その9
二人の姿が見えなくなってから、クリスは柱の陰から姿を現した。
「君がクローディアに絡まれてるって、影から報告を受けたて来たんだ」
私はどう声をかけていいかわからず目を合わせられなかった。
そんな私の頭に、クリスはポンと手を置いた。
「そんな顔するな、王宮では知られた話だから」
クリスはわざと芝居がかった言い方で続けた。
「結婚式目前で、最愛の婚約者を失った悲劇の王太子、悲しみに明け暮れる彼を慰めたのは、婚約者の親友だった令嬢、そしてちゃっかり親友の代わりに王太子妃の座を掠め取った、ってね」
そんな泥棒猫みたいな言い方をされてるなんて、酷すぎる。
「でも、国王になった今もなお元婚約者を忘れられない、所詮現王妃は身代わりに過ぎない。そう言われているのは母上も知っていることだ。父上の心の中にはずっとフェリシティ様がいることを……それを承知の上で王妃として父上を支えてきたんだ」
私は涙が堪えきれなかった、いつからこんな泣き虫になっちゃったんだろう。
メリーベル様があまりにお気の毒だ。そしてフェリシティとも面識がある私にとっては、二人ともに残酷な話だ。
「お前って案外泣き虫なんだな」
クリスはそっと私を抱き寄せだ。
彼の胸元が私の涙で濡れた。
「父上の心は今もフェリシティ様にあるのかも知れない、でも、側室を一人も迎えず母上に誠意を尽くしてこられた、大切にされてきたんだよ」
でもそれは愛じゃない。
「フェリシティ様って、どんな人だったんだろ、父上がいまだに忘れられないほど愛していた方だ、きっと素晴らしい女性だったんだろうな」
いやいや、私には普通の少女にしか思えない。控えめで思慮深い王妃様とは正反対、感情豊かで天真爛漫な楽天家だ。でも妙に人を引き付ける魅力がある。
「それにしても、三大公爵家には令嬢を妃に迎えるつもりはないと言ったはずなのに、本人たちにうまく伝わっていないようだ」
クリスは溜息を漏らした。
「でも、学園でも三人の中から選ばれるんじゃないかって言われてるわよ、今は二人だけど」
他にも自称候補はいるみたいだけど、本命は三大公爵令嬢方だ。
「僕は将来、国王になる予定だ、妃も慎重に選ばなければならない。三大公爵家から妃を迎えれば、今は均衡を保っている権力のバランスが崩れる。まあ、それを狙っているのだろうけどね、みんな私利私欲しか考えてないから」
「お妃選びも複雑なのね」
「僕としては無意味なトラブルを避けるためにも、早く婚約者を発表したいんだけどね」
クリスにはもう決めている人がいるのかしら? 怖くて聞けないので話題を変えた。
「でも言えば驚いちゃったわ、クローディア様ってけっこうキツイのね、守ってあげたいような可憐な淑女ってイメージなのに」
意外な一面を目の当たりにして驚いた。
「王都の貴族令嬢はみんな仮面を被っているのさ」
* * *
「化けたな」
ドレスアップした私を見たリジェ兄様が最初に発した言葉がそれだった。
失礼じゃない?
「久しぶりだな、お前のそんな姿を見るのは、一年足らずで女って変わるもんだな」
お茶会にも夜会にも参加しない私がドレスアップすることはほぼない、実にデビュタント以来だ。
「メリッサが頑張ってくれたのよ」
彼女は私付きの侍女で、領地からついてきてくれている。久しぶりの正装に張り切って、腕によりをかけて完璧に仕上げてくれた。でも、締め上げられたコルセットが苦しいわ。
王立学園の創立記念パーティーに臨む。思いがけず兄がエスコートしてくれることになったのはありがたいが、目立つので気が引ける。まだ婚約者のいない兄は引く手あまたで、我こそはと狙っている令嬢が少なくないと聞いている。妹とは言え、妬まれるのだろうな。
「ほんと、綺麗だよ」
兄は照れくさそうに言った。そんなこと言われたら、こっちが恥ずかしいし。
「悪い虫がつかないか心配だ」
「大丈夫よ、私が強いのは兄様も知ってるでしょ」
「だな」
都会のヤワな男なら撃退する自信はある。ただ、エブリーヌ様のように危険な薬を盛られたらどうしょうもない。
まあ、私を手籠めにしようなんて考える男はいないと思うけど、用心に越したことはない、飲み物には気をつけよう。
* * *
学園の講堂は煌びやかな舞踏会場に様変わりしていた。
普段は着用が義務の制服姿の生徒たちが、今日は思い思いにドレスアップして集まっている。
でもこれってお家の経済状況がモロに出るのよね、ドレスの生地やデザインだけじゃなく、装飾品の宝石の大きさとか、裕福な家の子息令嬢が見せびらかしているようで嫌悪感を覚える。
かくいう私と兄も、その裕福なお家の子息令嬢だ。
この日のために父が特注してくれたドレスに、大きなルビーをあしらったネックレスをつけた私は一際目を引くだろう。兄は着飾らなくても容姿だけで目立つけど。
「噂の妹君を紹介してくれないのか?」
兄にエスコートされて会場入りしたとたん、兄の学友たちが集まった。
私が珍しいのだろうが、そんなにジロジロ見てちょっと失礼なんじゃない?
