その4
「なんかえらいことになってるわね、すっかり悪役じゃない」
昼休み、裏庭のベンチで一人、昼食を取っていた私の横にフェリシティが座った。いつもは一人でも学食へいくのだが、今日はさすがに冷たい視線が刺さって居心地が悪い、テイクアウトできるランチボックスを注文した。
私はすっかりエブリーヌ様を死に追いやった悪役に仕立て上げられていた。まるで意図的に流布されたように蔓延している。
「こうやって冤罪は作り上げられるのね」
「クリストファのファンが流ししたんじゃない、特別扱いされているあなたが妬ましいのよ」
「別に、特別扱いなんされてないわよ」
フェリシティは意味ありげな笑みを浮かべた。彼女は私の片想いに気付いている上で茶化しているのだ。ちょっと意地悪!
「あなたの冤罪はクリストファもわかっているし、これ以上は大事にならないんじゃないかしら、相手もバカじゃないだろうし、無茶はしないわよ」
「相手って、仕組んだ人を知ってるの?」
「知らないわ、もし知っていたとしてもゴーストの言うことなんて誰も信じないでしょ、と言うか、ゴースト自体信じられてないから」
それもそうだ。私を貶めた犯人をフェリシティの口から聞いたところで糾弾できない。でも、敵を知っておくと用心することが出来るし。
「調べることは出来ないの?」
「そうね、先に私の願いを聞いてくれれば」
と言うわけで、私はフェリシティに懇願されて、親友がいると言う裏庭のさらに奥にある花園に行くことになった。
それは背の高い垣根の裏側にあった。半年もこの学園にいるが、こんなところに花園があるとは知らなかった。
入ろうとしたが、入口で思わず立ち止まった。花の前でしゃがみこんでいる人物に見覚えがあったからだ。
「あれって、王妃様じゃないの」
声を潜めた。間違いない、メリーベル王妃様だ。
「そうよ、言わなかった?」
学園入学前、デビュタントで王宮の舞踏会に参加した時にご挨拶をさせていただいた。アッシュブロンドに灰色の瞳の決して派手ではないが上品で優しそうな女性、柔らかな微笑みが印象的だったが、あとで父に頭の回転が速い切れ者だと聞いて意外に思ったことを覚えている。
「聞いてないし、あなたいったい何者なの? まさかオニールって三大公爵家の?」
「そうよ、現公爵のユージーンは兄よ」
公爵令嬢だったなんて! 私なんかが偉そうに呼び捨てに出来る相手じゃなかった。
「気にしないで、もう死んでるんだから身分なんて関係ないわ」
私の焦った顔を見てフェリシティは笑った。
「そうは言っても」
「誰かいるの?」
話し声に気付いた、と言うかメリーベル様にとっては私の独り言が聞こえてしまったようだ。
「申し訳ありません、お邪魔するつもりはなかったのですが」
私はおずおずと中に進み出た。
「あなたは確かイーストウッド辺境伯家のドリスメイ嬢」
一度お目にかかっただけの私を覚えていて下さったなんて感激! 私は深々とお辞儀をした。
「そうかしこまらないで、でも、こんなところに学生さんがくるのは珍しいわね」
「いえ、たまたま迷いこんでしまったというか、こんなところに花園があるなんて知りませんでした」
フェリシティの親友がまさか王妃様だったなんて驚きだ。王宮からさほど遠くはないが、お忙しい公務の合間にわざわざ親友を偲んで二十年もここへ足を運ばれているなんて、情に厚い方なんだ。
「こちらへいらっしゃい」
「お邪魔では」
「いいのよ」
「王妃様がお供も連れずにいらっしゃるとは思いませんでした……違いますね、護衛の方はいらっしゃるようですね」
聴覚鋭い私には周囲に潜む護衛騎士の息遣いが聞こえた。
「気を遣って視界には入らないようにしてくれているのよ、よく気付いたわね」
「視界に入ってしまって申し訳ございません」
メリーベル様は優しく微笑んだ。
「私もこの学園の卒業生なのよ、ここはその時に知り合った親友との思い出の場所なの、素敵な方だったわ、身分の低い私にも気さくに接してくださって」
確かメリーベル様は元々子爵家の御出身と聞いている。フェリシティは公爵家だから確かに身分違いだ。
確か、子爵家の令嬢が王太子妃になることは異例なので、オニール公爵家へ養女に入ってからお輿入れなさったとか。フェリシティの親友だったことが関係していたのかも知れない。
メリーベル様が視線を移したその先には、白いガーベラが咲いていた。
「綺麗ですね」
「彼女が好きだった花なの」
「だった? その方、亡くなられたのですか?」
表情を曇らせた王妃様を見て、先走ってしまったことを後悔した。
「申し訳ございません、立ち入ったことを」
「いえ、いいのよ、彼女は行方不明のままなの」
「行方不明?」
亡くなっていることを知らない?
