かげつき
とある国の、とある市場。
そこには多数の人が集まって賑わいを見せていた。
石畳の上で自慢の品を広げる商人や、道行く人を呼び込む酒場の看板娘、琴をかき鳴らし唄う吟遊詩人や、鎧を着込み、剣を携えた冒険者……。
そんな人々の波を掻き分けながら、道を歩く青年が一人。
暗い青色のローブをまとい、大きめのフードを深く被った彼は、落ち着かない様子でまわりをきょろきょろ見回しながら歩いていた。
行き交う人々とすれ違う時、誰かの肩がぶつかる。
その拍子に、彼の被っていたフードがぱさりと外れてしまう。
「あっ!!」
思わず大きな声を上げてしまってから、しまった、と彼は思った。
まわりの視線が彼に集まっていき、その視線は徐々に、露わになってしまった白い髪と、頭の上の赤い角に移っていく。
「……ねえ、あれ」
「《影付き》……?」
「やだ、こんな所に?」
「気味が悪い」
「早くどこかへ行ってしまわないかしら」
ひそひそと話す声は、やがて大きなざわめきになり、その中心の彼はフードを被り直すのも忘れ、厳しい表情で俯いた。
その人の輪を分け入って、近づく人物が一人。
「ほら」
ぽすん、と、俯く青年の頭に何かが乗せられ、視界に影が落ちる。
彼が顔を上げてフードを被せてくれた人物を見ると、ほっとした安堵の表情を浮かべた。
「ヤヌ」
「待たせたな。さっさと行くぞ。ヴァティル」
ヤヌと呼ばれた女性はぶっきらぼうに言うと、乱暴にヴァティルの腕を引いた。
その拍子に身につけていた鎧に鞘が当たり、かちゃりと音を立てる。
「あの人、寄生されてるのかしら」
「かわいそう……」
「あいつの人生、もう終わってるな」
人々の声の標的が、ヤヌに変わる。
その瞬間、
ヴァティルの激しい感情がヤヌへと伝わった。
それは、人々に対する明確な怒りや、言い様の無い悔しさ、そして――殺意。
「ヴァル、行こう」
立ち止まり、人々を睨み付ける彼の腕を強く引き、足早にその場から離れた。
◇
《影付き》。
それは人なのか、それとも魔物なのかすらも分からない存在だった。
姿形も人間のそれとほぼ変わらず、違うのは髪が真っ白な事と、二本の真っ赤な角が頭のどこかに生えている事。
彼らは一人の人間に取り憑いて、まるでその人間の影のように後をついてまわる。
そして、取り憑かれた人間は、いつの間にか彼らと感情を共有できるようになるとされる。
――あの市場を離れた後も、ヴァティルにはもやもやとした感情がずっとついて回っていた。
それはヤヌにもひしひしと伝わっており、思わず彼女は足を止めてため息を漏らす。
「おい、ヴァル……前にも言っただろ。あんなの耳に入れるな。気にせずしゃんとして居れば、どうってことない」
ヤヌがそう言うと、ヴァティルはしゅんと項垂れる。
「……分かってるけど、でも」
「でも、なんだ?」
「ヤヌも噂されてた……僕のせいで」
「私は別に気にしていない」
「僕は仕方ないんだ。影付きだから……でも、ヤヌは優しくて良い人。なのに、何も知らない奴らにあんな風に言われるの……凄く、イヤ」
向けられる真っ直ぐな瞳とその感情に、ヤヌは思わず絶句する。
「……この風貌だから、ああいうのは慣れてる」
ため息を付きながら、自らの鎧を指した。
頑丈な鉄の鎧と、腰に携えられた剣。
どちらも彼女とヴァティルの命を守ってきたものだが、女性が剣を持って前に立つことはあまり無く、一部では野蛮であると批判する者すらいた。
「それも言うヤツの方がおかしいよ。ヤヌ、強くてかっこよくてかわいいのに」
「いいから行くぞ!」
「……はーい。あっ、それ、持つよ」
ヴァルがヤヌの荷物に手をかける。
しかし、ヤヌはその手をすっと躱した。
「構わない」
「ご飯とか補充したばっかりで重いでしょ?」
「鍛練にもなる」
「たまには女の子扱いさせて」
「……」
不機嫌そうに眉をひそめ、ヤヌが荷物を地面に下ろす。
すると、すぐさまそれをヴァティルが嬉しそうに持ち上げた。
「さっきね、カノジョの荷物を率先して持つのは出来るカレシだーって、女の子達が話してたの、聞いたんだ」
「誰がカノジョだ」
ヴァティルの足がぴたりと止まる。
