その8
帰りの馬車の中で、リジェ兄様は溜息を連発しながら頭を抱えていた。
「お前なぁ、なんてことしてくれたんだ」
「ごめんなさい」
許可なく王宮に侵入した私は大罪人だ。
「下手したら投獄されてたところだぞ」
「わかってます」
反省してます。
「まったくぅ、王妃様の計らいでお咎めなしだけど、お前を通した近衛兵たちは後で大目玉だ、それで済めばいいけど」
「処罰されるの?」
「どうかな、今回のことで王宮の警備の見直しが指示されたらしい、お前の軽率な行動が大事になっていることを思い知れよ、俺も肩身が狭くなる」
私があそこまで行けたのは、フェリシティの情報とファビアン様の案内があったからで、一般人が辿り着けるとは思わないが、それは言えない。
「王妃様から通行証をいただいたから、今後は問題ないわよ」
「今後ねぇ、お前、わかっているのか? クリスに関わると言うことがなにを意味するのか」
「ただのお見舞いじゃない」
兄はまた大きな溜息をついた。
「大丈夫、分はわきまえているから、私はリジェ兄様の妹だから気を許してくださってるだけ、ちゃんとわかってるから」
兄は私の頭に手を乗せて、髪をクシャッとした。
* * *
「よかったじゃない、ちゃんと会えたのね」
「まあ、なんとか」
翌日、学園に登校した私は、さっそくフェリシティに報告した。
「一人じゃ辿り着けなかったわ、途中でファビアン様のゴーストに出会わなきゃ、迷子になって捕らえられてたかも」
「ファビアン様って?」
「クリスの護衛騎士、同行していて重傷を負いながらもクリスを王宮まで連れ帰ったのよ、そしてそのまま……」
「そう」
「でもクリスの無事を確認して、ちゃんと旅立たれたわ」
「それは良かったわ」
「でもね、私、大変なことを聞いちゃっ」
「それより、学園はあなたの噂で持ちきりよ!」
私の言葉を遮って、フェリシティは声を弾ませた。
「ダークホースが抜きん出たって」
「なにそれ?」
「決まってるじゃない、王太子妃候補レースよ」
「私、出走したつもりはないんだけど」
「あなただけ入室を許されたんでよ、遅れてスタートしたのにごぼう抜きだって」
「そんなんじゃないわよ」
「あなたが王太子妃になってくれたら嬉しいわ」
フェリシティは私の話など聞いてないし。
「メリーベルの力になってあげてほしいのよ、彼女はもともと低い身分の出身だってことで未だに舐められているのよね、ほんんと、高位貴族って意地悪だわ、だからあなたが支えになってくれれば」
「私だって辺境伯家、決して高い身分じゃないわ」
「いいえ、イーストウッド辺境伯は、今や三大公爵家をしのぐ権力者よ、誰もあなたを見下したりしないわ、もし、あなたが王太子妃になれば、公爵家へと格上げになるかも知れないわよ」
「だから、私は違うってば」
私にここにきて自分の浅はかな行動を後悔していた。
私はただクリスに会いたかっただけ、無事を確認して安心したかっただけなのに、それだけでは済まない。そういう立場の人だと言うことを失念していたのだ。
初恋の人だから、好きだからって不用意に近づいてはいけない人なのだ。
急に黙りこくった私を見て、フェリシティは心配そうに覗き込んだ。
「大丈夫、なにも心配することはないわ、あなたは私のようにはならないから、〝王家の影〟が二人もついているわ、クリストファが手配したのよ、あなたを大切に思っている証拠よ」
しかし、その意味を勘違いしていた。
ちょっと待って、王家の影がついてるってことは、近くにいるの?
