15 デッド・レッド・ドラゴン
…湧き出る肉塊。きっと、殆どの参加者はそのモンスターのことを舐めていた。大きくなるとは言え、家程の大きさだろう。削れば楽に倒せる相手だ、と。ノインもまた、そのように楽観視していた。それ故、当初は誰もが気付かなかったのだ。大霊廟南部の森、その奥に見える何かの正体に…。ふと、ある者が言う。
「…ボス。あれ、動いてませんか?」
「アァ…?……。なんだアレ。妙な山が動いてやがる…。おいおいおいおい!!もしかして、あれが“湧き出る肉塊“かァ!?湧き出すぎだろうが!!ケヒャヒャヒャ!!」
「!?なんて大きさ…!!全員、戦闘体制に!後衛部隊は攻撃用意、前衛は中間で待機!あの質量…動くだけでも絶大な被害が出るわよ…!」
山のように肥大化した肉塊。山のように、というのはこの場合比喩では無い。本当に、小ぶりな山に匹敵する程に大きく成長してしまっていた。ほんの少しずつだが南下しており、その間も周囲のモンスターを捕食しながら成長を続けている。
「…何もしていないのにここまで膨れ上がるものなのか?」
「…わかりません…。その辺のモンスターの刺激を受けたり、他の肉も吸収したんですかね?」
ノインはミコナと一言二言会話した後自身の持ち場に移動した。彼の能力が活きるのは前衛から中衛にかけての間合いだ。後衛まで下がると炎を用いた攻撃も威力が減衰してしまうためである。本作戦の指揮は氷結姫が執る事となっているが、基本的に集団戦と言うものを経験せずに生きてきたノインにとっては枠に組み込まれるのは枷となり得る。そのため彼達三人は、大まかな持ち場は決まりつつも自己判断で戦闘を行う手筈となっている。因みに三人というのは、アストレアも含めた人数だ。戦力開示の際、アンデッド型の兵器であることは伏せて説明している。
「各員、持ち場についたか!?これより、肉塊討伐作戦を開始する!!後衛部隊、攻撃を開始せよ!」
氷結姫の合図に従って後衛がこうげきを開始する。弓であったり、スキルによる攻撃であったりと様々だ。しかし、相手は肉の山。一斉射撃を意に介せず蠢いている。数十名の遠距離攻撃ではさしたるダメージとはならないと判断し、続けて指示を出す。
「前衛、中衛も攻撃開始!何か新たな情報があれば私に報告せよ!」
彼女自身も指揮を執りながら戦いを始めた。氷で足場を作り、高い位置から敵の頭上に氷柱を落としている。
(こんな小さいのじゃ効かないか…。もっとデカいの用意するしかないわね)
生半可な氷柱では焼け石に水、より大きな一撃にむけて魔力を貯め始める氷結姫。
「ハハァ!そんなしみったれた氷が効くかよォ!!デカブツには大技!セオリー通り行こうやァ!!」
コフィンキングの周囲に二つの棺が出現した。そのうちの一つの蓋を手荒にずり落とすと、中から何やら鎖のような物が大量に出てきた。
「…“奴隷“か。ハズレじゃねぇか…。」
鎖は肉塊の方へ飛んでいき、見る見るうちに縛り上げていく。鎖に圧迫されてギチギチと音を立てながら、しかし進行は止めない肉塊。だが…。
「やるわね!肉の増殖が止まったわ。効率の良い戦術、褒めてあげる」
「うるせぇ!こんなんじゃなくてよォ…もっとパーっと行きてぇんだって」
片方しか見えない目だけでも、十分にわかる落ち込み様。しかし、この鎖が大きく戦況を変える事になるのである。
「さて、そろそろね。前衛部隊、後退!中衛の位置まで退避、特大のを叩き込むわよ」
氷結姫は、手を天に掲げる。その先には多くの魔力を練り上げて生成した巨大な氷柱があった。流石に肉塊を超える大きさとまではいかないが、それでも当たれば大きな痛手を与えられるであろう事は、誰の目にも明白。天に掲げた手を振り下ろすと同時に、巨大氷柱もまた肉塊にむけて急速落下した。肉塊には目や口と言った器官は無い。それ故何を感じ、何を考えているのかは汲み取りにくいが今ばかりは別だ。凄まじい痛み・衝撃に悶えている。鎖で形がやや円柱形になる程捻りあげられ、その上頭頂部からは大きな氷柱が落ちて来るのだ。その激痛たるや、我々には想像もつかないだろう。肉は鎖の隙間から押し出され飛散し、その場で蒸発した。体積が急激に減少し、鎖の束縛から解き放たれた事で敵は逃げ出した。元いた霊廟の方へ戻るようだ。
「ノインさん!あそこ、肉塊が逃げます!」
最早、家一軒程度の大きさになった湧き出る肉塊。しかし、ここで確実に倒さなければこのような危機に再び陥りかねない。
(既にこの戦いでも死者はそれなりに出ている…。みすみす逃しては彼らも浮かばれないだろう。最大戦力の二人が動けない以上、俺が追撃するしか無いな)
ノインは追いかけながら、地面に目をやる。損傷や血痕の見当たらない、地面に落ちている服や武器などの装備品。これらは皆、肉塊に吸収されてしまった“探索家の遺品”だ。あの超巨体を縛り上げる程の鎖を出したコフィンキング…スキルの性質上、魔力を補填しても暫くは能力の発動ができない。つまり、今この場で最も弱い人物と言えよう。氷結姫の方は魔力を回復すれば再び戦えはするはずだが、なぜか戦おうという姿勢が見られない。
「…あっちもスキルの代償か…あるいは…。」
