その2
三大公爵家の一画オニール家の令嬢クローディア様とクリスは幼馴染らしい、宰相であるオニール公爵とアルフォンス陛下は王太子時代から懇意にされており、歳が近いクリスとクローディア様はお互いの邸を行き来する仲だったとか。
故、クローディア様も婚約者候補に名前が挙がっているのだが。
「なにか用か? クローディア嬢」
クリスは親しい仲とは思えないよそよそしい声で尋ねた。
「クラスメートが倒れたとお聞きしたから、心配でお見舞いに来たんです」
嘘でしょ、まともに会話したこともない私を心配するはずないじゃない。私は田舎者扱いであからさまに距離を取っているくせに。
きっと、クリスが他の女と二人きりでいるのが我慢ならなかったのだろう。
「具合はどうです? 酷い目に遭われてさぞショックだったでしょ」
私に向ける笑みは白々しく見える。
「ええ、まあ、でももう大丈夫です」
クローディア様が来た訳もわかっているのだろう、気まずい雰囲気を察したクリスは、
「いいや、まだ顔色悪いよ、もうしばらく休ませてあげよう」
彼女に言った。
「リジェに知らせるから、連れて帰ってもらうといい」
クローディア様を出口に促した。
「お大事にね」
出て行くとき、クリスはウインクしてゴメンねと言った。
もう少し、彼と二人でいたかったのに、邪魔が入ってちょっと残念。
私たちの様子をずっと窺っていたフェリシティは、クリスとクローディア様が退室したとたん、大声で笑いだした。
別に笑いたければ、二人がいる間でも良かったんだけどな、どうせ聞こえないんだから。
「あなたって、ほんとわかりやすい人ね、まんま顔に出る」
「自覚はあるけど、どうしょうもないのよ」
「彼が好きなのね」
「そんな、あたしなんかが……」
クリストとの出会いは八年前、まだ王太子だった現国王のアルフォンス陛下が我が領地へ視察に来られた時だった。
当時、隣国レイノルズ帝国に攻め入られて、我が辺境伯軍との大規模な戦闘に発展したが、お父様率いるイーストウッド軍の圧勝に終わり、侵略を阻止した。その労いもあり、王太子が直々に出向いたのだった。
それにクリスも同行していた。
あんなに美しい少年はそれまで見たことがなかった。プラチナブロンドがサラサラと微風に揺れ、宝石のごとく輝く青い瞳に、スッと通った鼻筋、優しい笑みを湛える唇、すべてが私の心を鷲掴みにした。
初めての恋に心臓が破裂しそうなほど高鳴ったことを覚えている。
当時、母を亡くして間もなかった私を、クリスは気遣い元気付けようとしてくれた。
よほど自然豊かなイーストウッド領がお気に召したのだろう、クリスは夏のバカンスには我が領地で過ごすようになった。私たちは夏中一緒に自然と戯れて過ごした。
王都の貴族令嬢は幼い頃から淑女教育が徹底されていて、裸足で駆けまわる女の子なんかいないだろう。その点我家は寛容だった。もちろん必要な教育はわざわざ王都から家庭教師を三人も招いてキッチリ受けた。でもその時間以外は自由に過ごさせてもらった。
軍師である父には剣術も教わっていたし、リジェ兄様やクリスとも手合わせした。〝こんな女の子、王都にはいないよ〟とクリスは笑った。
王都に戻ってからも誕生日にはプレゼントが贈られてきた。プレゼントはすべて私の宝物、私の気持ちと一緒に大切にしまってある。恋心を知られてしまえば、この関係が崩れてしまうから。
「あの人は王太子なのよ、あたしなんかがいくら想っても手の届かない方だわ」
「そうかしら? あなたのこと気に入ってるみたいだけど」
「誰にでも優しいのよ」
「そうでもないと思うわよ」
「彼のなにを知ってるのよ、ゴーストのくせに」
「ゴーストだから、この学園に住み着いて二十年、園内での出来事はたいてい把握しているわ、クリストファのこともよく見てるのよ、独りぼっちで寂しい生活だから目の保養も必要だわ」
「確かに、癒されるわよね」
クリスを思い浮かべてしばしトリップした私だったが、ハッと気づいた。
「学園内の出来事を把握してのなら、エブリーヌ様が飛び降りるのも事前にわかってたんじゃないの?」
「そうよ、エブリーヌにも私の声が聞こえていれば、思いとどまらせることが出来たかも知れないけど、ゴーストが見える人なんて、そういないから」
「でも、なぜ自殺なんか」
「気になるなら本人に聞いてみれば?」
「えっ?」
「時間が経ってないから、きっとまだあそこにいると思う」
* * *
医務室から出ると、もう陽は傾きかけていた。
事件が起きたのはお昼休みだったから、私はずいぶん長く眠っていたことになる。そう気付いたとたん空腹に襲われた。
中庭には、もう人影はなかった。
現場には花束が山のように供えられていた。それを見て、手ぶらで来てしまった自分を恥じていた時、目の前にぼんやり人影が浮かんだ。
「エブリーヌ様」
私の声に、彼女は振り向いた。
よかった、傷はない、綺麗なままの姿だ。亡くなった時みたいに血だらけだったら、また気絶しかねない。
「わたしが見えるの?」
「はい」
泣きそうな彼女の顔は、フェリシティと違って、今にも消えそうに朧気だった。
「私、死んでしまったのね」
