フィリピン統治
己等がフィリピンを獲ったとはいえ、己が戦ったのはルソンでのみである。それで趨勢が決したと言われても腑に落ちないものはあった。
この国は南北に長く島が連なった、日本と似たような作りだと聞いていた。それで言うなら、己等は北海道を攻め取っただけで日本を獲った、という理屈になる。
どうにも納得行かなかったが、米国人からすればここは外地である、と聞いてひとまず納得した。
なるほど、己等だってこのフィリピンを支配するにしても、本土ほど本腰を入れて守り抜く、なんぞという覚悟はない。米国人が反撃してきたのなら、追い返せそうであれば追い返し、あいや敵わん、と思えば退くだろうとは想像に難くない。
新しい分隊長殿が、「銃後の民を守るためには、戦線を日本列島から遠ざけねばならんのだ」と語っていた。
これは己でも理解できた。最近の船や飛行機はあっという間に随分な遠くまで行き着く。亀のように閉じこもっていては、守れるものも守れなくなる。
銃後の民、というのも得心がいった。己の島を思い返してみても、己のように腕っ節に自信がある者ばかりではなかった。
乱暴者だった己は、父母からようよう言い聞かせられた。その火のような気性は直らんだろう。ならせめて、戦を厭う者を守ってやんなさい、と。ぢゅう、あんま、己なりには務めを果たしておったよ。
日本で言う九州、フィリピンの南方の島にはダバオという日本人が営む農園があったらしい。
らしい、というのは、己等軍隊の進駐が始まった頃に、日本人や日系人は収容所へぶち込まれたからだ。今でも農園が残っているかはわからない、と話していた。
獅子身中の虫を飼いながら戦う阿呆はおらん。現地の同胞には気の毒とは思ったが、米国人のやり口もわからんでもなかった。
彼等は現地の言葉を解したので、己等と現地住民との橋渡しを務めることが多かった。
己等としても、農園で採れる麻はあって困らんが、通訳のほうがもっと有り難い。逃がすつもりはなかった。
その折、現地住民の言う「まるぴ、まるぴ」という呪文のような言葉が気になった。
通訳に聞いてみても口を濁す。素直に訳さんあたりろくでもないものだとは思うが、聞けなければ支障が出る。無理に聞き出せば、「惨い」だの「非道だ」だのということだった。
なんのことかわからなんだ。確かに己等は米国人と戦った。つまり連中を殺しに殺した。それを非道だと言われればそうかもしれん。
しかし、分隊長殿だか小隊長殿だかが言うには、現地住民も米国人と戦ったことがあるとか。つまり己等は連中の頭を抑えつけていた憎き敵を打ち倒したことになる。
御大将の仰る大東亜とやらがどこまで本当かは知らんが、それが全く筋の通らん話とも思えんかった。だとすれば、両手を上げて歓迎せよとまでは言わんでも、亜細亜人同士、多少は愛想を良くしてくれてもいいだろう、と憤慨した。
しかし通訳の言うことにゃ、己等が戦ったあとの捕虜への扱いが悪かったのだとか。飯を食わさないだとか、車で移送しないだとか。
阿呆ではないか、と思った。
御国でも満足に飯を食えておる者など限られている。わざわざ海を越えて戦う己等でさえ、空きっ腹を我慢しながら戦った。
だから、フィリピンは砂糖や鉄が採れる豊かな土地だと聞いて、この国で勝ちさえすれば飯が食えると思ったものだから、死に物狂いで戦った。実際には多少マシになったくらいだったが。
それに車など、己は見たことがない。帝都では違うのかもしれんが、己の知る車とは自転車か戦車くらいなものだ。何故、敗残の兵がそのような贅沢に預かれると考えるのか。米国人とは図々しい連中なのだと軽蔑した。
それでも通訳が何かつっかえているので促すと、どうもその捕虜輸送で結構な数が死んだらしい。少なくとも、現地住民はそれを見て己等を非道と謗っているのだとか。
そこまで言われるほど飯も食わさなんだのは、多少バツの悪いことである。しかし御大将が連中に食わす分の飯を、空きっ腹の己等に当てようと考えてくれたことは考えんでもわかる。
第一、捕虜というものは将官であればある程度丁重に扱われるが、雑兵などどうなるかわからんものだろう?