「妹のドリスメイだ、こちらは学友のドミトリイ侯爵家のステファンとマグワイア伯爵家のエドワルドだ」
私は飛び切りのカーテシーを披露した。
「雑な紹介だな」
「君たちにはこれで十分だよ」
「それにしても見事な赤毛だな、目立つはずなのに今までなんでお目にかからなかったんだろ」
目立たないように気を付けていたからよ。
「こんな美人だとは知らなかったよ、もっと早くお近づきになりたかったな」
お世辞でも美人と言われるのは嬉しいものだ。
しかし、笑みを見せた私を兄は背中に隠した。
「君にはもったいない」
「シスコンか」
目立たない学園生活も今日で終了だ。噂だけ耳にしていた上級生たちにも顔を知られてしまった。
しかし、周囲の興味はすぐ他へと移った。
ディアンヌ様の登場がどよめきを生んだ。
お兄様のオースティン次期ベルモンド公爵にエスコートされて入場されたディアンヌ様の洗練された美しさに誰もが目を奪われた。
淑女の鑑と誉れ高きディアンヌ様と、容姿だけはいい――女癖が悪いと評判――オースティン様は豪華な額縁に入った絵画のようだった。
二人は人々の目を釘付けにしながら、会場中央へと歩を進めた。
続いてのどよめきはディアンヌ様登場の時より大きかった。
クローディア様のご入場だ。
それは彼女自身というより、男性にエスコートされていることに注目された。二人は同じ色に同じデザインの衣装だ。
「あの方はロシュフォード侯爵家のアルマンゾ様ですわよね、最近留学先から帰国された」
「ロシュフォード家と言えば、王太后様のご実家の」
周囲の囁きが、漏れ聞こえた。
「あのドレス、ペア誂えよね、まるで婚約者同士じゃない」
「いつの間にそんなことになってましたの?」
「クローディア様は王太子妃候補ではなかったの?」
そうよ、〝由緒正しい公爵家の娘の私こそが殿下のお傍にいるに相応しいわ〟って言ってたのは、つい先日なのに?
二人はたちまち囲まれて、アレコレ追及されていたようだが、クローディア様はアルマンゾ様に任せて、目を丸くしている私のほうへ来た。
「ごきげんよう」
私は戸惑いながらお辞儀をした。
「帰国して初の公の場ですから、ご挨拶にお忙しいようですわ、彼もこの学園の卒業生ですのよ」
取り囲まれているアルマンゾ様を見て肩をすくめた。そして、
「あなたには感謝していますのよ、私の目を覚まさせてくださって」
「えっ?」
「あれからふと思いましたの、私はなにに執着しているのでしょうって……。私を見てもくれないクリストファ殿下をいつまでも追いかけるより、私のことをちゃんと見てくれる人に目を向けたほうがいいのではないかと」
確かにそうなんだけど、クリスのことは幼い頃から慕ってたんじゃなかったの? 切り替え早すぎない?