「そうよ、なぜ自殺なんかしたんですか?」
「なぜあんな気持ちになったのかわからない」
エブリーヌ様は遠い目をして空を仰いだ。
そして呟くように語りはじめた。
「公爵家に生まれた私は、幼い頃から王太子妃になるのだと両親に言われてきた。選ばれるために努力を重ねて、完璧であらねばならないと気を張っていたわ。ライバルのディアンヌ様は一学年下だけど主席で入学された才女で淑女の鑑と誉れ高い、クローディア様は天使のように可愛らしい誰からも愛される癒し系の御令嬢、どちらも強敵だった」
私はライバルにもあげられない、まあ、相手にもならないだろうけど。
「でも私はクリストファ殿下と同学年で、生徒会でも書記として会長の殿下を補佐してきた、候補者の中でも一番殿下のお傍に控えていると自負していたわ、でも同時に気付いていたのよ、殿下は私など見ていないことに」
そうよね、なにを考えているのか読めない人だもの。
「あの方のお心を掴み切れないもどかしか、なんだか疲れて……羽目を外してみたいという願望があったのかも知れない。あの時は急にフワフワしたいい気分になって、なにをやっても許させる気がしたの。彼の唇が触れる感触がとても気持ちよくて、どうしょうもなく求めてしまったの、あんな快感、初めて味わったわ」
えっ? なんの話? 唇が触れる、快感って……。
意味が解らず困惑している私にフェリシティが耳打ちした。
「きっと薬を盛られたのね」
「薬?」
「以前から怪しい薬が学園に出回っているのよ、強い陶酔感を味わえる薬、中毒になっている生徒もいるわ、それを夜会とかパーティーで、お目当ての女性をモノにするために男が盛るのよ」
「そんな卑怯なことを!」
「中毒性のある危険な薬ってことで、王命を受けてクリストファが秘かに調べているらしいわよ、リジェお兄様と共にね」
「そうなんだ」
二人のコソコソ話が耳に入っていないようで、エブリーヌ様は続けた。
「事が済んでから、なんて恐ろしいことをしてしまったのだと罪悪感に苛まれたわ、ブランドン様は慣れていらっしゃるようで、あっさりしたものだった、黙っていれば誰にも知られないと」
「ブランドン・マルソー、伯爵家の三男、学園の生徒で有名なプレイボーイよ」
フェリシティが教えてくれた。私は面識がなかったが、そんな卑劣な男がこの学園にいるのだ。
「でも純潔を失ってしまったことを隠して、婚約者候補を続けるわけにはいかない……誰にも相談できずに途方に暮れたわ」
「だからって、死ぬことはないじゃない、候補を降りれば済むことでしょ」
「公爵家のためにそれは出来ないのよ、長い間、我家から王妃は出ていない、今回のチャンスを逃すわけにはいかない、最悪側室でもいいから王家に食い込まなければならなかったのよ、お父様とお母様の期待を裏切ってしまった」
「あなたが亡くなってしまったことのほうが、ご両親にはショックなんじゃないの?」
「いいえ、家の役に立たない娘は必要ないのよ」
「そんな……」
「それが高位貴族の家庭よ」
フェリシティがまた耳元で囁いた。
「でもね、やっと解放された気分、生まれ変わったら、身分は低くてもいいから、何に縛られることなく自由に生きたいわ」
エブリーヌの体が透明度を増した。
キラキラと輝いたかと思うと、その姿はスーッと光の塊に変化し、暮れかけた空に昇って行った。
フェリシティは羨ましそうに見送った。
「他の候補者に陥れられたのかも知れないわ。でも、ハメられたかも知れないことに気付いてはいない、純真なお嬢様だったのね」
「許せないわ!」
「でも、罪に問うことは出来ないわ、証拠がないうえ、被害者は亡くなったし」
「それじゃ彼女は浮かばれない」
「ちゃんとあの世へ旅立ったじゃない」
「でも!」
「王宮とはそういう場所よ、私もかつてはいろんな嫌がらせを受けたし、そのせいで殺されたのかもね」
「えっ? あなたも婚約者候補だったの? 二十年前って言うと」
「私は候補じゃなくて正式な婚約者だったし、卒業と同時に結婚式をあげる予定だったのよ」
「ちょっと待って、あなたの婚約者って」
「ドリス!」
その時、血相変えて駆け寄ってきたのはリジェ兄様だった。
「捜したんだぞ、クリスにお前が目を覚ましたって聞いたから医務室へ行ったらいないから焦ったぞ、なにしてるんだ、こんなところで」
一歳年上の兄は私より先に入学した。三男であるリジェールは家を継ぐこともないからある程度自由にできる。将来騎士になることを目指して王都に来ることを選択した。それはクリスとの出会いが影響している。私と同じく、彼に魅了されて、将来は側近になりたいと思ったらしい。
赤毛の私とは違い、リジェールは蜂蜜色に輝く金髪、コバルトブルーの瞳に端正な顔立ちの、クリスと並んでも見劣りしない美青年だ。兄妹なのにあまり似ていない、劣等感を持たせる兄だった。
「お前が倒れたと連絡を受けて医務室に行った時は、気持ちよさそうに寝ていたから、目覚めたら連れて帰ろうと思ってたんだ」
私たちは王都にあるイーストウッド家の別邸から通学していた。
「馬車を待たせてあるから」
「ありがとう」
いつの間にかフェリシティの姿は消えていた。