その15
「王太子殿下、ようこそお越しくださいました」
クリスが私と共に入場すると、ドパルデュー公爵は満面に笑みで迎えた。
遠目に見たことはあるが、こうして間近でお会いするのは初めてだ、と言っても私とは目を合わせない完全スルー、いないものとして扱うつもりなのか? 気に入らないから無視するって、子供か? 失礼にも程がある。クリスの苦笑も怖かった。
ドパルデュー公爵の印象は想像していたものと違った、権力を手中に収めようとして娘を王太子妃にしようと企んだり、共謀する仲間を集めて手駒にしようとするようなラスボス感はまったくなかった。どちらかと言えば、大物に胡麻を擂るせこい小者感満載なんだけどな。
でも人は見かけによらない、クリスやディアもそうだものね――二人はいい意味よ――騙されちゃいけないわね。
「盛況ですね」
クリスはごった返している会場内を見渡した。少々キャパオーバーの気もする。
「さあさあ、こちらへ、娘も楽しみにしておりました、学園では大変お世話になっているそうで」
お世話じゃなくてご迷惑の間違いだ。そしてここでもご迷惑を掛けようとしているね。
「お連れの方はお顔の色がすぐれませんね、馬車に酔われたのかしら、どうぞあちらでお休みください」
私は突然現れた貴婦人にそう言われて、あっと言う間に引き離された。別に気分は悪くないけど……。
侍女たちに連れ去られる私をクリスは心配そうに見ていたが、あえて止めなかったのは近くにシータとファイがいるからだろう。変装して潜り込んでいるはずだ。
「冷たいお飲み物です、アルコールは入っていませんからご安心を」
差し出されたが、ここでの飲食は控えるように言われていたので、受け取っても口にするつもりはない。
「大丈夫です、お構いなく」
アルコールは入ってなくても毒物が入ってたりして。それに別室へ連れ込まれては面倒だ、私はなんとか侍女たちを振り切った。クリスと引き離す目的は果たされたので、彼女たちもそれ以上無理強いはしなかった。
私の目的は生身のヴィオレットと話をすることだが、そのチャンスはあるのだろうか? 父親の手を借りて彼女はクリスにピッタリ、クリスの方が聞き出せるんじゃないかしら。
「信じられませんわ! なんてはしたないのかしら、あんなに密着して!」
ゴーストのヴィオレットは生身のヴィオレットがクリスの腕に纏わりついているのを見ながら言った。
あれは逆効果ね、基本クリスは男女問わずスキンシップが苦手だ、他人とは物理的にも精神的にも一歩距離を取る。幼い頃から陰謀渦巻く王宮で過ごしてきた弊害だろう。例外はイーストウッド兄妹と数人の側近だけだ。
きっと鳥肌を立てているだろうクリスを横目に、私はゴーストのヴィオレットと話ができるように中庭へ出た。
「偽ヴィオったら、いい加減にしてほしいですわ! 私の品格に傷がつくじゃありませんか、絶対あんなこと致しませんから!」
ゴーストのヴィオレットはプンプンお冠。
「あれは私の半身じゃありません、魂が二つに分かれたのではなく、誰かに乗っ取られていますのよ」
もう一つ、本当に別人説も浮上しているんだけど、心当たりはないか聞こうとした時、茂みで衣擦れの音が聞こえた。
誰かいる!
ハッとしてそちらを覗き込むと、
「こんなところで何をしているの?」
私より少し年下に見えるご令嬢が、茂みの後ろで蹲っていた。
「かくれんぼ、じゃないわよね」
「隠れていたんです、みつかっちゃったけど」
少女は泣きそうな顔を上げた。
怯えているように青ざめ、震えていた。
パーティーやお茶会で見た覚えはなかった。まだデビュタントを済ませていないのかも知れない。でも夜会にいるということは、この家のご令嬢なのかしら?
