29 最終決戦Ⅲ
────強化兵とは、深淵魔力により心身共に変質させられた、謂わば戦いのためだけの獣。特に、今回ステラが生産していた強化兵は変質度が大きく中にはステラを味方であると認識出来ない個体も居る。故に、彼は空中から静観していた。その目に映るのは、圧勝する筈が何故か拮抗している戦線の様子である。
体が黒く変色し、姿形も人間のそれから大きく外れた強化兵の波を最前線で抑えるのは。
「…素晴らしい。元より体術は驚異的だったが、今やもう一級品だ。強いて言うなら…その体。まだ、イメージに追いついていないな?乖離が見えるぞ」
ノインの顕熱駆体は、攻守ともに高い次元でバランスの取れた万能の技。彼は習得したばかりのそれを十分発揮していると言えよう。しかし、それを戦闘の中で活かすとなると話は変わってくるのだ。それを見抜いたジェネラルは、敵を捌きつつノインに助言を与える。
「もっと、場を広く使え。それに脚と肩に力が入り過ぎだ。動作と動作を意識し過ぎてぶつ切りになっている。」
「…簡単に言ってくれる…。」
「バニング、お前は相変わらず物言いがややこしいぞ。ノインにはもっと抽象的な言い方の方が向いているんだ。良いか、手足の動きを一繋ぎの線だと思え。絶やすな。それと、バニングの話は聞かんで良い。」
場を広く。そして、ひと繋ぎの線。二つの助言を意識して、二人の動きを目で追った。ハロルドはノインを大きく上回る膂力を持ちながらも、流れる水の様に力を余す事なく使っている。ジェネラルは出力で見劣りする分、敵の体や地形も己の動きを拡張する材として利用していた。そこで、ふと気づく。攻撃、回避・ポジショニングの動作が両者共に一致している。回避が攻撃に繋がり、一人を沈めたかと思えばもう既に次の敵に向けて動き始めていた。強敵との一対一という状況が多かったノインにとって、対複数の戦闘は不慣れ。状況・能力の両方がノインにとっては未成熟な分野であり、しかしこれを克服しなければこの戦いを制する事は不可能だと言える。早くも拮抗状態が崩れつつあるからだ。
(さっきの二の舞にならない様に…デウスを簡易召喚で出してる…けど…。)
「無理をするな。断続的でも十分場は荒らせるんだ、一度休め」
一際大きいデウスはステラの魔力球の餌食となる。完全召喚であれば持続力という点で申し分ないが、デウスが戦闘不能に追い込まれた時のリスクが大きい。最も狙われやすいデウスだからこそ、簡易召喚で顕現させるのが最も効率の良い運用方法────なのだが。ブラストンとレジーナの助力を得て魔力供給を行なっても、大元であるミコナの激しい疲労まではどうする事も出来ない。よって、限界の一歩手前でデウスを引っ込めるのだが、その度に前線が押されて行った。数度目の休息、ミコナは暫く動けないと判断したレジーナは代わりに戦線に出る事を決意する。
「敵が強化兵ならば、このフレームの真価を発揮できる。休憩がてらそこで見ておくと良い。」
レジーナが回路接続によりヴァルキリーフレームに新たな信号を送った。形状が先程から少し変化し、高速で戦場へと躍り出る。
「アークフレアユニット解放…!圧縮魔力弾一斉掃射!!」
小さな弾が戦場後方に降り注ぐ。地面、或いは敵に触れた瞬間内部で圧縮されていた魔力が炸裂し、爆発を巻き起こす。アルアラで初めて見た兵器、そしてノインの炎弾から着想を得た広範囲制圧用兵器、アークフレア。だが、レジーナの快進撃はこれだけでは無かった。アークフレアを発動し終えたユニットがパージされ、変形する。それは合計八個のユニットに変形し、フレームとケーブルで接続すると彼女の周りを飛び回った。
