その2
そこはメリーベル王妃が度々お忍びで立ち寄られる場所、それを知っている生徒たちは、王妃様と鉢合わせすると気まずいので花園には来ることはない。
私は未来のお義母様と良好な関係で、けっこう気に入られている……と思っているので、お会いしても問題ない。但し、ゴーストとの会話、実質独り言を聞かれるのはマズい。
幸い王妃様の姿はなかったので、私はゴーストに振り返った。
「やはり私が見えているのですね!」
目が合ったとたん、彼女は声を弾ませた。
「ええ、ゴーストが見える特異体質なのよ」
私はオーバーに皺を寄せた眉間に指を当てた。
「自分が死んだこともわからないゴーストに絡まれるのがどれだけ苦痛かわかる? だから見ないようにしてるんだけど……。あ、さっきはありがとう、おかげで頭から水をかぶらずにすんだわ」
「どういたしまして、ドリスメイ様はそのような特技をお持ちだったのですね」
「あなたは確か」
「ドパルデュー公爵家のヴィオレットと申します。あなたと同じく王太子殿下の婚約者候補に名を連ねておりますが、ご挨拶は初めてですね。クラスも違うし、お茶会でもお話したことはありませんでしたね、こんな形でお近づきになるなんて不本意ですが……」
ドパルデュー公爵家と言えば、三大公爵家――今は一角が崩れたけど――に次ぐ名家だ。先代ヒースクリフ国王の側妃の実家でもある。そんな家の令嬢が亡くなられたのなら、話題になるはずだが。
「いつ、お亡くなりになったの? ごく最近なのね」
「亡くなったというか、まだ死んでいないというか……」
「お気の毒だけど、ゴーストになっているということは亡くなったってことよ、こんなところで浮遊霊として彷徨ってなくて、さっさとあの世に旅立たれたほうがいいわ、死んでなお長く地上に留まると悪霊になってしまうから」
「悪霊ですかぁ!!」
ヴィオレットはキュッと身を縮めて怖がった。目をウルウルさせながら震える姿はわざとらしいけど可愛い。殿方なら思わず抱きしめたくなるんだろうな。
「悪霊ってそれは恐ろしいものよ、だからそんなモノになる前にちゃんと行くべき場所に行かなきゃ」
でもここはビシッと言い聞かせなければならない。
「天に昇る光の筋が示されて昇ろうとしたのですよ、でも……」
「なにか未練があったの?」
フェリシティがそうだった。
さっきのデジャヴ、数ヵ月前フェリシティも〝危ない!〟と私に声をかけてくれたので命が救われた。あの時落ちてきたのは水ではなくて人間だったから、巻き込まれていたら怪我では済まなかっただろう。
それがきっかけとなり、私は前世の自分を思い出し、ゴーストが見える自分を認めることにした。そして、フェリシティが誰になぜ殺されたのか、真相を究明するお手伝いをしたのだ。
「まさかあなた!」
私はハッと閃いた。この子は王太子の婚約者候補だ、候補者争いで殺害された可能性もある。それでもなおディアンヌのように王太子妃の座に執着しているのかも知れない。
「王太子の婚約者に選ばれたかったの?」
「まさか! それはありません、もともと興味ありませんでしたからご安心下さい、そうじゃなくて、なぜこんな状態になっているのか解らなくて」
ヴィオレットは潤んだ瞳を私に向けた。
ほんと、お人形のように可愛い! こんな顔を向けられたら無理難題でもやってあげなきゃって気持ちになってしまう天然の人たらしだ。
「わかったわ、とりあえず話を聞いてあげるわ、私にできることがあれば協力するし」
私と同い年、そりゃ、こんなに若くして亡くなるなんて未練も残るでしょうし、できるだけ安らかな気持ちで成仏させてあげたいわ。
「ほんとですか! 私を助けてくださるの? 私自身、わけがわからなくて途方に暮れていましたの」
「まずは自分が死んだことを認めなきゃ、ここにいるってことは、学園内で亡くなったの?」
「いいえ、実は私」
「お待たせ、ドリス」
その時、クリストファが花園に入って来た。
彼はこの国の王族ルルーシュ家の王太子、輝くブロンドにサファイアの瞳、眉目秀麗な美しい顔立ち、スラリとした長身で立ち姿は絵画のように美しい青年。外見だけでなく文武両道、そんな完璧な王子様が私の婚約者だなんて、今でも信じられない。
彼とここでランチを共にする約束をしていたのだ。ヴィオレットのお陰でランチボックスを濡らさずにすんだ。
クリスは私に駆け寄り流れるような動作でギュッと抱きしめて額にキスをした。それから一緒にベンチに腰を下ろした。
ヴィオレットはその様子を、目を丸くして見ていた。私たちがこんな関係だとは知らなかっただろう。興味はないと言っていたが、婚約者候補だった彼女にはショックだったかも知れない。
それに、いつも毅然とした態度のクリスが、実はこんなに甘々だとは意外だっただろう。
お互いの気持ちを確かめ合ってからのクリスは遠慮しない。立場上人前では控えているが、二人きりになるとピッタリフィットしてくる。そして、まだ慣れなくて恥ずかしがる私の反応を面白がっている。
「嘘……クリストファ殿下がこんなにデレデレだなんて、信じられません、いつも見る王子スマイルとは全然違うのですね、ほんとに優しいお顔だわ」
ヴィオレットの呟きが聞こえた。
「アンドレイも優しいけど……いえ、感情表現は人によって違うわね」
アンドレイって誰?
「すっかり遅くなったよ、しつこく付き纏われて撒くのに一苦労したんだ」
ヴィオレットのゴーストが見えないクリスは私の髪に指を絡めながらぼやいた。
「ほんと参ったよ、ヴィオレット嬢には」
「えっ?」
それって……。
「ヴィオレット様?」
「ドパルデュー公爵令嬢の。君と正式に婚約したことを知らないから、婚約者候補という肩書がまだ有効だと思っているらしくて、最近グイグイ来るんだ」
私は愕然と浮遊しているヴィオレットを見た。彼女は困ったような顔で首を横に振っていた。
その時。
「クリストファ殿下!」
弾むような声と共に、ヴィオレットが駆け寄った。
……って、どういうこと?