身体に何か異変が起こったのかもしれない、と推察する。真偽はさておき、ついに追いついたノインは大霊廟エリアに足を踏み入れていた。二度目の訪れだ。目と鼻の先まで迫る肉塊…近接攻撃はレッドメイルを展開しても無害という保証は無い。安全策を取って距離を保ったまま爆炎をお見舞いする。時折接地部を狙った炎弾攻撃も交えながら、増殖を上回る攻撃を続け、やがて肉塊は最早肉片の方が相応しいと思えるほどに矮小化した。その上、サイズに変化が見られない。魔力が尽きたのだろう。これ以上の増殖はしばらく無さそうだ。
「なんとか一人で抑え込めたな…。」
小さくなったとは言え、それでも人間を遥かに超える大きさだった肉塊をこれほどまでに抑え込める人間は、どれほど居るだろう。無論、炎がこの敵に対して相性が良いのは認めよう。だが、それを差し引いても増殖を上回る速度で削り続けるのは困難を極めるのだ。この数週間の鍛錬の成果としては、上々であろう。幾ら小さく、弱々しくなろうとも相手は災厄に類するモンスター。ノインに容赦の二文字は無く、止めを刺そうとした瞬間…突然何かに弾き飛ばされた。見えない何かに直撃し、腕は折れてしまったようだ。近接攻撃が逆効果な相手故、レッドメイルを腕に展開していなかった事が裏目に出た。
「!?なんだ…!?」
「困りますねェ…いえ、本当に。まさかこれ程容易くディザスター5が下されるとは…。」
声の主は上空に。見上げると空中に浮かんでいる人間がいた。
「なんだ…お前…」
「名乗るほどの者ではありません…強いて言うなれば…“星の声“を受け取る者、とだけ…。」
全く訳がわからないという様に、ノインが訝しげな表情を見せる。
「ふ…わからないでしょうとも。あなたは“星“に愛されていないのですから。寧ろ逆…あなたは愛されるどころか憎まれているようだ…”そこの氷使いの君“もね」
体勢を整えて木陰から様子を伺っていたのは氷結姫。後を追ってくるとノインが謎の人物による襲撃を受けていたので、敵を倒す隙を探している所であった。
「星に憎まれてるっていうのはどういうことかしら?意味がわかる様に説明して。又はそれ以上喋らずに死んで。」
無駄を嫌う姫は相手の返答を待たずに氷柱による攻撃を繰り出す。しかし、またも見えない何かによって全てが砕かれた。
「ふむ…下等生物はこれだからいけない。あなた方の相手は同じ下等種に任せましょう。」
話し終えた男の真下…腐敗した大地が地響きを起こす。
「大霊廟エリアには二匹のディザスターがいます。一つはそこの“湧き出る肉塊“…最早”飛び散った肉片“の方が相応しいでしょうが。そしてもう一つが”死の竜、アンデッドブルータルドラゴン“。普段は地中で眠っていますが…この通り刺激してやると重たい腰を上げて起きてくるのです」
崩落する大地の中から、白い尾の様なものが見える。骨でできた尾だ。続いて、地面に大きな手をかけながら、のそりと巨体を現す。骨のみが残るその体…眼孔の奥には赤い光が灯っている。紫色の瘴気を放っており、近付くだけで気分が悪くなりそうだ。さらに、周辺の地面から沢山のアンデッドモンスターがわらわらと湧いて出てくる。死体を隷属させる死竜の能力によるものだ。
「驚くのはまだ早いですよ!さて、本当のお楽しみはここから…」
肉塊が宙に浮かび骨竜の鼻先まで運ばれていく。据え膳を喰らう骨竜…程なくしてその体に異変が起こる。内臓から徐々に肉が構築されてゆき、最終的には体のほとんどが完全に肉に覆われた。その姿は最早一匹の完全な生ける竜である。
「…これは…喰らったのか!?ディザスターがディザスターを!?」
ただでさえ厄介なモンスターが、さらに強力に。その絶望たるや如何程か。少なくとも、途中から続々と集まってきた今回の作戦の参加者が絶望するには十分過ぎたようだ。
「なんだこりゃァ!!アンデッドドラゴンが…ドラゴンに昇格しちまったのかァ!?ハハハ!!」
「何を笑っている!この状況…理解しているの!?」
「…ひとまず、混乱の収集が先だ。皆の指揮を頼む。俺が体勢を整えるまでの時間を作る」
ノインは、氷結姫に指示をすると一人で死竜に向かって行った。
「あの男…バカなの!?…まぁ良いわ、何秒持つのか知らないけど兎に角やるしかない!」
落ち着きを取り戻した姫は元のように的確に部隊を操り始める。いつしか謎の男は消えていた。次第に前衛、中衛、後衛の三つに再構築されて戦闘体制が整う。しかし、これには氷結姫の指揮力以外の力も働いていた。ただ一人で竜の気を引き続ける一人の男。人間など虫ケラのように捻り潰せる巨体…一挙手一投足が己の死に直結する中で、ノインは全ての攻撃を回避しつつ手加減無しの爆炎を叩き込んでいる。また、融合後の肉は吸収の性質は持っていないようで、さきほどから幾度となくレッドメイルでの攻撃も繰り出していた。
「時間を稼ぐとは言ったが…本当に稼ぐしかできていない。あれから強くなった気でいたがまだまだだな…」
などと言いながら、この数分の中でノインは更に早く、熱くなっていた。土壇場に追い込まれ、彼の成長は加速する。黒髪は徐々に赤みを帯び始め、彼の動いた軌跡には陽炎と炎の残滓が張り付き、さながら一匹の小さな竜であった。
「おいおい!!新人が偉く幅利かせてんじゃねェか!!足引っ張るどころか魅せてくれやがってよォ」
コフィンキングがまたも二つの棺を出現させ、一つを開封する。
「ハハハハハハァ!!!!これだよ、これェ!赤いの、死にたくなけりゃちょっとどいてな」
棺から取り出したのは一枚の紙。