己もそのあたりの建前は訓練の際に叩き込まれたが、そんなものが理想論だとは理解している。豊かな米国本土の感覚を戦場に持ち込んだが故の甘ったれだろう。そのようにしか思えなんだ。
そもそも、戦場において鉄砲で撃ち殺すのと、戦が落ち着いてから過労や空腹で死ぬのの、何が違うのか己にはわからなんだ。
武士道だか騎士道だかに照らせば、そういうものなのかもしれん。しかし己は八人兄弟の末である。言えば薩摩の士であったらしいが、家を継げる身分ではないから、大工にでもなっていたであろう庶民である。
士族も名乗れん己に武士道など知ったことではない。
それに、規則のうえでの殺しは良くて、そうではない殺しはいかんなど、欺瞞にもほどがある。殺しは殺しだ。
こんなことをぐだぐだと考えることさえ阿呆らしい。
ただ後々考えれば、このときの己等の考えと現地住民のそれの乖離を、ようよう注意しておくべきであったとは思う。全ては終わった話だが。
この頃、再編された部隊では、己の所属する師団からして元とは違っていたと知らされたが、どうでもいいことだと考えていた。
別に己が師団長になって大軍を指揮するでもなし。軍人として出世する気もないのだから、所属など何だっていいことだ。
とはいえ、帰還後に戦友会のどの集まりに出ていいのやらわからなくなったものだから、少々簡単に考えすぎていたかもしれないとも反省した。
尤も、覚えていたとて顔を出すことは無かったろうが。
すっかり春になってしまったが、遅めの正月だということで、砂糖と胡麻をちょろまかして胡麻ざたを作り、あとはもち米とよもぎらしい何ぞかを使ってかしゃ餅も作り、あとは隊で振る舞った。
己は正月に食うこれが好きだった。御国の物資不足で餅の支給が適わんのであっても、戦勝祝いに兵が現地で食う分には問題なかろう。砲弾弾丸の雨霰を潜り抜けたのだ。そのくらいの権利はあるはずだ。
フィリピンの砂糖は己の島の物と風味が似ており、ようよう上手に作れたと思う。分隊長殿も目を瞑ってくれるほどには美味しかったらしい。この方とはうまくやっていけそうだと感じた。
とはいえ、やはり食糧不足は深刻であった。それはまあそうだろうと思う。米国からの補給があったとはいえ、基本は現地の人間を食わすだけの食料しかなかったはずだ。
そこに己等日本人が大挙してやってきたのだから、足りるわけがない。御国も切迫しているとなれば、現地で何ぞ確保するしかない。
そこで現地住民から徴発するのは阿呆のやることよ。現地の禽獣であれば、誰のものでもない。
己は島で培った腕前があったので、蝙蝠や山猫を捕まえ、隊内の皆で食った。獣を狩るにしても、弾薬を節制するために発砲は厳禁とされたが、己は罠や素手で捕らえるのが特異だった。そも、得物を使うと臭みが増して不味くなる。
五穀の代わりにはならんが、腹は膨れる。己の株は上がる一方だった。
ちいといい気分になって、なんなら水田にいる水牛だって締めてやる、と大法螺を吹いたが、仲間はすっかり信じてしまったのでかえって己がまいってしまった。
半年か、一年か。そのくらいはなんだかんだ楽しくやれたと思う。
現地住民とはぎこちなさが常に付き纏ったが、どうも連中は米国人と独立の約束をしていたらしい。
御大将等はフィリピンの独立を手伝っていると聞いていたので、なるほど連中は日本と米国の板挟みになるのが不安なのだな、と理解した。
そのあたりがわかれば、まあ付き合い方はあるというもの。
日本は石油や鉄、麻なんかまでを接収して御国へ送っていた。砂糖もだ。甘味には、老いも若きも男も女も勝てん。
その代わり、日本は連中の独立を手伝う。しかしそれは有難迷惑でもある。なら、己等は堂々としていながらも、恩着せがましくあってはならんのだろう。
そう考えたものだから、獲物が多く取れたときには、隊内だけでなく、通訳や現地住民を呼んで共に鍋を食った。
同じ釜の飯を食えば、親睦も深まると考えたのだ。
何度か同じことをしていたら、小隊長殿から分隊長への昇進を言い渡され、また隊の再編が起きた。
そして、己等の管区のすぐそばでも反乱分子が跋扈しているため注意せよ、とお達しがあった。こういうのをゲリラと言うのだと小隊長殿が教えてくれた。
