その3
「ゴーストが見えることは、他の人に言ってはダメよ、人は目に見えるモノしか信じないし、理解もしてくれない、頭がおかしいと思われちゃうから」
私の目にゴーストが映っていると気付いた母が言った。三歳くらいの時だったと思う。当時は、生きている人間と霊との区別がつかずに混乱した。私には見えているのに他の人には見えないことが理解できない歳だった。周囲からは独り言を言う変わった女の子と思われていた。
母は見える人だったわけではないが、心霊現象を信じる人だったので、私の言葉も信じてくれた。
「でも、無闇にゴーストと話をしてはダメよ、良いゴーストばかりとは限らないんだから」
母はわたしが七歳の時、病に倒れた。
亡くなる前、母は私の心を見透かしたように、
「私が死んでもゴーストになって会えるから寂しくないわ、なんて思ってるんでしょうけど、それはないわよ、私はすぐにあの世へ行くから」
「ヤダ! ずっとドリスの傍にいてよ」
「それは出来ないわ、長く地上に留まっていると悪霊になってしまうのよ、あなたには見えるのでしょ、この世に未練を残して長くとどまり、悪霊となってしまった哀れなゴーストが」
確かに、恐ろしい形相で苦しんでいるゴーストを見たこともある。そんな時は必死で目を合わせないようにした。
「これを」
母は水晶のペンダントを私の小さな手に握らせてくれた。
「魔除けの水晶よ、きっとあなたを護ってくれるわ」
そして母は泣きじゃくる私の頭を優しく撫でてくれた。
「あなたが大人になるのを見れないのは心残りだけど、この世に未練はないのよ、私は十分幸せだったもの」
母は安らかに逝った。
形見のペンダントは肌身離さずつけている。高価な宝石じゃないので、王都の貴族令嬢方はバカにするけど、私にとっては最も価値のある宝物だ。
母の言いつけを守らずに、ゴーストであるフェリシティの話を聞いてしまったからか、昔のことを思い出してなかなか寝付けなかった。
前世の夢を見ていた時、思ったより長く寝ていたことも影響したのだろう、目が冴えて、寝返りばかり打って、ようやく眠りについたのは明け方だった。
翌朝はすっかり寝坊してしまった。朝というよりもうお昼、空腹で目が覚めた。
学校を休むつもりはなかったのだが、そうなってしまった。
フェリシティに協力すると言っても、彼女が亡くなったのは二十年も前、どうやって調べればいいのか見当もつかない。フェリシティが言うように、彼女の親友に会ってみるべきなのだろうか?
そんなことを考えながら悶々と過ごしていると、すぐに日は暮れた。
学園から帰宅したリジェ兄様は、開口一番に、
「領地に戻ってもいいんだぞ、学園の退学手続きは俺がしておくから」
と言った。
「なによいきなり、学園に呼んだのは兄様じゃない、お前も年頃なんだから少しは社交を身に着けなきゃダメだって」
「そうなんだけど、やっぱりお前は王都の生活に向かないと思いはじめてたんだ、全然馴染んでないだろ、友達も出来ないし、お茶会も開かない、招待もされない、王都に来た意味無いじゃないか」
そう言われれば言い返せない、都会の令嬢たちの会話についていけない私は田舎者と敬遠されていた。しょうがないわ、ファッションや美容に興味がないんだもの。
淑女の嗜みとされる刺繡で花を描くより、生花を育てるほうが好き。花壇で花々に語り掛けたほうがよほど心穏やかに過ごせるわ。それに、〝植物にも言葉は通じるのよ、語り掛けてあげると生育が良くなって美しい花を咲かせるのよ〟って言ったら、みんなに馬鹿にされた。
クリスはいつも独りぼっちの私を気遣ってよく声をかけてくれるが、それがまた令嬢たちの反感を買っているようだ。
「そこへこの事件だろ、酷いショックを受けて、もう学園に足を踏み入れたくないんじゃないかと」
「大丈夫よ、そりゃ、人の死を目の当たりしたのは初めてでショックを受けたけど、兄様だって何度も見てるんでしょ、お父様と戦場へ行ったことがあるんだし」
「俺は男だ」
「私だってイーストウッド家の人間よ、こんなことで怯んだりしないわ」
* * *
翌日は兄と共に登校した。
騎士の朝練に参加するため、早く登校することが多い兄と同じ馬車に乗るのは久しぶりで、なんだか緊張した。
子供の頃は体格もさほどかわらず――兄はチビだった――一緒に野山を駆けまわった仲良し兄妹だった。いつの間にか見上げるほど背が高くなり、すっかりカッコ良くなって、ズルい! 特に先に入学して会えなかった一年で、見違えるほど逞しくなった。
馬車を降りてからも私に歩調を合わせてくれる。なぜか急に過保護になり戸惑った。
学年が違うので校舎は別、私は心配そうな兄と別れて教室に向かった。
「困ったことがあったら、すぐに言うんだぞ」
いきなり過保護な兄が、別れ際に念押しした。
困ったこと?
