第1話 黄昏の精霊郷
精霊郷テラデア。そこは精霊の力に満ちた平穏な世界だった。
連なる2つの恒星が照らす豊かな大地と発達した精霊科学が調和し、多くの産業が育つ。
飢えることはなく、争いも少ない。人々は活気に満ちている。
人は精霊に敬意を持って寄り添い、精霊は人を愛し、エネルギーに貧することも無く、誰もが明るい未来を信じていた。
それは遠い昔の話。
テラデアを窮地に追いやった悪夢のような 〜大厄災〜
その忌まわしい出来事を境にして、多くの精霊は深い眠りにつき、沈黙した。
4大精霊神も、光の精霊神も、時の精霊神も消え、神話と信仰として形骸的に残った。
そして輝かしい時代のことなど、記録にも残らないほどの時が経った。姿を消した精霊とともに、精霊に支えられていた科学も、産業も、文明も姿を消した。人々は貧しくなった。
少ない富を求めて終わることのない争いを繰り返す……。
僅かに残っていた精霊と契約した『選民』と、契約できなかった被支配者層である『下民』が暮らす世界。
選民と下民の間には超えることのできない非情な能力の差が聳え、埋めることのできない溝が刻まれた。
もう、明るい未来を信じる者はいない……。
精霊郷テラデアは黄昏時を迎えていた。
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ここはテラデアの西端にある国、ガルディア。
テラデアにはただ1つだけの大陸があり、その中に11の国家が犇めいている。ガルディアはその最も西の果てにある辺境国だ。
海に向かって西に突き出す半島に位置し、その海岸線は、どこも切り立った断崖で海の恩恵は少ない。国土は東側に接する2カ国に向けて、なだらかに高度を下げていく。
かつて4大精霊神の1柱である土の精霊神ガルと関わりが深かった歴史ある国。だが、今は辺境の貧国として鬱屈した空気に包まれている。
圧政を敷く王がいないだけ他国と比べてマシだが、隣接するアムカリアとの戦争が続き、国民は疲弊している。
神話時代、土の精霊の恩恵が大きかった名残なのか、建物や都市のインフラは石造りで強固なものが多い……が、それは選民が住む地区に限ったことである。
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ガルディアの王都の中心部には、強固な城壁に守られた王宮を中心とした選民街区と、選民に仕える従者や都市機能に関わる下民が住む都市居住区、軍の中枢と兵舎や練兵場がある軍地区の3つの区画がある。その3つの区画をぐるっと環状の城壁で囲ったエリアが城市である。
そして、城市の外には東側へ延びる街道と、街道に張り付くようにして商人が集まる商人エリアが広がる。
しかし……、城市への立ち入りが許されず、商人エリアに住むこともできない下民中の下民は、王都周辺にスラム街を形成して暮らしている。
いたる国家間で戦争が続くテラデアには孤児も多く、どこの国も、どの街でも、そこそこの規模のスラムを抱えている。
ガルディア王都の周囲には大きく分けて3つのスラム街がある。
商人の手伝いや日銭商いを営む者が集まる北のスラム。
傭兵崩れや日陰者が多くドヤ街の様相を呈する南のスラム。
狩猟採集と城市内部からのおこぼれで食い繋ぐ最貧の西スラムだ。
いずれのスラムも全くの無法地帯という訳では無いが、最低限の官吏による杜撰な統治の下で、抜け出すことの出来ない迷路のような社会を形成していた。
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早朝、少年ヴィシュは冷たくなったスープを飲み干し、西スラムの根城を発って森へ向かっていた。
西のスラムからさらに西には、広大な森林が拡がっている。そして西スラムの住人にとってそこは、天然の食料庫だ。
ヴィシュは、3日間をその森で狩猟採集して過ごし、次の3日間を工房で働く。そんな生活サイクルを送っている。
ヴィシュは手先が器用なので、手工芸の工房の親方に目をかけてもらっているのだ。