「さてさて…景気良く行くか!!王の遺産発動!敵を風穴だらけにしてやれ!俺に蜂の巣を見せろ幾千の砲手共!!」
紙が燃え尽きるように消えてゆき、同時に彼の周囲に夥しい数の大砲が現れた。幾千とは流石に誇張が過ぎるが、数えきれない程あるのは事実。因みに砲手は居ない。彼が勝手に呼称しているだけである。手を前に振り下ろすと、一斉砲撃が開始。一度撃てば大砲は消滅するようで、音が鳴り止む頃には全ての大砲が消えていた。その場にいた誰もが思った。この規模の攻撃で生きているわけがないと。しかし、そう言った常識、予想を超えてくるのが…超えてくるからこそのディザスターなのかも知れない。あの攻撃を食らって尚、死竜は生きていた。否、本来であれば、当然死んでいるだろう。彼の望んだ通り身体には抉れた穴が沢山開いており、殆どの内臓は焼け焦げて消失している。しかし、アンデッドモンスターに“肉の鎧“が張り付いているだけの生物にとって内臓の損傷は何一つ痛手では無いのである。故に、無傷。受け入れ難い、純然たる事実。
「……おおィ…それは…反則じゃねェか?」
呆然と立ち尽くすキングの頭上には死竜の尾。ノインが間一髪の所で蹴り飛ばし事無きを得た。
「ぼさっとするな。再び使えるようになるまで後衛に控えておけ」
「あぁ…わりィ…。あん時言ってた事の逆になっちまったな」
気を取り直したコフィンキングは一旦後衛に戻る。その後ろ姿を見届け、ノインは再び死竜の相手を始めようと足に力を入れた所で一つ異変が。
(まずい…魔力切れが近いな。俺も一旦退くしかないか…)
「指揮官!悪いが一時補給に戻る!それまでの間なんとか持たせてくれ」
氷結姫は頷き肯定の意思表示。ノインは後衛に控えているミコナの元に戻る。
「お帰りなさい!魔力回復だけで良いですか?」
スライムの運搬能力、そして最近手に入れたアイテム複製能力を活かして回復薬の管理を担当している為、休む暇なく動いているようだ。
「あぁ。すまない。頼む」
全てを飲み終えるなり、急いで前線に飛んで行こうとするノインをミコナが引きとめる。
「…ノインさん!後ろで…ずっと見てました。あれ程の攻撃でも倒せない敵…本当に私達に倒せるのでしょうか…?」
心配そうに見つめるのミコナの手は、震えていた。幾度もノインと共に死戦を生き抜いてきたが、これ程絶望的な状況は有りはしなかった。それはノイン自身もよく理解している事だろう。コフィンキングの大砲掃射はノインの最大瞬間火力を大きく超えている。それでも倒すに至らなかった異常なまでのしぶとさを前に、成す術が無いというこの現状…。他の探索家達も皆アンデッドの群の対処に追われているため、逆転のピースどころか戦況維持すらも困難だ。
「そうだな…。正直、倒せる自信は無い。だが、だからと言って諦める訳にも行かないんだ。」
死竜が基本的に大霊廟エリアから出ないのは、日光の当たる環境を好まないからだとされている。しかし、肉の鎧を得た今、日光によるダメージは皆無。つまり、霊廟以外の場所にも進出する可能性が出てきてしまったのだ。いや、最早可能性などと言う曖昧な言い方はよそう。敵の勢いに押され、徐々に後退して行った結果、戦線は既に霊廟エリアを“出てしまっている”。霊廟エリアから出てこないという性質を考慮して“4th”とされていた死竜…。肉の鎧と自由を得た今、何位が相応しいのか考えるのも恐ろしい程である。
「…こうなった以上一度退いて体勢を立て直す事も出来ない。それこそ、手のつけようが無くなって、最悪人類はお終いだ」
「…でも…。だからって死にに行くようなこと…」
彼女の言う通り、到底勝ち目のない敵に当たって死期を早めるより、出来るだけ逃げて残りの人生を謳歌する方が、或いは賢い選択なのかもしれない。しかし、それが出来る男ではない事を、ミコナも良く知っていた。
「分かりました…。最早何も言いません。その代わり、絶対生きて帰る事。約束して下さい」
「……あぁ」
後方陣営を飛び出すノイン。その口元には薄らと笑みが浮かんでいる。不可能な約束は時に重荷、時に“限界を超えるトリガー”となり得る。知ってか知らずか、ミコナが彼に課した約束は結果的にこの戦いの行末を変える事となった。
「悪い、少し遅くなった。状況は?」
「見ての…通りよッ!キング、やって!!」
「ケヒヒ…今日ほど鎖が恋しくなる日はなかったぜェ!!」
先程とは異なり、次は大量の銃が現れ死竜に向けて発砲を開始する。彼のスキルは消費魔力量を遥かに超える現象を起こす代わりに、同一の効果は“一日に一度しか使えない“という制限を抱えているため、最も有効な鎖や大砲が使えないのだ。どうやら、ノインが抜けた数分間はこの二人とクランの腕利きメンバー達でなんとか食い止めていた様子。
「成程。ここからは俺が引き継ぐ。補給を受けてくれ」
…帰ってきてからのノインは、鬼神の如き奮闘を見せた。常時全力強化では無く、マックスとミニマムの柔軟な切り替え。それにより消費魔力量を抑えるという高度な技術を用いて更に安定した戦いぶりを見せる。無論、振り幅の大きい緩急は身体に甚大な負担を掛けるのだが…それはノインの回復力の高さが自然と補っている。回復に回す魔力は微量で済むため、このような攻撃間隔がややスローな敵に対しては有効な戦い方だと言えよう。
(とはいえ、やはり出来るのは“時間稼ぎ”のみ…。何かいい方法はないだろうか…?)
