20 逃亡手引き
薄暗く、錆びた鉄格子と汚い床があるだけの部屋。敷かれた布はベッド代わりだろうか、ボロボロで穴だらけ。壁に撃ち込まれた杭に繋がれた手錠がノインの自由を奪っていた。何度試してもスキルは使えない。手錠には魔力を乱す高度な技術が用いられているようだ。アストレアや全ての道具を取り上げられてしまった以上何も出来ず、ノインはずっと一点を見つめていた。どれくらいの時間そうしているのか、そろそろ本人もわからなくなってきた頃だ。そんな時、ふいに廊下で足音がする。
(…飯の時間にしては、早すぎる…。まだ朝にもなってないだろ)
暫く前に粗末な夕飯を与えられ、それからまだ数時間しか経っていない。足音が自分の牢の前でぱたりと止まった。
「おやおや…無様ですねぇ。なんという醜態。これがあの日、ディザスターを討ち取った英雄の姿とは…とても思えませんよ」
見上げると、そこには大臣が立っていた。薄ら笑いで語りかけるその顔に飛び掛かりたい思いを必死に堪え、平静を装う。
「…何しに来た。お前のような屑の顔など見たくない。あんな手の込んだ偽装までしてどう言うつもりだ…?何が目的だ」
「…クックック…くはははははは!!!!!…おっと…失礼。余りにも君が滑稽で滑稽で
!」
「何が可笑しい!!舐めた真似も大概にしろ…」
「そうですねぇ。何が目的かは…以前も言った筈ですよ?君は“星に愛されていない”のです」
一見、脈絡無き戯言。しかし彼の耳にはその台詞が焼き付いていた。あの日、ディザスターを呼び寄せた真犯人、あのフードの男がノインに言った言葉が思い出される。
「…まさか…!!!お前があの時の…!?」
「そう!そうです!!あの日君にディザスターをけしかけたのも。濡れ衣で牢にブチ込んだのも!!全て全てこの私!!最高の気分ですよ全く…!」
真実を語り悦に入る大臣、ステラ。ノインの怒りは頂点に達した。牢に飛びかかり、鉄格子の隙間から睨みつけて吠える。
「全て…お前の仕業か!!訳のわからない事ばかり言いやがって!俺が一体何をした!?」
「我々の役目は星の声を聴き、この世界をあるべき姿に戻す事。君は居てはならない存在なのです。…まぁ、じきに死刑となる下等生物に説明する義理もありません。そこで残りの寿命を噛み締めて居ると良いでしょう」
「まだだ!きっとギルドの皆がもう一度裁判のやり直しをしてくれる!その時、リーエも呼べば状況は変わるはずだ…!!」
「…そうだ、君はこの国を留守にしていたから知らないんでしたね。彼女は既に死んでいます。」
怒りに満ちた表情から、はっと力が抜ける。かつて共に戦い、自分にない物を振るい皆を導いた勇猛なあの彼女が。
「なぜ…。」
「決まっているじゃあ無いですか!我々が抹殺したのですよ!!裁判を行う上で邪魔と言うのもありますが…彼女もまた星の敵でした。君と違って楽に殺れましたよ。」
さも当然のように語るステラに、またもとめどない怒りが湧き上がる。人気の少ない地下牢国で、言葉にならない咆哮が響き渡った。
「…お前は…お前だけは許さない!!必ずこの手で落とし前つけさせてやる…!!」
聴くに耐えぬといった様子でノインを鼻で笑った大臣。言いたい事を言い、満足したのか去って行った。
同時刻、王都の一角に建つ宿。一人の女が、何やら沢山の材料を買い込んで物作りに励んでいた。王国に着くや否や、仲間を二人とも連行されてしまったレジーナである。彼女はノインが無罪であると踏んで、救出の計画を立てていた。たった二週間しか関わっていないが、彼女は確信していた。ノインはモンスターを利用して国を脅かすような男では無いと。
(後をつけた先は地下牢国…。あんなに面白い男、下らない理由で死なせるわけにはいかないからねぇ。何としても出してやらないと)
設計図を書き、材料を集めてはまた書き直し。夕方になってようやく作業を始める事が出来たレジーナ。いつ死刑台に立たされるか分からない以上、なるべく早く助け出したいという一心で魔道具作りに取り組む。そこに思わぬ来客がやって来た。窓が外側からコンコンと音を立てるのだ。
「…誰だ?」
カーテンを開けると、そこには小さな目玉に似た何かが浮かんでいた。それは、レジーナの姿を確認するように上から下まで観察すると、ふわふわと動き始めた。
「…着いてこいと…いう事なのか…?」
見たところ、敵意は無さそうだ。ノインの件に関係があるのかもしれない、そう思ったレジーナは作業の手をとめた。