ゲリラにやられた穴埋めのために己等の分隊長殿が横滑りし、己が昇進する。なんとも慌ただしいことだった。
己は分隊内では兄貴と呼ばれており、一度は分隊長を務めたことがあるため。また己等の管区ではゲリラが不活性であり、現地住民ともようようやれているから、という理屈だった。
分隊長を経験済み、という点については少々苦いものがあった。
言い訳がましいが、このときは別にそこまで悪いとは考えてもおらなんだ。将であれば、部下を切り捨てる非情さも必要かもしれん。だが分隊長程度であれば、己が部下を奮い立たせるために先陣を切るものではないのか。奴は逆を行く男だった。だから死んで当然だった。そして、奴に逆らった己は生きている。
今となっては何が正しかったのかよくわからん。奴にも待っている家族はいただろう。己が殺した。撃ったのは米国人だが、己が殺した。それは受け止めねばならん。
分隊長殿のことになると、どうも落ち着かん。
現地住民との諍いごとは、徐々に人ごとではなくなっていた。
こう書いていて自分で気がついたのだが。
己はフィリピンの人間を「現地住民」や「ゲリラ」という語で呼ぶ。しかし残念なことに、他の小隊では「土人」という呼び方が当たり前に飛び交っていた。
「連中の持ち物は全て米国から与えられたものであり、我等第日本帝國のように自力で作り出したものではない。連中は文明を持たぬ土人である。だから大東亜構想も理解できんし、帝國への感謝の念も持てん野獣の如き存在なのだ」と。
己は本土から離れた島の生まれである。明治が興った頃には日本の一部であったとはいえ、元々は薩摩に与した民の末である。
そして島は、首里と薩摩の双方から風を受けていた。
つまり厳密には己の島も自力で確たる文明を興したとは言えず、広い意味では己も土人である。
この言い草が心底気に食わなかったので、己は意地でも土人とは口にせなんだ。誓って言うが、どれだけゲリラに悩まされようが、現地住民と仲違いしようが、己は絶対に土人などと吐き捨てることはせなんだ。これだけは、明記しておく。
そのあたりの機微が現地住民に伝わったのかどうかは知らんが、己の分隊や小隊は他所に比べてゲリラに悩まされることは少なかった。
ついでに言うと、己はゲリラを先んじて見つけるのが特異だった。
妙な話ではある。フィリピンのほうが日本より原始的な生活に近いのは確かである。しかし、己は本土の人間ではない。島で禽獣を追いかけて遊んでいた。だからか、茂みや木陰の妙に静かな具合を見れば、わかるのだ。
そうして声を掛ける。「アランコ」と繰り返して、しっし、と追い払う。
己等が撃ってこないことを不思議がりながらも、潜伏のバレたゲリラは逃げていく。
別段、仏心を出したとかそんなお綺麗な話ではない。
フィリピンという国中にゲリラがいるのであれば、一人二人を殺したところで何になると言うのか。
そして、現地住民やゲリラも、己等日本人全てが憎くて悪くて仕方ない、というわけでもないと勘付いた。
であれば、己の島で悪徳警官が目溢しをしていたように、ゲリラを殺さない兵隊と、兵隊を殺さないゲリラがいても良かろうと考えたのだ。
逆に、ゲリラを一人も許さず殺したとする。そいつの家族や輩は己等に憎悪を抱き、新たにゲリラになるだろう。キリがない。
フィリピンにいる兵隊が現地住民より少ない以上、ゲリラ共とまともにやり合っても仕方ないのは、己のような学の無い兵卒にもわかる理屈だった。
それに、己等の管区に出るゲリラは、どこかで見た顔がちらほらいた。共に飯を食った者もいたのだ。
銃口を逸らし、他所の小隊の者がいないか急いで周囲を見渡し、虚覚えのタガログ語で、「ヒンジ」「タクボ」と繰り返した。
たしか、撃たない、逃げろ、走れ、そんな意味だったはずだ。
そうこうしている内に、己が逃がしたゲリラの姉だか妹だかが姿を表し、瑞々しい果実を己等分隊の者に振る舞った。
「私は日本人の農園で働いていたから、少しなら日本語がわかる」と女は言った。
ゲリラが活発になるにつれて、飲水にも難儀するようになっていた。南国とはいえ年がら年中好き放題に果実が食えるわけでもなし。有り難い限りだった。
それから、己等分隊はその女を通して、いくつかのことをゲリラに伝えさせた。
