その12
翌日はもう普通に歩けるようになった。
すっかり元気を取り戻した私は、クリスと共にブランドンが亡くなった牢へ行く許可を得た。
それを聞いた兄は、
「正気か? お前を襲った男だぞ、花を手向ける必要なんかない!」
私の行動を訝しんだが、
「あの人も薬で操られていた犠牲者なのよ」
慈悲深い女を演じた。
「君たちは下がってくれ」
牢に着くと、クリスは牢番を遠ざけた。持ち場を離れることを躊躇った牢番たちだが、王太子クリストファの威厳が勝った。ゴーストとの会話を――独り言のように聞こえるだろうが――聞かれるわけにはいかない。
事件から五日経っていたが、ブランドンの魂はまだ牢の中にいた。
「まだココにいたんですね」
牢屋の隅で膝を抱えて蹲っているブランドンのゴーストに話しかけた。
顔を上げたブランドンは、私と視線が合ったことに驚いたようだった。
「君は、俺が見えるのか?」
「ええ」
「まさか、君も死んだのか?」
「いいえ、私は生きているわ」
「良かった」
「良かった?」
「俺は自業自得だけど、君にはなんの罪もないからな」
ブランドンは力ない笑みを浮かべた。根っからの悪人ではないようだ。
「ブランドンはいるのか?」
クリスが目を細めた。
「ええ、そこに」
「王太子殿下は見えないんだ」
「普通はそうでしょ、私は特殊なのよ」
「その花は俺に?」
「ええ、ここへ来る口実だけどね」
私はブランドンの横に花束を置いた。
「なにが知りたい?」
「あなたを操っていた黒幕」
「俺が操られていたとなぜわかったんだ」
「あなたに、私を襲う理由がないもの」
「それはどうかな、君のように美しい女性に心を寄せる男はたくさんいると思うけど」
「冗談はよしてよ」
「ほら、殿下も心配でたまらないって顔してるじゃないか」
心配と言うより、自分には見えない聞こえないことがもどかしいのだろう。
「あなたが悪霊になってなくて良かったわ、酷い亡くなり方をしたのでしょ」
「よく覚えていないけど、俺の遺体は傷だらけだったから、そうとう暴れたんだろうな、悪霊になればあの女に復讐できるかな?」
「あの女?」
黒幕は女性なの?
「俺を薬漬けにして利用した悪魔、俺が間抜けだったんだけどな」
「それは」
誰なのか聞こうとしたが、ブランドンは宙を見ながら話しはじめた。
「貧乏伯爵家の三男に輝かしい未来はない。俺は頭も悪いし政務官僚なんてどだい無理、運動神経もいまいちで、騎士を目指してもうだつが上がらないのは目に見えている。俺にあるのはこの顔だけ、裕福な家の一人娘をたぶらかして婿入りするしか道はないと思って物色していた」
身の上話はいいから、早く黒幕の名前を教えてほしい。でも不安定なゴーストを怒らせて、悪霊になられたら話をするどころじゃなくなる。
恨みを持って死んだブランドンの状態は良くなかった。半透明の身体は黒ずんでいて、おぞましい負の力を感じる。いつ悪霊になってもおかしくない状態なのだろう。私は安易な考えでここへ来たことを後悔しはじめていた。私と話をすることで、彼の怒りを増幅させている。
私が震えているのに気付いたクリスは、手をギュッと握ってくれた。
「そんな時、あの女が近づいてきたんだ。自分が目的を達成したあかつきには、優良物件を斡旋してやるから協力しろって。飛びついたね、協力の意味を深く考えずに、あげく、薬漬けの下僕にされちまった」
ブランドンは続けた。
「エブリーヌ嬢には気の毒なことをしたと思うよ、まさかあんなことくらいで自ら命を断つなんて思いもしなかった」
「あんなことくらい?」
エブリーヌ様がどれほど悩みぬいたか想像もできないのね。
「何人もの令嬢と関係を持ったけど楽しんでたぞ、みんな淑女の仮面を被っていても、中身はただの雌だ」
私には理解できないけど、そういう女性もいるんだ。
「現にエブリーヌ嬢だって、無理やりだったわけじゃない、その時は快楽におぼれて喜んでたし」
それは薬を盛られたせいでしょ! 私はこみ上げる怒りを堪えるために唇を噛んだ。
「彼女が自殺したと聞いて俺の心は痛んだけど、あの女はほくそ笑んでいやがった、ライバルが一人減ったって、良心が欠片もない悪魔だよ、ディアンヌ・ベルモンドは」
「ディアンヌ様?!」
「驚いただろ、あの淑女の鑑が、裏では薬物の元締めなんだからな。ベルモンド公爵家は危険薬物の密売で財産を築いているんだ、公安が迂闊に手を出せないのも無理はないけど」