「違うの?」
「…………さっさと行くぞ」
「ヤヌ、今ちょっと喜んだよね?」
「喜んでない」
「ウソだ。伝わってきたもん」
「~~っ! 喜んでない! さっさと行くぞ!」
「僕にウソはつけないよ?」
「い! く! ぞ!」
「はーい」
◇
「ねぇヤヌ。これからどこに行くんだっけ?」
「ここの森を抜けた先だ。今度こそ噂が本当なら良いんだが」
「もしかして……影付きを差別しない街?」
「ああ」
二人は、鬱蒼と茂る暗い森の入口に立つ。
いかにも何かが出そうな気配が漂っているが、実際は暗いだけで、何も危険性の無い森だ。
「無理だよ。そんな場所、ないよ」
「いいや、きっとある」
「さっきのとこだって……差別は無いって言われてたのに」
市場での出来事を思い出したのか、ヴァティルはしゅんとうなだれる。
「辛気臭い感情を流すな。今度もダメならまた次だ」
「……ヤヌは、強いね。僕はダメかも」
ヤヌはため息を吐くと、袋から小さな木の実を2つ取り出した。
「これ、好きだろ。食べるか?」
「……! うん!」
ヴァティルが嬉しそうに木の実を受け取った。
その実は甘く、どんな土地でも育ち、暖かい時期には目の覚めるような赤い花を咲かせる。
色々な場所で栽培されており、入手も容易だが……実のほとんどを占める大きな種が唯一の欠点だった。
「これ、美味しいけど……種が邪魔だよね」
「そうだな」
二人は種をくりぬき、道端に捨てる。
そこに、ヴァティルが簡単に土をかぶせた。
「何してるんだ?」
「これ、上手くいけばここでも育つのかなーって」
「さあな。ともかく、夜になる前に行くぞ」
「うん」
二人は森の奥へと入り込んでいった。
◇
「おお、もしかして貴方は……」
「影付き様!?」
「影付き様だ! 久しぶりの影付き様だ!!」
その街に入ってからと言うもの、どこへ行っても歓声が上がり、ヴァティルはすぐに取り囲まれる。
ヴァティルは歩く度に街の人にもみくちゃにされ、時折その人の波にヤヌが流されていった。
たまらず二人は宿に駆けこんだ。
部屋にたどり着き荷物を下ろすと、二人は同時に盛大な溜め息を吐く。
「確かに、嫌な気分にはされないな」
「……僕、これもある意味差別だと思う」
「まあな」
やっと一息つける……と思った矢先、部屋の扉がコンコン、と控えめにノックされる。
「なんだ?」
「影付き様。お休みの所すみません。我が街の当主様が、貴方にお会いしたいと……」
二人は顔を見合わせた後、声を揃えて言った。
「「お断りします!」」
◇
翌日。
朝日が射す中、食事を調達しようと、二人は宿を出た。
「昨日の今日だ。ヴァル、フード被っとけよ」
「……あんまり意味無いような気もするけど」
ヴァティルがフードを深めに被るも、既に二人には、いくつもの視線が注がれている。
しかし、その中に昨日は感じなかった視線があった。
それは、ヤヌに対してだ。
昨日は全く気にされなかった筈が、今日になっていくつもの視線を感じるようになっていた。
「……?」
違和感に眉をひそめながらも、ヤヌはヴァティルと共に市場へと向かう。
その途中、一人の女がヤヌの後ろから駆け寄ってくる。
その手に……銀色に光るナイフを持って。
「ヤヌ!!」
ヴァティルの声に反応し、ヤヌが身を翻し、迫る凶刃を寸でのところでかわした。
そのままヤヌは鞘に入れたままの剣を振るって女性を殴りつけ、昏倒させる。
持っていたナイフが地面に落ち、軽い音を立てた。
「ヤヌ!! 大丈夫!?」
「平気だ。しかし一体何なんだ?」
「……僕が昨日のえらい人のお誘いを断ったからかな?」
「ならもっと腕の立つやつを送ってくるだろう。どうみてもただの町人だぞ?」
落ちたナイフは、調理用のものだった。
確かに刺され方によっては致命傷にはなるだろう。
しかし、鎧を纏った人間相手に最適な武器とは思えない。
「……どうにもきな臭い。必要なものを調達したら、ここを出るぞ」
「そうだね」
そうして、駆け足で必要なものを買い込み、二人が一息ついている時だった。
道ばたの壁に寄りかかるヤヌの元へ、一人の女性が駆け寄ってくる。