話が違うじゃない、親友なら自分の死の真相を知っているかも知れないとフェリシティは言っていたのに。
「もう二十年になるわ、突然、姿を消したの。でも自ら失踪する理由はないし、誘拐事件として捜査されたのだけど、行方は掴めないまま……どんな形であれ、生きていてほしいと願っているけど」
「白いガーベラの花言葉は確か、希望」
二十年も行方不明なのに、まだ希望を捨てていないの? 彼女の帰りを待っているなんて、彼女はもうとっくに亡くなっているのに……。
彼女はゴーストになって帰ってきている。フェリシティはそこにいる。一生懸命王妃様に呼びかけている。〝メリーベル、メリーベル、私はここよ〟って、悲痛な声が私にはハッキリ聞こえるのに、王妃様の耳には届かない。
通じないって切なすぎるわ、代われるものなら代わってあげたい、私の目と耳を貸してあげたい、無反応な王妃様に寄り添うフェリシティを見て胸がギュッと締め付けられた。
いつの間にか涙が零れていた。
「あらあら、あなたが泣くことないのに」
「私……」
なにも言えずに唇を噛んだ私の頬に王妃様はそっとハンカチを当ててくださった。
その時、枝を踏む音が聞こえた。
「母上、僕の大事な友人をイジメないでくださいよ」
クリスが現れた。お母上がこちらにいらっしゃると知って会いに来られたのだろうか?
「違うんです、これは」
「優しいお嬢さん、フェリシティ様のことを思って涙を流してくれたのよ」
それは違う、私は王妃様の切ないお心を思って……。
「私はそろそろ行かなきゃ、またお会いしたいわね」
王妃様は両手で私の手を握ってから、現れた護衛騎士にいざなわれて去って行かれた。
お辞儀でそれを見送ってから、
「ゴメンねクリス、王妃様とお話があったんじゃないの? あたしなんかがいたから話しそびれて」
「母上とは普段からよく話をするし、今日ここへ来たのは君の姿を見つけたからだよ」
「私?」
「妙な言いがかりをつけられていると聞いたから」
「大丈夫よ、気にしてないから」
「君は強いね」
そう言われて胸がチクッとした。女の子が強くちゃ、可愛げないでしょ。
「クリスはフェリシティ様のこと知ってるの?」
「フェリシティ嬢のことは話に聞いているよ、母上の学生時代の親友だった方で、父上の元婚約者だ」
やはりフェリシティの婚約者は当時の王太子アルフォンス様だったんだ。
ちょっと複雑じゃないかしら、自分が死んで、親友が自分の婚約者と結婚するなんて、しかもそれをずっと見守って来たなんて……なんか切ない。
「行方不明だと王妃様はおっしゃってたけど」
本当はもう亡くなっているが、
「拉致されたんだろうね、そしてもうとっくに」
クリスは語尾を濁した。そうよね、想像はつく、王妃様もきっとわかっているはずだわ、でも信じたくないのね。
「笑顔が良く似合う明るい方だったらしいよ、十歳の時に出会って父上が一目惚れして、半ば強引に婚約したらしい。父上の猛アタックでお互い想い合うようになって、八年越しの恋が実る幸せを目の前にして彼女は姿を消した。もちろん彼女の意思じゃなかったんだろうけど」
そうよ、フェリシティ自身、自分の身になにが起きたかわからないまま、突然殺されたんだから。
「当時は大規模な捜索が行われたらしい、父上も必死だったらしい。いちばん疑われたのはドヌーブ公爵だった、フェリシティ嬢がいなければ、公爵令嬢のマリアンヌ嬢が王太子妃に最も近い存在と言われていたからだ。実際、父上がフェリシティ嬢に一目惚れしなければ、婚約話は進んでいたらしいから」
「でも、それで邪魔なフェリシティ様を亡きものにしようなんて、いくらなんでもわかりやす過ぎるんじゃない?」
「そうなんだよね、ドヌーブ公爵は切れ者だ、そんなバカはしないと思う。現に、徹底的に調べられたけど、何も出なかったし、その時の強引な捜査の負い目があり、ドヌーブ公爵家は無下にできないんだよ。結局、他に手がかりは何一つ掴めなかった。でも、父上も、兄上であるオニール公爵も未だにあきらめずに捜査を続けているらしい」
フェリシティは愛されてるんだ。
でも、王家が尽力しても解決できなかった事件、私なんかがフェリシティの力になれるのだろうか?
「フェリシティ嬢亡きあと本命と言われていたマリアンヌ嬢ではなく、父が選んだのは予想外の母上だった。周囲の猛反対を押し切っての結婚だったらしい、母上自身、かなり苦労したと聞いている」
今日のクリスはよく喋る、こんな込み入った話を私に聞かせていいのだろうか?
「マリアンヌ嬢は同じ公爵家のベルモンド家へ嫁ぎ、その娘がディアンヌ嬢、ドヌーブ公爵家の令嬢が亡くなったエブリーヌ嬢、そして、オニール家のフェリシティ嬢の姪に当たるのがクローディア嬢、みんな因縁めいたものがあって、なんか気味悪いんだけど」
そうか、エブリーヌ様の事件がただの自殺ではなく、フェリシティ失踪事件と重なってしまい、王太子妃の座争奪レースの犠牲者かも知れないと考えてるんだ。
「君に護衛をつけようと思う」
「はい?」
クリスの唐突な発言に私は戸惑った。
「妙なデマが流布しているし、悪意を感じる、君の身が心配なんだ」
「そんな大袈裟な、私は護身術も心得てるし、剣の腕もなかなかなのはあなたも知ってるでしょ」
「暗殺者は正面切って来ないよ」
その言葉に背筋がゾッとした。そうだ、フェリシティも背後からあっという間だったと言っていた。
「リジェも心配している」
「だから領地へ帰れって言ったのね」
「帰るのか? 退学して」
「今は考えてないわ」
フェリシティのことをこのまま放っては置けないし。
それを聞いてなぜかクリスはホッとしたような表情を見せた。
「とにかく、君が嫌がっても手配するよ」