積極的にゲリラを殺すつもりはないこと。しかし襲われれば身を守るために殺すしか無いこと。己等日本人としても、襲ってこなければ、現地住民を皆殺しにしようなどという暴論は抱いていないこと。そのあたりを伝えてもらった。
結果として、ここには嘘が含まれていた。それを申し訳なく思うと同時に、連中もまたそれ相応の態度をとったのだから、相子だとも思った。
己等分隊のゲリラとの癒着は、小隊長殿の知る所となった。この上官殿は「貴様等が妙に平穏無事なのはそのせいか」と呆れたようだった。
しかしお咎めを受けることはなかった。その代わり、自分にも果実の差し入れを寄越せ、と言われた。せめてこの話のわかる小隊長殿とは、連絡をとれるようにしておけばよかった、と後悔している。
尤も、戦局が混乱していたため、己が帰還したとき、小隊長殿が御存命であったかはわからぬが。
また、さらに上の会議では、来たるべき米国人の反攻作戦に対抗するため、兵力を温存すべし、と通達があったそうな。
要するにゲリラなどに悩まされている場合ではなかったのだ。己が見逃されたのも、そうした背景からだろう。
そして、予感はしていたものの、いよいよ、というか。ゲリラ掃討作戦が命じられる。
米国人達が来る前に面倒事を片付けてしまおうというのだろう。十分理解できるし、妥当だとも思った。
しかし同時に早計ではないか、とも。
この一余年、散々ゲリラに苦労させられているのだ。救護所も襲われ、食料庫も襲われ、弾薬庫も襲われた。本当に散々である。
それに、全員ではないにせよ、連中は米国人の装備を持っていた。甘く見てよいものでもない。
しかしなんというか、御大将殿方には自信というか油断というか慢心というか、そういうものがあるようだった。
分隊長如きが全軍の方針に意見できるはずもなし。
せめて戦死からは遠ざかりたいと考え、普段より気を張って警邏を行う。
そして不自然な静寂を感じて銃口を向けたとき、あの女にあってしまった。
どうするか逡巡した。己等が本腰を入れてゲリラ掃討に乗り出したことは既に知られているか、すぐに知れ渡るだろう。
であれば、己等のことを知るこの女を活かして返すのは得策か? これも時勢だと殺してしまうべきではないか?
己の指が引き金を引けずにいると、女はおずおずと近づいてくる。嫌な感じだった。このままではなし崩しで己は撃てなくなりそうだと思った。
その己と女の視線の脇から、全く別のゲリラが怒鳴り声を上げる。
全く別と判断できたのは、ゲリラが女と口論し始めたからだ。そもそも、ゲリラに女は使わんだろう。
よしんばくノ一の如く使うのならば、己に気づかれるような声を上げる間もなく、発砲しているはずだ。
ゲリラは興奮した様子で己に銃口を向ける。何故か咄嗟に、これは脅しではない、と感じた。
直後、雨蛙の如く地に這いつくばる。そのまま横へ反転。仰向けのまま、男を撃ち殺した。
女が目を見開いている。己はバツが悪かった。
女が近づいてくる。武器を持っている様子はなかったが、ぶたれるくらいはすると思った。
「怪我がなくて良かった」。女が言った。
意味がわからなかった。己は女の同胞を撃った。しかし女が言うには、奴とは別の村の知り合いで、元々反りが合わなかったのだとか。
女の周囲では、己等と殺し合いにならんのならそれに越したことはない、という風潮が広がっていたが、それは極めて珍しいことだったらしい。
多くの現地住民は、積極的にゲリラに参加していた。
己はゲリラを見逃して得意気になっていたが、生き残っていたのはただ幸運だっただけのことだ。様ない。
己は自分を恥じた。まだ若造だったとはいえ、自らの力を過信し、いい気になっていた。なんたる愚物か。分隊長殿を殺めたのも、この傲慢さ故だったのであろう。そしてその気質は、帰還しても治らなんだ。真の愚か者は、死ななければ直らんというのは誠らしい。
己が俯いていると、女が己の頬を撫ぜ、そのまま接吻した。
己は動揺することなく、女を抱いた。考えるより、女の肢体に溺れたかった。雨が降っていたような気もするし、ただ木陰が揺れていただけのような気もする。明るくはなかったように思う。
己が情けなく腰を振っている間に、分隊の仲間が三人死んだ。何も感じなかった。