その手には、液体らしきものが入った瓶があった。
「影付き様のお付き様! お疲れでしょう。良かったらどうぞ」
「え、あ、ああ、ありが……」
この街での初めての親切に戸惑いながら、ヤヌが受け取ろうとしたその瓶を、ヴァティルが横から奪い取る。
「あっ!?」
「ねぇ、すんごく喉が渇いちゃってさ。これ。僕が飲んでいい?」
「か、影付き様には別のものを」
「これがいいんだ。貰うね?」
ヴァティルが口をつけようとした瞬間、女性がその瓶を叩き落とした。
ガシャン!と派手な音がして、瓶が砕け、中の液体が地面に広がっていく。
「……ねえ。なんでヤヌは良いのに、僕が飲んじゃダメなの?」
「そ、それは」
「毒だから?」
「……!」
女性が顔色を変えたその瞬間、ヴァティルが女性に掴みかかる。
そして、両手でギリギリとその首を絞め始めた。
「おい! 止めろ! ヴァティル!!」
「無理。こいつ、ヤヌを殺そうとしたんだよ。しかもこんな雑で陳腐な手でさ」
「それでも止めろ!」
ヤヌがヴァティルの腕を掴んで彼を睨むと、彼は渋々と言った形で女性を離した。
女性は地面にへたり込み、激しく咳き込む。
ヴァティルはその女性の前に立つと、上から見下しながら言った。
「ねぇ。教えてよ。何故ヤヌを狙うの? 今日、色んな人が嫌な目でヤヌを見てる。なんで?」
「……かっ、影付き様に、寵愛されている、その人間を、殺せば……次は影付き様に見初められると、言い伝えがあるのです……」
「ち、ちち、ちょう、あい!?」
予想外の言葉に目を白黒させるヤヌの耳元へ、ヴァティルがそっと口を寄せる。
「……ヤヌ、昨日の僕達……覗かれてたみたいだね?」
「!?!?」
耳元で囁かれるヴァティルの声に、ヤヌの顔がぼっと赤くなる。
「で? 僕を惚れさせて何になるの?」
「……影付き様に、見初められた者は……美しいまま、永遠に生きられると……」
「なっ!?」
「ふうん……影付きって、ここではすんごく神聖化されてるみたいだね。そんな力なんて無いのに」
そういうと、ヴァティルは再び女性の首に手をかける。
女性は「ヒッ」と声を上げるも、全く意に介さず、ヴァティルは手にぐっと力を入れた。
「ヤヌに手を出すなら、みんな死んじゃえばいい」
「ヴァティル!!!」
ヤヌが叫ぶ。そして、ありったけの怒りと軽蔑の感情を彼にぶつけた。
「いい加減にしろ!! 人を殺すなと言っているだろ!?」
「……ごめん」
ヴァティルは悲しそうな顔を見せ、女性から手を離した。
「とっとと出るぞ! こんな所、いられるか!!」
ヤヌは袋を掴むと駆け足で去っていく。
その後をヴァティルも追うが、彼は最後まで女性を睨んでいた。
◇
街を出た二人は、とぼとぼと道を歩いていく。
「色んな意味で酷い目に合ったな……」
「ごめんね、ヤヌ」
「なんでお前が謝るんだ」
「僕が影付きなばっかりに」
「そんなの気にしてない。お前は何も悪い事をしていないのに、勝手に勘違いするまわりが悪いんだ」
――ふと、ヤヌが何かに気づき、ヴァティルの頭に手を伸ばした。
「なあヴァル、お前一本だけ黒い髪があるぞ」
「変なの」と笑いながら、ヤヌはヴァティルの髪を引き抜いた。
その手にあったのは確かに黒い髪の毛であり、それを見た瞬間、さっとヴァティルの顔から血の気が引いていく。
「ヤ、ヤヌ」
「なんだ? ……あ、抜いてはダメだったか?」
「……い、いや……大丈夫。ちょっと痛かった、だけ」
「あ、ああ、すまない」
――終わりが近い。
何の事かは分からない。だが、ヴァティルの本能がそう告げる。
流れそうな涙をおさえるために、彼は唇を噛んだ。
一方、ヤヌはヴァティルから流れてくる感情に戸惑っていた。
混乱、焦燥、絶望……。
「(そんなにショックだったのか? これ……)」
黒いヴァティルの毛を手で弄ぶ。
人間で言う白髪みたいなものなのだろうか。気にさせては悪いと、ぽいと道端に投げ捨てた。
「……ヤヌ」
「なんだ?」
「僕、行きたい所があるんだ」
◇
ヴァティルが行きたがっていた場所……そこは、二人が最初に出会った場所だった。
年中花が咲き乱れる、秘密の場所。
