第4話 アメダマ、革のベルト、石ころ
引き続き、よろしくお願いします。
ヴィシュは西のスラムに向けて森を降っていた。
何とも不思議な1日だった。
ずいぶん変わった奴に出会った。悪い奴では無さそうだった。むしろ少し弱そうで心配になるくらいだ。
そういえば……、少し果実を置いてきてやれば良かったか? でも、明日までなら飢えることも無いか……。顔色は悪く無かったし、怪我も無かったからな。そう思い直して再び思考の軌道を戻す。
着ている服、靴、鞄……どれも見たことも無い素材だった。それに、去り際に渡されたこれ……確かアメダマと言っていた。『疲れた時に舐める食べ物だから、包みを破って中身を食べて。ゆっくり口の中で溶かす感じで』と言って渡されたツルッとした物体……、こんな素材は見たことが無い。
まあ…食ってみるか……。
ヴィシュは見たことのない素材で出来た包みを破って中身を取り出すと、見たことも無いオレンジ色の固い球が出てきた……。一瞬、これが食い物…? と思ったが、ものすごく良い香りが漂ってきた。言われた通り、口に含んで舐め始めると、ヴィシュは目を丸くした。鮮烈な香りと強い甘み、信じられない程の幸福感が口の中に広がった……。
(なんだ…これ……! )
ヴィシュは、周りの景色へ向けていた意識を止め、思考も全て止め、口の中に全神経を集中して夢中で味わった。ずっと味わっていたい……そう思っていたのに、アメダマとやらは小さくなって消えてしまった。
(無くなっちゃった……)
再び思考を開始する。
イオリのお陰で木の実や果実、茸は収穫できたが、獣は野兎1羽だけ……。いつもなら仲間たちに文句の2〜3は言われるところだ。でも今日はイオリから預かったベルトが有る。
留め具はしっかりした作りだし、貴重な金具を使っている。ここガルディアでは留め具は木製か、高級品でも獣の骨だ。革も丈夫そうだ。安く叩かれても服代を引いて銀貨2枚は手元に残るだろう。それだけ有れば市場でまともな食い物がたくさん買える。問題は…ご機嫌取り用の食材にするか、閑猟期に備えた堅実な食材にするか…だ。
そんなことを考えながら歩いていたら、あっという間にスラムが見えてきた。まずはイオリの革ベルトを売るか、服と交換するかしなければならない。ヴィシュはフーラ工房のフーラ親方を訪ねた。
フーラ工房は木工細工の工房で、手先の器用なヴィシュに仕事を斡旋してくれている。革製品は扱っていないが、親方は付き合いが広いので良い取引先を紹介してもらう算段だ。一見さんで詳しくもない品物を持ち込んでも、騙されて安く買い叩かれるのがオチだ。まずは親方に品物を見てもらって、売り込み先に口利きしてもらうのが得策だ。
親方は“名持ち”にも関わらずスラムで工房を営む変わり者だ。元は兵士だったが、アムトリアとの戦争で足を怪我してからスラムで工房をやるようになったらしい。フーラ工房は、親方の兵士時代の伝手で軍からも仕事がくるのでいつも忙しい。親方は手先の器用な者を探しては仕事を振ってくれるからスラムの住人に頼りにされている。スラムの顔役の1人だ。
「フーラ親方ー! いるかー? 」
親方 フーラ=ガルダード は工房の奥から出てくるとヴィシュを見て眉毛だけ動かして不思議そうな顔をする。左の頬に褐色の精霊紋、右の頬には刀疵、歴戦の強者といった風貌だ。
「何だヴィシュかい。お前の仕事は明後日からだったろう?」
「親方、忙しいところゴメン! ちょっと見てもらいたいものが有るんだ。これをお金に変えたいんだけど」
そう言って親方に革ベルトを渡した。
親方は革ベルトを受け取ると、革の品質、留め具の細工、使われている素材…と真剣な目で隅々までチェックしていく。そしてどんどん難しい顔になっていく。
「ヴィシュ、お前さんこれを何処で手に入れた? この辺の職人に作れるもんじゃねえ。まさか悪事に手を出しちゃいねえな?」
「うげっ! やっぱりおかしな物だったのか? 悪いことは誓ってしてない! 知り合いから換金したいと頼まれたんだ」
「おかしな物っていうか、こりゃどうやって作ったか検討がつかん。革の部分は革職人なら作れるもんだ。だが何の革かは分からん。それより、この金具を作れる奴はここらにゃ居ないだろうな。金属細工が細か過ぎる。兵士時代もここまでの品は見たことがねえ。騒ぎにならんように、あんまり多くの職人に見せるもんじゃねえかもな……」
そう言って親方は難しい顔をして続けた。
「一旦ウチで預かってやる。お前さんには取り敢えず銀貨15枚を渡しとく。もっと価値のある物だと分かったらその時上乗せして渡してやる。もしそれより価値が低くても俺は文句は言わん……どうだ?」
ヴィシュは思っていたより大事になってきたことに内心焦りながら、コクコクと首を縦に振った。スラムでトラブルに巻き込まれれば、簡単に命が奪われる。それに親方は信用できるからだ。
怖くなってきたヴィシュは、もう1つ預かっている物が有るのを思い出した。『きっと価値がある物だと思う』そう言って渡された石ころだ…。何かも分からずに持っていることが恐ろしく感じて、ヴィシュは親方に見てもらおうと、袋から石ころを取り出し、親方に手渡した。
「親方……、これも見てもらいたいんだ……。価値が有るのかな……」
「ちょっと待て! こっちに来い! 」
ヴィシュは親方に引き摺られるように工房の奥に連れて行かれた。
親方は周りの人に聞かれない小声で、でも凄みのある声色で言った。
「馬鹿野郎! こりゃ土の精霊鉱石だ! 見せびらかすように持ってたら、あっという間に盗まれるか、運が悪けりゃ殺されて奪われちまうぞ! ここらにゃ“名持ち”は居ないから分からんだろうが、“名持ち”が自分と同じ眷族の鉱石を見たら光って見えるから直ぐに分かる。南のスラムだったら野良の“名持ち”に見つかって腕ごと切り落とされてもおかしくねぇぞ!」
精霊鉱石とは、その名の通り精霊の宿った鉱石で滅多に出回る物ではない。宿った精霊によって様々な効果を発揮するので高級武具や便利な道具に加工される。加工が難しいのが難点だが、土の精霊鉱石なら土中に埋めることで、その精霊に適合した作物を育てることが出来るものも有る。
「お前さん、本当に悪さはしてねえんだな? 知り合いってのは信用出来るのか? 流石にコイツは預かれねえ。土の精霊鉱石はどんなに安くても大金貨4枚の価値がある。いま工房に置いてる金じゃ足らん。それに本当の価値を調べるには城市か商人エリアの鑑定所に行かねえと分からん……」
そう言って心配そうにする親方は、決して他の人に精霊鉱石を見せないよう忠告して、最後には『何かヤバい事態になったら工房に駆け込むんだぞ!』と言ってくれた。ヴィシュはひたすら頷き、悪さは決してしていないし今後もしないと誓い、工房を出た。
(イオリ〜! なんて物を渡してくれたんだ……あんたは一体何者なんだよ……)
ヴィシュは背を丸めてコソコソと歩いた。そして親方に教えてもらった服屋に寄り、銀貨3枚でちょっと良い服を買った。次に市場へ向かい銀貨2枚で買えるだけ食料を買い込んだ。
手元にはまだ銀貨が10枚も残っていた……。
この連休であと1〜2話はアップしたいです。