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アルテミスの涙  作者:
第1章
5/11

第2話:陽菜

 「んじゃ、お疲れさん」

 「はい、お疲れ様です。彼女さんによろしく~」

 「うっせー。お前も気をつけろよ」

 「大丈夫ですよ。所長が送ってくれるし」

 「………………それが一番危ねーんだよ。じゃあな」


 事務所の駐車場で未来と別れると彼方は、その足で近くの地下鉄の駅へと向かう。さすがに終電が近いせいかあまり人通りがない。おかげで一本早い電車に乗れそうだ。

 本当なら報告まで一緒にするべきなのだが、未来が気をきかせてくれたのである。「早く、彼女さんのところに行ってあげてください」と。あの様子では、所長から何か聞いているのかもしれない。それでも深くつっこまずに気を利かせてくれる未来は内面はかなり成熟していると彼方は評価している。決して、本人にそれを伝える気はないが。


 「周りに甘えてるよな、俺。月ちゃんにも甘えっぱなしだったし」


 コートのポケットにある小さな皮袋に指で触れながら、彼方は苦笑する。それは彼女がこの世を去る数日前に受け取った物で本当だったらもう手渡しているはずの物。だが結局渡すことが出来ずにいた。恋人の親友である青柳月子が亡くなったあの日から。それでも今年こそは、渡そうと決めていたのだ。それなのにこのざまだ。大事な事があるたびに何かに邪魔される。


 「まぁ、俺がきちんと渡せばいいだけか」


 今年こそはと覚悟を決めた彼方は、駅まで走った。早く、陽菜に会う為に。


 「ただいま」


 声をかけアパートの扉を開く。中からは、何の反応もない。真っ暗な部屋の奥からかすかにテレビの音が漏れ聞こえてくる。もしかしたら、寝ているのかもしれない。そう思った彼方は、なるべく足音がしないように廊下を進む。するとテレビの前に毛布の塊が見えた。


 「ただい……………」

 「遅い!!」


 もう一度声をかけようとした彼方に向かってヒステリックな甲高い女の声と共に何かが飛んできた。とっさに避けると後ろでゴツンという鈍い音が響く。振り向くとそこには目覚まし時計が落ちていた。


 「遅い遅い遅い遅い遅い遅い」

 「悪かった。悪かったから、ちょっとボリューム抑えような」


 叫び続ける陽菜を抱きしめて必死になだめる。しばらくすると落ち着いたのか今度は黙りこむ。その姿に彼方は、内心溜息をつく。幸いこのアパートは築年数がいっているせいかあまり人が住んでいない。そのおかげで今のところ苦情がくるような事態にはなってはいなかった。


 「陽菜、薬ちゃんと飲んだか?」

 「……………」

 「飲んだのか?」


 若干声を強めにして確認すると小さくだが頷いた。彼女の頭を優しく撫で立ち上がるとキッチンにある薬箱を確認する。確かに薬はきちんと飲んでいるようだった。その事にホッと胸を撫で下ろす。

 元々、陽菜は明るい面度見のよい女だった。それが一年前のあの日から激変した。鬱を発症し、家に閉じこもるようになった。その上、感情の起伏が激しくなりついには家族が陽菜の世話を放棄する事態に。なので割と自由が効く職場だった彼方と同棲することにしたのだ。少し距離が空いたことで余裕が出来たのか彼が忙しい時は、彼女の母親が面倒を見てくれている。医者の話では、月子が死ぬ直前に通院を始めていたそうで彼女の死が病気の悪化に繋がったらしい。


 「飯は食ったか?」

 「…………食べた。まさが来たから」

 「そっか。ならケーキ食おうぜ。買ってきたんだ。月ちゃんの分も」

 「…………お茶いれる」


 陽菜は立ち上がると電気ケトルに水をセットし始める。それから三人分の皿を出したりと動き続ける彼女を見守りつつコートを脱ぐとポケットから例の物を取りだした。


 「じゃあ、食おうか」

 「うん。いただきます」


 無言でケーキを食べる陽菜をじっと見つめているとその視線に気がついたのか彼女の手が止まる。


 「何? 食べにくいんだけど」

 「そりゃそうだ。悪い、悪い」

 「変な彼方」

 「いつものことだろ?」

 「…………それもそうか」

 「おいおいおい。納得するなよ」


 それから陽菜の今日一日の出来事に耳を傾ける。ほぼ毎日一緒の生活サイクルをおくる彼女だったが、今日は違ったらしくどこかはしゃいでいるようだった。


 「そうだ。まさがね、結婚するんだって」

 「へー、相手はあのきつめの美人さんか?」

 「うーん、違うみたい。上司の娘さんだって。写真見せてもらったけど、どっちかというと月子に似た感じの大人しそうな子」

 「へー。まぁ、何にしてもめでたいな」

 「うん。今度紹介してもらうんだ~」

 「そっか」


 昔からの友人の結婚話がよほど嬉しかったのかそのまましゃべり続けた後、陽菜は眠りについてしまった。そんな彼女をベッドまで運んだ彼方は、結局袋にしまっていた指輪を取りだすと彼女の左薬指にそれをはめる。


 「まぁ、この方が俺らしいか」


 すやすやと眠る陽菜の頬を軽く撫ぜながら彼方は、苦笑した。

 

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