ノインは数々の作戦を考えてみた。しかし、どのプランも一手届かない。キングの鎖さえあれば、肉塊にやった手順で倒せるのだが…。魔石の位置を割り出しピンポイント攻撃を行おうにも魔石の位置が分からない上、肉塊のように移動させられるタイプだった場合無駄に魔力を消費するだけだ。ミコナのカースドバットを借りようにも、既に二匹を重要な役割のため召喚中。
「かくなる上は…やるしか無いか…!」
肉塊を追い詰めた時に見受けられた、“増殖不可能状態“。魔力の枯渇か、魔石の損傷によるものか判断出来なかったが、死竜がその力を受け継いでいる時点で自ずと前者だと分かる。
(増殖限界までひたすら肉を削ぎ続ける…。どこまでやれるか分からない上、泥臭い事この上ないが…今はもう、それに賭けるしか)
ノインは、攻撃の頻度を高め始めた。いままでは相手の注意を引く最低限に留めていたが、今は“明確な殺意“が透けて見える。地を蹴り、爪を突き刺し死竜の身体にしがみついたノインは、背中に上り詰める。脳天に片腕を突き刺し、中で大爆発を引き起こす。手も尾も届かない位置の敵を振り落とすべく、地をのたうち回る死竜。側から見ると、有効打に悶える構図に映っていた。振り落とされたノインの着地点に合わせてしならせた尾を叩きつける。数センチの僅かな移動を以て薄皮一枚、攻撃を回避。続けて空振りした尾の肉を両手で抉り取る。傷口の中に再び爆発を叩き込み、修復箇所を広げるノイン。互いが互いに決定打を持たない泥沼の戦いは、長時間続けられた。
クランのリーダー達は広がる戦力差を埋めるべくアンデッドの群の対処に当たっていた。ふと、氷結姫が死竜に目を遣る。
「嘘…死竜の回復速度が落ちている…!?」
明らかに、傷口の修復が遅い。ノインの長時間に渡る攻撃ににより、遂に見え始めた“底”。この事実が戦士達の士気を大きく上げた。
「おぉ…!あいつ、すげぇよ!!」
「あのアンデッドドラゴンが…押されている!?」
「俺たちも負けてられねぇ!もう一踏ん張り…行くぞ!!」
その様子を横目に、ノインの体は一層励起される。この大詰めに来てさらなる苛烈な攻めを見せ始めたノインに、死竜は感じる筈の無い“恐怖”を覚え始めた。思えば、この生物が死竜として地を踏み締めた時から、その命を脅かす者は居なかった。殺せば殺すほど、配下は増え強力なモンスターや戦士を蓄える事の出来るその力で、ある時は強力な槍使いの人間を従えた事もあった。だが、今はどうだ?たった一人の矮小なる人間にこれ程追い詰められ、
配下のモンスターは皆他の人間に抑えられている。死が、目前に迫っている。その恐怖が、死竜を最終手段に走らせた。ノインを無視し、自分の配下や探索家が戦っている場所へと走り、あろう事かそこにいるものを無差別に喰らい始めたのである。…死竜の能力は、知られざるもう一つの効果があった。死体に魔力を埋め込み操る能力の他に、自身の配下となったモンスターを捕食する事で魔力の回復、及び能力の継承を可能とする力も持っていたのである。肉塊を喰らい、力を得たのはそれに依るもの。そして今、無差別捕食を始めたという事は…。
「…!!!まさか、“死体から吸収”してるのか!?」
魔力や能力の吸収を始めた死竜。慌ててノインは攻撃を行う。しかし、死竜は気にする様子も無く喰らい続ける。配下は命令により停止していたため多数吸収されたようだ。逃げる探索家は殆どが生存している。
「こっちを…見ろ!!」
ノインの必死の干渉も虚しく、死竜は補給を終えるまでアンデッドを貪り続けた。再び対峙するノインと死竜。しかし、今度の死竜は一味も二味も違っていた。ノインが再びレッドメイルを研ぎ澄ませ攻撃すると…接触箇所が金属のように硬質化し弾かれてしまう。ならば爆炎は…とあの手この手を試すも、あらゆるスキルを駆使してダメージを大きく減らされてしまった。物理攻撃には硬い金属の皮膚、炎の攻撃には水を出す能力…今、死竜は多数のスキルを持つ、超速再生可能な生物と成っていた。再び打つ手が無くなり、一旦様子見に移行したノイン。その足元から突如木の根が生え、彼の足に絡まりノインを宙に持ち上げた。さらに周囲に木の根が生えてきた。先端は尖っており、的確にノイン目掛けて迫ってくる。
(くっ…!こうなってはなり振り構って慣れない…か)
「アストレア!!!!」
