その15
その日の夜、王都の空は立ち昇る炎で赤く染まった。
火元はベルモンド公爵邸、王都のほぼ中心部に位置する邸の火事は、王宮からも紅蓮の炎が見えた。
私はそれをクリスと共に見ていた。
「公安と騎士団が邸に踏み込んだ時はすでに出火していたらしい」
炎はまだ収まることなく勢いを強めていた。
ディアンヌのゴーストに襲われたあと、私たちは駆け付けた公安に連行され、事情聴取を受けた。個別に話を聞きたいという担当官の言葉を一蹴し、クリスは私から離れなかった。断固たる王太子の態度に彼らは逆らえなかった。
クリスはあの時の状況、薬物中毒で狂乱したディアンヌを王家の影でさえ取り押さえられなかったこと、観念して自害したこと等々を、悪霊の出現は抜きにしてよどみなく説明した。私はかろうじて頷くだけの怯え切った少女を演じ通した。
花園の荒れようなど、説明のつかないことも残ったのだが、私たちはアルフォンス陛下の計らいもあり、夜になって王宮へ戻ることが出来た。
クリスは私が滞在している客室に送ってくれ、そのまま部屋に上がり込んだ。バルコニーから夜空を焦がす炎を並んで見ていたが、こんなところを王妃様に見つかったら、また叱られるわよ。
ディアンヌが危険薬物を所持していたという事実を得た公安警察の行動は迅速だった。その日のうちに公安と騎士団が大挙してベルモンド公爵邸へ押し掛けた。元々ベルモンド公爵は疑いを持たれていたので、秘密裏に調査が進んでおり、証拠さえ挙がれば直ちに実行へ移れるよう準備は万端だったのだ。
しかし、火は邸全体に広がっており、手の施しようがなかったらしい。
直接証拠となりうる書類はすべて灰になったが、火災から逃れた公爵家の従者の中には自分可愛さに暴露する人間が出てくるだろう。
「推測でしかないけど、公爵夫人が自ら火を放ったんじゃないかな、彼女の姿だけがなったらしいし」
「逃げたの?」
「学園にいてディアンヌの事件を知った兄のオースティンは、金目の物をかき集めて馬車に押し込み、ベルモンド公爵と妹フランソワーズと共に逃亡を図った。しかし、王都から出ようとしていたところ身柄を確保されたよ、そこには夫人の姿がけなかったんだ」
マリアンヌ・ベルモンド公爵夫人は馬車に乗らず邸に残った? それはあの炎の中にいたということなのだろうか。あの火の勢いでは、沈下しても遺体が見つかるかどうかわからない。
いきなり大元が摘発されたことにより、危険薬物の捜査は一気に進むことになるだろう。
それ以外にも余罪が山ほど出ると予想された。
「裁判は行われるだろうけど、もう終わりだな。公爵は爵位を剝奪され、領地も召し上げられる。そして、ベルモンド公爵は極刑を免れないだろう」
クリスは冷ややかに言った。
「でも、そうなればフェリシティの事件は? ベルモンド公爵夫妻が関係しているかも知れないのに、うやむやになってしまうわ」
「そうだな、二十年も前の失踪事件に関係したことを、今更告白するとは考えにくいな」
彼女の死の真相は、解き明かすことが出来ないのだろうか?
