第7話 古の祠にて
本編開始です。
引き続きよろしくお願いします。
テラデアに転移してきて僅か半日。
たった半日しか経っていないのに、イオリは猛烈な疲労感に見舞われていた。でもそれは不快なものでは無い。
カノンが死んだ日から約4年間もの時 ーーー本来なら青春を謳歌しているであろう19歳から23歳ーーー を、生ける屍のように漂って過ごしてきた。
虚しさの中で、人との関わりを避け、様々なことから興味を失い、何も思考せずに惰性だけで生きてきた……。それが、たったの半日ではあるが、グルグルと思考を巡らせ、誰かと正面から向き合い、心を込めて会話したのだ。
たったそれだけのことだが、明確に意志を持って異世界へ転移することを決断し、新天地でちゃんと人と向き合ってコミュニケーションを交わした。これはイオリにとっては大きな価値のあることだ。
イオリの心は味わったことの無い爽快感で満たされていた。
(ヴィシュはいい奴だったな……)
イオリは岩肌に背中を預け、テラデアで最初に出会った少年のことを思い出していた。
年齢は……中学生くらいに見えた。
人当たりが良く、はっきり喋る奴だった。
スムーズに木の実や果実、茸なんかも集めていたし、兎を捌く手際の良さには惚れ惚れした。
(林間学校でモテモテになるタイプ……)
……そう思って、少し笑った。
自分が中学生の頃は、何をしていただろうか? そう過去を振り返ると、祖父からプレゼントとして貰った安物のアコースティックギターに夢中になっていた頃を思い出した。
(人生初のギター……懐かしいな……)
ふと、生きるためにサバイバルをする少年と、アホみたいにニヤけてギターを弾く少年を頭の中で比較する……。
(自分はなんて恵まれていたんだろう……)
(ああ……、無性にギターが弾きたい……)
イオリは自分が好きだったものを素直に思い出すことができた。
またギターを弾ける日はくるのだろうか?
(明日、ヴィシュは約束通りに来てくれるだろうか?)
(ヴィシュのことだ、きっと来てくれるさ……)
不思議と確信めいた安心感があった。そしてもっとヴィシュと話したいと思った。
すっかり陽が落ちて、祠の中はひときわ暗くなった。
ぼんやりと光る石が、その石の周りを微かに照らしている。
そして、耳に入ってくるのは、遠くで鳴く動物の声だけ……。
普通なら、知らない場所にきて、周りに人も居らず、暗闇の中、動物の鳴き声が聴こえる……恐怖するシチュエーションである。しかし恐怖は微塵もない。『明日から新しい日々を始める』という前向きな感情に包まれていた。
(今日から日記でも書いてみようか……?)
いや、やめておこう……。今日は感情が昂っているけれど、何事も少しずつが肝心だ。そもそもここには紙もノートも無い。
そんなことを考えていたら、眠くなってきた。
眠たいな……。
そろそろ眠ろうかな……。
そうやって意志を持って眠ることも、ずいぶん久しぶりな気がする。
イオリは眠ることにした。
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翌日、イオリはまだ薄暗い時間に目を覚ました。
ウェストバッグを枕に、岩肌の地面に直接寝たので身体中が痛い。
軽いストレッチで全身を解してから祠の外へ出る。薄い光と外気が心地良い。
そして教えてもらった水場で口を濯いでから祠の上の丘に登る。
王都の方向に視線を向けると、城壁に囲まれた小高い街と、それを囲むように一段低くなっている街が見える。
街灯などは無いようで、街は薄暗い。
豊かな自然に囲まれた、城壁都市の夜明け。
海外旅行なんて行ったことは無いが、もし海外に行ったらこんな気持ちになるのだろうか?
ここ数年で、こんなにも心が揺さぶられたことは記憶に無い。
丘の上から街を見る。只それだけのことなのにイオリは感動していた。
(まずはあの王都へ行こう……)
王都から先へは、一筋の街道が遥か遠くまで延びていた。
その街道が伸びる、さらに先の地平線から、朝日が登ってくる……。
(太陽が……2つある……!!)
イオリは世紀の大発見でもしたかのような気持ちになった。誰かに自慢したくなった。早くヴィシュが来ないか? 来たら一緒に感動できる!
(はて……?)
(待てよ……)
危ないところだった…。
これはひょっとして『林檎が上から下に落ちた! 知ってるか? 林檎は上から下に落ちるんだぜ!』というのに近いのではないだろうか?