「ルミナスオクト・ヴァルキュリエ…さぁ、敵を焼き滅ぼせ!」
合図と共に、ユニットの先端から熱戦が放たれる。内部で魔力を光のエネルギーに変換し、一定回数反射を繰り返しユニット自身が壊れないラインまで威力を高めてから解き放たれるその光は、生身の強化兵の体に容易く穴を開けてみせた。
「凄い…デウスと同等か、それ以上の速度で敵が消えていく…!」
レジーナの奮闘が、ミコナの焦りを緩和する。敗北を喉元に突き付けられた絶望の中で救世主のように光をもたらすその姿は、さぞ輝いて見えただろう。しかし、眩い光ほどすぐに消えてしまうものだ。それはレジーナも同様である。増幅装置を内蔵しているとはいえ、高頻度でユニットを運用していては魔力も恐ろしい勢いで食い潰されて行く。フレームには魔力を大量に蓄えていたが、気づけばそれも底をつきかけていた。浮遊に必要な魔力すら捻出できず、戦線やや後方に墜落しそうになるレジーナ。
(…私とした事が…功を焦り過ぎたか。戦場で真っ先に研究者が死ぬなど、良い笑い種だな…あぁ。ノイン────)
「死ぬにはまだ早いぞ。レジーナ」
落下地点に居たのはノイン。ゆっくりと落ちてくるレジーナを受け止め、周囲の敵を蹴散らす。その動きは、この短時間で更なる成長を遂げていた。一方から迫りくる敵を察知しては倒し、また反対側の敵に対応しつつタイミングを見計らっては攻めにも転じる。
「すまない…助かった。本当に、君という男は…」
ノインとレジーナの周りを囲む様に築かれた強化兵の死体。血塗られた円環の中で奮闘するノインの元にハロルドが助けに入る。
「よく耐えた!一旦帰還するぞ」
ハロルドがレジーナを抱え、敵陣を離脱する。ハロルドの作った道をなぞるように後を追い、敵陣を抜けノインも後衛まで撤退した。
────消えた英雄、ハロルドゲイルウィンとギルドの面々。ノイン達の奮戦も虚しく、戦況は敗色へと移ろい行く。疲労と戦力差から来る絶望が、探索家達の心を蝕む。未だ戦力差は埋まらず、この後にはまだステラも控えているのだ。希望を見出せと言うのが酷な話だろう。しかし、その最中にあってもその瞳に希望を写す戦士が居た。ノイン、そしてハロルドである。彼等父子は、この戦いに於ける最重要戦力。素手ながら、ほぼ無傷で敵を捌くその姿、英雄の噂は決して尾鰭を付けられた物ではなかった事が分かる。それはノインも同じく、肉塊と融合した死竜を単独で抑えたその逸話。信じないままこの戦場に赴いた者達はノインの背を見、口を揃えてこう言った。
“人でも、獣でもない。彼は噂に違わぬ、それ以上の鬼神である“と。
しかし、その勇姿に当てられ限界まで力を振り絞った彼等も、次々に戦闘不能に追い込まれて行く。気迫だけでは越えられない壁。それを越えられる者が居るとすれば。それは、先の先を読み切り札を蓄える智者であろう。絶望のムードに呑まれる戦場に、何処からとも無く音が響き始めた。ズシリ、ズシリという音は、先刻ノイン達が聞いたものと酷似している。
「なんだ…?何の音が…」
次第に大きくなる謎の音。それは、ゴーレムの足音だった。
「お祖父様、探索家の皆様。随分と敵の戦力に手を焼いて居られる御様子ですね。」
何処かで見たようなゴーレムと、その肩に腰をかけて現れた一人の女性。そう、エルマーである。
「エルマーさん!?それって、随分前に私たちが…!」
「えぇ。その通りです。洞窟の中に隠されていたゴーレム達を回収し、密かに手元に保管していたんですよ♡」
エルマーが、ステラの方に目をやりながら続ける。