着けたのは夜だったが、その日は満月だった。
夜でも咲き誇る白い花が月光を反射し、ほのかに光っている。
――しかし、その場所に向かうにつれて、ヴァティルの様子が明らかにおかしくなっていった。
「ヴァル?」
「……ぅ……」
「どうした? ヴァル?」
その場所に着いた途端、ヴァティルは頭を押さえて、苦しそうにうずくまる。
「おい、ヴァル! 大丈夫か!?」
「……ヤ、ヤヌ……頭、すごく、いたい……」
「あそこで休もう。立てるか?」
頭を押さえ、なおも苦しそうに呻くヴァティルを支えながら、木の根本に移動する。
ヤヌは自身が纏っていたマントを敷き、そこにヴァティルを横たわらせた。
「大丈夫か?」
「……」
ヴァティルは顔をゆがめたまま応えない。
ヤヌは持ち物袋をあさり、小さな紙包を取り出す。
「飲め。痛み止めだ」
「……苦いから、嫌」
「言ってる場合か」
そこで、ヤヌは違和感に気づいた。
彼の感情が、分からないのだ。
それは彼も同じようで、痛みに耐えながらも目を開き、こちらを探るように必死に視線を動かしている。
「……ねえ……ヤヌ、気づいてる?」
「ああ……今のお前の気持ちが分からない」
「僕もだよ……でも、その顔、心配してくれてるんだよね?」
「当たり前じゃないか」
「……はは……」
「? 何で笑っている?」
「今まで、無条件で感情を伝えあえたから、安心してた。でも、今は感情が分からなくって不安なんて思ってる……僕、人間みたい」
「何言ってるんだ。姿が少し違うだけで、元から人間じゃないか」
「……ありがとう、ヤヌ」
力無く笑うと、ヴァティルは頭を押さえる。
「ヴァル?」
彼の手の間から、からん、と、何かが落ちた。
それはずっと頭にあった筈の、あの赤い角。
「……ヴァル!? おい、ヴァル!! お前、角が」
ヴァティルは頭を押さえたまま動かない。
「…………思い、だしたんだ」
「何、を……っ!?」
ヴァティルの言葉を聞いた途端、ヤヌの頭にずきんっと激しい痛みが走る。
まるで、鋭いナイフでザクザクと刺されるような、脳を揺らす、鋭い痛み。
「あっ、か……ぁあっ!! うっ、うぁ……あああっ、あ!!!!」
あまりの激しい痛みに、ヤヌは頭を地面に打ち付ける。
泥が髪や顔中につくのにも関わらず、彼女は悶え苦しんだ。
「ヤヌ、僕らは」
「あっ、あぁぁ!!」
「僕らは、二人で一つで……」
ヤヌの頭の中を、ヴァティルの声と記憶が駆けめぐる。
ヴァルと市場を巡った事、初めて会った時の事、そして――その前の事。
ぐるぐると、風景が、痛みが、光景が、言葉が、思い出が、感情が。
すべてが絡まった糸くずのようになって、無理矢理にヤヌの頭を駆けめぐる。
その中に一瞬だけ、自分の同じようにもがき苦しむ……角の無い黒い髪をしたヴァティルの姿が映った。
「……記憶を封じ、延々と役割を入れ替えて、“初めまして”を演じ続け……そうして死から逃れ続けているだけの……哀れな、バケモノだったんだ……」
ヴァティルが涙を流した。
彼の涙が落ちる速度と同じ速度で、髪色が濃く、黒く染まっていく。
反対にヤヌの髪からは水が流れるように色素が抜け、白く染まっていく。
「あ、あぁぁああ!!!!」
ヤヌが痛みにあえぎ、背中を反らせた。
その瞬間、ヤヌの皮膚を突き抜け、血のように赤い角がはえる。
こめかみから伸びたそれは、月光を反射し怪しく輝いた。
痛みにより、ついにヤヌは意識を無くし、力無く地面に倒れこんだ。
「……死にですら、僕達を分かつ事は許さない……この関係が呪いだとしても、僕の気持ちは本当で、ずっと変わらないよ」
《影付き》となったヤヌを、《人間》になったヴァティルが抱き上げる。
「ヤヌ、好きだよ」
涙で光る目尻、血で汚れた頬、唾液に濡れた唇に……まるで宝石を撫でるかのように、優しく指を滑らせた。
「 ずっとずっと いっしょに いようね 」
ヴァティルは最後の力を振り絞って、ヤヌの額に唇を落とすと、彼女を腕に収めたままで意識を手放した。
◇
とある国の、とある市場。
そこには多数の人が集まって賑わいを見せていた。
