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春街花 - haru・machi・bana - ♡第3話 ふたたび♡


「ママね、電車で痴漢に遭ったの」


「えっ!」

 皐月は束の間言葉を失った。

 そして「ママ、大丈夫? そいつ捕まったの?!」と慌てている。


「うん。皐月、心配になる話をしてごめんね。痴漢は捕まったから安心して」


 娘の前では気丈であろうと考えていた結莉だったが、泣いてしまった。


「ママ、ママ」

 皐月は、結莉の隣に行き背中をさすった。

「ママ、ママが今考えていることがわかるわ。『皐月が同じ目に遭ったら』と気に病んでいるのでしょう?」


 コクリと頷く結莉。


「あたし達の高校にさ、女性や子どもの心身を守るためのグループが講演会に来たことがあるの。そこでは、暴力に対する対応の仕方が具体的に話されたわ。もちろん、被害に遭うのは女子だけではない。男子だって被害に遭うこともある。みんな、真面目に聴いたよ」


「そうなのね」

 娘の力強さに落ち着きを取り戻しつつある結莉。


「ママ? 今回のような時は大声を上げるのよ。すっごく勇気が要るけどね。あたし達は学校でそのグループの人と一緒に大声を出す練習をしたんだよ?」


「ママに……出来るかな……」


「ママ! 大切な自分の心や体が傷つけられているのを放っておくなんて、自分が可哀相じゃない! あたしはママが自分を大事にするために、自信を持ってほしいよ」


 まるで母と子が逆転しているかのような図式だ。しかし、心に病気を持つ結莉にとっては人の何百倍も勇気が要る。


「ママ? クリニックさ、何時まで開いているの?」


「19時だよ」


「じゃあ、あたし、今後はママの通院に付き添うよ」

 皐月は部活動をしていないので夕方までには帰って来られる。


「え、悪いよ。皐月の大切な時間を奪っちゃうなんて」


「あたしにとってママは大切な人よ?」


「……ありがとう。じゃあ、暫くそうさせてもらうわ」


「うん!」


 結莉の通院ペースは今2週に1回だ。


                    *


 痴漢事件から5日経過し、今日は土曜日。結莉のお気に入りのラジオ番組『ハートのたまご』がある。

 でも……結莉は立ち直れていない。

 それでもせっかくお便りも出しているし、といつものように聴く。


『やっほ~! みんな元気にしているかな。風邪なんかひいてない? 今宵もDJロリポップがあなたをロックでスウィートな世界へお連れしまーす!』


 そして1曲、ロリポップさんチョイスの洋楽ナンバーがかかった。

 いつもはワクワクで聴くラジオ。今日の結莉は浮かない表情だ。


 曲が終わり、DJロリポップの明るいおしゃべりが部屋に聴こえている。

『ハーイ! 今週は最新楽曲から聴いていただきました。では~、今日は、うん! ジャン・ロイドンくんからのお便りを最初に読もうかな』


(あ! ジャンくんだ。今日はなにをリクエストするんだろ。いつも通りゴリゴリのPUNKかな? こないだは昭和歌謡で驚いちゃったな)


 ラジオで心和んでくる結莉。


『こんばんは、ロリポップさん、みなさん。今週はグターッと疲れる一週間でした。あ、今日のテーマね。[恋バナ]? 先週のお便りで僕の結婚願望の話は思いきりしちゃったし……あ、直近の話をしますね。街ですっごく綺麗なお姉さんを見ました。以上、終わり』


ロリポップさんが大笑い。

『終わりなんか~い、ジャンくーん! それって[恋バナ]と言うよりシンプルに[感想]! でも、ジャンくんらしくて好きだな、このお便り。ありがとう!』


ラジオの前で結莉も笑った。

続けてロリポップさんがジャン・ロイドン氏のリクエストを紹介した。


『お? ジャンくん、方向性変わった? 今日も80年代女性アイドルのラブソングじゃん! 可愛くも切ない歌だよね。じゃあ、みんなも聴いてね!』


 それは結莉の大好きなアイドルの曲だった。


(わ~、さすがだなー。これってシングルのB面曲で、どのアルバムにも入ってないんだよね。さすがマニアのジャンくんだわ)


 結莉はだいたい、メジャーどころよりも、隠れた名曲を見つけるのが得意だし、アルバムで言うなら、だいたいの人が聞き流しちゃうような地味目な曲に痺れる。音楽オタクの称号にふさわしい女だ。


