勇者、熱に浮かされる。
……今日ほど『ここに来るんじゃなかった』と思う日は、ないだろう。
サラ嬢の屋敷に向かう前から、違和感はあった。
街が妙に騒がしかったんだ。
なんと表現したらいいだろうか?
『熱に浮かされている』そんな感じだった。
―――
「魔王よ!今日こそ……」
「ああ、来たね。噂の勇者クン。」
甘く蕩けるような声色。
声の方を見ると、ヴァイオレットで髪の内側が黄緑色という不思議な配色だった。
垂れ気味で気だるげな金色の目。
頭が回らない。
見た目は、少し人生経験が豊富そうな“女性”だとわかるのに、舞台の男役のような雰囲気を醸し出している。
先程から心臓が『ドッドッドッ』と鼓動を早めてうるさい。
なぜだろう?なぜこんなにも、この人の手の甲にキスをしたくなるのだろうか……
ふらふらと彼女に近づき、手にそっと……
パァンッ
破裂音のような音にハッとする。
見ると、魔王がため息をついて、オレを見下ろしている。
……魔王が手を叩いて、オレを正気に戻したんだろう。
クソッ……感謝してやらんでもない。
ふう、落ち着け……オレの心臓……
「クククッ、勇者クンには少し刺激が強かったかな?」
「はぁ、デズデモーナ……遊んでもいいが、壊すなよ。勇者はサラのお気に入りだからな。」
オレのことを物扱いしてないか!?
二人揃ってバカにしやがって……ん?デズデモーナ……?
どこかで聞いたことがある……?
「ふふっ、混乱しているようだ。まあいい、自己紹介といこうか。私は『大罪の魔女、色欲を司るデズデモーナ』だ。以後お見知り置きを、勇者クン?」
オフィリア殿が言っていた『色欲の魔女』だとっ!?
忘れた頃に来るとは……!!
た、確かに漏れ出る色気というか、フェロモンと言うのだろうか?気を抜くと“慈悲”を乞いたくなる……
「おや?まだ私の魔力に酔ってるのかな?優しく介抱してあげようか。」
にんまりと妖艶な笑みを浮かべる。
「け、結構だ!」
思ったより声が出てしまったが、彼女を振り払う意味もあるので、ちょうど良かったかもしれない。
くそっ!怒りなのか羞恥なのかわからないが、顔が熱い。
「そろそろ止めておけデズデモーナ、貴様のせいで街の方も色めき立っていたではないか。」
「そうだね……街の人達にも申し訳ないし、勇者クンには伸び代がある。ここで潰すには惜しいかもね。」
そう言って、お茶を一口すする。
幾分か、呼吸がしやすくなったように感じる。
「オ、レに伸び代がある、とは……?」
呼吸を落ち着かせて、聞いてみる。
「“追加の茶菓子を用意しよう”」と、魔王が席を離れて、二人っきりになる。
デズデモーナ殿は、ふっと柔らかく笑いオレに尋ねる。
「勇者クンは、“人間の三大欲求”って知ってる?」
「“三大欲求”……?申し訳ないが……」
「ふふっ、気にしないでおくれ。“人間の三大欲求”
、人間が理性を持ってしても、抗えない三つの欲望。“食欲、睡眠欲、そして性欲”だ。」
一体なんの話だろうか?さっぱりわからない。
「最古からある人間の欲、そしてこの三つ、突き詰めると何になると思う?」
頭ではさっぱり答えを出せてはいないが、口が勝手に動き出した。
「罪?」
「正解だ。食欲は“暴食”に、睡眠は“怠惰”に、そして性欲は“色欲”だ。」
その並びは……
「そう、ジュリエットとオフィリアと私だ。二人は、君を“弱い”と評価しているが、私はそうとは思わない。人間が抗いづらい三つの罪を前にして、君は正気を保っている。これは凄いことだ!」
頭がボーッとして、身体が勝手にふらふらとデズデモーナ殿に近づく。
「二人は、カイサルを追い詰めた勇者と、君を比較してしまうんだね。私はそんなことはしない。」
手を伸ばされ、それに引き寄せられる。
『大丈夫。君は、君のままでいるといい。さあ、その胸の内を私に話してごらん?』
オレの心の内……
「オレは……」
――バシャンッ
「あっつ!??なんだ!?」
「この程度も避けられないのか、貴様は本当に軟弱だな……デズデモーナ、いい加減にしろと言ったであろうが。」
どうやら魔王がオレにお茶をかけたらしい。
「おいっ!火傷したらどうする!?」
「避けない貴様が悪い。」
〜〜ッこの傍若無人魔王め!!
ぽかんとした顔をした後、「“あっはっはっ!”」と豪快に笑うデズデモーナ殿。
「どうやら“サラだけのお気に入り”って訳じゃあなさそうだ。ちょっかいかけて悪かったよ、カイサル。」
「“フン”」と鼻を鳴らし、再度お茶を入れ直す魔王。
……どういう意味だ?
「せっかくなら、勇者クンの自身も自覚してないような“深いトコロ”まで覗いてみたかったんだが、今回はお預けだな。」
悪戯っぽく笑うデズデモーナ殿に、思わず身構える。
オレ自身が自覚してないようなことってなんだ!?
何故か、先日の女体になった魔王が頭をよぎる。
無意識にチラリと見る。
「……?なんだ、勇者よ。まだお茶を浴び足りないか?」
「“浴び足りない”ってなんだ!?まず、お茶は浴びないだろ!!」
―――
「ありがとう、面白いものを見せてもらったよ。あんまり長居しちゃうと、そろそろ街が、どこでも色事が行われる花街みたいになっちゃうから、これでおいとまさせてもらうよ。サラにもよろしく伝えておくれ。」
はっ花街!?街の様子がおかしいと思ってたが、デズデモーナ殿のせいだったのか……
――そういえば、今日もサラ嬢を見なかったな。
また魔法の勉強をしに行っていたのだろうか?
「サラが不在時で良かったかもしれぬ。あんなに魔力を垂れ流しおって……」
不敵に笑い、魔王に近づくデズデモーナ殿。
「そうカッカするなよ、今度はお前の“相手”もしてやるから。」
そう言って、魔王の下腹部をするりと撫でて離れる。
「おっ……!?えっ!??」
「なんだ、勇者クンには、これも刺激が強すぎたか?……もしかして、童……」
「うわぁぁああ!!」
思わず大声を出す。
「ふははっ!ごまかし方が、ずいぶん力業だね。ごめんごめん……それじゃ、またいつか。」
そう言い残し、姿を消すデズデモーナ殿。
……きっとこれから、今日ほどここに来るんじゃなかったと思う日はないだろう。
彼女が去ったあとの席で、マタタビを貰ったようにぐでんと溶けているノーティの姿があった。
ドラゴンにも効く“色欲”……恐るべし。
……“またいつか”出会う時、オレは正気を保っていられるだろうか?




