その16
上品に結い上げたブロンドの髪、長いまつ毛に菫色の瞳、真珠のような肌、透けていても美しさを湛えている。そして、その顔には見覚えがあった、ディアンヌに面差しが似ている。
「マリアンヌ・ベルモンド公爵夫人?」
私は思わず呟いた。
「私が見えているの?」
視線を交わしたマリアンヌの目が驚きに見開いた。
私は頷いた。
クリスはその声と宙を見つめる私の様子に気付き、庇うように抱き寄せた。
「現れたのか? ゴーストが」
「大丈夫、落ち着いていらっしゃるから」
私は周囲に聞こえないよう、声を潜めた。
「王太子殿下はお見えになってないのね、あなただけ?」
「はい」
「まさか、生きている人間と話が出来るとは思わなかったわ」
初めて会ったマリアンヌの印象は想像とは違った。王太子妃の座を狙ってフェリシティを殺害した悪女。ディアンヌを王太子妃にしようとして追い詰めた毒親。そして、レオナルド第二王子を王太子にするため、クリスを殺そうとした冷酷非道な女。そのどれにも当てはまらない穏やかな雰囲気の女性だった。
でも、見かけに騙されてはいけない。
「あなたがフェリシティ様をあの場所に埋めたのですか?」
私は周囲に聞こえないように小声で話した。
「ええ、夫と共に」
「あなたがフェリシティ様を殺したのですか?」
直球過ぎたかもしれない、逆上されたらどうしよう! 悪霊となったディアンヌの恐ろしい顔が浮かんで後悔したが、
「なぜ、あんな事をしてしまったのか今でもわからない、魔が差したとしか言いようがないわ」
それは杞憂に終わり、マリアンヌは静かに答えた。
「彼女が憎かったわけではない、むしろ性格的には好ましい人物だと思っていたわ。でも……アルフォンス殿下に愛される彼女がうらやましく妬ましかった」
「それって、あなたもアルフォンス陛下を愛してらしたの?」
「ええ、お慕いしていますわ、今も」
マリアンヌは夢見る乙女のような目を宙に躍らせた。
「初恋の人だったわ、幼い頃にお会いして一目惚れだった。両親から、お前はあの方に嫁ぐんだと言われ、私もそう思っていたわ。フェリシティ様の存在はあっても、最終的には私を選んでくださると信じていたのよ。でも、挙式の日取りも決まって着々と準備は進む、私にとっては悪夢、夢なら早く覚めてほしい! と振り下ろした手には石が握られていて、フェリシティ様が倒れていた」
じゃあ、王太子妃の座を狙った犯行じゃなくて、嫉妬に駆られて衝動的に殺してしまったということなの?
「目撃していたジュリアン、現ベルモンド公爵が放心状態の私に代わって、フェリシティ様の遺体をあの場所へ埋めたの。それから本当の悪夢がはじまったのよ。その後は彼の言いなりになるしかなかった、公爵家へ嫁いで、悪事に手を染めて……」
私の言葉の断片からは話の内容はわからないだろう、クリスが焦れったそうに言った。
「どんな話をしてるんだ? 父上を愛していたって? どういうことだ?」
クリスの声を聞いたマリアンヌは、愛おしそうな目を向けた。
「クリストファ殿下は、あの頃のアルフォンス殿下によく似ておられる、サラサラの金髪、サファイアのような瞳も意志が強そうな眉も」
フェリシティと同じことを言う。
「あなたは幸運ね、殿下に愛されて」
「私はそんなんじゃ」
「ディアンヌはあなたをさぞや妬んでいたでしょうね」
「それはもう、殺されかけたんですから」
「愚かな母親だったせいで、娘たちにも誤った道を歩ませてしまった」
マリアンヌの指示ではなく、ディアンヌが独断でやったの? じゃあクリスの襲撃は? 突っ込んで聞きたがったが、彼女はもう私を見ていなかった。
「結局、何一つ望みが叶わない人生だったわ。なぜなの? どう足掻いても幸せにはなれない、もうなにもかも終わりにしたいと火を放ったの」
「フェリシティ!!」
ちょうどその時、オニール公爵の叫びが轟いた。
白骨の全容がわかり、兄である公爵が確認したのだろう。
マリアンヌは虚ろな目をそちらに向けた。
「これでやっと彼女をアルフォンス陛下の元に返してあげられるわ」
マリアンヌは空を仰いだ。
その体は見る見る透明になり、光の玉となった。
そして、空に消えて逝った。
それを見上げる私を見て、
「逝ったのか?」
クリスは尋ねた。
「ええ」
「ちゃんと聞けたのか?」
ここへ来るときに予想していた答えとは少し違った。危険を覚悟してしたが、その心配は全くなく、マリアンヌのゴーストは穏やかだった、と言うより、あきらめの境地だった。
愛されなかった可哀そうな女性、そう思うと胸が痛んだ。
でも、だからと言ってフェリシティ殺害を許すわけにはいかない。
「フェリシティのところへ行かなきゃ」
彼女の死の真相を教えてあげなきゃ!
* * *
「僕をこんなに振り回すのは君だけだよ」
呆れるクリスと共に王妃の花園に来た。ここへ来る道すがら、クリスにはマリアンヌとの会話を説明した。
同情の余地はないとクリスは言った。殺人を犯したうえ、数多の悪事に手を染めて、そのため多くの人に犠牲を強いたのだから、と。
そうなのだ、幸せになれなかったのは、他人の幸せを奪った報いだわ。最期までそれに気付かなかった哀れな人だった。
花園はまだ昨日まま、荒れ放題の状態だった。フェリシティが好きだった白いガーベラも薙ぎ倒されて萎れていた。
「フェリシティ!」
私は彼女に呼びかけたが、返事はなかった。いつのもようにいきなり現れることもなかった。
「いないのか?」
「まさか……」
昨日の彼女の言葉が頭を過ぎった。
〝遺体が見つかれば〟あの後、なにを言おうとしていたの?
遺体が見つかれば成仏できる? 違うわよね、自分がなぜ死んだのか、納得できる回答を得ないまま逝ったりしないわよね。
死の真相究明に協力してって言ったじゃない。わたし、ちゃんと掴んできたのよ。
私たちはフェリシティが現れるのを待った。
陽が傾くまで待っても彼女は現れなかった。
さよならも言ってないのに、逝ってしまったの?
「フェリシティは王都に来てから初めて出来た友達だったのよ。実家からついてきてくれた侍女や、別邸の使用人たちも親切にしてくれたから寂しくはなかったけど、でも、同じ年頃の同等な友達っていなかったから、嬉しかったのよ」
「だから彼女の力になりたくて、真相を究明しようとしたのよ、でも、わかった途端、消えてしまうなんて……」
泣くもんか! またお子ちゃま扱いされてしまうもの。
「ちゃんとお別れがしたかったわ」
「じゃあ、お別れしに行こう、フェリシティ様のご遺体は、王宮内の礼拝堂に安置されたらしいから」
「そうなの!」
「さっき、シータが報告してくれた」
「いつの間に」
「君は放心状態だったからね」
「じゃあ」
その時、私のお腹がギュルルルと無様な音を立てた。顔から火が出る思いだったが、勝手に鳴るものしょうがない、どんな時でもお腹は空くのだ。
「朝食を摂ったきりだからね、なにか食べてからにしようか」
クリスは笑いを堪えながら言った。
零れかけていた私の涙も引っ込んだ。