「よく来てくださいましたね。我ながら、こんな怪しい物に…着いてきて貰えるとは正直思っても見ませんでした。」
「…あなたは?」
「私は本ギルドの長を務めている、エルマーと言う者です。」
「私はレジーナ。今日この国に来たばかりだ」
ギルドの一室でカーテンを閉め切り小さな声で話す二人。眼球のような物は、“第三の瞳”というエルマーのスキルであった。
「…列車から降りた時、ノインさんと一緒だったのを拝見しました。暫く魔眼を付けて観察させて頂きましたが…恐らくあなたはノインさんを救出しようとされているのでは無いでしょうか?」
「…さて、どうだろうな」
「すみません…少々切羽詰まっておりまして。単刀直入に言います。私達はノインさんを助け出したい。あなたの手を貸してくれませんか?見た所、魔道具を作っておられましたね。私ならば、もっと良い作業環境、そして地下牢国の間取りなど様々な情報を提供できます」
必死にアピールをするエルマー。いつになく、余裕無さげな様子だ。
「エルマー殿、貴女はギルドの者だと言うが…なぜノインに肩入れするのだ?まずは動機が知りたい。」
エルマーは、これまでのノインの功績を説明する。ギルドにもたらした恩恵、その人柄。全てのピースがノインを善人であると示していた。レジーナの無罪だという確信もより強固に変化する。
「なるほどな。つまり、ギルドにとってはリスクをとってでも助け出したい逸材と言うわけか。流石は私の見込んだ男だね。」
ふっと小さく笑い、脚を組んでエルマーの目を見据える。
「良いだろう。ノインの為に、私は何をすれば良い?」
二人の強かな女が手を組んだ。諜報と策謀に長けたエルマー、魔道具に関しては右に出る者の居ない天才発明家。そのコンビ、“最恐”につき────。
数日後。何度か再審議を行なったものの、判決を覆す有力な証拠は出て来ず。
「それでは世紀の大罪人…ノイン…なんだ、下の名前は無いのか!貧民街上がりのガキかぁ?」
見物人達の嘲笑が巻き起こる。話しているのは牢獄の管理人であろうか、下卑た男である。
「…これよりノインの死刑を執り行う!!予定日より二日遅れてしまったが…この日は遂にやってきた!見よ!これが我らがイオルス王国に仇為す者の顔だ!!」
麻袋が剥ぎ取られ、ノインの顔があらわとなる。周囲を見渡し、無実を主張しようとしたが執行人に封じ込められた。
「獣域の厄災…一匹でも国を滅ぼしかねないモンスターを操り、我々の命を脅かしたこの男に…遂に裁きが下るのだ!!」
見知った顔は何処にも居らず。地下でステラに啖呵を切ったものの、為す術もなく首を落とされようとしている現実。一人で何もできずに死んで行くのかと、弱気な考えがノインの頭をよぎる。
「さて、引き延ばしは程々に…斬首刑、開始!」
頭のすぐ下に、バケツが置かれた。執行人が斧を構える。数秒後、全ての力を三日月型の刃に込め、振り下ろした。
「さぁて。頃合いだね」
観客の中から飛び出した謎の飛行物が、執行人にぶつかり弾き飛ばした。形が変化し、四足歩行の節足動物のような形状に変化すると、素早く地を這いノインの手錠に絡みついた。
小さな躯体からは想像もつかない力縛り上げられた手錠は軋み、結合部が破損する。
「ノイン!」
声のする方を向くと、群衆の中にレジーナの姿が。身振りでこちらに来るように指示しているようだ。
「…!!助かった!」
「何事か!!追え!衛兵ども!!」
人混みの中に紛れる二人。広場の角を曲がると、レジーナが二人分の乗り物を準備していた。
「操作は…まぁ、なんとなくで頑張ってくれ。いこうか」
「何となく…って…うおおおお!?」
何気なくレバーを引くと、一気に加速した。レジーナに置いて行かれないように必死で後を追う。
暫く走っていると、追っ手が見えなくなっていた。馬車と同じくらいの速さか、少し劣るかといった所だ。もしかすると、スキルで走った方が速かったかもしれない…などと言う考えは飲み込んでおくノイン。
「ありがとう…もう終わりかと思ったが、お陰で助かった。しかし…なぜ?」
事の顛末をノインに解説する。
「…という具合に、エルマーと手を組んで数日前から少しずつ計画を進めていてね。何度か無謀な再審議があったろう?あれも準備のための時間稼ぎさ」
今はミコナの収容されている牢に向かっている最中だと言う。計画の中にはちゃんとミコナの事も織り込まれており、ノインは安堵した。