石畳の上で、珍しい異国の品を広げる行商人や、声を上げてパンを売る街娘、街頭に立ち、伝説の勇者がいかに素晴らしいかを演説する男や、鎧を着込み、剣を携えた冒険者達……。
その人々の波を掻き分けながら、歩く少女が一人。
暗い青色のローブをまとい、大きめのフードを深く被った彼女は、落ち着かない様子でまわりをきょろきょろ見回しながら歩いていた。
そんな人々の波を掻き分けながら、道を歩く青年が一人。
暗い青色のローブをまとい、大きめのフードを深く被った彼は、落ち着かない様子でまわりをきょろきょろ見回しながら歩いていた。
行き交う人々とすれ違う時、誰かの肩が少女にぶつかった。
その拍子に、彼女の被っていたフードがぱさりと外れてしまう。
「あっ!!」
思わず大きな声を上げてしまってから、しまった、と彼女は思った。
まわりの視線が彼女に集まっていき、その視線は徐々に、露わになってしまった白い髪と、頭の上の赤い角に移っていく。
「……ねえ、あれ」
「《影付き》……?」
「うわ、こんな所に?」
「気味が悪いわ」
「とっととどこかへ行けばいいのに」
ひそひそと話す声は、やがて大きなざわめきになり、その中心の少女はフードを被り直すのも忘れ、厳しい表情で俯いた。
その人の輪を分け入って、近づく人物が一人。
「ほら」
ぽすん、と、俯く少女の頭に何かが乗せられ、視界に影が落ちる。
少女が顔を上げてフードを被せてくれた人物を見ると、ほっとした安堵の表情を浮かべた。
「ヴァティル」
「待たせたね。さっさと行こう、ヤヌ」
ヴァティルと呼ばれた青年はそう言うと、ヤヌの手を引いた。
その拍子に、身につけていた鎧に鞘が当たり、かちゃりと音を立てる。
「……あの人が寄生されてるのか」
「かわいそうに」
「あんなに若いのになあ。人生、終わっちゃってるね」
人々の声の標的が、ヴァティルに変わる。
その瞬間、ヤヌの激しい感情がヴァティルへと伝わった。
それは、人々に対する明確な怒りや、言い様の無い悔しさ、そして――殺意。
「ヤヌ、行くよ」
立ち止まり、俯く彼女の手を強く引き、足早にその場から離れた。
「これからどこにいくの?」
「僕らが安心して暮らせる場所」
「そんなとこ、ありっこないよ」
「分からないよ? 世界は広いから」
「だって、今のとこだって差別されないって聞いたから来たのに……」
「まあねー。ガセを掴まされたね」
荷物の入った袋を肩に掛けなおすと、ヴァティルはヤヌの手を握り直す。
「でもね、きっとどこかにあるよ。見つけたら、そこで平和にずっと一緒に暮らそう、ヤヌ」
「……うん」
二人は、鬱蒼と茂る暗い森の入口に立つ。
いかにも何かが出そうな気配が漂っているが、実際は暗いだけで、何も危険性は無い森だった。
「今度はこの森抜けた先にある街に向かおう。さっきはただの差別をしない所ってだけだったけど、こっちはちゃんと、『影付きを差別しない街』なんだってさ」
「本当かな……」
「きっと本当だよ。ねえ、元気出してよ。ほらこれ、好きでしょ?」
ヴァティルの取り出した紙袋を見て、ヤヌが目を輝かせる。
「これ……! 売ってたんだ!?」
「うん。珍しいよね。食べてていいよ」
ヤヌが嬉しそうに紙袋を受けると、中から乾燥させた木の実を一つ取り出して頬張った。
その実は甘く、どんな土地でも育ち、暖かい時期には目の覚めるような赤い花を咲かせる。
しかし、中に入っている大きな種のせいで可食部が少なく、あまり栽培されていないものだった。
「おいしい!」
「よかった。僕も嬉しいよ」
中へ入って少し歩いていくと、周りとは違う細目の木が立ち並ぶ場所に出る。
道にそって立ち並ぶその木には、赤い花が咲き乱れていた。
「わあ……!」
「すごいね。……これ、全部この実の成る木だよ」
そう言って、ヴァティルはヤヌの持つ紙袋を指す。
「また来よう。寒くなる前に来れば、木の実がいっぱい採れると思うよ」
「うん」
二人は森の中を歩いていく。
少し離れた場所に、若い木が二本、寄り添うように立っていた。
その木にも、あの赤い花が咲いていた。
「街、楽しみだね」
「……うん」
「今度こそ、二人でゆっくり暮らせると良いな」