元魔王、思い出す。
「サラ、朝だ、起きよ。」
指を鳴らし、カーテンを開ける。
「おはよう、カイさん!今日は、どんな一日になるかしら!」
目を擦りながら、嬉しそうに、吾に話しかけてくるサラ。
アーランからサラを託されて、1200年あまりが経っただろうか。
小さな頃は、頬に“おはようのキス”をねだっていたものだが、
この前、いつも通り頬にキスをしようとしたところ、「もう!サラは、立派なレディなのよ!」と断られてしまった。
本当に、子の成長は早い。
人間だと、そろそろ学び舎を考える時期だが…サラには、まだ早いのではないかと思う。
魔界の学び舎だと、危険が多い。人間の学び舎だと、サラには少し窮屈かもしれぬ。
しばらくは、吾が教えられる知識を、教えようと思う。
サラの髪をまとめ、身支度を整える。
「サラは、今日何をしたい?」
「えーっと、お庭の畑にお水をあげるでしょ?それから最近、お庭に来るようになった小鳥さんと遊んで、あとね、あとね!」
「では、汚れても良さそうな、服にするか?」
「うん!この前、小鳥さんについて行ったら、とーっても低く飛んでから、草の茂みに――」
「サラよ、“立派なレディ”は、そのような場所へと、行かないのではないか?」
吾の言葉に、ハッとしたように、口を塞ぐサラに思わず、口角が上がってしまう。
「それに、あまり遠くへ行かないと、吾と約束したであろう?」
「約束は、破ってないわ!お屋敷の敷地からは、出なかったもの。だって狭くて、入れなかったんだもん!」
サラの言葉に、頭にたくさん葉をつけた日のことを、思い出す。
「そうか、なら良かった。もし、吾との約束を破っていたのなら、今日のおやつは、ナシになるところだった。」
サラがバッとこちらへ振り向く。
「ダメなのだわ!今日のおやつは、昨日お願いしていたキャラメルフランでしょ?おやつナシだなんて、ダメなのだわ!」
黄色と青の瞳に、涙の膜が張る。
「泣くな、サラ。約束は、破ってないのであろう?」
エプロンのポケットからハンカチを取り出し、サラの目元にあてる。
泣き虫なのは、アーランにも、奥方にも、似ておらんな。
「泣いてないわ、サラは…立派なレディだもの!」
「そうだな。サラは、約束を守れる、立派なレディだ。特別に、おやつのキャラメルフランを二切れにしようか。」
「ほんとう!?」
「本当だ。吾は、サラに嘘はつかぬ。」
「ふふ!楽しみなのだわ!」
いけないと思いながらも、サラの笑顔見たさに、つい甘やかしてしまう。
心の中で、アーランと奥方に謝っておこう。
「さぁ、おやつの前に、朝食の時間だ。」
「はーい!」
朝食を終え、サラが手のひらに水をすくい、それを畑の野菜にバシャリとかける。1回で、だいたいトマト20株分が終わる。
「サラよ、次はキュウリを頼むぞ。」
「はーい!!…カイさん、今日は、小鳥さんたちが遊びに来ないみたい。とっても静かなの。」
「確かに、見ないな。…明日は、雨が降るかもしれぬな。」
サラの言葉を聞きながら、空を見る。
その時、目眩しの結界に、穴が空いた感覚を察知する。
そして、この魔力の気配は…忘れるわけがない。
――吾を、打ち倒した“勇者”のものだ。
吾に気づいて…――る訳ではなさそうだ。魔力の気配が右へ左へと移動し、定まらない。
勇者は人間だ。何千年も生きないであろうから、その子孫か、勇者の魂を持つものか…
それにしても、微弱だな。吾を討ち取った、勇者の三分の一にも満たないではないか。
もしや魔力を制御している?だとしても、微弱すぎる。一般人に、毛が生えた程度だ。もしや、単に魔力が弱いのか?
――何はともあれ、ここで戦闘になるのは、まずい。
吾ひとりであれば、あの時のように、相打ち覚悟で相対するのだが…
今は、守るべき者がいる。サラを置いて逝っては、アーラン達に顔向けできない。
それに、サラや吾を“守り神様”と慕っている街の人々も巻き込みかねない。
転移の魔法で――
「カイさん、どうしたの?なんだか、怖いお顔をしているわ?」
サラが心配そうに、吾の顔を覗いてくる。
「…サラよ、もしお前が、“一方的に怒ってきた者と、会わねばならぬ時、どう対処”する?」
サラに、こんなことを聞いても、しょうがないのに、ポロッと口から出てしまった。
「サラよ、今のは忘れてくれ――」
「そうね、サラは、お話し合いをして、なんで怒ってるのかを、一緒に考えるわ!怒っていたら、疲れちゃうし、サラも悲しくなっちゃうもの!」
――“まずは、話し合えと、いつも言っているだろう?我が主いや、カイサル”
不意に昔、アーランに言われたセリフを思い出す。
…あぁ、共に居なくても、親子なのだな。
「カイさん、大丈夫?泣きそうなお顔だわ、どこか痛いの?サラが“痛いの痛いの、飛んでけー”してあげるわ!」
「…大丈夫だ、サラは優しいな。おやつのキャラメルフランを、もう一切れ増やそうか。」
ほんとうに!?と、はしゃぐサラを見ていると、自然と笑みがこぼれる。
…戦う術しか知らなかった吾が、サラを通して、戦う以外の選択肢を得れるとは…アーランよ、お前の忘れ形見は本当に、凄いな…。
――そうだ、種族は違えど、言葉は伝え合える。どうしてもダメなら…その時に、折衷案を一緒に考えることにしよう。
どうか、今代の勇者とは、話し合いが出来ることを祈ろう。