「到着したら働いてもらうことになる。その前に…これを飲んでおくと良い。」
渡されたのは、透明なガラス瓶。中にはドロっとした液状の物が入っている。蓋を開けると何とも言えない異臭がした。
「これは…?ポーションか何かか?」
「似ているが、また別でね。栄養を詰め込んだ飲み物だ。魔力は減っていないだろうが、体力は落ちている筈。それである程度は回復出来るだろう。それから、君の持ち物も回収済みだ。あとで渡そう」
「何から何まで悪いな…。アストレアは何処へ?」
「彼女は今、ミコナの方へ移動している。君の言う事しか聞かないと思っていたが…場合によっては仲間の言う事も聞くんだねぇ。あそこまで来ると、もう殆ど人間じゃないか」
思わず胸が熱くなったノイン。何度も語りかけ、共に戦い続けた日々の中で彼女もまた、成長していたのである。主の為に、何をすべきか。誰を信頼して良いのか。作られた生命ではあるが、その中に僅かな自我が芽生えつつあった。
ミコナの囚われている牢獄は、まだ明確に刑が決まっていない者が一時的に身を置く場所であるため、警備は薄いと言うのが常識だが────。
「…やはり、エルマーの言う通り厳重警備に切り替わっているな。」
「十中八九、大臣の根回しだろうな。あいつが全ての黒幕だ」
暫く物陰で様子を伺っていると、建物から爆音がした。煙の昇っているところから、人を脇に抱えて誰かが飛び出した。アストレアだ。ミコナを救出したらしい。
「…バレずにって訳にはいかなかったみたいねぇ。ここからはプラン2で行こうか」
「わかった!例の場所で落ち合おう」
ノインは、レジーナを残してアストレアの援護に向かう。その後ろ姿を見届け、彼女は自分に残された仕事に取り掛かった。
アストレアは、起用に瞬間移動を駆使して戦っている。敵は三人、どれも大臣直属の部下で手強い能力を持っている。
「アストレア!良くミコナを救出してくれたな」
ノインの方を振り向き、瞬間移動で横に立つ。気絶しているミコナを花壇にもたれ掛けるように寝かせると、指示をくれとばかりに彼の方を見つめる。
「ここからは久しぶりに共闘といこうか。俺は左の二人、アストレアは右の奴を抑えてくれ。」
「お前が噂のノインとか言うスカしたガキかぁ?」
「ゼツダ、用心しろ。そいつはディザスターと渡り合う実力者だ。」
「うっせぇなぁ…殺しちまえば強くても弱くても同じだろぉが!」
「これだから低脳は…ステラ様はなぜこんな奴をトリニティに入れたのか…。」
頭を抱える老年の男はエイセン。白髪に長い髭、片目が潰れている。
「ジジィ!やるぞ、合わせろ!!」
ゼツダと呼ばれた少年が、ノインに殴りかかる。普通の人間と同じ速度で繰り出されるそれを、何故かノインは避ける事ができなかった。続いて二発、三発と殴りが入る。
(なんだ…?威力が上がっているような…。)
「ほらほらぁ!避けないのか?避けれーねのかァ!!」
調子付いて、そのまま攻撃を続けるゼツダ。
「…クッ…!かはっ……!?」
合計五発食らった事で、ノインは敵の力を理解した。
「お前…攻撃する程威力が上がるスキルだな…!?」
六発目を叩き込もうとするゼツダに手をかざし、燃え盛る炎で攻撃した。しかし、直前に不可解な現象が起こり炎は外れてしまう。六発目を背中に叩き込まれ、地に倒れ込んだ。
「おいおい、とんだ雑魚じゃねぇか〜!!さっきの奴の方が、瞬間移動する分よっぽどだるかったぜ!」
(攻撃を当てるほど威力が上がる…これ単体では全く問題ない。よければ済むだけだ。だが、何かのせいで避けられないし、“当てられない”)
ノインは考える。老人とゼツダは攻撃を合わせると言っていたが、老人の方は何もしてくる様子が無い。つまり、補助的な何らかのスキルを発動させていると判断した。避けたはずが当たっているこの現象…謎を解けるかどうかが彼の明暗を分ける。
(当たるはずの攻撃は当たらず、外れるはずの物が当たる…。俺と相手の位置関係は何ら変わっていない。)
ノインが立ち上がると同時に、ゼツダがまたも攻撃を仕掛けてきた。避けるつもりが、やはり当たってしまう。ノインはここで、一つの策を立てた。攻撃が外れると言うのなら。
「絶対に外れない攻撃なら…どうだ!?」
自分を中心として、全方位に激しい炎を放出した。広範囲かつ高火力。もしもその場に百の観客が居たならば、須く命中したと思うだろう。しかし、この攻撃もゼツダには当たっていないのである。涼しい顔で煙から出てくる光景に目を見張る。