 月曜日の痴漢事件のせいで、さっきまでしょんぼりしていた結莉だったが、これはたまらないと言わんばかりに即座にジャンくんへ向けてSNSで書き込みをした。


『ジャンくん、あたし、この曲大好きだよ。アーティストも大ファンだし!』


 すぐにジャンくんから返信。


『うん、うん。つむじちゃんがこのアーティストのファンって知ってたよ』


『え、なんで?』


『だって超リクしてるじゃん?』


『あ、そっか、アハハ』


 まるでチャットのように『ハートのたまご』の公式SNSで掛け合いをする二人。


 そうこうしていると、つむじこと結莉のお便りが読まれるようだ。


『つむじちゃーん! 聞いてるぅ? SNSがすんごく盛り上がってるね、嬉しいよ! ありがとね。では続いて、その、書き込みも沢山してくれているつむじちゃんからのお便りです。[…………理想のタイプを書いてみようかな。ンー、あたしがおしゃべりだから、静かな雰囲気の人が良いな。ルックスは……綺麗な感じじゃなく、セクシーで男臭いほうがいい! キャ。なんか恥ずかしくなって来たからこの辺で!]だってさ! つむじちゃん、こんな素敵な人にきっと巡り合えりよ。ロリポップは信じています』


 自分で書いた文章を聴きながら……結莉の脳内に浮かんだのは、5日前の金髪の彼だ。


(あ、あたし……戸川さんのこと、好きになっちゃったかも)


 そう感じた瞬間から、結莉の大好物『ハートのたまご』さえ入って来なくなった。


(戸川さん、通勤であの電車に乗るのか~……あたしが通院の時間を変えちゃったら、逢える確率は無いに等しいな。しょんぼり)


 考えあぐねる結莉。

 耳に入って来ない『ハートのたまご』流れる部屋で、結莉は一大決心をした!


「あたし! 満員電車に乗る!」


「え?!」

 皐月の部屋まで聞こえて来る大声だったので、皐月がなにごと? とリビングへやって来た。


「ママ?! 今日話したばっかじゃん、電車……怖いんでしょう。なにをいきなり大声で……」


「ごめん、ごめん、皐月。ママはね、皐月が話してくれたように勇気を出すわ。大丈夫!」


 心配そうに皐月。

「突然平気になったの?」


「ううん。平気ではないよ。でも、痴漢妄想の恐怖なんかに負けて居られないわ!」


「そ、そう? 無理しないでね、ママ」


 結莉は……なんとかして、戸川さんに逢いたいのだ。


 皐月と話していたし、その直前まで考え事をしていたので、今日の『ハートのたまご』SNSへも目が行かなかった結莉。


『ごきげんよう~! まった来週―。DJはロリポップでした。バイバーイ!』


(あ、いつの間に番組終わっちゃった)


 SNSを見返すと、ジャンくんが話し掛けてくれていた。書き込み時刻を確認すると、ちょうど結莉のリクエスト曲がかかった時間帯だ。


『つむじちゃん、いつも素敵な曲をリクするね。このラブバラード、なんだか良いな!』


 今回は、愛しい金髪の戸川さんを想い選曲したのだった。残念ながらジャンくんへの想いではない……。でも、つむじはジャン・ロイドンを先週の放送から気にしている。

 ジャンくんはつむじ好みの楽曲をリクエストし『つむじちゃんがスキな曲なんじゃないかなー、って思ってたよ』だなんて、書き込みをしていたから。


(あたしって浮気者なのかな……。アハ、両方片想いだけど!)


                    *


 結莉は心の病があるゆえ、現在休職中の身。

 早起きをし、お風呂に入る。結莉の朝風呂は日課だ。お肌や髪の毛のお手入れが済んだら急いで皐月を起こしに行く。皐月はよく眠る。そして朝食の支度。皐月を送り出したあとは洗濯・掃除をし、あとはゆっくりと過ごす。

 感情の浮き沈みが激しいため、全く家事ができない時もある。皐月は健気な子だ。料理をしたり、洗濯物をたたむこともある。

 元夫からの暴力によるトラウマは根深いものだ。皐月は、内向的な性格ではあるが、あんな環境の中で良くぞスクスク育ってくれたな~と、娘に対し感謝しかない結莉だ。


 今日は2週間ぶりのクリニックへの通院日。


(もしも痴漢に遭っても負けないぞ!)という誓いと(戸川さんに逢えたら良いな。ほんの数分でも、姿を見たい……)という望み。


 今日は長い黒髪をキュートにポニーテールにした。もしも戸川さんに逢ったら綺麗と思って欲しいから……。もちろん念入りにメイクをし、装いはコーデュロイのレトロなワンピースにリボン付きの黒いパンプスを履く。コートはキャメル色のミドルロングコートを選んだ。


「わ! ママ、女優さんみたい。良いじゃん!」

 結莉が着替え終わったところ皐月が言う。


「ンフフ~」


「ママ、イイ感じ! 気を付けて病院へ行って来てね」


「うん、大丈夫よ。皐月、自転車気を付けるんだよ」


「はーい、ママ。いってきま~す」


 今日も親子は一緒にマンションのエントランスを出た。

 自転車に乗っている皐月の後ろ姿を見送る結莉。


 朝の新しい空気を吸いつつ、駅までの道を歩く結莉。不思議とリラックスした心地だ。


(先週みたいな災難なんて起こりそうにない。むしろ……良い予感がするよ?)


