その16
ヴィオレットは仕方なく話をしてくれるようだ。
「なんですの、お話って」
雰囲気が違う。学園でクリスを追いかけ回していた可愛い子ぶりっ子とは異なり、淡々として落ち着いた口調だった。
もし別人なら……かまをかけてみることにした。
「なぜ、心変わりされたのです? あなたはアンドレイ様に想いを寄せているとおっしゃってたのに」
ヴィオレットは面食らって目を丸くした。
「なぜ、そんなことをご存じなの?」
揺れる瞳に動揺が浮かんだ。
「あなたが言ったんじゃない」
聞いたのはゴーストのヴィオレットからで、生身のヴィオレットと話をしたことはない、でも、親しかったように演技してみる。
「婚約者候補同士で情報交換しましょうと語り合ったではありませんか、まさか、覚えてらっしゃらないの? 事故に遭ってから様子が変だと思ってはいたのですが、私と話をしたことを忘れているのね」
ヴィオレットはどう反応すればいいか決めかねているようだった。
「実は……頭を打ったみたいで記憶が所々欠けているのです」
「記憶障害が? じゃあ、本当に忘れてしまったのですね、親しくなれたと思っていましたのに」
少しオーバーめにショックを受けているふうを装った。
「打ち明けてくださったじゃない、王太子妃なんかになりたくない、アンドレイ様のお嫁さんになるのが夢だと、もしかしてアンドレイ様への愛も忘れてしまった? だからお父様言われるままクリストファ殿下に猛アピールされているのね」
「気が変わっただけです。アンドレイ様と結婚するより、王太子妃になったほうが多くの物を手に入れることが出来るじゃありませんか。王妃様とお話しをして憧れを抱きましたわ、私もあんな風になりたいと思ったのです」
えっ? 王妃様とお会いしたの? ゴーストのヴィオレットからはそんな情報なかったけど。
「嘘つき! 王妃様とお話したことなんかありませんわ! あなたは誰なの! なんで私の身体に入っているの!」
やはりそうだ、ゴーストのヴィオレットは完全否定している。
王妃様と話をしたのは……。
ゴーストの声が聞こえない生身のヴィオレットは続けた。
「身分的にも公爵令嬢である私の方が、辺境伯令嬢のあなたより相応しいですわ。それに私が王太子妃に選ばれれば、アンドレイ様は保留になっている婚約話がなくなって、夢だった騎士を目指すことが出来るのです」
「私と結婚したって騎士になれるじゃない! 公爵家の執務は私がするわよ」
ゴーストのヴィオレットは生身の彼女の上空で、噛みつかんばかりの勢いで喚きたてた。
取り乱すゴーストのヴィオレットを見て、いたたまれない気持ちになった。彼女は本当に気付いていなかったのだろう、アンドレイの優しさはきっと社交辞令だったのだが、そんなこともわからず素直に受け取る無邪気なお嬢様だったのだ。そして、私以上に人の心の機微に疎い。
もしかしたら、生身のヴィオレットはアンドレイの気持ちを知っているのかしら? 自分が王太子妃に選ばれることにより、彼を解放しようとしている? ニールセン伯爵夫人もそんなことを言っていたわね。
でも、そうすることで彼女になんの得があるの?
「それに、あなたのためでもあるのですよ」
「私の?」
「あなたがこれ以上殿下の周りをうろついていれば、ドパルデュー公爵がなにをするかわからない」
お父様って言い忘れたのね、はやり他人だ。
「あなたは……」
「お嬢様! こんなところにいらしたんですか」
タイミング悪く、侍女がヴィオレットを見つけて駆け寄った。
「旦那様がお捜しですよ、王太子殿下を放って置いてどこへ行ったのだとご立腹です」
「アンジェリカは? 彼女を捜しに来たんだけど」
「アンジェリカお嬢様はご気分がすぐれないと部屋にお戻りになられました」
「そうなの」
邪魔が入り、もう話は出来そうにないので、私はその隙にさっさと会場へ戻った。それにしても私が殿下の周りをうろついているって、失礼な言い方はゴーストのヴィオレットと同じだわ。
* * *
令嬢たちに囲まれていたクリスだが私を見つけると、かき分けてこちらへ来てくれた。令嬢たちの視線が痛い。
「ちょうどよかった、ご令嬢方がダンスの順番でもめていたところだったんだ、ファーストダンスは君に決まっているのに」
ちょうどダンスが始まるところだったようだ。
曲がはじまり、私たちはダンスフロアーに踊り出た。
クリスのリードは完璧なので安心して身をゆだねられる。
「どこへ行ってたんだ、心配したよ」
「中庭で生身のヴィオレットと話をしたわ」
「そう言えば彼女、妹を紹介するからって捜しに行ったっけ」
「その妹さんとも会ったわ、また彼女の勘違いが露見した」
ゴーストのヴィオレットの姿は会場になかった。まだ中庭でしょんぼり泣いているのだろうか、それともアンジェリカを追いかけて行ったのだろうか。
可愛がっていたつもりの妹にあんな風に思われていたのを知って、かなりショックだっただろうな。この上、アンドレイやジョセフィーヌの本心も知ったら……。知らないまま成仏したほうが、彼女のためなんだけど。
そんなことを考えていたせいで、ステップを間違えてよろめきそうになった私をクリスはグイッと抱き寄せた。
「どうした?」
「あ、ごめんなさい、ぼんやりして」
「僕と踊っているのにぼんやりするのは君くらいだよ」
「確かに」
見ないようにしていたのだが、
「なんか視線が痛い」
私を睨みつけている生身のヴィオレットの視線に気付いてしまった。
「ありゃ、一曲お相手しないと収まらないな」
「そうね」
……と思っていたのだが、曲が終わるとドパルデュー公爵がササッと歩み寄った。男同士で踊るの? まさかね。
「殿下、先ほどシュザンヌ様が到着されまして、是非殿下と面会したいとのことですが」
「シュザンヌ様が?」
クリスと私は視線を合わせた。シュザンヌ様はとっくに亡くなっているのに、誰が来たというの?
「わかりました、お目にかかりましょう」
クリスは頷いた。
偽物であろうとシュザンヌ様が離宮から出られることは滅多にない、正体を暴くチャンスは今しかないとばかり、クリスは不敵な目で私に合図した。
「では、話が長くなるかも知れませんので、ドリスメイ嬢はこちらでお送りさせていただきます」
私はもう帰されるの? 夜会はまだ半ばなのに、よほど目障りなのね。
「いいか、ドリス」
「ええ」
居座れる雰囲気じゃないしね。
クリスは少し離れたところに待機している近衛騎士に目配せして呼び寄せた。
「ドリスメイは先に帰るので、護衛を頼む」
「はい」
「殿下の護衛では?」
ドパルデュー公爵家は訝しげに眉を寄せた。
「僕たちのだ、護衛もなしに他の家の者に送らせたら、リジェに叱られてしまうよ」
クリスは王子スマイルで言った。
「しかし」
「何か問題でも?」
「いえ、そうおっしゃるのなら」
私は近衛騎士に付き添われて会場を後にした。
ゴーストのヴィオレットが気になったが、捜しに行くわけにもいかない。アンジェリカの発言にショックを受けて悪霊に転じなければいいのだが……。




