9 アストレア降誕
アストラ家の館…だった場所。街から少し離れた草原にポツンとあるので、そこだけ時空から切り離された様な感じがする。季節の変わり目に死んでいく虫。蟻に運ばれずにずっとそこに横たわる、そんな虫を思い出した。しかし、本当に時間から捨てられたわけではない。人の手を離れて十数年、荒れに荒れている。なんというか、この地に立つとよく分からない考えが滲み出してくるようだ。ここを訪れる人達はこの感覚を求めてやってくるのだろうか。
「どうしたんですか?ぼーっとしちゃって!今から探索に行くぞ!とかは無しですからねー?」
「いや、何というか、不思議な気分になってな。さて、俺達は外から眺めるだけでなく中に入る許可も得ている。行ってみよう」
「はい!堂々と侵入です!」
敢えて突っ込むまい。金属製の柵で囲われたボロボロの館に足を踏み入れた。特に何も起こらず庭を通過し建物の中に入る。扉は開けるまでもなく、すでに片方が破壊されていた。じいさんは、かつてアストラ家は何者かに襲撃されたと言っていたが、その時の損傷だろう。
「なんか…すごくボロボロですね…何か棲みついてそうです…」
ここはアイギスの内側なので、モンスターが棲みつく事は無いだろうが蛇や蜘蛛などの生き物はねぐらにしていそうだ。テーブルの上に放置されているポットの中…気にはなるがこれも触れないでおこう。
暫く色々な部屋を見て回ったが、特に何もなかった。肖像画の一つや二つはあるかと思ったが、その類の物も見当たらない。エルマーさんななぜ俺にこの場所を薦めたのだろうか。あるいは、本当にただ休息をさせたかったのか?
「ふぅ…。なにもないですねぇ…」
最後の部屋、食品倉庫として使われていたのであろう、置いてある樽に座るミコナ。
「あまり座らない方がいいぞ。埃がつく」
「ここ、結構埃がマシでした!女の子の方がそういうのしっかり気にしてますよぅ」
そうか。余計なお世話だったか。
「…ん?ミコナ、その樽の下に何か金属の蓋の様なものがないか?」
ミコナが樽から飛び退き、下部を観察する。
「本当だ!全然気がつきませんでした」
樽をずらすと人間が一人入れそうな大きさの地下へと続く扉が現れた。しかし、驚いたことにどれだけ引っ張っても開かない。向きの問題かと思ったが、蝶番や取手の付き方からして間違いはないはずだ。
「…明らかに異質だ。地下室で食品を保管するというのはよくある話だが、それにしては扉が重すぎる。」
「…アレやります?大爆発」
「…そうだな、もう廃墟なんだから、多少燃えたところで怒られはしないだろう」
魔力を込めて扉に手を当てる。俺自身は自らの炎で傷つかないが、ミコナには念の為離れてもらった。しかし、炎を発現させる前に扉の様子が変化した。俺の掌を中心に、金属の扉に青い魔力の線が走り出したのである。
「これは一体…」
もしかすると…と思い、再び取手を引くと、今度は簡単に開いたのである。扉は、開かなかったのが不思議なくらい薄かった。
「魔力に反応した…ということか?」
「この扉自体がそういう魔道具ということでしょうか?魔力を流し込むことで開く…ような」
そういう事なのだろうか。しかし、よく考えるとおかしな話である。この扉は明らかに軽い。つまり、今まで魔道具の効果で硬く閉ざされてていたものが、魔力を流す事で開いた事になる。魔力など誰もが持っているのだから、閉ざす意味が全く無いのではないだろうか?言うなれば、指を突っ込めば簡単に開く錠前のようなものだ。
「まぁまぁ!難しい事はさておき、中に入ってみましょう!」
それもそうか。まずは俺がゆっくりと下に降りる。石で出来た階段で、かなり深い部分まで続いている。この館の地下には一体何があるのだろうか。
下まで到達すると、足元にランタンが転がっている事に気付く。魔力源となる魔石が無いので使えないのが残念だ。
「あ、私、魔石持ってますよ!私というか…私の子ですけどね」
ミコナがカースドスライムを召喚、口の中から小さい魔石を取り出す。なんでスライムの口の中にそんな物を入れているのかわからないが、今は非常に有難い。
「ありがとう、一つ貸してくれ」
暗闇の中で明かりが灯る。ここはどうやら、工房、あるいは研究室だったようだ。机の上には様々なモンスターのデータ、魔道具の設計書などが散乱している。奥にはさらに部屋が続いていた。先程の施設の延長上で、ここは作業台だったらしい。工具やナイフが置いてある。
「の、の、ノインさん…!!!!