調査しているが証拠は掴めていないとクリスは言っていた。
「ディアンヌ嬢とブランドン・マルソーに接点があると言う報告は受けていないが」
ブランドンの声は聞こえていないものの、ディアンヌの名前を口にした私にクリスは反応した。
「用心していたのさ、俺みたいな男が学園で馴れ馴れしく近づいたらお嬢様の評判に傷がつくだろ、細心の注意を払い人目を忍んでやり取りしていた」
ブランドンがクリスの疑問に答えたので、私は通訳した。
「細心の注意を払い人目を忍んでたんですって」
「あの女は誰も信じない、取り巻き令嬢たちにも秘密だったし、俺との関係はどこを調べても出ないはずだ」
フェリシティも知らないようだったし、ほんとに注意して会っていたのね。
「俺との関係がバレて、薬の売買が明るみに出ればディアンヌはお終いだ」
ブランドンはクックックッと不気味な笑い声をあげた。
「でも気をつけろよ、あの女が捕まらない限り君はまた命を狙われる、目の敵にしているからな」
「なんでよ、あたしみたいな田舎者、ライバル視されてなかったでしょ」
「君がエブリーヌ嬢の遺体を見て卒倒した時はすぐ見舞いに行った王太子が、ディアンヌが怪我をした時は知らん顔だったから、かなり根に持っているんだ、まあ、怪我したってのも狂言だけど」
私に濡れ衣を着せようとした事件は作り話だったのね。
「アイツはどんな手を使っても王太子妃になるつもりだ、凄まじい執念だよ、王太子に気に入られている君は邪魔者でしかない」
ブランドンは私の横に立つクリスを見上げた。もちろん視線は合わない。
「文武両道全てを兼ね備えた完璧な王子、将来この国を背負って立つに相応しい逸材、おまけに俺より見栄えもいい。でも、命を賭ける価値があるのか? それほど好きなのか? それともあの女同様、王太子妃の座に執着してるのかな、まあ、もうどうでもいいけど」
王太子妃の座なんて願い下げなんだけど……。ただ、彼と一緒にいたいと思う、これって矛盾しているのかしら、クリスの隣イコール王太子妃なのだから。
「不思議だな、君と話して吐き出したら、ちょっと楽になった」
ブランドンは気怠そうに立ち上がり、大きな伸びをした。
「なんか、憎むのも恨むのもバカらしくなってきた、疲れるだけだし。復讐なんかしたって、人生やり直せるわけじゃないしな。それより、早く生まれ変わりたいよ。今度はもっとマシな人生を歩みたい」
エブリーヌ様も同じようなことを言ってたっけ。
ブランドンの身体から黒ずみは消えていた。
半透明の身体がさらに透けていく。
端正な顔もうっすら浮かべた笑みもぼやけて、やがてキラキラと輝いたかと思うと、次の瞬間には消えていた。
悪霊になることなく成仏したようだ。
悪事を働いた彼だが、最期は安らかな気持ちで逝ったようだし、天国に迎えられていればいいけど。
「逝ったのか?」
雰囲気を察したクリスは供えられた花束を見下ろした。
「ええ、案外安らかに」
「君が花を手向けてあげたからじゃないか」
「そうだといいけど」
酷いことをされたけど、彼を恨む気持ちは消えていた。
「ディアンヌ嬢か」
「ええ、あまり驚いていないようね」
「ベルモンド公爵家が絡んでいることは公安も掴んでいるし、それに、彼女が僕に執着しているのは気付いていた」
クリスはおぞましいものを見るように顔を歪めた。
「いつも獲物を狙う肉食獣のような目で見られて悪寒が走っているよ」
「そうなんだ、人は見かけによらないのね」
「ともあれ、敵の正体はわかった、でも三大公爵家の闇に切り込むには、確実な証拠が必要だ」
「ゴーストの証言ではどうしょうもないのよね」
「いいや、良い情報をもらったよ、取引は学園内で行われているんだろ、ブランドン亡き後、他の下僕を物色するはずだ、すでに第二のブランドンがいかるも知れないし」
「また犠牲者が出るのね」
「そうならないよう影に張り付かせる。ディアンヌを押さえることが出来れば、ベルモンド公爵家に切り込むきっかけになる」
「立派な公爵家だと思っていたのに」
「安全を考えて君にはこのまま王宮で過ごしてもらう、警備も厳重にする、学園にはここから僕と一緒に通えばいい」
「そんなことをすれば、大騒ぎになるわ」
「大丈夫だよ、そうすれば君の不名誉な噂も払拭されるだろうし」
「不名誉な噂って?」
またとんでもない噂が学園に流布しているのね。