その11
ゴーストが見えること、話が出来ることをクリスが知っている。
なんで? なんで?
頭の中がその言葉で埋め尽くされる。
リジェ兄様も知らないはず、この特殊な能力を知っているのは亡くなった母だけのはずなのに。
驚きのあまり、ポカンと口を開けたまま当惑している私を見て、クリスは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「初めて会った時、君がゴーストと話をしているのを見たからだよ、もちろん僕には見えないから、一人で喋ってる変な子だと思ったけど」
「初めて会った時って八年前よね、そんなところを見られてたなんて……」
注意していたはずなのに不覚をとった。
「違うよ、もっと前、君がまだ三歳の頃だよ、覚えていないか? 王宮に来たこと」
王都に来たのはデビュタントが初めてだと思っていたが、そんな幼い頃にも来たことがあったのかしら?
「君は迷子になって一人で廊下を歩いていた。でも、一人じゃなくて僕の侍女のゴーストに付き添われていたんだ」
まったく覚えていない。
「なぜ、その人だとわかったの? クリスには見えてないんでしょ?」
「初対面なのに僕の名前を知っていた。なぜ知ってるの?って聞いたら、このお姉さんに教えてもらったって宙を見たんだ。僕には何も見えないところを、君はそこに誰かいるかのように笑顔で話をしていた」
うわーっ、きっと変な奴だと思っただろうな。
「ニンジンが嫌いなこと、虫が苦手なことも聞いていて、〝男のくせに弱虫なのね〟って笑った。もちろん今は二つとも克服してるよ。当時は無垢な少年だったからね、ありえない心霊現象をすんなり受け入れられたんだよ」
クリスはフッと目を伏せた。長いまつ毛の影が頬に落ちた。
「その侍女は僕の毒見で亡くなったんだ。危険な仕事をしてもらっていたのに、僕は我儘で、前日も、〝お前なんか大嫌いだ!〟って暴言を吐いたんだ。なにが気に入らなかったのか覚えていない程些細なことだったのに……それが彼女との最期の会話になった」
クリスは私の髪に手を伸ばし、毛先をいじりながら、
「本当は大好きだよって言いたかった。我儘ばかり言ってゴメンねって謝りたかったんだ。君を介して話が出来たお陰でそれが叶った。彼女はちっとも怒ってないって言ってくれた、それを教えてもらって心が救われたんだよ」
覚えてないけど役に立てたんだ。
「その時僕は、後悔するような暴言は二度と吐かないって誓った、よく考えてから言葉にしようって」
私と一歳しか違わないのに、よく覚えているものだわ。そして、そんな幼い頃に、自分を省みて言動を正そうと決意するなんて、やはり只者ではない。
「捜しに来た君の母上は、僕の様子から察して、口に人差し指をあてながらウインクしたんだ、内緒よって」
そんなことがあったなんて、まったく記憶にないのが悔しい。
「君が初めてだと思っている八年前は、僕にとっては恩人との再会だった。ゴーストのことは一切口にしなくなっていたけど、知ってるよ、今でも君は時々誰もいないはずのところを見つめている。ああ、見えているんだ、そこに誰かのゴーストがいるんだって」
「そんなところを見られてたなんて、恥ずかしいわ」
「本来活発な君が、あまり邸から出ずに引きこもりがちだったのは、ゴーストに出くわさないようにするためなんだろ」
母が亡くなった今、誰も知らないはず私の秘密を、クリスが知っていたことは少し嬉しかったが。
「ええ、母が生きている時はそうやって私を護ってくれていたの、ゴーストが見えるなんて、気味が悪いでしょ」
「いいや、一つの特技だと思う。そう言うのもひっくるめてドリスメイと言う女性だろ。でも、まあ、あまり他の人には言わないほうがいいかも知れないな、みんなが僕みたいに理解あるとは思えないし、君のお母上は正解だったよ」
目頭が熱くなった。そんな風に肯定してもらえるなんて思いもよらなかったから。クリスの心の広さに感謝した。
「ファビアンにも会ったんだね」
「ええ、あなたの部屋を訪ねた時、一緒にいたわ、あなたの無事な顔を見て心から喜んでらしたわ」
「じゃあ、あの時、君が言ってくれた言葉は、ファビアンの言葉だったんだね」
「そうよ」
「僕はまた、君に救われたんだ」
「私はただ伝えただけよ」
その時、大事なことを思い出した。今なら問題なく話せる。
「実は彼に頼まれていたことがあるの、ファビアン様は犯人の顔に見覚えがあったから殿下に伝えてほしいと言われてたのよ」
「犯人の顔を!」
「ええ、ベルモンド公爵家の従者だったと」
意外にもクリスはあまり驚かず冷静だった。
「やはりな、あの時探っていたのは、ベルモンド公爵領だったからね。領内でオピュームが栽培されていないか調べに行ったんだけど見つけられなかった。その動向が漏れたんだろう。でも、ゴーストの証言ではどうにもならない。それにもう遅いだろうな、そいつは僕の暗殺に失敗した、とっくに始末されているはずだ」
「そんな危険な人たちを相手にしているの?」
それは王太子の仕事なのだろうか? 治安警察に任せられなかったのだろうか? でも私が口出しすることではない。
「こんな危険に君まで巻き込んでしまって、申し訳ない」
「私が襲われたのはクリスのせいじゃないわ」
「いいや、俺の責任だ、君を領地から呼んだのは僕なんだから」
「えっ?」
「この前の答えだよ、王命の真相」
「あ、リジェ兄様が口を滑らせた」
「僕が我儘を言った、君を王立学園に入学させてほしいと父上に頼んだんだ。王命では君の父上も無下に断れなかった」
「なぜ?」
「なぜって……わからないのか?」
「あ……そうか」
前に言ってたわよね、一国に匹敵するくらい強力な軍事力を持つイーストウッド辺境伯家と、婚姻で友好な関係を築きたいと思っているのは王家のほうだと。わかってる、貴族の娘に生まれたからには政略結婚も覚悟している。
「言い方が悪かったようだね、僕は」
クリスは続けてなにか言おうとしたが、
「お願いがあるの」
それ以上、この話を聞きたくなかった私は遮った。
「学園内に、友達になったゴーストがいるんだけど、彼女、私が襲われるところを見ていたから心配してると思うの」
名前は言えなかった。フェリシティの存在はクリスにとって複雑な心情があるだろう、父王が母親である王妃様を差し置いて、いまだに愛している女性なのだから。
「だから私の無事を伝えてほしいの」
「ゴーストに? 見えない僕がどうやって」
クリスには見えなくても、フェリシティにはなにもかもが見える。
私はメモを託した。
『私は無事だから心配しないで。ドリスメイより』
王妃の花園に置いてほしいと頼んだ。
きっと見つけてくれるはずだ。