ミコナが酷く怯えて部屋の隅を指差した。」
足…甲冑の足だ。被せられた布の隙間から甲冑の一部が見えている。
「大丈夫。多分ただの鎧だろう…何だこれは…?」
布をずり落とすと、そこには恐らく鎧では無い“別のなにか”があった。いや、見た目は確かに鎧なのだが、内部に何か物が詰まっている。魔道具を作る際に見られる魔力をよく通す素材で作られた配線…そしてこれは…術式が構築された基板かだろうか。
「魔道具の一種…でしょうか?」
「しかし、中がこうも詰まっていると装着できなさそうだ。着れない鎧になんの意味が…」
この工房は、入口の扉と良い不自然な物が多い。
「…待てよ…ミコナ、この胸の窪みは一体何だと思う?」
「…なんでしょう…魔石でも入れるんですかね?魔道具なら」
「俺もそう思ったが、魔石にしては大きすぎないか?」
通常の魔石よりも遥かに大きい穴だ。丁度、心臓が入りそうな…。まさかと思うが、心臓を入れて起動させるのか?
「そういえばテルマーさんが言っていた。アストラ家は何か凶悪な兵器を開発していたと言われていたと…」
テルマーさんは否定していたが、こんな物を見るとどちらを信じれば良いのか分からなくなる。
「…仮にこれが兵器だとしたら、この工房のどこかに設計図があるはずです!それを探しましょう!」
本当だ。ミコナの言う通りである。
暫く机の上や引き出しなどを探した。見たことも聞いたこともないモンスターの特徴や、その他の魔道具の設計書に紛れてこの鎧の設計書も残っていた。
「…特殊魔術兵器“レジサイド”…それがこれの名前らしい。」
「……あっ!ここ見てください!この窪み…やっぱり魔石を埋め込むみたいです…」
「…R-01を使用、と書いてあるが…」
そういえば、一つ前の部屋には引き出しが大量にある棚があった。そこに関係があるかもしれない。
「ミコナ、少しここで設計図でもみながらこれを見張っていてくれ。」
隣の部屋に戻り、棚を漁る。引き出しにはそれぞれラベルが貼ってあったので、難なくR-01を見つけることができた。中に入っていたのは、初めてみる大きさの魔石だ。
「あったぞ。恐らくこれを入れるんだろう。」
「ノインさん、今ざーっと読んでいたんですけど、この兵器はそれ単体では危険な物では無いみたいです。」
設計図の裏に書かれている仕様書を読んでみた。要約すると、これは魔力で動く高性能な人形兵器だ。最初に起動した者の魔力を記憶し、その人物の命令を忠実に実行するため、ある意味ゴーレムに近いのかもしれない。つまり、俺が起動すれば俺が危険な命令をしない限り大丈夫と言うことだ。
「ミコナ…これを起動してみようと思うんだが…どうだろうか」
言ってしまえば、仲間が一人増える様なものだ。しかも分け前も要求されないので収入が単純に増加する。仕様書を見ている限りでは、上手く扱えば多彩な能力を発揮する優れ物のようなので、俺としては万々歳だ。
「なんかアンデッドモンスターっぽくて怖いですけど、制御できるみたいなので私も賛成です!」
「わかった。じゃあ起動するぞ…!」
手順に従い、魔石に俺の魔力を込める。量は書いていないので、とりあえず少しだけ入れてから胸部にセットした。数秒すると、魔石が青黒く光り、セットした魔石が少し奥に入り込み、窪みの部分にも鎧が生成され始めた。同時に鎧から青い魔力が湧出し、腕や脚部の鎧の中へと満ちて行く。水が瓶の中に注がれるように、全身に魔力が行き渡ると、レジサイドは俺に数歩近付き、忠誠を誓う騎士の如く跪いた。
「成功したって事でしょうか…?」
「…立て、レジサイド」
しかし、立ち上がらない。どうやら命令を受容する段階にない様だ。改めて仕様書をみる。
「そうか、名前…名付けが必要なようだ。この兵器…“レジサイド”は活動の中で自我や思考力を獲得していくらしい。命令には忠実だが、人間のような挙動に近付くと書いてある。」
「へぇ!良いじゃないですか!可愛くなりそう」
可愛い…かはさておき、確かに親近感は湧きそうだ。それにしても、ただの兵器には到底必要のない機能を付ける辺り、本当にアストラ家は平和を脅かす兵器としてこれを作ったわけでは無いのかもしれない。
「どんな名前を付けようか?」
「名前から可愛くすると、自然とそう見えてきそうなので、女の子っぽい名前にしましょう!」