ただでさえ怪しまれている可能性が高い。『太陽が2つ出た!』……そんなことを口走ったら、ヴィシュは回れ右して走り出してしまうかもしれない。イオリのミッションに『慎重に……、それとなく……、決して怪しまれないように2つの太陽の真実を聞き出す』が加わった。
2つの太陽が地平線から離れると、辺りは一気に明るくなった。冷えていた身体も徐々に温まり、腹が減ってきた。こんなふうに食を欲するのも久しぶりだ。やはり、朝に陽の光を浴びることは重要なのかもしれない。
イオリは丘を降りて祠に入り、バッグに入っていた土産物の菓子を食べた。温泉土産のクッキーだった。おそらく温泉の薬効成分は入っていない……ただのクッキーだ。
2枚食べて、残りの4枚は保存しておく。この先何があるか分からない。当面の目標は『食料・寝床・安全』の確保、そして『情報の収集』だ。
夢の女性は『テラデアは病に冒されているのです。貴方が出来ることを行えば、その力が、きっとテラデアの助けになるはずです』と言っていた。『魔王を倒しなさい』とか『貴方は勇者です』とか、そんな分かりやすい目的が示されていたら、もっとやるべき事は明確になったのかもしれないが……、与えられたお題が広過ぎる。だからこの世界……テラデアについて知り、その中で自分ができることを探していかなければならない。
昨日ヴィシュと出会って、一緒に採集をしていて気付いたのは……、自分にはおそらく……『とんでもない魔力量だぜ……!』とか『アタクシの戦闘力は53万です…ホホホ……』みたいなことは無さそうだということ。
(まずは……生活基盤と情報基盤の確立だな。ヴィシュとの関係を大切にして、街に行くのが今日の目標だ……)
そういえば、あの女性は『貴方を逃せば、次の機会はいつ巡ってくるか分かりません』とも言っていた。他にも転移者は居るかもしれない。可能性があるのは、そこに置いてある手紙に書かれたアイザック……、そしてオーロか……。転移者じゃないとしても、何らかの情報は持っているだろう。ここにいれば会えるだろうか? しかしここで何日も生活するのは無理がある……。手紙が自分に向けて書かれているのかも確証はない。
そんなことを考えていると、入り口の方から声が聞こえた。
「イオリーー、いるかーー?」
ヴィシュの声だ。
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「お前さーー! なんて物を渡してくれたんだ!!」
ヴィシュはイオリの顔を見るや否や、呆れたような表情でそう言った。
はて? 何のことだろうか? ヴィシュに渡したのは喉飴、ベルト、光る石の3つだ。ひょっとして喉飴がお気に召さなかったのだろうか? 確かに、ヴィシュから貰った果実……プルーラ……は薄味だった。テラデア人には刺激が強かったのだろうか?
「口に合わなかったか? ごめんごめん」
「違う違う! 精霊鉱石だよ! あんな高価なもの、持ってるだけで緊張して街を歩くのもドキドキじゃねーかっ!!」
高価? 精霊鉱石? ひょっとして光る石のことだろうか?
何かしらの価値があるとは思っていたが、高価な物なのか……。
石はまだバッグに3つ残っている。ヴィシュに渡したのは黄色く光っていた石だから、残りの3つは赤、青、黄がひとつずつだ。そんなに価値があるとは……って、どれだけの価値かは分からないが……これも情報収集が必要だ。
「すまん、ヴィシュ、精霊鉱石って何だっけ……?」
「あーーーもう! そうか……、お前ってそういう奴だったよなぁ……」
ヴィシュは諦め顔で色々と教えてくれた。
曰く、
精霊鉱石は、精霊が宿った鉱石で非常に高価である。
滅多に出回る物ではないし、“名無し”ーーーつまり精霊と契約できなかった者ーーーには見分けることができない。
ヴィシュに渡した石は土の精霊鉱石で、他にも火、水、風がある。
効果も用途も様々だが、加工が難しいので特殊な技術を持った職人しか扱えない。
ヴィシュの親方は土の精霊と契約してるので、土の精霊鉱石は見分けることができる。
ただし、詳しい効果はちゃんと鑑定しないと不明。
土の精霊鉱石は、どんなに安くても大金貨4枚の価値がある。
「精霊鉱石を持っていた腕ごと切り落とされて盗まれた……なんて話もあるくらいだからな。持ってるだけで緊張するんだよ!」
(何それ怖い……)
「何にせよ、ホイホイと人に渡すようなものじゃ無いし……この石、どーするんだ? まさか……俺にくれるのか?」
ヴィシュには元々あげるつもりで渡したのだから、もちろん『いや、やっぱそれ俺のね……』なんてダサいことをするつもりは無い。
「あの石はヴィシュにあげたんだからヴィシュが使ってくれ……」
イオリはそこまで言って、ふと不安になった。
(まさか……手紙の主……アイザックやオーロの物ってことは無いよな……?)
