その1
いったん完結したのですが、続きを書きたくなりました。もう少しお付き合いしていただければ幸いです。
――プロローグ――
ヴィオレットは愕然と遺体を見おろしていた。
カッと見開いたままの目、エメラルドの瞳からは生気が抜けている。煌めくプラチナブロンドの巻き毛は乱れ、後頭部から流れ出た血が背中を伝わりドレスへ、そして座席の背もたれを真っ赤に染めている。
それは間違いなくヴィオレット自身……そうか、自分は死んだ、そして魂が身体から抜け出ているのだと理解した。
自分の死に顔を見るのは気分がいいものではなかった、こんな死に方じゃなおのこと。
そこは横転した馬車の中だった。
たった今、馬車の事故で命を落とした少女は、ドパルデュー公爵家の長女ヴィオレット。王立学園の一年生で、今日は親友のニールセン伯爵令嬢ジョセフィーヌと共に買物へ行く予定だった。その途中で不運な事故に遭ってしまったのだ。
ジョセフィーヌは!?
ヴィオレットは横たわる彼女の様子を確認した。息をしているのはわかった、気を失っているようだが怪我の程度はわからない、重傷でないことをヴィオレットは祈った。
学園生活は楽しかった。新しい友達も出来たし、自分の世界が広がったようで毎日が輝いていた。これからも色々な体験ができるはずだった。なのに、こんなことで命を落とすなんてあんまりよ! とヴィオレットは嘆いた。
ベッドに横たわり、愛する人に手を握られながら安らかに死ねたのならまだマシだったのだろうが、負傷した頭から流れ出た血にまみれ、目もカッと見開いたままの惨い顔、ぜったい愛する人には見られたくない、アンドレイと対面するときは美しく死に化粧をほどこしてもらえるとありがたいとヴィオレットは願った。
アンドレイ・プージュリーはヴィオレットが思いを寄せいている伯爵子息だ。幼馴染で彼に嫁ぐことが夢だった。しかし、親の意向で王太子クリストファの婚約者候補に名を連ねているヴィオレットは、アンドレイとの婚約が叶わなかった。
あの光は?
空に向かってまっすぐ伸びる一筋の光が見えた。
本能で、あそこに向かえばいい、行かなければならないとヴィオレットにはわかった。
短すぎる生涯だったわ、生まれ変わってもまたアンドレイと出逢えるだろうか? きっと会えるわ、現世で結ばれなくても来世では必ず……そんなことを思いつつヴィオレットはもう一度、自分の亡骸に振り向いた。
せめて目だけは閉じられないものだろうか? 妖精姫と言われた美少女ヴィオレットには、あまりに相応しくない死に顔だ。
ヴィオレットは遺体の目を閉じようと手を伸ばしが、幽体となっている手は触れることが出来ずにすり抜けた。
その時。
死んでいるはずのヴィオレットの目が……瞬きをした!
えっ? とヴィオレットが驚いた次の瞬間、遺体の瞳に生気が戻った。
そして、ムクッと頭をもたげた。
えええっ!!
ヴィオレットは驚きの叫びをあげた。もちろん誰にも聞こえていないが……。
「私……なにが起きたの?」
ヴィオレットの身体は頭を押さえながら上体を起こした。そして、血の付いた手を見て、
「キャッ!」
それが自分の頭から流れ出た血だとわかって青ざめた。
どういうことなの! さっきまで確かに死んでいたわ!
魂だってこの通り、身体から抜けて、今まさに天に昇ろうとしているのよ!
なんで身体が動いているの!?
ヴィオレットの魂は、なぜこんなことが起きているのかわからずパニックに陥った。
* * *
「危ない!」
中庭をぼんやり歩いていた私はその叫び声に立ち止まった。
デジャヴ、以前にもこんなことがあったわね、その時は確か……私は思い出して身震いした。
しかし、今回落ちてきたのは〝水の塊〟だった。
あのまま直進していたら、まともに頭から被っていただろうが、立ち止まった私の前方に的を外して地面で跳ねた。
水飛沫で足元が少し濡れたが、この程度なら問題はない。手にしていたランチボックスが無事でなによりだわ。
私は校舎を見上げたが、二階の窓には、すでに人影はなかった。
周囲にいて目撃しただろう生徒たちも、蜘蛛の子を散らすようにいなくなった。関わり合いたくないのはわかるけどね。
久々の強烈な嫌がらせ。
最近は減ったけど、辺境育ちの田舎者が王太子クリストファ殿下と懇意にしており、婚約者候補筆頭と言われていることが気に入らない人たちがいる。それにしても水をぶっ掛けようとするなんて、幼稚なイジメもいいとこだ。
私ことドリスメイはイーストウッド辺境伯家の末娘である。
残念ながら美人でもない赤毛で赤い瞳の十六歳。住み慣れた領地を離れ、王都にある王立学園に入学して七ヶ月あまり、都会の生活にもようやく慣れてきたところだ。
先ほど婚約者候補筆頭と言ったが、実はもう婚約は成立している。一ヵ月前、王都を揺るがした大事件の直後、王家と我イーストウッド辺境伯家の間で正式に書面が交わされたが、正式な発表は先送りになっている。
その理由の一つは、先の事件の後処理が困難を極めていること。三大公爵家の一角だったベルモンド家の没落は大きな波紋を呼び、王都の貴族社会は混乱を極め、勢力図が大きく変わろうとしている最中、辺境伯である我家が絡むと思われるとよけいにややこしくなるからだ。
婚約間近と言われながらまだ発表がないのは、すんなり進められない事情があるからだと邪推され、それならまだチャンスはあるとばかりに自称婚約者候補の令嬢たちが我こそはと再び騒ぎはじめていた。
それはさて置き、さっき私に声をかけてくれたのは……。
嫌な予感は当たった。
そこには宙を舞う少女の姿があった。
ゴーストだ。
私には亡くなった人の霊が見える。その人の声も聞こえる。
でも、極力関わらないようにしている。この世に未練を残してゴーストとなり彷徨っている霊に関わるとろくなことはない。ゴーストは早く成仏するべき存在なのだ。
私が見えていることを彼女に気付かれないよう、フイッと顔を背けて何事もなかったように前を向いた。
しかし、わかってしまったようだ。
「私が見えてらっしゃるのね!」
返事もせずに知らん顔して歩き出したが、彼女は前に回り込んで行く手を遮った。と言っても、実体はないので彼女の身体を通り抜けることになる。見えている私にとってその感覚はなんとも不快なものだ。
「見えているのですね、さっき確かに目が合いましたわ」
しかし、必死で私と目を合わせようとしているゴーストは纏わりついた。
プラチナブロンドの巻き毛にエメラルドの瞳、背中に羽がついていたらまさに妖精という感じの愛らしい少女だった。
見覚えがある、クラスは違うがこの学園の生徒だ。名前は……でも彼女が亡くなったなんて話は聞いていないけど。
「見えているのですね!」
名前を思い出そうとしていたので、私は思わず、
「見えてない」
反応してしまった。
しまった! と口を手で押さえても遅い。
「やっと私の話を聞いてくださる方に出会えましたわ!」
彼女はドレスの裾を翻して小躍りした。
しかし、この中庭では人目があるし、今ここで彼女と話をすると独り言を呟く変な奴になってしまう。私は口を噤んで歩き続けた。
「ねえ、無視しないで下さいよ、私ずっと心細かったのです、独りぼっちで誰にも認識されずに彷徨っていて、どうしたらいいかわからなくて」
彼女は泣きそうな声で私を追いかけ続けた。
しばらく無視を貫いたが、王妃の花園まで来た時、意を決して振り返った。