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その5

「あなたって人は! どこまで悪事を重ねれば気がすむの!」

 クリスと別れて教室に戻った私の顔を見るなり、またエミリアーナが喚き散らした。甲高いキンキン声が脳天に突き刺さる。うんざりだわ、この騒ぎはいつまで続くのかしら。


「エブリーヌ様だけじゃなく、ディアンヌ様まで手をかけるなんて!」

「えっ? ディアンヌ様って」

「とぼけても無駄よ、階段から突き落としたところを見た人もいるんですから」


 いったいどうなってるの? また新たな冤罪、ディアンヌ様が突き落とされたって、いつの話なのよ。


「その目撃者と言うのは、誰かな?」

 さっき別れたばかりのクリスがいきなり現れた。

 一年の教室に姿を現すのは稀なので、室内はどよめき立った。


 静かな口調で、表情もいつもと変わらず穏やかだが、目だけは厳しくエミリアーナを射抜いた。


「クリストファ殿下」

 エミリアーナは思わぬ人物の登場に驚きながらも、そこは貴族令嬢、綺麗なカーテシーで挨拶をした。それから、

「モンド伯爵令嬢のジャクリーン様とマンセル子爵令嬢のポーレット様です、駆け去るドリスメイ様の後姿を目撃されたとのことです」


 ちょっとぉ、その二人の視力は大丈夫? 私はそんな場所にいなかったし、そんなことする理由がないじゃない。


「それはいつのこと?」

「お昼休みです」

「それは変だな、ドリスメイ嬢はずっと裏庭の奥の花園にいたよ、通称、王妃の花園に」


「ありえませんわ、あの場所へ行くものなどおりませんわ、あの場所はよく王妃様がお出ましになるから、邪魔をしてはいけないと、皆が遠慮して近付かない場所ですから。なぜ殿下はそんな人を庇われるのですか?」


「僕が嘘をついてると?」

 クリスが浮かべた氷の微笑は、教室の温度を急降下させた。

「そういう意味では……」

 エミリアーナは顔色を失った。


「嘘だと思うなら、母上に確認するといい、一緒だったから」

「まさか、王妃様もいらしたんですか!」

「母上はドリスと楽しいひと時を過ごされていたよ」

「王妃様が……」


 いやいや、それは噓でしょ。私が不覚にも泣いてしまって、王妃様に気を遣わせてしまったんだから。


「それで、ディアンヌ嬢の容態は?」

「応急処置のあと、すぐにお邸へ戻られました」

「病院じゃないと言うことはたいした怪我ではなかったんだね、この件はちゃんと調査が必要だ、無闇に騒ぎ立てないように」


「はい」

 エミリアーナはじめ、周囲にいた令嬢たちは深々と頭を下げた。


「ドリス、話がある」

 クリスは私の手を掴んで引き寄せた。

 驚きの目を向ける令嬢たちを後に、私たちは教室から出た。





 教室から出て、人気のない校舎の脇に来てからクリスは口を開いた。

「ディアンヌ嬢の事件を聞いて、嫌な予感がしたから君の元へ急いだんだけど、案の定だったな」

 クリスの押さえた怒りが握られた手から伝わった。


「いったいどうなってるのやら、なぜ私ばかり難癖付けられるのかしら」

「君は厄介な人物に目をつけられてしまったようなだね」

「エミリアーナ様って、ほんと厄介だわ」

「違うよ、その陰にいる黒幕、彼女たちは踊らされているだけだよ」

 クリスは表情を曇らせた。そんな憂いある顔もまた素敵!


