にいたので侍女しては文字を読めるほうなのですよ」
「エリーはすごいのね」
「もったいなきお言葉です!では何かお持ちしますね」
「うん。出来ればカヤランやリコラスの国の歴史とか文化とか関連がいいわ」
「突然この様な境遇に立たされたというのに、ミヤコ様の姿勢には本当に感服いたします」
大袈裟に宮子を褒め、エリーはうきうきと部屋を出て行く。
いい子なのだが、たまにあのテンションに置いてけぼりにされてしまう。
広い部屋に一人でいるとき考えるのは、更科宮子のことだ。
ミレーネ様は果たして更科宮子をうまくやれているのだろうか。
エリーは心配ないと繰り返すが、ここと日本では全然違う。
蝶よ花よと育てられたお姫様に地味なOLが務まるのか、不安で仕方ない。
どんなに案じたところでこちらからコンタクトを取ることなど出来ないのだけど。
考えても仕方ないことを考えてしまうくらい、宮子にとって城の生活は退屈極まりなかった。
*
いつの間にか恒例となったヴィルとの二人だけの食事会。
あの女嫌いの国王陛下が次期王妃の部屋へ毎夜訪れている、という噂で城内持ちきりですよとエリーが頬を薔薇色に染めていたことを思い出す。
これは彼からも歩み寄ろうとしてくれているのだろうか。
恋を教えるなんて言ったものの、明確に何をすればいいのか考えはまとまっていない。
明日は紙とペンを持ってきてもらって、初恋の企画書でも作るべきか。
もぐもぐと和食に似た料理を食べていると、物言いたげな視線に気付いた。
ヴィルが箸、もといジョスティックを止めてこちらを見ていた。
「なに?」
「…俺の昔馴染みがお前に会いたいのだそうだ」
唐突に話を切り出され思わず首を傾げる。
この国王様、急に何を言い出すのだろう。
「はあ、そうですか」
「ミレーネが会いたくないのであれば断ってもいい。これは強制ではないからな」
「別に構わないけど。ヴィルのお友達でしょう、挨拶したいわ」
笑いかけながら、この無愛想な男にも友達がいたのかと驚いたのは内緒だ。
快く頷いたのにヴィルはなぜか不機嫌な顔をしていた。
まさか心の声がもれていたのだろうか。
ぱちぱち瞬きをしていると、無理をするなと言われた。
「無理?はい?」
「友達ではなく腐れ縁だ。わざわざ会う必要はない」
「え?でも会いたいんですよね?わたしに」
「ああ。だがお前も忙しいだろうから茶会に時間を割かなくとも…」
「だからいいですよ、って。会います、その腐れ縁の昔馴染みさんに」
同じ言語で会話しているはずなのに、何故話が噛み合わなくなるんだろう。
きっぱり言い切るとヴィルはやはり機嫌が悪そうで、じろりとこちらを見て大きな溜息を吐いた。
「…では近いうちに」
そう言ったきりヴィルはずっと難しい顔で、よほど何か気に障ることでもあったのか、食事が終わると別れの挨拶もないまま部屋を出て行ってしまった。
相変わらず不可解な王様である。
何を怒っているのかなと考えていると、傍に控えていたエリーがうふふとあやしく笑った。
「国王陛下って意外とかわいらしい方なのですね」
どうしよう、侍女も何を考えているかわからないわ。