執筆
結局、頭の形が変わるまで殴打を続けた私は、オーナーの荒い呼吸音が聴こえなくなってはじめて、ラテン音楽の出所がこの部屋ではないことに気がついた。部屋にある音の出る機器はテレビだけで、スピーカーやオーディオの類は見当たらない。
では、この大音量のラテン音楽は一体どこから聴こえてくるのだろうか。
血糊のついたバットを片手に、私はもう一つ上の階へと行ってみることにした。地上階にオーナー以外の住人はいないはずである。もう誰かを警戒する必要はなくなったが、万が一ということがあるかもしれない。
照明の点いていない二階に上がると、右手に伸びる廊下の奥からラテン音楽が聴こえてきた。まさか他にも住人がいるのだろうか。
いつでも迎撃できるように金属バットを構えた私は、音に導かれるようにして暗い廊下を慎重に進んでいった。
はじめは暗くてよくわからなかったのだが、廊下の半ば辺りまで進んでみると、奥にある部屋のドアの隙間から明かりが漏れているのが目に入った。ラテン音楽もますます大きくなってきている。
バットのグリップを握り直し、息を殺して部屋のドアへと近づき、ノブに左手を掛けたところで動きを止める。軽く呼吸を整えた私は覚悟を決め、思いっきりノブを捻って勢いよくドアを押し開いた。
煌々と明かりが灯った部屋には誰もおらず、木材や様々な工具が床に散らばっているだけで、私をここまで導いたラテン音楽もかかっていやしなかった。
これは一体どういうことなのだと廊下へ出た私は、隣家と接触している壁の向こう側から、重低音をきかせたラテン音楽が響いてくることに気がついた。
部屋から漏れる明かりに照らされた壁をよく見ると、間に合わせの騒音対策と思しき何枚もの板が不規則に打ちつけられていた。
どうやら夜毎聴こえてくる重低音に悩まされていたのは私だけではなかったらしい。
金属バットを元の位置に戻して自室へと戻ってきた私は、爆音で鳴り響くラテン音楽の重低音をBGMに、パソコンの前に座ってウェブ小説の執筆に取りかかった。
人を殺めたばかりだというのに、気分は妙に落ち着いている。喉元過ぎればとは言ったものだが、やってしまえばどうということもない。骨の砕ける感触がまだ手に残っているうちに、あの貴重な体験を筆に認めねばなるまい。
オーナーの遺体が見つかるのはまだ当分先のことだろう。現在、世の多くの人々は新型コロナウイルスのパンデミックによって外出自粛を強いられている。おかげで人が訪ねてくることもなければ、急に姿を見かけなくなった人間が周りにいたとしても怪しむ人はほとんどいない。
ここ数日の出来事を短編ホラーとして書き上げた私は、それを実話かフィクションか判断がつかないように言葉を濁し、いつも利用している小説サイトへ新作として投稿した。
まともな倫理観だけでは面白い作品は書けない。どう目立つかが重要なのだ。