 駅のホームまでやって来た。電車に乗る前からホームに人が溢れ返っている。


 ――――朝8時。


(次に来る電車がにっくき痴漢に遭った電車だわ! でも、戸川さんという王子様に出逢えたのも事実よ?)


 結莉は戸川さん逢いたさに、先週乗った車両を想い出し、同じ4号車に乗った。

 今朝もギューギュー詰めである。バッグを胸元に両手で抱え、満員なので人と人の間に挟まる形で支えられているような結莉。


 こんな時……ほとんどの人がストレスフルな状況下で(せまっ苦しいなー。座りたい)と思うところだろう。が、結莉は少し変わっている。

(こんなに多くの人。どの人も黙って電車に揺られて居るけど……それぞれのドラマがあるんだよなー、乗客ぶんのさ)などと半ば達観したような、逆に鈍感で間抜けなようなとでも言おうか、そんなことを考え付くのだ。


 人と人の隙間からほんの少しだけ見える冬の空と街並み。電車だし窓もあいていないが、川を渡る時はなんだか爽快だ。


(あ!)

 結莉は見つけた。おしくらまんじゅうしている人々5人分先の所に、先日結莉に痴漢行為を働いた無礼者を。やはり恐怖心が湧く。ひ弱な感じだが、人間見た目ではわかったものではない、と結莉は思うのだ。

 恐ろしいだけに、相手の動きから目が離せず様子をうかがっていた。

 すると加害者がこちらを見た。目が合った。震え上がる結莉。加害者はすぐに俯いてバツが悪そうな表情を浮かべた。


 そこへ……結莉の所へ、人をかき分け、ある男性が現れた。その男性は結莉の真隣に今立っている。

 金髪、イケメン、こなれたスーツの着方、細マッチョな体つき、セクシーなムード……。

 戸川さんだ!


 彼はチラッと結莉のほうを黙って、笑顔で見ただけ。満員電車であいさつをする人もそうそう居ないだろう。

 そうして戸川さんが先日の痴漢男ににらみを利かせた。

 加害者は、懸命にギューギュー詰めの車内を向こうへと逃げて行った。


 やがて3つ目の駅、結莉が通うクリニックの最寄り駅に電車は到着した。

 電車を降りる刹那、結莉はやっと戸川さんに声をかけた。


「ありがとうございました!」


(あれ? 戸川さんの会社、この駅が最寄り駅?)


「どういたしまして、園河さん」


「あ、あの……戸川さん、これから御出勤ですか?」


「ええ、そうですよ。いつもこの駅で降ります」


「あたしも2週間に1度はここに来るんですよ。あたし、クリニックに通っているんです」

 戸川は結莉のプライバシーにズカズカ入るようなことをしない。

「そうなんですね」と穏やかに答えた。


 二人は改札を目指しながら自然と一緒に歩いた。


「あ、戸川さん、これからお仕事だからお急ぎですよね。なんか……ごめんなさい、あたし……」


「ううん、構いませんよ! 園河さんのことが気になっていました」


「え!」


「お嫌な思いをされたことだろう、とずっと心配していました」


(優しいなー、戸川さん)

 結莉はますます彼の魅力の虜だ。


「加害者は反省していた様子でしたね。早い段階での釈放ですし、二度とああいったことをしないと願いたいし信じたいです」


「はい……。あたし、高校生の娘にね『ママ、おっきい声を出すんだよ?!』とアドバイスを受けました。あ、あたしシングルなんです。娘は16才です」


 夫は居ない、という点をもちろん、戸川さんに向け印象付ける結莉。


「高校生の娘さん?! 園河さん、てっきりお嬢さんかと。いや、失礼! 年齢の話などセクハラですよね、すみませんでした」


「いえ『娘さん』だなんてお褒めのお言葉、ありがとう」


 それにしても、結莉はクリニックへと向かっているのだが、戸川さんのオフィス『うちわ金魚』もこっちなのか。彼此10分は一緒に歩いているが?


「園河さん、私の会社に着きました。このビルの4階なんです」


 なんと、クリニックからものの3分の場所ではないか。


「あ、いってらっしゃい! あたしの病院はこの先を少し行った所です」


「そうですか。園河さん、お気をつけてね」


「はい」


 手なんか振っちゃって、結莉は極上のスマイルを彼にプレゼントした。戸川さんはちょっぴり恥ずかしそうに「いってきます」と言い、ビルへ入って行った。


(やっぱり、駅へ行く前の予感的中! 良いことあった!)


 嬉しくてしょうがない結莉。


(奇遇にも愛しの戸川さんに逢え、その上会社まで知っちゃった。無論ストーカー行為などしないけど。わ~い!)


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