「ねえ、ベルモンド公爵邸へ行くことはできないかしら?」
「公爵夫人があの炎の中で命を落としたのなら、彼女のゴーストに聞けるかも知れないってことか」
「ええ」
「それは危険だ、ディアンヌのように悪霊になっていたらどうするんだ?」
「その時は、その時よ」
私は水晶のペンダントを握りしめた。
「大丈夫、今度はうまく聞き出すわ」
クリスはいきなり背後から私を抱きしめた。
最近、よく抱きつかれる。幼い頃は意識せずに触れっていたが、私はもうレディのつもりなのよ、こんなふうにされたら……。
彼から逃れようと身を捩ったが、細身に見えても力強いクリスの腕はビクともしない。
「震えてるじゃないか、怖いんだろ、無理しなくてもいい」
震えてるんじゃありません! 心臓が飛び出しそうなほど激しく打つ鼓動に動揺しているのよ。
「ちょ、ちょっと、やめてよ、こんなふうに慰めてくれなくても大丈夫よ、もう子供じゃないんだから」
「わかってる、君はもう立派なレディだよ、僕だってそうなんだよ」
耳元でやわらかに響くテノールが心地よい。彼の体温を背中に感じながら、時間が止まればいいと思っていたその時、
彼の唇が私の頬に触れた。
「ひえっ!」
変な声が出てしまった。
頭が真っ白になり、きっとヘンテコな顔を晒したのだろう、クリスはクスッと笑みを漏らした。
「とにかく、このことはまた明日話そう、他にいい方法が見つかるかも知れないし」
クリスは何事もなかったように微笑み、
「おやすみ、また明日」
部屋を出て行った。
しばらく閉じられたドアを呆然と見ていたが、プシュッと頭がプチ爆発を起こし、ソファーに横たわった。
* * *
揶揄うにも程があるわ!
免疫ゼロだと知っての狼藉、いったいどういうつもりなの!
って直接、問いただすことが出来ればこんなに悶々としないのだろうけど、怖くて聞けなかった。
クリスの様子はいつもと変わらない。私だけが彼と目が合うだけでドキドキしたり、カーッと熱くなったりで忙しい。クリスはそれに気付いて楽しんでいるようでもある。
そんな状態のまま、私はクリスと共にベルモンド公爵邸に来ていた。
クリスはずっと反対していたが、頑として譲らない私に渋々折れた。ゴーストに会うなら早いほうがいい、いつあの世に逝ってしまうかわからないのだから。
現場検証は一応の区切りがついたようで、捜査員の姿はまばらだったが、邸の周りは大勢の兵士が配置されて部外者の立ち入りを監視していた。
クリストファ王太子はもちろん顔パスだった。
「なぜあなたがこんなところに?」
訪れたクリスと私を見て、ユージーン・オニール公爵は眉をひそめた。
「あなたこそ、お忙しい宰相閣下が自ら現場に足を運ばれるとは」
クリスは含みを持った王子スマイルを向けた。彼のこんな微笑みはゾッとするから好きではない。
「前代未聞の大事件です、全貌を把握しておく必要がありますからね」
オニール公爵が来ている理由は想像がつく、私たちと同じく、フェリシティの事件にベルモンド夫妻が関係していると疑っているからだろう。
オニール公爵は焼け落ちた邸の残骸を見上げた。
この有様では証拠どころではない。
「マリアンヌ・ベルモンド公爵夫人と思われる遺体が発見されました」
オニール公爵が言った。
「やはり、邸に火を放ったのは公爵夫人なのですか?」
「それはわかりません、逃げ遅れたのかも知れないし、供述が取れないのは残念です」
「それは二十年前のフェリシティ嬢失踪事件にベルモンド公爵夫人が関与したという自白ですか?」
クリスの言葉にオニール公爵の顔色が変わった。
「あなたがお生まれになる前の事件までお耳に入っているのですね」
「父上がいまだに拘っておられますから」
「王妃様もですね、フェリシティの無事をいまだに祈ってくださっている」
王妃様が学園の花園に通ってらっしゃることをご存じなのだ。しかしオニール公爵は、フェリシティはもう亡くなっていると察しているようだ。そしてなんとしても犯人を暴きたいと。
「かつて王太子妃の座を逃したマリアンヌ嬢が嫁いだのは、予想外のベルモンド公爵家でした。なんとも不自然で、そうせざるおえない弱みがあったとしか考えられません」
「その弱みがフェリシティ嬢の事件、ベルモンド公爵も関与したと考えてれば納得できる」