私とフェリシティの会話を聞いて、基、私の独り言を聞いているのね……恥ずかしすぎるんだけど。
フェリシティは自分の言いことだけ言って、満足して消えたので、大事なことを言いそびれてしまった。ファビアン様から聞いた犯人のことを、どうやってクリスに伝えればいいか助言をもらおうと思ったのに。
学園内ではすっかり噂が広まっていた。
フェリシティが言ったように、私が王太子妃候補のトップに躍り出たと。
憶測だけが先行して好奇な目に晒される羽目になっている。それは自分が取った軽率な行動のせいで自業自得なのだが、これほどまでに騒ぎ立てられるとは思いもよらなかった。
まあ、クリスが全快して元の学園生活に戻れば、誤解も解けるだろう。
* * *
学園での噂は耳に入っているはずだ、私との関係を誤解されたままでは、立場上好ましくないはず、クリスはどう釈明するつもりなのだろう。
私にはなにも言ってくれない。
でも、聞くのは怖い。
どう答えて欲しいのか、私はなにを期待してるんだろう。
「どうしたんだ? 小難しい顔して」
無意識に考え込んでいた私の顔をクリスは心配そうに覗き込んだ。
「いえ、なにも」
私は王妃様にいただいた通行証で、連日お見舞いに来ていた。
頭を強く打って意識不明に陥ったものの、幸い身体に大きな怪我は負っていなかった。ファビアン様が身を挺して護ったのだろう。なので、回復も早く、ずいぶん血色も良くなっていた。
「君のほうが病人みたいだよ」
「もともとこんな顔です」
「学園でまたアレコレ言われてるせいか?」
「そんなの平気よ、今にはじまったことじゃないし」
「悪いな、僕のわがままで来てもらって」
「いいのよ、好きで来てるんだから」
思わず口にしてしまい焦ったが遅い。
「好き? 僕のことが?」
クリスは茶化すように言った。完全に揶揄っている口調だ。真剣に受け止めてくれなくてホッとしたが、やはり幼い頃と同じ扱いであることにモヤモヤした。
「王妃様に頼まれたからよ」
私は唇を尖らせながらそっぽを向いた。
「ドリスの顔を見ると元気になる、そんな風に素の表情を見せてくれる女性は君だけだからね。他の令嬢たちは機嫌を窺う偽物の笑顔、みんな貼り付けたような同じ顔に見えるんだ、僕じゃなくて王太子に向ける顔なんだよ」
そう言いながらクリスが浮かべた淋しそうな顔を見て、彼の孤独を垣間見たような気がした。王太子の周囲には常に人がたくさんいるけど、友達と呼べる人は少ないのだろう。私やリジェ兄様は、友達と認めてもらえて光栄なのだ。
そう……それ以上は望んじゃダメなんだ。
「さて、いつまでも休んでいられないしそろそろ復帰しなきゃな」
沈んだ雰囲気を嫌ってクリスは話題を変えた。
「え、もう? 無理しちゃダメよ」
「やらなきゃならないこともあるし……でも、もう少しの間、君を独り占めするのも悪くないな」
独り占めしているのは私のほうなんですけど。
クリスは他の見舞客をすべて断っていた。さっき言ってたことがその理由なのだろう。ちょっと優越感。
「明後日は学園の創立記念パーティーだな」
「そこで復帰するの?」
「いや、その後にするよ、元々パーティーは苦手だ、愛想笑いも疲れるし、君は?」
「私もパーティーは苦手だけど、生徒は基本全員参加が義務だし、しょうがないわ」
婚約者がいる令嬢はエスコートされて晴れやかに登場する。私はどうせダンスがはじまっても壁の花だろうな、まあ、早く切り上げられるからいいけど。
* * *
なにをするわけでもなく、他愛ない話をするだけで幸せな時間はすぐに過ぎてしまう。まあ、幸せと感じているのは私のほうだけかもしれないけど、クリスにとっても退屈しのぎぐらいにはなっているだろう。
明日も来ると約束して、私は部屋を後にした。
