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彼の戦前

戦後80年の節目ということもあり、少々思うところあって投稿いたします。

戦記物のように面白みもなく、かといって反戦を訴えるようなメッセージ性もありません。

ただ、一人の人間が戦争を経てどのように感じ、生きたのか、記せればと思います。


 孫が学校で、先の戦争の話を聞いてきたらしい。「もしおじいさんやおばあさんといっしょにくらしているなら、せんそうのはなしをきいてみましょう」ときた。

 昨今の教員は驚くほど無神経だ。質の低下が著しい。米軍に占領され、その後に赤共が蔓延ったこの国では、致し方ないのかもしれん。


 孫に話をするつもりはない。聞かせられるものかよ。

 しかし、老い先短い我が身である。全て抱えて行くには、苦いものがある。

 そこで、思い出す端から連々と書き殴っていく。

 遺品整理のときにでも息子が見つけて、とっておくならよし。捨てるのでもよし。書き上げた時点で(おれ)の目的は達せられているのだから、好きにしたらいい。

 正気を保てる時間が徐々に短くなっている自覚がある。お迎えを待つだけの退屈な日々とはいえ、その前に全て吐き出せれば、と願う。








 どうも親が言うには、己は大正九年(1920年)に生まれたらしい。しかしその後のことを考えると、どこまで本当かわからない。

 生家は本家であった。親族を含めれば、同世代の餓鬼共がうじゃうじゃいた。その中の一人として考えれば、生年が怪しいのは無理からぬことと思う。己だって一人息子の生年月日が怪しくなることがあったほどだ。


 場所は九州の離島だ。本家を名乗るだけあって、島の中では多少大きな家ではあった。おかげで、学校には不自由なく行かせていただいた。戦後も食うに困らなかったのは、文盲でなかったことが大きい。これには感謝している。

 妙に腕っ節の強い餓鬼だった。喧嘩では負けず、大人だろうが中学校のあいだには、皆、のした。漁師や大工にと期待された。そのうち、女を引っ掛けて森の中で励むようになった。己の知らん血族が多少はいるかもしれん。

 蛇を捕まえるのも特異だった。酒好きの親父に渡せば、ビンに漬け込みながら駄賃をくれた。蛇に限らず、禽獣を狩るのも得意だった。いつも腹が減っていたから、それを焼いては食っていた。

 時代と言えばそれまでだが、そんな特技を持ったのは、己の幸いであったかもしれん。






 中学校の頃から見習いに出ていた大工の下で働いていると、兵隊に出されることになった。

 「己の年ではまだ早いのではないか」と考えたが、島の外に興味があったので、文句を言わず従った。このあたりの経緯から、己は出生年について懐疑的である。


 訓練は嫌で嫌で仕方なかった。

 島では己が大将であることばかりだった。しかし教官殿の言うことには従わなくてはならん。

 始めの頃は何度か反抗した。ぶたれたし、何度腕立てをさせられたかわからん。それでも歯向かったら、寝る間を削っての便所掃除を言いつけられた。暗い中で足を滑らせ、片足を便器に突っ込み、縁で金玉を打って悶絶したことを覚えている。


 訓練自体は然程苦ではなかった。島の森が庭だった。大工仕事もした。本土の連中より、体はずっと強かった。多少、いい気分がした。


 訓練が終わった頃、教官殿から「任地では上官に従うように」と言われた。たしか、生返事を返したはずだ。

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