ノインのに迫る木の根を、何処からともなく現れたアストレアが全て切り落とす。敵がアンデッドを操るという事、そしてギルドの“お抱え”という立場上迂闊にアストレアを衆目に晒す事が出来ずに居たが、死ぬよりは良いとの考えで呼び出した。探索家達は遠巻きに見ているだけなので、アストレアが普通の探索家で無いことに気付いていないようだ。また、俺との主従関係の方が優先されるようで、アストレアを乗っ取られる様子は無い。
「待機が長くて悪かった。ここからは俺達二人でかかるぞ」
「……」
アストレアの外装から漏れ出す魔力光が強まる。戦意十分といった感じだ。この数週間、ノインとアストレアは連携を高める訓練も行っていた。その成果が今発揮される。
「アストレア、同時攻撃でいくぞ!俺に合わせてくれ」
アストレアは霊体化し、ノインは死竜との距離を縮める。彼の爪が死竜に触れる瞬間、アストレアが竜の目の前に出現し魔力剣を突き刺さんとする。咄嗟に硬質化を顔に対し発動し、ノインの方は生身のままであった。
(やはり、このスキルは一定範囲、そして単一箇所にしか出せないみたいだな)
モンスターの物か、探索家のかは不明だが、早くも一つのスキルを看破した。さらに、爪撃に加えて体内で爆発を引き起こす。ここぞとばかりに両腕で。慌てて傷口から水を出し、すぐに回復を始める死竜。少々ややこしい手順を踏む必要があるが、なんとか光明がさしたようだ。スキルを複数所持しているとはいえ、倒せぬ敵では無くなった。
「すまない、陣形の立て直しに手間取った!キングはスキルを使い切ったため、後方に置いて来たが私達はまだ戦える、無理はするな」
敵のアンデッド軍が粗方捕食された今、味方の戦力は全てアンデッドドラゴンに向ける事ができる。
「助かった…正直俺達二人ではこいつの相手は骨が折れると思ってたとこだ。さっきの捕食で、多くのスキルを吸収された。まだ発動していない能力もあるだろうが、皆で補い合いながらなんとか削り切ろう」
そこからは、打って変わって安定した戦いが展開された。新たなスキルを使われる度にノインが対策を即座に打ち立て氷結姫が指揮を執る。死竜が時折見せる、毒の霧を散布するスキルが格別に厄介だったが、これは生物ではないアストレアが発生器官を破壊する事で毎回被害を抑える事ができた。
…どれ程の時間、このせめぎ合いは続いたのだろう。漸く、死竜が二度目の限界を見せた。回復が間に合わず、傷口がそのまま残り始めている。
「!!皆、奴の底が見え始めたぞ!傷口は治らず、技も殆ど使ってこない。勝利は目前だ!!畳みかけろ!!」
「オオオオオォ!!!!!」
氷結姫の檄が戦士達を鼓舞する。その中に、冷静な男が唯一人。
(…あれだけの数を捕食しておきながら、これだけで限界が来るのか…?俺の攻撃であれだけ削って漸く限界に漕ぎ着けたのに、今回は総ダメージで言うと七割と言ったところ…。嫌な予感がする)
「氷結姫、もう少し様子を見た方が良く無いか?」
「何を言う、明らかなチャンスを見逃して、また回復でもされたらどうする!」
言い返せず、ノインは口を噤む。あくまでも予感、2回目の方が貯蔵魔力が少なかったのだと言われれば其れ迄の不確かな物だ。
「…わかった。だが、万が一の備えはしておくべきだ。」
「良いだろう。一理ある。」
最後の悪足掻きに警戒するよう、氷結姫が呼びかける。しかし、目の前に勝利をぶら下げられた探索家達の耳には殆ど届かない。ここに来て、ノインの悪い予感が的中する。
殆どの肉が削ぎ落とされ、本来の骨ばかりの体に戻った死竜。目の赤い光も絶え絶えで、今にも崩れ落ちそうな程に弱々しい。止めを奪い合うかのように、皆が挙って突撃する。
「…!待て、油断するな!」
ノインの忠告も虚しく、最後の一撃の名誉に踊らされた探索家達は、直後自らの浅はかさを悔やむ事となった。己の体の周りに多くの人間が集まった瞬間、死竜の眼光がかつて無いほどに鋭い光を放つ。刹那、死竜の体が発光し、辺りを巻き込む大爆発を引き起こした。
大地は抉れ、木々は焦げ落ちている。所々で火災が発生しており、至近距離にいた探索家達は黒焦げになって息耐えていた。氷結姫の展開した氷の壁により、彼女より後方に居た者は無傷だったが、それ以外の者は軽く負傷している。ノインは咄嗟に自分の発する炎で相殺したが、それでも少しはダメージを負った。そんな地獄絵図の中、爆心地に一つの“黒い塊“が見えた。
「あれ…は…!まさか!!!」