西スラムの中ではまともな食い扶持を確保できている方だが、それでも1人だけで暮らしていけるほどスラムの生活は甘くない。8歳から16歳の孤児仲間10人と、70歳を超える爺さんと、総勢11人で生活共同体を作って暮らしている。
一昨日、いつも仕事を世話してくれているフーラ工房に頼まれていた木工細工を納品した。だから明日までは森での狩猟採集期間だ。
森では自分と仲間の分の食料を確保しなくてはならない。さらに手工芸で使う繊維や木材、硬い殻を持つ蟲なども集めるので大仕事になる。高く売れる矢と鏃の材料もついでに探す。
ヴィシュの狩猟採集の成績は仲間の中でも良い方だ。手先の器用さを活かして自作のスリングショットを作り、小動物を狩る。その腕前は……仲間内ではイマイチだが、罠を使った狩猟が上手かった。昨日は碌に獲物が獲れなかったが、今日は昨日仕掛けた罠の回収があるので期待ができる。
森に入って半刻ほど獣道を進むと、ヴィシュの狩り場がある。何の精霊を祀っているかも忘れられた、古の祠の周辺がヴィシュの狩り場だ。
400㎏を超えるような大型獣は居ないが、居たところで14歳のヴィシュでは狩ることは出来ない。この辺りは実をつける樹が多く、草食性の野兎や狐などの小型の獣が集まって来る。
(上手く罠にかかってくれていれば良いけど…、今季は獲物が少ないからな…。傭兵崩れが大型獣を狙っていたが「ここ最近はからっきし……獲物が全くいない」とボヤいていたから、今日の狩りはどうなることやら……)
あと30日も経てば閑猟期に入ってしまう。獣たちはさらに奥地の山間部へと移動し、スラムから行ける範囲では碌な獲物が獲れなくなる。その前にスラム周辺で活発に餌を探している獲物を、閑猟期を越せる分まで確保しなくてはならない。食料の確保に失敗すれば餓死することも珍しくはない。
穀物や芋類の分け前が無いスラムの住人にとって、不猟は死に直結する……。
10日程前から閑猟期前の集中的な狩猟期間に入ったが、今季は稀に見る不猟が続いている。スラム全体に不安な空気が漂い、狩猟に出る者は緊張感に包まれている。
ヴィシュは仕掛けておいた5つの罠を順に回って肩を落とした。いつもなら2〜4の罠には獲物がかかっているところだが、この日は小ぶりな野兎が1羽だけ。午後にはスリングショットで鳥を狙う予定だが期待は薄い。木の実やキノコを採っていくしか無かった。
(バックやバールが獲物を獲ってくれてれば良いが……、流石に野兎1羽じゃ飢えちまうからな…。バールが獲ってくるのは生臭いうえに食べるところが少ない蛙ばかりだけど……無いよりはだいぶマシだ……)
ヴィシュは別の狩り場へ向かった仲間の成果を期待しつつ、明日に向けて罠の位置を調整しがてら幾つかの果実を摘んでいく。少しは腹の足しにしないと午後の狩猟採集に差し支える。そして罠の近くの小さな湧き水で摘んだばかりの果実を洗ってから水筒に水を補充する。ここは狩りの時にいつも利用している水場だ。
この水場で、さっき罠から回収した野兎の血抜きを済ませ、休憩に使っている祠に向かう。
閑猟期が近いのに、まだまだ暑い。2つの陽が射すテラデアでは猟期の正午は倒れる程の暑さになる。
古の祠は、森の中に開けた広場の小丘の地下にある。
遠目には只の小丘にしか見えないが、入り口は岩盤に支えられ中は意外と広い。
内壁は粗く削り取ったような岩肌で、ところどころ苔生して冷んやりと心地良い。いつから有るのかは誰も知らないし、祀っている精霊は不明だが、偉大なる賢者アイザックが訪れたと言われている由緒ある祠らしい。しかし30年ほど前にアイザックが他国へ流れてしまってからは訪れる者は殆どいない。
フゥー……、っと溜息とも深呼吸ともとれる息を吐き祠の内壁に背を預けようとした時、いつも静寂であるはずの祠の奥に何者かの息遣いを感じた。
「誰かいるのか!?」
ヴィシュは警戒しつつ、祠の石碑の奥にある違和感に向けて問いかけた。
本気で頑張ってみます。
どうぞよろしくお願いします。