その13
〝力ずくで純潔を奪われた気の毒な令嬢〟
休んでいる間に貼られた不名誉なレッテル、私はすっかり傷物令嬢にされていたらしい。確かに、部屋に連れ込まれた時点で、貴族令嬢としては傷物と言われても仕方ない。
しかし、復帰した時には、また新たな噂が流布していた。
〝クリストファ王太子殿下の婚約者に内定した辺境伯令嬢〟
メリーベル王妃様にも大変気に入られ、すでに王宮で王太子妃教育が始まっている。傷物を婚約者に迎えるなんて考えられないから、先の噂はデマだったと、新しい噂に塗り替えられた。
それを裏付けるように、私とクリスは一緒に登校し、馬車から降りると、私の腰に手を添えて、赤面するほど寄り添って仲の良さをアピールした。そしてそのまま、私を気遣う甘い雰囲気を漂わせながら教室まで送ってくれた。
私が襲われて、危険な目に遭ったことがきっかけで、私への気持ちに気付いた、と言うストーリーに仕立てたらしいが、演技にしてもちょっとやり過ぎじゃない? 心臓が持たないわ。
「えらく急な展開になりましたのね」
好奇の視線を送るクラスメートたちの先陣を切って、クローディア様が話しかけてきた。あなたに急だとは言われたくない。
「これには事情が」
私は小声で言った。
「あなたが襲われたことと関係がありますのね」
クローディア様はすぐにピンと来たようだ。
「今は詳しく言えませんけど、すぐにわかると思います」
「じゃあ、楽しみにしていますわね」
解決すればすべて白日の下に晒される。
「婚約披露パーティーの招待状はどちらに送ればよろしいかしら? イーストウッド別邸? それとも王宮かしら」
「正式に婚約されたのね、おめでとうございます、別邸のほうでお願いします」
そう長く王宮にいるつもりはない。
「ありがとう、あなたの時もちゃんと招待してくださいね」
クローディア様の口調に棘はなく、なんとなく親しみを感じる態度に変わっていた。
一方のディアンヌからは、刺すような視線が遠くからでも痛く突き刺さっていた。
でも大丈夫、きっとどこかに〝王家の影〟が潜んでいて護ってくれているはずだから。
* * *
「でも、ほんと無事でよかったわ」
王妃の花園へフェリシティに会いに行くと、彼女は抱きつけないのに抱きつくふりをしてくれた。
私はその後の経緯、ブランドンのゴーストと話をした内容を報告した。
「ディアンヌって、マリアンヌの娘よね」
「知り合い?」
「公爵家同士の付き合いもあったし、彼女もかつてはアルフォンスの婚約者候補だったのよ」
母親がディアンヌと同じ性格なら、
「もしかしたら、あなたを殺したのは」
「そんなことは考えたくないわ、私とアルが婚約したのは十歳の時だったのよ、私を亡き者にするつもりなら子供の頃のほうが簡単じゃない。八年近く経ってから実行に移すなんて不自然だわ。それに、私の知る彼女は気高く誇り高い淑女の鑑よ、欲望のために人殺しまでするなんて考えたくないわ」
「それって矛盾してない? 王都の貴族社会ってそういうところだと言ったのはあなたよ。ディアンヌが王太子妃の座に執着しているのは、母親に自分が叶えられなかった夢を託されているからなんじゃないかしら、殺人まで犯したのに叶わなかった無念が、ディアンヌに刷り込まれたと考えれば、彼女の異常な行動にも説明がつくんじゃない?」
「マリアンヌが私を……私が殺されたのは学園内よ、でもここに私の遺体はない、それはわかるの。女一人の力で遺体を運び出すなんて不可能だわ」
「協力者がいたのよ」
「私の身体はどこにあるのかしら」
その時、人の気配に気付いて振り向いた。
噂をすれば影とばかりに、そこにはディアンヌの姿があった。
まさか! 聞かれてはいないわよね。
「話し声がしたと思ったのだけど、お一人なの?」
取り巻き無しの単独で現れたディアンヌは周囲を見渡した。
「今日は、王妃様はいらっしゃらないのね」
「ええ」
フェリシティとの会話は、基、私の独り言は聞かれてはいない?ようだ。でも、何しに来たのよ! と言いたかったが堪えた。
「あなたに直接確かめたくて、あの噂、クリストファ殿下と婚約したなんて、事実ではありませんよね」
事実じゃない、しかし、私の悪い噂を払拭するためにクリスが演技してくれているのだ、もしかしたらディアンヌを炙り出すためかも知れないし。
「私の口からはなんとも言えませんわ」
私も演技をしてみせた。
「言えない? なぜ?」
「正式な発表前に、部外者には漏らせませんもの」
ディアンヌの顔が見る見る青ざめた。
「まさか、決まったんですの!? そんなこと許されませんわ!」
淑女の鑑にヒビが入り感情が漏れ出す。
「公爵令嬢の私を差し置いて、辺境伯家の田舎者が王太子妃になるとおっしゃるの? あなたになんか相応しくありませんわ!」
「そう言われても、私に決定権はありませんから」
「どんな手を使ったの? 辺境伯の軍事力を盾にしたんでしょ、力尽くで王家を脅しでもしたんでしょ!」
完璧令嬢の口調が乱れている。
「卑怯者に屈したりしないわ、我家には軍事力に勝る経済力があるのですから」
金にものを言わせるのは卑怯じゃないの?