何かに気付いたノインはすぐさま走り寄る。魔力を可能な限り腕に貯め、“最悪の予想が再び”当たらぬ事を願いながら。黒い塊を射程圏内に収めたノインは、今日一番の威力の攻撃を放った。激しく渦巻き、揺らぐ炎の塊を掌に収まるサイズに凝縮。それを黒い塊に押し付けるように叩き込む。一瞬遅れて、真下に激烈の爆炎柱が迸る。この世界の裏側まで届いた…そう言われても信じてしまいそうになる程の威力だ。
「…何を、している…の?」
絶望のさなか、ノインの奇行に疑問を呈する氷結姫。ノインは祈るように目をぎゅっと瞑る。
「…頼む…。これで終わってくれ…」
辺りを包む、数秒の静寂。それは絶望によって破られた。地中深くに空いた穴から、黒い一匹の竜が這い出てきた。この黒い物に、ノインは見覚えがある。黒槍の狂戦士の体を包んでいた鎧だ。必然的に、彼は理解する。あの黒い鎧は死竜の魔力が物質化した物だったのだと。死竜の魔力を埋め込まれ、操られたあの男は死ぬ事も許されず、呪いの魔力により生かされた。今、死竜はその力を自分に適用したのだ。爆発のスキルを発動する前に魔石等の重要器官を硬化させた魔力で包んだ。その後、魔力の塊を用いて体を形成し復活したという寸法だ。死んだ者に対して効果を発揮する能力、加えて固体に変えられる魔力特性。そして、アンデッド特有の体質…これらが奇跡的に噛み合った死竜だからこそ成せる、復活の絡繰り。
死竜の体はかなり縮んでおり、今や人間とサイズは然程変わらない。骨の代わりに硬質化した魔力で形作られた体は黒く、所々骨が抜け落ちている。材料が不足していたのだろう。
「クルルルル…!!!」
低い唸り声をあげ、周囲を観察する死竜。その先には、焼け焦げた死体が。
「…まさか…嘘だ!やめろ!!」
氷結姫が取り乱し喚く。死竜はお構いなしに、自身の体の一部を溶かして死体に植え付ける。程なくして、死んでいたはずの彼らは再び立ち上がった…人類の敵として。
生き残った友軍は、かつて仲間だったアンデッドと戦うことを余儀無くされた。再び、ノインは一人で死竜と対峙する。
「姫様…後方支援部隊の資源、底をつきました」
クランの部下から報告を受ける氷結姫。重なる悪い事態に頭を抱える。
「…わかったわ。支援系スキルを持った者意外は安全な場所で待機するよう指示を回して」
こくり、と頷き後方に戻る部下。先ほどの氷壁で殆どの力を使い果たした今、味方への司令塔としての役割しか果たせない。無力な自分を唯、恨むのみであった。だが、それでも。否…だからこそしなければならない大仕事が一つ残っていた。
「…聞け!総員、聞けッ!!!たった今、連絡が入った。後方支援のリソースが尽きたようだ。」
探索家の間でざわめきが起こる。これまでは、死にさえしなければ大丈夫という安心感があったが、今や背水の陣。後ろに待つのは死より恐ろしい“傀儡”という未来。逃げ出そうとする者さえ現れた。
「…逃げるなら、止めはしない。お前達にここで命を散らせろと言う権利は誰にも無い。だが…これだけは言える!ここでこの悪霊を抑えられなければ、我々の世界は滅ぶだろう。行く先々で死体を傘下に加えて練り歩く、“死の百鬼夜行”。人類の叡智、アイギスと言えど間違いなく堕とされるだろう!」
逃げ始めていた者の足がはたと止まる。彼らには家族があった。
「斯くいう私も、最早魔力は尽きて武器といえばこの剣のみ。しかし…私は行くぞ!
ここで生き永らえたとてその後に残るのは後悔と友の亡骸だけだ。そんな世界を見たくない者だけ着いてきなさい!!この氷結姫…“リーエ・ネアテイル”が最後の瞬間まで先導してあげるわ!」
立ち止まり、考える。暫く続いた無言の空間。それを割く声が一つ。
「俺は…いくぞ」
「…俺もだ」
「私だって、逃げる気ないわよ」
一人、また一人と名乗りを上げる声。伝播した思いは勇気か、狂気か。今はそれが何かはどうだって良い、とリーエは思った。数十人の足音が彼女の後に続く。死地を共にする味方にこれだけ恵まれた。後はただ、最後の一瞬まで戦い抜くのみである。
蘇ったかつての仲間と交戦する探索家達。その戦闘で奮闘するリーエ。魔力が無くとも、
彼女は十分に強い。燃える斧できりかかってくるアンデッドの攻撃を剣でずらし、半回転したのち隣のアンデッドを切り伏せる。そのアンデッドが持っていた細身のレイピアを奪い取り、頭部に突き立て次の敵へ。スキルを行使して戦う他の者よりも、上げた戦果は大きそうだ。その様をに触発され、一層士気が高まる。その波は、遥か後方のミコナにも影響を与えた。
(私にも…何かできる事…!)