「マリアンヌ嬢は才女でした、彼女の手腕でたちまち公爵家は勢力を拡大しました。それは裏で悪事に手を染めていたから出来たことなのでしょう。財力に比例して権力も手にした彼女は、かつて自分を選ばなかったアルフォンス陛下への当てつけのように娘たちを送り込もうとした。だから私はクローディアをあなたに近付けたくなかったのですよ」
「娘が王太子妃の座を手に入れるためには、フェリシティ嬢を手にかけたと同じことをする危険があると思ったんですね」
「事実、エブリーヌ嬢は自殺に追いやられ、ドリスメイ嬢も危険な目に遭われた、本当に無事でよかった」
「二度とあんな目には合わせない、僕が護りますよ」
クリスは私のウエストに手を回した。ちょっとぉ、歩きにくいんですけど。
話をしながら、邸の周りとなんとなく歩いているつもりだったが、そうではなかった。二人には目的の場所があった。
裏庭の高い垣根をくぐると、そこに広がっていたのは……。
「ここですか」
降り注ぐ陽の光を受けて咲き誇る白い花、微風に揺れて花びらが踊っているように見える美しい花畑があった。しかし、それは恐ろしい薬の元となる花だった。
「まさか王都の真ん中で堂々とオピュームが栽培されていたなんて信じられないよ。公爵邸は無闇に立ち入りできないから、盲点だった」
クリスがファビアン様たちと共にベルモンド公爵領まで捜査に行ったことは結果的に無駄足だった。顔には出さないが、クリスはさぞ自分を責めているだろう、煮えたぎるほど悔しい思いをしているだろう。
「これが発見されれば言い逃れは出来ない、だからいち早く逃亡を図ったのでしょう。精製工場は別棟の地下で発見されました」
「王家の膝元に大規模な犯罪現場があったと言うのに、何年も放置されていたなんて」
「ベルモンド家に買収されていた者が政府内部にいます、逃がしませんよ、これを機に一掃します、ここも近日中に焼き払うことが決定しています」
美しい花に罪はない、ただ咲いているだけだ、それを悪用した人間のせいで焼かれてしまうと思うと可愛そうな気もする。
「邸の中も見せてもらえるかな」
クリスはオニール公爵に言った。そうだ、ここへ来た目的は、邸内でマリアンヌ夫人のゴーストを捜すことだった。
「ええ、完全に鎮火していますから入れるでしょう、でも、焼け跡だけですよ」
私たちはオピューム畑を後にしようとした。
が、その時、私は違和感を覚えた。
?
咲き誇るオピュームの一画に、別の花が目に入った。
それは白いガーベラだった。
なぜこんなところにガーベラが?
と思うや否や、私は駆けだしていた。
「ドリス?!」
オピュームの花をかき分け、ちょっと踏んでしまったかも知れないが、私はガーベラの一画まで来た。
なにがそうさせたのか説明できない。
でもそうしなければいけないと直感した。
私は衝動に駆られて、ガーベラの根元を掘りはじめた。
「なにをしてるんだ?」
追いかけて来たクリスが困惑した声を投げかける。
私は返事もせずに膝を着き、両手で土を掘り返した。
「何事です?」
オニール公爵も私の奇行に驚いていたが、ハッとして、
「白いガーベラは」
呟いた。
「衛兵!」
大声を上げて、少し離れたところで待機していた衛兵を呼んだ。
公爵の声に慌てて駆け付ける。
「ここを掘り返してくれ」
そして、屈んで私の手首を握った。
「爪が割れてしまうよ」
優しい声だった。
「でも」
強い衝動が収まらなかったが、すぐにスコップを持った衛兵が来たので、私は渋々退いた。
私たちが見守る中、衛兵が三人がかりでガーベラの下を掘り進める。
綺麗に咲いていた花がなぎ倒されるのは見るに堪えなかったが、そこになにが埋まっているのか、なぜかわかった。
オニール公爵とクリスは半信半疑だっただろうが、ほどなく衛兵が叫んだ。
「骨です!」
オニール公爵はその場に両膝をついて、両手で顔を覆った。
私の目からはとめどなく涙が溢れた。
それがフェリシティの遺体だという証拠は、その時はなかったが、確信していた。彼女は教えてくれたのだ、好きだった白いガーベラを目印にして。
その後、作業に当たる衛兵の数は増し、白骨は慎重に発掘が進められた。
オニール公爵は食い入るように見ていたが、クリスと私は邪魔にならないよう、少し離れた場所へと移動した。
その作業が続く中、
「あなたが見つけてくれたのね」
ハスキーな女性の声に振り向くと、そこには美しい貴婦人が立っていた。その体はぼんやり透けていた。