「先日の裁判ではしてやられましたが、私が二度も負けると思わない事ですね。貴方の息のかかった者が用意した兵器が、貴方自身に牙を剥く…最高に皮肉が効いてると思いませんか?」
「…相変わらず、小賢しい娘ですねぇ。しかし、私がいつまでもこうして居ると思ったら大間違いですよ。そんな大きい的、狙ってくださいと言っているような…」
ゴーレム達に、得意の魔力球をぶつけて消滅させようとするステラの元に、二人の親子が立ちはだかる。
「増援が来たとなれば、話は別だ。なぁ、ノイン?」
「あぁ。俺たち二人でステラを抑えよう。」
ステラの放つ魔力球は、ノインの手に触れて霧散。彼は、四方から迫る敵の攻撃の中で奮闘した経験から、敵の視線を探りどの位置に攻撃が到達するかを判断する術を身に付けていた。それを見た父、ハロルドはノインの成長速度を前に兜の緒を締め直す心持ちになる。
「随分と舐められているようですね。私の魔力球を消失させた事がそんなに嬉しいですか?面白い事を教えてあげましょう。」
ステラがゆっくりと二人と同じ高さまで下降する。依然として腕は後ろで組んだまま。余裕綽々である。
「私のスキルを、行為力な透明な球を操作したり浮かんだりする能力と思っているでしょう。しかし、間違いです。これは単なる“魔力操作”の範疇。スキルなどではありません」
「…何を…。」
「これまで、公の場で使った事はありませんからね。知らないのも無理はありません。別段秘匿していた訳では無いですが、スキルを使ってしまうと影武者がバレかねない…そういった自体を憂慮しての事です。まぁ、これまでスキルを使うまでもなかったというのも、えぇ。ありますがね?」
ノイン、そしてハロルドの二人が纏わり付くような不快感を覚える。この感覚に心当たりがあったハロルドが、すぐさまノインを掴んで後方に距離を取った。直後、二人が立っていた地面がメキリという音と共に大きく凹む。
「ふむ。中々の反応速度。英雄と言われるだけの事はあるようですね。」
呆気に取られるのは一瞬だけ、既にノインは脳内で攻撃の分析を終えていた。
「一定範囲内における重力操作…それがお前のスキルだな?」
「ご明察。しかし、これは分かったからと言ってどうこう出来るものでもありません。重力とはご存じの通り世界の法則。抗う術はあるはずも無い。」
その通りである。但し、それは人間という枠組みの中での常識。かつて獣域という魔境で自然の法則を相手取った英雄は、世界の法則にさえも指を掛けるのだ。ハロルドがスキルを最大限まで発動し地を駆けた。一瞬にして眼前に迫る彼に、ステラは驚きを隠せない。だが、ステラもただ棒立ちしている訳ではなかった。
「…想定以上の化け物じみた身体能力ですね。しかし、私は素の戦闘力が低い分あらゆる事態を想定して技を練り上げているのです。」
ステラを殴らんと振るわれた腕が、直前で地面に打ち付けられる。まるで、見えない手で上から押さえつけられたかのようだった。
「貴様…自分の周囲にだけ桁違いの重力圏を展開しているのか…!!」
「その通り。そして…こんな事もできますよ」
超重力圏が形を変え、ハロルドの腕のみならず全身を飲み込む。圧倒的な力に、英雄が膝を付いた。
「俺を忘れていないか?」
父には劣るものの、素早く背後に周ったノインはステラに向けて炎弾を撃ち込む。ステラは軽く舌打ちをし、ハロルドに割いていた超重力圏を再び周囲に展開した。炎弾は重力により地面に落ちたが、代わりにハロルドは自由になった。
「…難儀だな。離れれば重力によるプレス、そして魔力球。近寄れば凄まじい攻防一体の重力が待ち受ける…。スキル自体も強いが、何よりスキルの効果範囲が広すぎる。」