「我家こそが未来の王妃を輩出するに相応しい家柄よ、それに、幼い頃から王太子妃教育も受けて努力を重ねてきた私こそが王太子妃に相応しいのよ」
貴族令嬢が感情を露にすることは良しとされない。ディアンヌも常に偽物の笑顔を浮かべているが、その仮面が剥がれ落ち、嫉妬に狂う醜い女の顔がむき出しになった。
でも、それだけじゃないような気がした、様子が変だ。額には汗が滲み、美しいはずの青い目は血走っている。その形相には見覚えがあった。それは、私を襲った時のブランドンと同じ……。
「なぜあなたなの? クリストファ殿下が負傷された時、私は生きた心地がしなかった、心配で一晩中、王宮殿の入口で祈っていたのよ、なのに通されたのは後からノコノコ現れたあなた」
ディアンヌの息が荒くなる。
「あなたの面会しか許されないなんて、おかしいでしょ! でもあの一件でクローディアは尻尾を撒いて逃げた。エブリーヌも死んだし、あとはあなただけ、あなたさえいなければ、また私を見てくださるわ」
また? 最初から見ていないと思うけど。
「王太子妃に選ばれるのは私でなきゃならないのよ!」
ディアンヌは般若の形相で、ツカツカと私に向かってきた。
「危ない!」
フェリシティの叫びが聞こえた。
続いて、
「やめろ!」
クリスの声だった。
いつの間に現れたのか、クリスは背後からディアンヌの腕を掴み、捩じり上げた。
「痛っ!」
その手からなにかが滑り落ちた。
続いて現れた王家の影、シータとファイがディアンヌを拘束した。
クリスは影たちに彼女を任せると、愕然と立ち尽くしている私の元へ駆け寄り、その勢いのまま抱きしめた。
「大丈夫か」
「え、ええ」
「無礼者! 私を誰だと思ってるの!」
シータとファイに押さえつけられ、地面に膝を着かされたディアンヌが叫んだ。膝が土で汚れる、公爵令嬢にとっては屈辱的だろう。
クリスは私を抱きしめたまま振り返った。
「それはなんだ?」
ディアンヌが落としたものに目ややる。
ファイがそれに手を伸ばした。
「毒針ですね」
ファイは慎重に拾い上げると、布に包んだ。
「まさかこんなところで凶行に及ぼうとは、正気の沙汰ではないな」
ディアンヌの顔は狂気に満ちていた。
私の護衛に〝影〟がついているのは推察していたはずだ。それでも行動に移さずにはいられないほど、彼女を追い詰めるモノがあったのだろうか?
ディアンヌは体を捩りながらクリスに訴えた。
「殿下のためなのです! 私と結婚しなければあなたの命が危ないのです、そのためには、この女に消えてもらうしかなかったのよ!」
「それは、僕が襲撃されたことを言っているのか?」
「私を選んでくれていればすべてうまくいったのに、なぜ私じゃないの! 私のほうが相応しいのに!」
髪が乱れるのもかまわず取り乱す彼女の言動は、なにか邪悪なものに取り憑かれたように別人だった。
「薬をやっているのか」
クリスは残念そうに漏らした。
やはり危険薬物で自制心を失っているのね。破滅に至るとわかっているはずなのに、自ら手を出してしまうなんて、彼女らしくない。
「連れて行け、公安に引き渡すんだ」
「いやぁ!!」
ディアンヌは急に激しく暴れ出した。
女とは思えない力で――おそらく薬の影響なのだろう――シータとファイを突き飛ばした。ブランドンが暴れた時も誰も止められなかったと聞いている、常人では考えられない力が出るのだろう。
シータとファイは短剣を構えながらクリスの前に立って壁となり、クリスは私を庇おうとさらにしっかり抱きしめた。
その姿を見たディアンヌはフッと切ない笑みを浮かべたかと思うと、握りしめた拳を自分の首筋に当てた。
「しまった!」
ファイが叫んだ。
ディアンヌはその場に崩れ落ちた。
「まだ持っていたのか」
クリスは倒れたディアンヌを見せまいと、私の顔を胸に押し当てた。
「ダメです、致死量だったようです、すでにこと切れています」
ディアンヌの脈を確認したのだろう、シータがクリスに報告する声が聞こえた。
「バカなことを……」
ディアンヌは逮捕されるより死を選んだ。プライドが高い彼女はそうするしかなかったのだろう。
私はクリスの胸を少し押し戻して、隙間からディアンヌの姿を見た。
彼女は地面に顔を伏せて倒れていた。
ディアンヌがこのまま神に召されてくれることを祈った。
しかし、私の祈りは届かなかった。
ディアンヌの体から黒い煙のようなものが立ち昇った。
全身が硬直した。
前世の夢が甦る。
あれは……。
恐ろしい形相のディアンヌが煙の中から現れた。たった今、死んだばかりなのに、その魂はすでに悪霊となっていた。