女の子っぽい名前…。
「アストラ家で作られたから、アストレアとかはどうだろう。確か神話にもそんな名前の女神もいた気がする」
「なんか、神々しいというか…仰々しいというか…大人っぽい女の子に育ちそうですが…まぁ。それはそれでありかもしれないですね!」
大賛成とは行かないみたいだが、一応満場一致(たった二人だが)はしたのでこれで決定した。再び、仕様書の通りに命名の儀を行う。
「汝の主たる我が命名するは…神の名を冠せし“アストレア”…」
レジ…アストレアの放つ青い光が強まる。
「今この時より、昏き我が剣として目覚めよ!」
一層強まる青い光は、命名の儀の完結を持って臨界点に到達。やがて全身を包み込み、青い魔力は新たな体を形作る。胸部装甲には二つの大きい半球が生成、手足の装甲もゴツゴツとした物から、曲線美を追求したような女性を想起させる形状に変化した。無骨なデザインの鎧はあっという間に変化し、各所に気品を感じさせる意匠が施されている。まさに「名は体をあらわす」の具現だ。俺の持つイメージを読み取り、投影したのか…驚きの技術力だ。他の国には、魔道具に関する技術が大きく発展した場所もあると聞くが…そこから知恵を借りたのだろうか?いずれ行って見たいものだ。
「…立て、アストレア」
今度はこちらの指示通り立ち上がった。どうやらこれで主人として正式に認められたようだ。
「おぉ!本当に動きました!私の言うことも聞いてくれるんですかね?アストレアちゃん、ジャンプです!」
…しかし何も起こらなかった。まぁ、俺がミコナの指示を聞くように命令すると聞く、という感じだろう。それらの細かいことはまた追々考えるとして、今はこの部屋の資料をどうするか考えなくては。
「ミコナ。この地下室の全てを移動させる事は可能だろうか?」
「え、これ全部回収する気ですか!?まぁ、入るには入ると思いますが…持って帰ってどうするんですか?」
「モンスターのデータ、探索家の生存率向上に繋がる魔道具の設計図等のギルドが必要とする情報がかなりあるからな…眠らせておくにはあまりにも惜しい。」
「あぁ!そういう事ですか!まぁ…そもそもここはギルドの持ち物ですからね…あれ、そういえば勝手にアストレアちゃん起動しちゃってるけど大丈夫ですか…?」
「……俺としたことが、好奇心に負けてうっかりしていた…だがまぁ、もし裁判に発展したらミコナに罪を擦りつけて事なきを得れば大丈夫だ。問題ない」
「いやいや!大アリですよ!大丈夫の範囲から私が外れてますっ!」
「冗談だ。獣域は国の持ち物だが、探索許可を得ればそこで収得した物の所有権は発見者に委ねられる。その話を引き合いに出せばきっと大丈夫だ。それに…」
エルマーさんのあの感じ…こうなる事は見越していたんじゃ無いだろうか。あの人がこの地下室を見落とすというのは考えにくい。敢えてこの部屋を残しておいた理由は分からないが、これら全ては俺に委ねると言う事だと考えるのが自然だ。とりあえず持ち帰ったものを一通り見せるとしよう。
「まぁとにかく大丈夫だと思う。万が一の時は俺が全て引き受ける。収納が済んだらギルドに戻ろう。」
部屋自体はそう大きくないが、所狭しと様々なものが保管されている部屋が二つ分、かなり時間がかかるかと思ったが、アストレアのおかげで案外早く収納が済んだ。
「ふぅ……!やっとおわりましたねぇ…」
「二人とも有難う。では早くギルドに戻ろう。」
ミコナ、アストレアに先に階段を登らせ、俺は忘れ物が無いかを確認して最後に階段を登った。しかし、二人は一階に上がらず扉のところで立ち止まっている。
「?わざわざ待たなくても良いんだぞ」
「いえ…それが…開かないんですよね…この扉」
「魔力を込めても、か?」
「はい…試しにノインさん開けてもらって良いですか?」
言われるままに頭上の扉に手を当て、魔力を込める事数秒。先程と同様に、青い亀裂のような光が走り、押せばそのまま簡単に開いた。
「…開くじゃないか…。閉じ込められたかと思ったぞ」
「あぇ!?おかしいな…さっきは本当に開かなかったんですよ!?ねぇアストレアちゃん!」
無反応を貫いている。まだ今は命令にのみ反応する人形の状態だから当然だ。それにしてもミコナのドジっ子ぶりには肝を冷やす。そこもまた放って置けない所なわけだが…。