「探索家でない、只の文官と侮っていましたか?戦闘経験は僅かながら、私は自身の能力を伸長するための鍛錬は怠りませんでしたからね。スキルが覚醒してからも、専ら範囲拡大のために訓練し続けたのです。」
類稀なる才覚、そして強力なスキル。そこに弛まぬ努力の三つが合わさったステラは、現時点ではハロルドよりも上の位置に君臨している。身体能力が衰え、最盛期を過ぎた英雄、対するは年月を積むにつれ磨きがかかる能力者。だが、それでも。
「成程。今の私では最早貴様には届かんと。そう言いたいわけだな。だが、それは間違いだ、ステラよ。今の私は、確かに衰えた。だが、それを補って余りある存在も得た。今の私だからこそ貴様をこえられる」
ステラが、横目にノインを見る。
(この小童が…最盛期の英雄と今の彼を埋めるだけの存在足り得るか?否だ。身体能力は下位互換、炎を操る攻撃も私には届かない。魔力球を打ち消す能力は確かに厄介だが…)
「…ノイン。お前には話していなかった事が数多くある。そのスキルの話もそうだ。」
ハロルドは語り始めた。ノインのスキルの秘密、そして何故彼はもう一つの力を宿しているのか。歪みを抱えて生まれた男の真実が今明かされる────────。
…室内に響く、赤子の産声。豪華絢爛…というほどではないが、それなりに整えられた品格漂う部屋。この赤子は、良い家に産まれて来たらしい。
「おぉ…!!よく頑張った、ルミナ!見えるか?元気な男の子だ!!」
ルミナ。そう呼ばれた女性は、赤子の母である。初めての出産を終え、夫であるウィザンのテンションに圧倒されながらも、赤子の顔を見て母になった事を実感する。
「見て、ウィザン。この子、あの絵をじっと見ているわ」
「本当だ。産まれて間もないというのに、早くも果ての大河にご執心か?我らアストラ家の第一子に相応しい、好奇心旺盛な腕白坊主に育つ姿が目に浮かぶよ」
「まぁ、お前は好奇心は旺盛だが…なにぶん貧弱だからな!こいつは俺が守らなくても良いように強い子に育ててくれよ。二人もお守りしてたらこっちが死んじまう」
ハロルドの軽口に、皆の顔が綻ぶ。ウィザンとハロルドは、探索ギルドの頂点に立つパーティのメンバーであった。中でもウィザンはリーダー的役割を果たしており、戦闘はからっきしだが持ち前の頭脳とあらゆる物の構造を分析するスキルによって彼らの活動を後押しする、言わば縁の下の力持ちである。その妻、ルミナは探索家ではないが、三年前アストラ家に嫁いでくる前はマギナテアの優秀な技術者として活躍していた。彼女は稀有な概念に干渉するスキルの持ち主で、触れた物を少し前の状態に戻す事ができた。研究以外に限らず多くの場面で活かせる力だが、日頃この力を使うのはグラスが割れた時など、些細な事のみ。多くを望まない慎ましやかな女性である事は、言うまでもない。無事に第一子が産まれ、アストラ家の皆は浮かれていた。だが、ある日の夜事態は急変する。
「どうした!!何の騒ぎだ!?」
探索から帰ったウィザンは、2回の寝室が騒がしい事に気付き慌てて階段を登る。扉を勢いよく開けると、ルミナと医師が赤子の状態について話し合っているようだった。
「!あなた、見て…。ノインの体が…体が…!!」
見れば、心臓の辺りから黒い亀裂が走っている。正直、どうして生きているのか不思議だと医者は言った。ノイン自身のスキルの影響なのか、獣域で何らかのウイルス、或いは呪いを持ち帰ったのか。ウィザンの脳内を様々な憶測が慌ただしく駆け巡る。早ければ、産まれてすぐに何らかのスキルを発動させる事も、そう珍しくはない。だが、自身を死に導くようなスキルの存在は聞いた事も無い。その中で、ふと寝室の床に落ちていたボールが目に入った。正確に言うと、一部が欠けているため不完全な球体ではあるが、ウィザンはその断面の異様さを二人に見せながら伝える。