(普通の石と混ざって床に転がっていたし……大丈夫な筈だ……)
「いや……イオリ……出会ったばかりの奴に貰うって……怖すぎるんだが……、まあ、俺は貧乏だから有難いけどさ……」
確かにヴィシュは狩猟や採集をして暮らしているくらいだから生活にゆとりが有る方では無いのかもしれない。でも、石を持ってトンズラすることだってできた筈なのに、こうして約束通り来てくれたのだ。愛すべき少年である。
「ヴィシュ、俺はご存知の通り記憶が曖昧だ。それこそ名前くらいしか覚えてない。お前の助けが必要なんだ。あの石はもうヴィシュの物だ。その代わり、俺を助けてくれないか? 取り敢えず、街で暮らしながら記憶を取り戻したいんだ……」
「いや、そりゃ別に構わないんだけどさぁ……それにしても精霊鉱石は高価すぎるんだよなぁ……」
困り顔のヴィシュに、話を続ける。
「昨日目覚めてから、ヴィシュのお陰でだいぶ助かったんだ。それに、これからも助けてもらいたい。あの石はそんなに悩まないで、ヴィシュの好きなように使ってくれ。それより、服は調達してくれたんだろ?」
そう言ってヴィシュが持っている袋に視線を送る。
「ああ、服は持ってきてやったぜ。革のベルトが思った以上に値が付いたからな!お陰で仲間と一緒に久しぶりに満腹になった」
そう言って服を渡してくれた。パンツもシャツも生成りで簡素だ。動きやすさ重視なのだろうか? 袖も股下も7部丈で仕立ててある。それにベストのようなものも付けてくれた。全部新品のようである。ベルト一本と交換したにしては豪華過ぎでは無いだろうか?
「全部くれるのか?」
「ああ、金属細工ってのは値が張るからな。しかもあのベルトの金属細工は珍しいものらしいから……その服一式と、仲間たち11人で満腹になるまで食ってもお釣りが残ってる」
そう言ってヴィシュは懐から10枚の銀貨を出して見せてくれた。
「半分はイオリが持っていてくれ。持ってないんだろ?」
「悪いな…持ってない。良いのか?」
「昨日は話を聞いて、プルーラひとつあげただけ。しかも採集まで手伝って貰ってるからな。貰い過ぎててゾワゾワするんだよ……おまけに精霊鉱石まで……」
よほど精霊鉱石が衝撃だったらしい。ヴィシュはブツブツと呟いている。大金貨4枚とはどれ程の価値なんだろう? 銀貨1枚の価値も分からない……。王都へ行ったらその辺りの知識から覚えなければならない。生活していく上で金銭感覚は重要だ。
「今日は直ぐに王都へ戻るのか?」
「ああ、罠を回収したら戻ろう。早い方が良いんだろ?」
「助かる」
「じゃあ、早速罠を回収してくる。その間に服を着替えて準備しとけよな」
そんなやり取りの後、ヴィシュは祠を出て行った。
さて、着替えるか……。イオリはヴィシュから渡された服に袖を通す。ゆったりしたつくりなのでサイズは問題ない。ヴィシュの格好から、もっとボロボロの服を渡される思っていたが、しっかりとした仕立てだ。
着替えながらも、アイザックとオーロの手紙をどうするか考えていたが、そのまま置いていくことに決めた。自分に向けて書かれている可能性は高いけれど確証は無い。それを勝手に持っていくことに抵抗があった。ただ、この祠はヴィシュが毎日通える距離だ。自分だって道さえ覚えれば来れる筈だ。なので書き置きをしてから王都へ向かえば良い。
そう考えてイオリはウェストバッグに入っていた筆記具を取り出し、オーロからの手紙に一筆追記した。
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『すぐに戻る
ここで落ち合おう
オーロ』
『了解。また戻る イオリ』
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(これで良し……)
イオリとヴィシュは祠を発って王都へ向かった。