「今のが当たらないなんて事あるのか…?」
「俺にはどんな攻撃も当たらねぇよ!!こっちには…概念操作持ちが付いてんだからさぁ!!あっちの呪印野郎がいればもっと…」
「…ゼツダ…。」
気分が良いのかペラペラと喋るゼツダを嗜めるエイセン。概念操作とは、特殊な効果を持つスキルの事だ。炎を出す、モンスターを召喚する…と言った、魔力を変換して何かを発生させる構造が一般的だが、概念操作が干渉するのは条件や法則。それ故、所有者は極めて少ない。エイセンはその一人である。
(あの老人…概念使いか…!どうりで外れるわけだ…だが、対策をどうするかだな)
今一度、情報を整理し考え直す。火力・範囲・速度。そういったパラメータが一切合切無視される場合、求められるのは論理的思考。設定された“法則”の目を掻い潜る一手がものを言う。
「当たるものは外れる…外れるものが当たる…。取り敢えず、幾つか試してみるか」
両者の距離が縮まる中、ノインは予想外の行動に出た。ゼツダの顔面…その横の空間に対して拳を突き出す。
「おっと…。なんだァ?」
そのまま拳は宙を切り、カウンターがガードしたノインの左腕にめり込んだ。七段目の突きは、これまでとは桁違いの威力。何かが折れるような音が鳴り、ノインが思わず後ろに飛び退く。腕の先がダラリと垂れ下がり、激痛が走った。もしも腕を挟んでいなければ…と想像すると冷や汗ものだ。
(今ここで老人やもう一人が割り込んできたら流石に不味いが…その様子は無いか。)
アストレアと敵はまだやり合っている。呪印野郎と呼ばれていたスキンヘッドに刺青の男は彼女に対して有利な能力を持っているようで、背後からの攻撃や見えぬ剣撃にも対応していた。
(あの様子なら当分は大丈夫だろう。だが…なぜ老人の方は何もして来ないんだ…?)
腰には剣が一振り携えてあるが、護身用なのか戦いには加わらないエイセン。そこにノインは目を付けた。加わらないのでは無く、加われないのだとすれば────。
「!?テメェ!こっちをみやがれ!!」
方向転換し、エイセンに標的を切り替えた。慌てて後を追うが、間に合わず。
「やっぱりな。お前には…概念操作が適応されて無いんだろ?」
今度こそ、ノインの拳は敵の顔面を捉えた…かのように思えたが、またしても外れてしまった。
「ヒヤヒヤさせやがって!!余所見したらどうなるか…教えてやんよ!!」
後方から迫り来るゼツダと、ノインから距離を取ろうとするエイセン。敗色濃厚の土壇場で、ノインの思考が冴え渡る。ヒヤヒヤさせやがって…その一言が、欠けた最後のピース。今、勝利の絵が彼の脳内で描かれた。ゼツダの到達に合わせて飛び上がり、回し蹴りをゼツダに。右手はエイセンの方へ向けて、必中の熱線を照射する。熱線は外れ、蹴りがゼツダの顎を捉えて叩き落とす。スキルで強化された回し蹴りを、それも顎に食らったならば生死不明。
「…バカめ…!あれ程口は災いの元と言ったのに…」
「そうだな…ヒントが無ければあぁなってたのは俺だったかもな。だが…今回はお前達の負けだ」
「ふッ…寝ぼけた事を。触れられない以上、どうする事も出来まい。このままゆっくりとその小娘を回収して帰還するのみ…。」
「…概念操作は確かに強力なスキルだ。だが、魔力が尽きればその効果も失われる。わかるか?お前が死ぬのは時間の問題という事だ」
隣から叫び声が聞こえる。エイセンはハッと其方を見た。目に映るのは、身体に何本もの剣を刺されて転がる仲間の姿。ほぼ同時に決着がついたようだ。
「…あぁ。アストレアの方も終わったみたいだ。良かったな、二倍速だ」
「ま…待て!やめろ!!」
アストレアがエイセンの周囲に多数の魔力剣を展開した。同時に、ノインが再び炎弾を浴びせ始める。全て外れて周りの地面に炸裂するが、お構いなしだ。
「やめろと言っているのだ!!…そうだ、こうしよう!その娘には触れずに退却する…!!だからここは手打ちとしようじゃないか!」
身振り手振りも交えながら必死の説得を試みるも、二人の猛攻は止まらない。ここで確実に厄介な敵を始末するつもりだ。
「き…貴様らァ!!我らに楯突くのがどういう事か分かっているのか!!良いか、攻撃を止めろ!!今ならまだ見逃してやるぞ!はy…」
命乞いの途中だが、無慈悲にも魔力の枯渇がやって来た。ややオーバーキル気味に絶命したエイセン。勝利を収めた二人は、ミコナを連れてその場を離れた。