「…ルミナ、先生。このボールを見てくれ。本来丸い木の玉のはずが、今片面が荒々しく削られた風に欠けてしまっている。これ自体は街で買った只のおもちゃに過ぎない。ノインのベビーベッドに入れていたものが、隙間から落ちたようだ。」
「それは…つまり、ノインのスキルでこんな風になったという事…!?」
「しかし、ウィザン様。これがスキルだったとして、このように自身の身体にまで影響を及ぼすと言うのは聞いた事がありません。何か別の理由があるのでは…?」
「このスキル、見たところ触れた物を分解する力だ。それに…何度ノインの体を分析しようとしても、全く見えない。ルミナ、君のスキルも効果が見られなかったんじゃないか?」
「え、えぇ。でも、私の場合巻き戻せる時間が少しだから…。」
「いや、恐らくスキルが発動しないのはノインの力の影響だ。スキルを発動した瞬間、何かに構築した回路を崩されたような感覚があった。間違いなく、これはノインのスキルだ。」
「成程…。しかし、ノイン様のスキルが自身を蝕んでいるとして。スキルは心臓に刻印されるのです…!医者でありながらこの様な事を言うのは憚られますが、心臓を摘出するしか方法は…。」
ウィザンは、おもむろに椅子から立ち上がった。
「少し、当てがある。二人はこのままノインの様子を見てやってくれ。」
深夜、彼は数名の仲間と共に屋敷に帰ってきた。当てというのは、探索家ギルドに登録している者の中に、スキルを停止・強制解除する能力者がいるかもしれないというものだったが、その当ては外れた。
「…ルミナ。よく聞いてくれ。これから俺達は獣域上部のレッドドラゴン討伐に向かう。」
こんな時に何を、と反論しようとするルミナをハロルドが制止する。
「すまない。だが、これが唯一ノインを助けられる方法なんだ。ノインの力はまだまだ発現したばかりの弱い状態に過ぎない。今無理やり封じ込めたとしても、いずれ誤魔化しの効かなくなる時が来るだろう。それに、24時間ずっと対応し続けるのも困難だ。」
「それとドラゴン…一体何の関係が!?」
「レッドドラゴンの固有能力は封印…。一定範囲内の魔力回路を阻害する事ができる。その心臓をノインに移植すれば、心臓を摘出しなくても封じ込め続ける事ができる。そのせいでどのような弊害が出るかについては幾つかの研究資料があるが、いずれにせよ大きなデメリットは無い。もう、これしか無いんだ…。」
朧げながらに、ルミナは理解する。教育機関で専門の知識を培ってきた夫の仮説はきっと正しいのだろうという事。しかし、そのためには多大な危険がある事。ルミナは夫の命、我が子の命を天秤にかけるも答えを出せるはずもなく、言葉に詰まる。
「そう心配するな。ハロルド達も一緒だ。ノインを見てやっていてくれ。」
彼らの戦いの記録はまた何処かで。何度も死の危機に瀕しながらもハロルドの活躍でドラゴンを打ち倒し、心臓を獲得した。今際の際に放たれたレッドドラゴンの封印の波動をもろに喰らった事で、ハロルドは癒えぬ後遺症を患う。力を使うほど、その最大値が低下するというものだ。刻み込まれた封印の因子が回路の活性化に伴い肥大化、いつかは最強の英雄たるハロルドは只の人に成り下がる事を余儀なくされたが、それでも彼の胸中は親友の子を救える喜びに満ちていた。
無事とは言い難いものの、なんとか持ち帰った心臓をノインの身体に馴染むよう大きさを調節し移植。次第に封印の力で黒い亀裂は消えていった。