「アンジェリカ!」
頭の上からゴーストのヴィオレットが叫んだ。その名前は確か妹君。
あまり似ていないのね、ブルネットの髪に明るいブラウンの瞳、ちょっとぽっちゃりめの丸顔で、愛嬌はあるが美人とは言い難い。髪と瞳の色は父親から受け継いだのね。
「私はイーストウッド辺境伯家のドリスメイです。本日の夜会に招待されまして」
正確には違うけど。
アンジェリカはヨロヨロと立ち上がり、
「ドパルデュー公爵家の次女、アンジェリカと申します」
「ヴィオレット様の妹君がなぜこんなところに隠れていらっしゃるの?」
「それは……お姉様が恐ろしくて」
彼女は正直に答えてくれた。こんな言いにくいことまともに答える必要ないのに、素直な子なんだな。
「私が恐ろしい?」
ゴーストのヴィオレットは困惑した呟きを頭上から発した。
「恐ろしいなんて、また大袈裟な」
「大袈裟ではありません、最近は特に圧が強くて、はっきり口にはなさらないけど、睨まれるだけでゾッとするのです」
私が感じるのとはまた違う圧を受けているのかしら?
「ドリスメイ様こそ、なぜこちらに?」
「なんか、追い出された感じかな」
「王太子殿下とご一緒に来られたのでしょ」
「だから邪魔だったんじゃないのかしら」
「お姉様の仕業ね……ドリスメイ様のお噂は窺っています。美人でもないのに、なぜ王太子殿下に気に入られているのかわからないと言っていました」
こういうところはやはり姉妹ね、失礼なことを平気で言う。
「あのね、人の価値は顔だけではないのよ。ほら、美人は三日で飽きるけど、ブスは三日で慣れるって言うでしょ」
「なんですかそれ?」
あら、この世界では言わないの? 前世の記憶が時々夢に出て、変な言葉も覚えてしまう。
「でも、妖精姫と呼ばれる美しい姉は誰からも大切にされて、いつも中心にいらっしゃる。お父様もお母様も姉ばかり可愛がって、私なんかいらない子なんです。お姉様と比べられて引き立て役にされるくらいしか価値がないのです。だから……」
アンジェリカは俯きながらギュッとドレスを握りしめた。
「そんなにきつく握ったら、皺になってしまうわ」
「いいんです、こんなドレス嫌いだもの、私の好みなんか無視していつも姉が選ぶんです、あの人は自分が好きなモノは私も好きだと決めつけて押し付けるのです」
「そんなつもりはなかったのよ、妹のためを思って……社交界へ出ても恥をかかないように導いてあげるのが姉の務めだとアドバイスしてあげていたのに、そんな風に思われていたなんて」
ゴーストの震える声、本人から直接聞かされたのはかなりのショックだったろう。見上げるわけにはいかないが、きっと泣きそうな顔をしているに違いない、泣いてるかも。
ヴィオレットの勘違いは、アンドレイやジョセフィーヌだけではなかった、誰に対してもそうだったのだろう、もちろん本人に悪気はなく自覚もなかったのだが……。
「あっ!」
アンジェリカはキョロキョロしながら中庭に入って来たヴィオレットをいつ早く見つけて身を屈めた。
「失礼します」
小声でそう言うと、腰をかがめたまま逃げて行った。よほどヴィオレットと顔を合わせたくなかったのだろう。
幸いアンジェリカは見られることなく離れられた。代わりに私は見つかったが、ヴィオレットは目があったにもかかわらず、ドパルデュー公爵と同じく完全にスルーして方向転換しようとしたが、
「ヴィオレット様!」
私は勇気を出して呼び止めた。
さすがに名前を呼ばれて聞こえないふりは出来なかったようで、ヴィオレットは立ち止まり、振り返った。
「あら、ドリスメイ様、いらしたの」
いらしたわよ、目が合ったでしょ!
「少しお話よろしいでしょうか」