と私は小首を傾げたが、その理由は教室に入ったらすぐにわかった。
「よく来られたものですわね」
同じクラスでも今まで話したことのないエミリアーナ・パリュデュー侯爵令嬢が、取り巻きのイザベル嬢とカタリーナ嬢を従えて私の前に立った。
「ええ、すっかり良くなりましたからご心配をおかけしました」
「はあ? なにを勘違いなさっているの、どの面下げて来たのかって言ってるのよ」
おいおい、ご令嬢らしからぬ言葉遣いになってるけど、どういう意味なの?
訳がわからずキョトンとしている私にエミリアーナ嬢は畳みかけた。
「エブリーヌ様をあんな目に遭わせておいて、よく学園に来られたわねってことよ」
「あんな目に?」
ますます理解できずにオウム返しした。
「とぼけてもムダ、陰湿な嫌がらせをしていたことは露見しているのよ、教科書を破いたり、脅迫状や剃刀を机に入れたり、数々の悪行を行っていたのでしょ、それに耐えられなくなったエブリーヌ様は自ら命を断たれたのよ」
どこからそんなデマが飛び出した?
教室内の重い雰囲気、ちょっとした弾劾だ。
クローディア様を中心にしたクローディア派の令嬢たちは、この演目を面白そうに傍観していた。
しかし、身に覚えのないことを言われっ放しで黙っている私ではない。
「はあ? エブリーヌ様とは話をしたこともないのに、なんでそんなことになってるのよ。だいたい学年も違うし校舎も違う、接点がないじゃない、一年の私が二年の校舎に行けば目立つはずよ、誰か私が二年生の校舎にいるところを見たことがあるの?」
「それは……」
そんな事実はない、二年生の校舎へ足を踏み入れたことはないのだから。
威勢の良かったエミリアーナ様は言葉に詰まって、目を泳がせた。
それに、そんな幼稚な嫌がらせくらいで自殺なんかしないわ、彼女が命を断った理由は本人から聞いているし。闇はあなたたちが思うよりずっと深いのよ。
こんな人たちをまともに相手していられないと、私は三人をかき分けて自分の席に着こうとしたが、彼女は収まらなかったようだ。
「クリストファ殿下にちょっと気に入られているからって調子に乗って! あなたが気にかけてもらえるのは、リジェール様の妹だからでしょ、リジェール様もお優しい方だわ、妾腹のあなたを本当の妹のように扱ってくださるなんて」
「なんですって?」
「誰が見てもお二人が実のご兄妹とは思えないでしょ、ご両親とも金塊を溶かしたような美しいブロンドに紺碧の瞳、リジェール様や他の御兄弟もそうなんでしょ、なのにあなただけみすぼらしい赤毛で」
怒りに、しばし言葉を失った。
父方の曾祖母が赤毛で赤い瞳の人だった、だから私が生まれた時も誰一人違和感を覚えなかった。私の名前はその曾祖母から頂いたものだ。
貴族が愛妾を持つことは珍しくない、しかし、父は母一筋で亡くなった今もずっと思い続けていて再婚話は断固拒否している。
「お喋りはそのくらいになさったら? じき先生がいらっしゃるわ」
してやったりと腰に手を当てるエミリアーナ様をディアンヌ様が止めた。
「証拠はまだないんだから」
一瞬、私を庇ってくれたのかと思ったが大きな勘違いだった。エミリアーナ様はディアンヌ派、私に助け舟を出すはずもない。〝まだ〟と強調したあたり、彼女も噂を信じているのだ。そして、
「いつか真実が明るみに出る日が来るわ」
噂がさも真実であるかのように、冷ややかに付け加えた。しかし、そんな日は来ないと断言できる。
ディアンヌ様の口添えを得て、エミリアーナ様は勝ち誇ったように醜い笑みを浮かべた。
私が別腹と言われたことを父が知ったらどうなるだろう? その前に、リジェ兄様に報告しよう。怒り狂うのは目に見えている。こんなことを言われて私が泣き寝入りすると思っているのかしら? 愚弄されたイーストウッド辺境伯家が黙っていると思っているのかしら? 名ばかりの侯爵家より、国に多大な貢献をしている我家のほうが、発言力があるのを知らない? しっかりざまぁさせていただくから覚悟しておきなさい。
それにしても、そんな事実無根のデマが湧いて出るなんて不自然に思える。それがリジェ兄様の耳にも入っていたのだろう、学園に戻らせるのを躊躇った理由はこれだったのだ。