数日の間、屋敷は喜びと安堵に満ち溢れた。ハロルド達もレッドドラゴンを討伐した事でギルドやその他の探索家に冒険話をせがまれ、落ち着く暇もなかったという。しかし、幸せな時間は一瞬にして崩れ去るのである。
その翌日、アストラ家は何者かの恨みを買い、襲撃を受け当主夫妻は若くして亡くなった。アストラ家の次期当主となる筈だった赤子も消息不明、死亡したものと見なされた。ハロルドが騒動の後、屋敷を訪れるとどこからか赤子の泣き声がした。それは、かつてウィザンがごく近しい者にだけ教えた秘密の地下室から聞こえているようだ。その扉は彼の一族しか開けられないようになっていたが、特別にハロルドの魔力も登録されているのを思い出した彼は扉を開け、石階段をゆっくりと降りた。その先には、ノイン揺籠の中で泣くノインの姿が。全てを理解したハロルドは、この日一児の父となる────。
「────これが、お前に伏せていた事実だ。」
激戦のさなか、伝えられた自身の全て。身体の中に巣食うドラゴンの意志、身体強化・高速回復・炎、そして分解のスキル。全ての疑問に答えが示された今、ノインが思うのは。
「色々、混乱する部分もあるが。それでも…ありがとう。血は繋がっていなくても、あんたは俺の父さんだ。二つもスキルを持っているんだから、父親も二人くらいいた方がしっくりくる」
「…ふ。こんな時でも、変わらんな。さて、この話を今したのには理由がある。」
竜の心臓による封印。複雑に身体と結びついた魔力回路ごと根こそぎ除去する事は不可能であるため、この封印を解くにはもう一つの方法をとるしかない。それは、無属性魔力を分解する能力で直接ドラゴンの心臓に刻まれた固有能力を破壊する事である。そのためには、自分の手で胸を貫くという常軌を逸した狂気に走らなければいけない。全てを理解したノインは、真っ直ぐな瞳で父を見据えた。
「…分かった。ここにデカい穴を作るのは慣れている。自分で、というのが難しいがやってみよう」
「…すまん。その間、ステラは抑えて見せよう。奴に勝つにはどうしてもお前の力が必要だ。」
そう言うと、ハロルドはステラと戦闘を再開した。一人残されたノインは、その場にて正座し、上着を脱いで傍に置いた。目を閉じ、束の間の静寂────。次の瞬間、一思いにその胸に右の手を深く突き刺した。激痛に襲われながら、ドラゴンの心臓に触れようとする。しかし、心臓の刻印に触れた瞬間、スキルがかき消された事に、ノインは気づく。
(…まさか、レジーナの言っていた拒絶と言うのは…。俺自身のスキルではなくドラゴンの封印力によるものだったのか…。)
それは、今この場でドラゴンの封印の力を上回る出力で「否定王」を発動させなければならない事を意味していた。状況を理解したノインは、再び目を閉じ右手に感覚を集中させる。
時を同じくして、強化兵を迎え撃つ探索家連合軍。戦闘不能になっては後衛へ退き、また戻り…。騙し騙し維持していた戦線は今や随分と押し込まれていた。ブラストンの精密な援護射撃により、これでも持ち堪えた方だろう。ミコナがデウスを完全顕現させるなどして抵抗しているが、未だ敵の数は数えるのが馬鹿らしくなる程残っている。戦士達の雄叫びは次第にその勢いを失い、強化兵の呻き声が耳を塞いでも聞こえてくる有様。誰もが二人の英雄の戦線復帰を待ち望んでいた。まだ、決着は付かないのか。ハロルドに期待の眼差しが注がれる。
ステラの重力攻撃が絶え間なくハロルドを襲う。これまで数多くの難敵を下してきた彼は、ふと今までの戦いを振り返った。────人は死の間際走馬灯を見るという。それは、一説によるとこれまでの経験を瞬時に振り返り、窮地を脱する策を模索するためだと言う。ハロルドのそれも、一種の走馬灯のようなものだろうか。しかし、得られた結論は。