でも、こんな日々はいつまでも続かない、全快すれば私たちの関係は元に戻る。その時、私は耐えられるだろうか? 毎日会えないどころか、学年も違うし接点はない、会う機会はほとんどなくなってしまうだろう。
傍にいる幸せを知ってしまっただけに、その時のことを想像しただけで切ない。
これ以上、のめり込まないうちに領地へ帰ろうかな……。
「どんな手をお使いになったの!?」
とりとめのないことを考えてボーっとしていた私は、甲高い声にビクッとした。
中庭でクローディア様が待ち構えていた。
いつからいたのだろう? 私が王宮殿から出てくるのをずっと待っていたようだ。
「クリストファ殿下と親しいお兄様と共謀して、殿下の弱みでも握られたのかしら、それとも王妃様に取り入られたの? 王妃様の弱みを握られたの?」
クローディア様は捲し立てた。
可愛い顔は醜く歪んでいる。彼女のような淑女でも感情を剥き出しにすることがあるんだな。
「変じゃありませんこと? あなたみたいな田舎者をお傍に置かれるなんて」
「そう言われても」
あなたも今みたいに素を出していれば、クリスに友達認定されていたかも知れないわよ。
「殿下とは幼い頃から親しくさせて頂いておりますし、ずっとお慕いしていますのよ、あなたのような卑しい血筋の妾腹より、由緒正しい公爵家の娘の私こそが殿下のお傍にいるに相応しいですわ」
そのデマを真に受けている人がいるのは切なかったが、ここで違うと言っても信じてもらえそうにない。
「やめなさい!」
私の後方から、叱りつける低い声が響いた。
「辺境伯家の御令嬢にそんな失礼なことを言うお前こそ、殿下のお傍にいるべきじゃない」
振り返ると、そこには厳しい表情のオニール公爵が立っていた。
「もうここへは来るなと言いつけたはずだが」
「いくらお父様の言いつけでも従えませんわ、殿下が心配でじっとしていられませんもの」
なんだか親子喧嘩の様相。そんな場面に直面してしまった私はどうすればいいの?
「殿下は順調に回復されている、ドリスメイ嬢の献身的な看病で」
いやいや、私は別になにもしてないんだけど。
「お父様もこの人をお認めになるの?」
「認めるもなにも、殿下のご希望だ」
「殿下は本気でこの人を婚約者にされるおつもりなの?」
「その話は、私の口から言うことではない」
「なぜですの? 宰相を務めるお父様なら発言力はおありになるでしょ、ちゃんと仰ってくださいよ、我が娘こそが王太子妃に相応しいと」
「他人を貶めるような言葉を吐く者に王太子妃の資質はないのだ、お前は将来国母となる器ではない。自分の主張だけを通そうとして他人を貶めたり苛めたりする者は、いずれ自分にも返ってくることがわからないか? 私はお前を甘やかし過ぎたようだ、妹フェリシティに似ていても、中身は全くの別物に育ってしまった」
ここまで辛辣に言われても、クローディア様は引き下がらなかった。可憐な見かけと違い、かなり気が強いようだ。
「そのフェリシティ様に似ているからアルフォンス陛下にも気に入られているのでしょ、ですから婚約者候補に挙げられているのじゃなくて」
「アルフォンス陛下に気に入られていても、クリストファ殿下の心がお前にないとわかっているだろ? お前は愛されない妃になっても平気なのか? 耐えられるのか? 現王妃のように」
「オニール公爵様、そのご発言は……」
私は柱の陰にクリスがいることに気付いたが、遅かった。
自分の母親がそんな風に思われているなんて聞いたら、どれだけショックだろう。それも陛下の一番近くで仕えている人物の発言は重みがある。
「いや、失言だった、忘れてくれ」
公爵からクリスの姿は見えなかったと思うが、気まずそうに視線を落とした。
「帰るぞ、お前はしばらく謹慎だ」
「そんな! 酷いです」
「頭を冷やすのだ」
クローディア様は公爵に腕を掴まれ、引きずられるように連れていかれた。