黒死竜の相手を一人で担うノイン。小さくなった分一撃の重みは随分マシになったが、同時に狂戦士の鎧のように硬くなったその体は傷を付けるにも苦労する。アストレアは今アンデッド軍の加勢に向かっており、援護は期待出来ない。仲間が死ねばそのまま敵が増えるため、死者を出すくらいなら自分が踏ん張った方が良いという判断だ。身軽になった黒死竜は、かつての狂戦士には及ばずともかなりのスピードを獲得していた。最早、スキルの出力を瞬間的に変えて節約…などと言う姑息法は通用しない。従って魔力の消費量も上がってしまう。加えて、ノインは今日の戦いを通して一つの違和感をおぼえていた。次第に高まる“何かが違う”という感覚。
(この一日で、更に速く、強くなった感覚はある…あるのだが、何かがズレている。そのズレが段々表面化してきたような…)
一瞬、思考が戦闘外に向く。その隙をつかれたノインは、鋭く尖った尾による攻撃をモロに食らいかけた。しかし、思わぬ助けにより窮地を切り抜ける。
「…間一髪!!ですねノインさん!」
むふん、と得意げな顔をしているのはミコナ。腕組みまでして、余程誇らしいようだ。起こった事を理解できずにいるノインにミコナが説明する。
「後衛でやる事が無くなった私は、考えました。何かできる事は無いかな〜って。それで思いついたんです!私の“スパイダー”が持つ能力…ワープでノインさんがピンチの時に助けるのはどうかなって!」
説明になってない説明を聞いて、ノインが周りを見渡す。そこには例の蜘蛛型モンスターが居た。恐らく、攻撃が当たる瞬間にワープを展開、開いたゲートに引き摺り込んだのだろう…と想像する。そしてその想像は概ね正しい。
「…ありがとう。助かった。生きて帰ると約束したのに、すまない」
「いえいえ!まだノインさんちゃんと生きてますよ。これ、すっごく魔力消費するのでもう使えません。次こそ、気を付けてくださいね…?」
真剣な眼差しでミコナに見つめられ、身が引き締まる思いのノイン。再び黒死竜との戦いに挑むのであった。
黒死竜とノイン、互いが互いの動きに慣れてきた頃。決定打を与えられないままノインの魔力が遂に尽きかける。レッドメイルを維持できず、部分的に剥がれ落ちる様子を見て攻撃の手を強める黒死竜。均衡が崩れ、防戦一方に陥るノイン。どんどん剥がれる装甲を見て、ふとノインは思った。
(…そうか。わかったぞ)
憔悴しきった顔から何かを悟ったように目を見開くノイン。
(このズレは…“イメージ”のズレだ!俺はミコナの話を聞く中で勝手に思い込んでいた。レッドメイルを展開し、今はまだ出せていないが細かなシールドを展開できるようになるのが目標だと。だが、それは違う。目標から違っていた。それが俺の抱えるズレだったんだ。)
ノインは、暴走時の自分こそがレッドバーサーカーという力を最大限引き出した状態だと思っていた。だが、それは誤りである。かつて謎の男が抜き取った“不純物”。暴走を引き起こす原因であると同時にノイン自身を助ける力ともなった諸刃の剣…それにより表出した力は一つのカタチに過ぎない。ノイン自身に最も適する“最強のカタチ”は別の場所にあったのだ。どちらが正しく、どちらが亜種なのか。それは些末な問題であり、重要なのはノインが辿り着くべきはどれなのか、という事である。
(そうか…!イメージに囚われるな…俺は一匹の獣のような戦い方を“自分のスタイル”だと思い込んでいるだけだ…!思えばこれまで、何度か感じた事があった。理想とは違うが、“馴染む”感覚…)
窮地にて、一瞬ノインの全ての感覚が途絶える。しかし、本人には永遠にさえ思える時間であった。これまでの記憶を辿り、“本当の理想形”を紡がんとするノインの脳内…その奥深く、ずっと深層で彼は見た。大きく、雄々しい赤い体躯の一匹の竜。正確には、その残滓。
(仮面の男が言っていたという、不純物とは…これのことだったのか?)
