行動
私は椅子から立ち上がり、室内用のサンダルから靴に履き替えて、出しっ放しにしてあった皮の手袋を両手に嵌めて廊下へと出た。廊下は死んだように静まり返っており、とても上階で爆音が鳴らされているとは思えない。
シェアメイトの部屋を二つ通り過ぎ、キッチンの手前で左に折れて裏口までの短い階段を静かに上り、踊り場でいったん立ち止まって深呼吸を一つする。
廊下の電気が消えているせいで、左手前方のキッチンと思われるドアのない部屋から明かりが漏れているのが見える。耳を澄ませてみたが物音はしない。
慎重に上階への階段を上り、左手の部屋を覗き込んで誰もいないことを確認し、手前の壁に立て掛けてあった金属バットを左手に掴む。右手に持ち替えてグリップエンドを下にして握り、壁にぶつけないよう先端を右の首筋に凭せかける。
階段の陰から顔だけを出して右手に伸びる暗い廊下の先を窺う。ドアを半開きにしているのか、階下の私の部屋に位置する最奥の場所から暖色の明かりが漏れている。
音を立てないよう注意しながら浴室の前を横切り、続いて最初の部屋の前を通り過ぎて二つ目に差し掛かったところで私は足を止めた。
奥の方からラテン音楽の重低音が聴こえてはくるのだが、部屋のドアが開いている割にはさほど大きな音でもないような気がする。
ドアの手前の壁に背中を押しつけ、時間をかけて深呼吸を二回し、部屋の中の様子を隙間からそっと窺ってみた。こちらに背を向けてソファに座っているオーナーの後頭部が見える。
心臓が早鐘を打って全身が揺れているような感覚に耐えながら、半開きになっているドアの隙間に身体を滑り込ませた私は、テレビの画面に見入っているオーナーの背後へと一歩ずつ足を運んでいった。
首筋に凭せていたバットを両手で握り、大上段に振りかぶったところでオーナーがこちらを振り向いた。
「ワッ・タッ・ファック!」
オーナーの頭部を目掛けて渾身の力でバットを振り下ろす。ソファの背凭れに力が吸収される鈍い音と、金属片がフローリングの床に散らばったような硬い音がした刹那、私に向かってこようとするオーナーの姿が視界の端に入った。
身体ごと回転させるようにして無我夢中でバットを振る。ガラスが割れる音が聴こえ、続いて木の枝を叩いたような感触があり、オーナーが「ファック!」と怒鳴って床に倒れるのが見えた。
騒がれて階下のシェアメイトに気づかれでもしたら面倒なことになる。
顔面の右側を押さえて床に横ざまに転がっているオーナーに近づくと、私の脚を掴もうと震える右手を伸ばしてきた。バットでそれを薙ぎ払った私は、上から叩き潰すようにしてオーナーの顔面に一撃を加えた。
「ファック! ホワイ・ユー」
何かを言いかけたオーナーの口元へ金属バットを振り下ろす。骨の砕ける感触が伝わってきたが、映画のように血液が派手に飛び散ったりはしなかった。
「ユー、ユー」
なかなかにしぶとい。手加減なしで三発も顔面に打ち込んだというのに、意識もあれば喋ろうとする気力もまだあるようだ。ここで油断して大声を出されては困る。
私はもう一度バットを振り上げ、今度は顔面ではなく上を向いている右側の側頭部を目掛けて振り下ろした。
何度か繰り返し打ち込むと、オーナーは「ヒンッ!」とおかしな声を上げて静かになった。ただ気を失っただけかもしれない。念のため、あと二、三発は叩いておいた方がよさそうだ。