「…ダメだな。規格外にも程がある」
砂漠を席巻する巨大魚も、大森林全てを我が手足とする怪樹も。そして、獣域最強と謳われた赤き龍も。全てその腕力でねじ伏せてきた。ハロルドの能力は至ってシンプルだ。身体能力の強化だけが唯一の武器である。類するスキルの保有者はこの世に数多く居るだろう。何が彼を特別たらしめているのか。それは、彼の内包する魔力回路の質である。通常、魔力回路は全身に張り巡らされており、それを使い込み発達させる事で能力の底上げに繋げて行く。ある種、筋肉と同じような認識だろう。ハロルドの特異さ、それは魔力回路の密度にあった。先天的に彼の回路は常人の何倍にも及ぶ密度を有しており、それらが互いに結びつき合う事で更に効果を高めている。このような体質を持つ者は、世界規模で見てもごく稀だ。だが、決して彼一人と言うわけでは無い。だが、ハロルドの場合スキルと体質の相性が良過ぎたのである。身体強化スキルは、炎の球を飛ばすように魔力の塊を外部に出すのではなく、魔力を体内・体表に留めるものだ。よって、回路の密度が増えれば増えるほど強化率は比例して上がって行く。放出を基本とするスキルでは、結局の所保有魔力を超える威力は叩き出せない。蛇口が多い分、チャージ時間が削減される他、メリットはあまり無い。
身体強化の弱点と言えば、主にリーチの短さだろう。しかし、ハロルドの域まで到達すると何か手頃な物を投げるだけで大砲のような殺傷力を誇るのである。弱点らしき弱点を自覚しないまま今日この日に至ったハロルドは、過去の戦いを振り返り死中に活を得ることは出来なかった。
(思えば、不利を覆すための戦略を考えた事が無い。剣と体術以外の全てをおざなりにしたツケか)
ステラの攻撃を掻い潜り、何とか懐に潜り込むも超重力に阻まれ有効打には繋がらない。先程からその繰り返しである。ハロルドは元より時間稼ぎに徹するつもりであるためそれ自体は良いのだが、今回は相手が悪い。ステラはそのやり取りを数度行うと、ハロルドへの重力攻撃を辞めてノインに魔力球を放った。慌てて土煙で場所を突き止め対処するハロルドの姿を見て、ステラはにやりと薄笑いを浮かべる。
「おや、どうも意味の無い攻撃ばかりだと思いましたが。時間稼ぎが目的でしたか!そのガキ一匹に何ができるとも思いませんが…私は手抜かり無いタイプです。優先順位を変えましょうか…さぁ!この数の魔力球を相手にどれだけ耐え抜けますかねぇ!?」
「…どうも、策を弄するのは苦手だな。だが、侮って貰っては困る。」
その両腕は獣域を切り開くためだけに鍛え上げられた、開闢の剛腕。探索家の全ては人の世を取り戻さんと言う克己心と未知への探究心から始まった。老いた今、切り開くのは未知でなく次代の未来。ハロルドは、己の内で封印の呪力が高まるのを感じていた。だが、決して出し惜しみはしない。今この瞬間の連続をノインに繋げるべく全てを出し切る覚悟に、ステラが得体の知れない恐怖を覚える。その恐怖が、ステラの手を鈍らせた。
(まて…何故この男はこれ程までの気迫に満ちているのだ。何処だ…その源泉は…!まさか、この状況こそが奴の策なのか?だとすれば狙いは一体なんだと言うのか?分からない以上、安全策を取るべきか。)
最初から可能な限りの魔力球を放出し、親子諸共粉砕しようと思っていたステラは、考えを改め小手調べから入る事にした。これが、結果後の展開を大きく変える事になるのである。