ノインは“それ”に手を伸ばした。ほんの小さな、微かな残滓。自分の“領域”だからと油断したノインはその何かに意識を呑まれそうになる。火山を思わせる煮え滾った破壊衝動とそれを抑える理性…或いは知性の紡ぐ螺旋。そこにノインの意識が介入する余地は無かった。
(これで…終わるのか…なんでこんな物がおれの中にあるのか分からないが…まぁ良い…。もう何も考えられ…)
意識の濁流の中で溶けそうになるノイン。しかし、一つの…たった一つのシンプルな言葉が彼を奮い立たせた。
「絶対生きて帰る事。約束して下さい」
「そうだ…俺は死ねない!!」
ノインの意識が全てを飲み込む。最後には、掌ほどの小さな炎が残った。
「……これが…。俺の、純粋な力…」
それを握りしめたノインは、新たに魔力が湧き出るのを感じた。不純物が押さえつけていた魔力が遂に解き放たれる。仮面の男に抜き取られずに奥底に隠れていた、赤い水面。その下には大量の魔力が眠っていた。そしてもう一つ…持ち主たるノインも気付かぬ、“黒い何か“も。
目を開けたノインの瞳に映るのは、ゆっくりと噛みつこうとする黒死竜の姿。
「…間に合った」
ノインの体が赤く燃え上がる。髪も同じく、真紅に変化し重力に逆らい揺れている。きっと、彼の体から出る熱気によるものだろう。その身に宿る束縛、そして無意識のうちに縛られていたイメージ。この二つから解放されたノインは、“獣“では無くなった。竜の鉤爪を思わせるレッドメイルは今やなく、唯そのままの”ノイン“。炎も全て、消えてしまった。だが…。
「はは…俺はどうやら色々勘違いしてたみたいだ。」
(竜のように戦うという無意識の縛り。これが俺の可能性を阻んでいた。俺は…“俺“だ)
竜だとか、人間だとか。そういった縛りから解き放たれたノインに、最早枷は無く。答えに辿り着いた彼は、体が自分の物では無いように感じた。魔力経路から何から何までが一新されたようだ。同時に脳内に溢れ出す、“ノイン“としての最高のイメージ。十数年越しに束縛から解放された男は、存分にその力を振るう。
湧き上がる炎に危機を感じたか、距離をとる黒死竜。しかし、距離を開ける事をノインは許さない。一瞬にして距離をつめ、黒死竜の脇腹に強烈なパンチを叩き込む。これまでの彼の力を考えると、いくら身体強化をしたところで黒い鎧に傷一つ付くはずが無かった。だが、この一撃はその“過去“を覆す。横腹を構成する黒い骨にヒビが入る。
「まだだな。まだイメージ通りじゃない。が…。とりあえずはこれで良いか!」
本来の自分に成ったノイン。身体強化の次元がまた一つ上がったようだ。ノインの意志と竜の意志が混ざり合って、竜の意思が優っていた暴走状態。ノインと竜の意志が混ざり、ノインの意志が優先されていた通常状態。どちらも、リーエの言葉を借りるなら…「無駄が多い」状態であった。ヒビの入った箇所に、間髪入れず蹴りを入れる。骨は完全に砕け、黒死竜が怯んでいる。ここで、ようやく気付いた。黒死竜は自身の配下が死んだ場合、察知する事ができる故、黒槍の狂戦士の死も知っていた。だが、不思議なのは誰が殺したのか、という事だ。その答えを今知った黒死竜に、再び死の恐怖が押し寄せる。今度はより濃く、鮮明な死の波が。そんな事はお構いなしのノインは、逃げようとする黒死竜の尾を掴んで引きずり寄せた。
「クルルルォォォ!!!」
離せと言わんばかりに叫び声をあげ、のたうち回る竜の頭を掴み、思い切り空に放り投げる。落ちてきた所に合わせ、渾身の殴りを頭部に炸裂させた。聞いたことも無いような音が、辺りに響き渡る。当然というべきか、黒死竜の頑丈な頭部は砕け散り、魔石を宿した体だけが残る。頭部を消失したくらいでは死なない黒死竜は、身軽になった体で駆け出した。その後ろ姿は竜と言うよりも犬のようだ。
「これだけの事をしておいて…逃がしてもらえると思うなよ」
地面を踏み締め、直線上に跳躍。彼の赤い髪、真っ赤に染まる腕が軌道上に真紅の線を描き残してゆく。黒死竜の前に躍り出て、通行止めの形で立ち止まるノイン。お構いなしに隣を走り抜けようとする黒死竜の体を掴み地面に投げ落とすと、右手に熱を集中させた。かつて、暴走状態の彼が行った、あの技だ。
「さっき俺の記憶を見た。どうやら、あの日この技で狂戦士に止めをさしたらしい」
限界温度まで達し、右手の周囲の空間が歪む。何が起こるのか理解する間もなく、その手に触れられた黒死竜は、その体に赤い亀裂を走らせて炭となった。熱の伝播を制御し、魔石だけは無傷で確保したノイン。これで、長い戦いが終結した。辺りは暗く、気付けば夜になっている。元の戦場に戻ると、探索家たちは皆憔悴しながらも、安堵のひとときを噛み締めていた。
「“ノイン…!!”倒したのね…!」
走り寄るミコナと氷結姫…後ろの方でコフィンキングが申し訳なさそうにしている。ノインは魔石を見せながら答えた。
「あぁ。この通り」
途端に歓声が湧き上がる。
「おぉぉー!!!!!よくやった坊主!!」
「レッドドラゴン!!」
「うおおお!!!」
「レッドドラゴン!!」
(なんだ…レッドドラゴンって…。)
戦う姿を見て、竜のようだという呟きからついた異名。しかし、今のノインは獣でも、ドラゴンでもない。
「恥ずかしいからやめてくれ…レッドノインとかにしてくれ」
「ノイン…さぁーーん!!」
やれやれ、と言う様子のノインに飛びかかるミコナ。
「良かったぁ…。ちゃんと約束…守ってくれたんですね」
「当然だ。あれのおかげで、何とか戻って来れた」
戻ってくる、の真意をきっとミコナは理解していない。それもその筈、あれはノインの中での出来事だ。彼以外に観測できる者は居ない。
「さて…じゃあ帰るか」
朝早くから始まり、夜まで続いた戦いは、新たな謎を残して終結した。あの人物は何者か。今は、それよりも無事に帰る事が最優先事項と言えるだろう。