「それにね、王太子妃になれば自由は制限さますわ、私って我儘でしょ、そんな窮屈な生活より、思いきり甘やかしてくれる人と一緒にいたほうが幸せになれると気付きましたの」
我儘の自覚はあったんだ。
「あなたを認めたわけじゃありませんし、負けたとも思っていませんから」
「別に争ったつもりはありませんよ」
「そうね、最初から……」
その時クローディア様は、アルマンゾ様が自分を捜している視線に気付き、
「戻りませんと」
クローディア様は一歩踏み出してから、振り返り、
「気をつけなさい、あの女の執着は私の比じゃありませんから」
屈託のない笑みを浮かべた。
「あなたが無事に生き延びたら、お友達になってあげてもよくってよ」
天使の微笑みで不吉なことを言う。
ああ、彼女は世間知らずの我儘令嬢のふりをして、実は抜け目ない人なんだ。
エブリーヌ様自殺の真相にも見当をつけているのかも知れない、そして、命を賭けるほどクリスを愛していないことに気付いたのかも知れないわ。
「あの二人、やはりくっついたか、クリスが言っていた通りだ」
クローディア様の後姿を見なら兄はニヤリとした。
「クリスは知ってたの?」
「アルマンゾ様とは親戚だから親しい間柄だよ、彼がクローディア嬢にご執心なのは聞かされていたらしい」
「そうなんだ」
そうしているうちに、学園長の長ったらしい挨拶がはじまった。
誰も聞いてやしない、みんな続いてはじまるダンスに意識は移っているのだから。
「もう帰りたいんだけど」
長い挨拶にうんざりしながら兄に漏らした。
「なに言ってんだよ、このあとダンスがあるのに」
「苦手なのは知ってるくせに」
「俺に任せろ」
領地にいた頃はダンスパーティなどなかった。いいや、あったのだろうが、母を亡くしてからはご婦人方との繋がりも薄くなり、加えて父が、まだ早いと参加させてくれなかったのだ。
まあ私もあまり興味はなかったけど。
だからデビュタント前に慌ててダンスの練習をさせられた。運動神経はいいのにリズム感はよくないようで上達はしなかったが、リジェ兄様の完璧なリードに助けられて、デビュタントはなんとか乗り切った。
音楽がはじまってしまった。
「お手をどうぞ、お嬢様」
兄は芝居がかった態度で私の手を取った。
ファーストダンスが兄とだなんて、ちょっと惨めな気分。私の年なら婚約者がいてもおかしくない、兄だってそうだ。
まあ兄の場合は選り好みしているのだろうけど、私に申し込みがあった話は聞いたことがない。
婚約者と踊る幸せそうなご令嬢がうらやましい。私だっていつかは愛する人と踊りたいわ。なんてボーっと考えていた私だったが、どうやら私たちコンビはかなり目立っていたようだ。
リジェ兄様は言わずもがなの美丈夫、そして人目を引く真っ赤な髪を靡かせる妹は、今、学園で噂の的になっている訳アリ令嬢、みんなの視線が痛かった。
この曲が終われば参加の義務は果たしたことになるし、もう帰っていいかしら? そんなことを思っているうちに一曲目が終わった。
私が離れると兄はたちまち令嬢たちに囲まれた。次は自分と積極的にアピールする彼女たち、淑女らしからぬ行動だと思うのだけどいいのかしら?
「思い出すわ、私も創立祭でアルと踊ったのよ」
いつの間にかフェリシティが私の横にいた。誰にも見えていないだろうからどこにいてもいいのだけど、私がここで返事をしたら、独り言を吐く変な奴にされてしまう。
ゴメンねフェリシティ、と心の中で謝罪した。
「リジェ兄様はダンスがお上手ね、あなた何度か転びそうになってたでしょ、彼のカバーがなければ大恥かいていたところよ」
わかっています、足も二回ほど踏んだし。でも兄は何食わぬ顔して続けてくれた。優しくて頼もしい兄上様々だ。
「あなた早く帰りたそうな顔してるけど、私は好きよ、この華やかな雰囲気。そして学生時代三年間だけの自由、卒業したらもう大人として扱われる、楽しいことばかりじゃないのよ、みんなに幸せな未来が待っているとは限らない、こんなふうに笑っていられるのも今のうちだわ。私は卒業することが出来なかったけど」
フェリシティは寂しそうな笑みを浮かべた。
彼女には幸せな未来が待っているはずだった。愛する人と結ばれて、子宝にも恵まれて、優しい母親になっただろう。それが突然、奪われてしまったのだ。
私にはどんな未来が待っているのだろう?
「やだ、私ったら悲観的なこと言っちゃったわね、大丈夫、あなたならきっと幸せを手にすることが出来るわ」
沈んだ私を見て、フェリシティは優しい笑みを向けてくれた。
その時、
「痛っ!」
二の腕に痛みを感じた。
人込みに紛れてなにが起きたのか把握できなかったが、見ると蜂にでも刺されたような跡が赤く残っていた。でも、会場に蜂はありえないし、と考えている間に、眩暈が襲ってきた。
よろめいた私を支えてくれたのは、
「おっと、大丈夫ですか?」
ブランドン・マルソーだった。
マズイ!!
そう思った時は遅かった。
身体の自由が利かない。どんな薬を打たれたの? エブリーヌ様が盛られたような危険薬物?
唇が震えて声が出なかった。