────どれ程の時間が経ったのか。ノインは考える。極限の集中状態の中で、最早耳は音を処理しない。悲鳴も言葉も、全て只の音である。今、ノインの意識は彼の内に深く沈み落ちていた。全ては停滞していた時を再び動かすため。何処までも深く集中したその果てで、ノインは黒い球体と邂逅する。赤く燃える鎖に雁字搦めにされたそれは、見るからに窮屈そうだ。曖昧な意識の中で、ふと思う。あぁ、俺がこれを解かねば。両手で鎖を掴み左右にちぎるように引っ張る。驚くほどすんなりと、鎖は解けた。彼の意思に呼応したのだろう。黒い球体が、白んだ空間に根を張るように侵食を始めた。同時に、ノインの本当の身体に黒い亀裂が走り出す。
ノインはその球体に手を当てた。これまでずっと奥深くに沈めていた本来のスキル。押さえ込んでいたそれは、主人にさえ牙を剥く。内面世界のノインは、黒い球体の内部に自身の回路を注ぎ込んだ。積年の隔たりを、少しずつ解いて溶かして行くその作業。ノインは何度も飲み込まれそうになりながらも、何とか黒い塊との同化を完遂した。同時に、理解する。先程まで使っていたその力は、否定王の残滓に過ぎなかった事を────。
目を開けると、ハロルドの後ろ姿が見えた。辺りに血の飛沫を飛ばしながら、ノインを守る壁として立っているのだ。両腕はボロボロで、骨が見え隠れしている。全てを悟ったノインは、父ハロルドの前に出た。
「ノイ…ン。どうやら、やり遂げたみたいだな…。」
「あぁ。交代だ。ここからは俺がやる。有難う、父さん」
ノインに容赦ない重力攻撃が降り注ぐ。魔力球は消滅される事を理解しているからだ。だが、ステラの超重力による攻撃が、一向に効果を表さない。ノインがひしゃげるどころか、地面にも何一つ影響が見られない。理解できないステラは、何度もノインにスキルを放つ。
「必死だな。理解できないか?ならば教えてやる。お前のスキルは俺が分解している」
触れた物の魔力を分解し、無効化する力。それが否定王の効果だと思っていたノイン。しかし、真の同化によりそれは能力の一部に過ぎない事を知った。本当の能力は、触れた物を分解する力。組み立てられた魔力をバラバラにするだけでなく、炎も木も、全てがスキルの対象となる。重力を操作するスキルは、概念操作に分類される。世界の法則に干渉するためである。だが、そもそも法則に干渉とはどのようにして成されているのか?重力とは、より重い物に引きつけられるという力の法則だ。実際には目に見えないが、星の中心部に向かって真っすぐに力は作用している。ステラはその、言わば矢印のような物を操る事ができた。ノインの否定王は、その重力に干渉しているステラの魔力を分解することができる。
「馬鹿な…!!!スキルを分解するなど…聞いたことも無い…!!」
「スキルだけじゃない。お前の身体も分解できるぞ。まぁ、魔力の結合を分解する時ほど簡単では無いだろうが。やってやろうか?」
「……!!!舐めた…口を…!!」
怒るステラはありとあらゆる攻撃をノインにぶちまける。
「若造が…この私が積み上げてきた数十年を!!たかだか数十分で凌駕するなど…あってはならない!!それは冒涜だ!!貴様は…人の歩みを嗤う魔獣だ!モンスターと何ら変わりない…いや、それよりもタチが悪い!」
「…俺はディザスターゼロだぞ。今更何を言っている」
尻餅をつき、後ずさるステラの姿は誰の目にも醜く写った。探索家達を見下ろしていたあの余裕は瓦解し、そこにあるのは死を眼前に怯える無力な老人の姿のみである。
「歯を食いしばれ、ステラ。俺はお前を…“否定”する!!」
顔面に強烈な一撃が叩き込まれる。諸悪の根源は、今ここに敗れた。それは即ち、探索家達の勝利を意味する────。