描く世は黒白
幼稚園に入った頃、両親から「一緒にお姉ちゃんと使ってね」と渡された色鉛筆は決まっていつも姉との色の取り合いになり、結果私が手に持てるのは黒と白だけだった。
色とりどりの世界を紙に描くのは決まってお姉ちゃんだ。
赤色のりんご、青色の空。黄色の花。
真っ白な紙の奥に広がる世界は眩くて、目を細めてしまう。
「いいなぁ……」
と、指をくわえて見つめることしか出来なかった。
黒と白しかない色鉛筆を不服そうに睨みながらも懸命にゴリゴリと擦り付けるように黒と白の色鉛筆を紙に預けていた。
黒色のりんご、黒色の空。白色の花。
姉の世界と比べると、どうにもぼやけて見えて仕方が無い。
一度は、彩りのある世界に触れてみたかった。
姉の持つ色鉛筆に手を伸ばして取り合って、色の沢山乗った世界を仕上げてみたかった。
それでもどうにも色鉛筆の取り合いには負けてしまう。
私は昔から、モノクロの世界と向き合うことしか出来なかった。
しかし、永遠に黒と白色しか使えないのならば、と考えた幼少期の私は、段々、ぼんやりと見えた世界をどうにかして黒と白の二色ではっきり見せることが出来ないかということに精を出していた。
世界をこの二色で変えてしまえたらどんなに良いのだろう、と私はにやにやしながらずっと紙と黒と白の世界と現実を行ったり来たりしていた。
高校生になった今でも私は黒色と白色を使って絵を描いている。
色んな彩色を扱えるのに、私に馴染みがあったのは、モノクロの世界だった……という理由もあるし、自分から単色で表される不可思議で不可解なこの世界にのめり込んだ。
気付けばカラフルな世界よりも二色のみで奥行のある魅力的な世界を生み出すことがこれほどまでに面白いのだ、と知ったのだ。
影と光があることを知ってからは光源の勉強をこれでもかと学んだし、色で騙せない空間づくりにも熱心に時間を費やして何枚も完成させた。
私は、黒と白の世界が紙に広がる瞬間が大好きである。
世界には色が沢山あるけれど、色を言い訳にしてはいけないんだということも知った。
黒と白だけでも十分人間に色は感じられる。
黒で印字され、読者に届けられる本の文章だって、言葉で彩りを添えられる。
黒と白の鍵盤で織りなされるピアノだって、弾き手の感情一つで観客の脳裏には華やかな世界を映しだすことが出来る。
だから、あの日取り合いに負けて良かった、と胸を張って言えるのだ。
少ない色数の中でも、カラフルな世界以上に大きな可能性を見つけて、描くことが出来たから。