王太子・・・に近付きたい令嬢たちは、僕が気軽に声をかける君を妬んでいるんだ。僕の軽率な行動が招いたことかもしれない、申し訳ない」

「クリスはなにも悪くないわ」

「ほんと、困ったものだ、僕は友人と話をする自由もないのか」


 また友人と言われたことに心が痛んだ。友人と言ってもらえるなんて光栄なことなのだが……。手を繋いでくれてるのだって、きっと幼い子供を護るような感覚なんだろうな。


「今日はもう帰ったほうがいい、リジェに送らせるよ」



   *   *   *



 翌日は学園を休んだ。

 逃げ隠れしているようで悔しかったが、リジェ兄様が邸から出してくれなかった。私は退屈な一日を過ごす羽目になった。


「結局、ジャクリーン嬢とポーレット嬢は見間違いだったと証言を翻したよ、良かったな、たまたま王妃様と一緒で」

 帰宅した兄がその後の経過を教えてくれた。


 たまたまじゃなくて、フェリシティに頼まれて彼女の親友に会いに行ったのだ。それが王妃様だとは知らなかったけど、またフェリシティに救われたことになった。


「でも、突き落とした犯人は捕まってないんでしょ」

「そもそも突き落とされたってのが大袈裟なんだよ、二~三段踏み外して倒れただけだ、誰かとすれ違いざまに肩がぶつかった程度じゃないかな」

 都会の御令嬢は足腰がヤワなんだ。


「クリスも頭を抱えてたよ、お前と不用意に話も出来ないって」

「私がクリスに話しかけられるのって、そんなに気に入らないことなのかしら?」

 兄は大きなため息を漏らした。


「一目置かれてるってことだ、みんなお前の美しさを認めているから、クリスと並べばお似合いだから、妬まれてるんだよ」

「はい? どうしたのよ、兄様の発言とは思えないわ。いつも女らしさの欠片もないじゃじゃ馬だって言ってるくせに」


「お前は綺麗だよ、一年離れていた間に見違えるほど綺麗になった、黙っていれば美しい淑女だよ」

 黙っていれば、と言う部分は引っかかるが、兄に褒められるとなんだかくすぐったい。


「私なんかがクリスに相応しいはずないわ、妾腹のくせにって蔑まれてるのに」

 私はこの時とばかりに告げ口を敢行した。

「なんだって! 誰がそんなことを!」

 兄は憤慨して身を乗り出した。


「私がエブリーヌ様に嫌がらせをしていたというデマと一緒に流布されてるみたいよ」

「我家を愚弄する発言、許せん!」

「まあ、この赤毛を見ればそう思われても仕方ないかも」


「お前も聞いてるんだろ、それは曽祖母ひいおばあ様譲りの髪と瞳だって、当時、自然災害が続いて苦境に陥った領地を立て直すのに貢献された聡明なお方だったことも」


 父方の曽祖母には先見の明があったと言われている。その不思議な力で領地を救ったというのが伝説のように語られている。もしかしたら霊感が強い人だったのかも知れないと秘かに思っていた。


「父上に連絡して学園に抗議してもらわなきゃ、そんな噂を流した奴を突き止めて、学園から追い出してやる、あ、クリスに言った方が早いかな」

 これでエミリアーナは注意されるだろうし、大人しくなるはずだわ。


「それで私はいつまで邸にこもっていればいいのかしら? 勉強遅れちゃう」

「クリスが戻ってくるまでって言ってた。護衛をつけるにしても、自分がいなきゃ心配だって」


「クリス、どこかへ行ってるの?」

「今、王命で動いている件があるんだ、あ、余計なことを言った、忘れてくれ」

 王命……きっとフェリシティが言ってた、危険な薬が出回っている件だわ。


「俺も同行したかったんだけど、色々あったからお前についててやってくれって言われて」

 兄は不本意丸出しで唇を尖らせた。こんな表情は子供の頃のままだ。


「クリスが戻るころには、つまらない噂も下火になっているだろうし、お喋りな奴らには制裁も下るだろう」

 兄は意地悪い笑みを浮かべた。


「なんだかリジェ兄様にも迷惑かけちゃったわね、騎士団の修練も休んで早く帰ってきてくれてるんでしょ」

「クリスの命令だからな、団長も了承済みだ」


「じゃあさ、私が代わりに剣のお相手してあげるわ」

「そりゃいいな、この一年でかなり腕を上げたって父上から聞いてるぞ」

「そうよ、剣の才能あるって」

 私は自信満々にふんぞり返った。


「あっ、そうだ! 大事なことを忘れるとこだった」

 兄は突然、話題を変えた。

 まぐれだったけど父上から一本取った武勇伝を聞かせようと思ったのに!


 兄は内ポケットから封筒を取り出した。

 受け取った私の目は封蝋に釘付けられた。

「これって」

 王家の印章だった。

「王妃様からだ」

「王妃様?」


 中身は王妃様主催のお茶会への招待状だった。

「なんか、気に入られたみたいだな」



   *   *   *



 子供の頃から身体能力は高かった。

 領地ではほとんど邸の敷地から出なかったが、広い庭園でヤンチャ放題、元気いっぱい動き回っていた。


 敷地内にいれば死者の霊に出会うこともない。そういう母の配慮から、私は街へ出かけることもなかった。事情を知らない父は、閉じ込めておくのは良くないと言っていたようだが、母なりに私を護ってくれていたのだろう。


 その代わり、女の身でありながら剣を持つことは許された。剣の修練は体を鍛えるだけでなく、強い精神力も養える。イーストウッド騎士団の鍛錬にも特別参加させてもらった。


 女だてらにと顔をしかめる騎士も多かったが、そこは総隊長の愛娘、特別扱いだ。しかし、剣を合わせるとたちまち顔色が変わった。

 私はメキメキ腕を上げていった。


 そうは言っても、優秀なリジェ兄様の相手としては役不足、頑張ったが剣を叩き落されてしまった。


「大丈夫か?」

 自分の仕業なのに、兄は心配そうに腕を押さえる私の顔を覗き込んだ。

 大丈夫じゃない! ジンジン痺れてるわ。


「悪い、つい力が入ってしまって」

「いいのよ、力を入れなきゃ稽古にならないでしょ」

 私は強がってみせた。少しは本気を出してくれたことが光栄だった。


 兄が剣を拾ってくれ、私たちは休憩に入った。

 ベンチに腰掛けて、

「やっぱりお前、凄いよな、男だったら立派な剣士になってただろうな」

「女性の騎士もいらっしゃるんでしょ」


「ダメだぞ! 騎士になんかさせないぞ」

「なんで?」

「荒くれ物の中に放り込むなんて、考えただけでもゾッとする」


 男だったら騎士になりたかった。

 戦地へ赴いた男たちの帰りを、心配しながら待つ母たちの姿を見るのは辛かった。もちろん私も父や兄たちの無事を祈っていたが、そうじゃなくて、戦場で一緒に戦いたかった。リジェ兄様は十二歳から父上の国境警備に同行していた。


 でも私は女子であることを理由に連れて行ってもらうことはなかった。悔しかったが仕方がない。

 それに戦いが終わっていても、無念に戦死した霊たちが彷徨っている恐れがある。私には彼らの悲痛な声を受け止めることは出来ないだろうから、行けなくて正解だったのかも知れない。


 それでも、男だったら……、叶わぬ恋に胸を痛めることもなかった。


 呑気に兄妹水入らずのひと時を過ごしていた私は、翌日もたらせる凶報を予想だにしていなかった。



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