Act-05 女帝墜つ
ヨリトモ、マサコに続く――ゴシラカワのウシワカ、ベンケイとの対面。
それはある意味、淡々としたものだった。
二人がゴシラカワと最後に会ったのは、木曽ヨシナカのヘイアン宮襲撃の直前。
その時、ウシワカは母であるゴシラカワから突き放され、逆にベンケイはそんなゴシラカワを友として突き放した。
だが、そんなわだかまりは、一瞬で消え失せた。
それは目に見えたゴシラカワの衰弱という事もあるが、ウシワカとベンケイには、これが最後の別れになるという事が、直感で分かったのである。
太古の天使の直系である皇帝とその娘、それを守護するツクモ神――その『血の絆』が成せる業であった。
――源氏の道は修羅の道。
かつて、そう言って娘を送り出した女帝。
ウシワカはその予言通りに、それから宿敵平氏ばかりかヨシナカやトモエたち、同族の源氏までをもその手にかける、まさに修羅の道を歩んできた。
その延長線を進む様に、ウシワカは玉座のゴシラカワに向かい近付いていく。
「母さん」
その第一声は穏やかなものだった。
やつれた母の姿に同情した訳ではない。それは自然に発せられた、娘が母にいつも通り呼びかける様な、十五歳の少女の声であった。
それから二人は、他愛もない話をいくつも続けた。
ウシワカは、クラマでのこれまで暮らしや、親友である伊勢サブローや常陸坊カイソンの事を。ゴシラカワは、トキワという名だった娘時代の話や、夫ヨシトモとの馴れ初めの事を。
ようやく訪れた、普通の母娘としての時間。
片や惑星を統べる皇帝、片や源氏棟梁の妹という複雑な背景も持つその娘は、これまでの時間を取り返す様に懸命に語り続けた。
手短に――まるで儀式を果たす様に。
そして二人の間に沈黙が訪れると、
「ウシワカ、おいで」
と、ゴシラカワがウシワカに向かい、両手を差し伸べる。
それに応じ、ウシワカがその膝もとまで歩み寄ると――ゴシラカワは残された力を振り絞る様に、娘の体をその胸に力強く抱き締めた。
ウシワカは母が何かと戦っている事を、一条ナガナリから教えられ知っていた。
母がこんな姿に変わり果てたのも、そのせいなのであろうと、それも直感で感じ取っていた。
だがそれが何なのかは問わない――母がそれを言わないのなら、聞く必要がないとウシワカは思ったのだ。
ゴシラカワの思いも同じであった。だから今、二人の真上にいる、封印されし異星の天使タマモノマエの姿を、ウシワカには見せまいとした。
顔を上げるウシワカの視界を、自身の顔でふさぐゴシラカワ。
そして二人はしばしの間抱き合うと、「さあ、いきなさい」と、ゴシラカワは愛する娘を元いた場所まで送り出す。
それから、
「ナガナリの所まで、使いに行ってくれ。――トキワは元気にしていたとな」
と、ウシワカに向かい、その女帝らしからぬ精一杯の笑顔で、最後の言葉を口にする。
「うん、分かった!」
それに答え、御座所を飛び出していくウシワカ。
こうする事が――さよならを言わずに別れるのが二人のため。
ゴシラカワの思いを理解したウシワカは、だから振り返らずに消え去った。
それを複雑な表情で見送るベンケイ。そして朝廷を守護するツクモ神である彼女も、ゴシラカワと最後の別れを果たすべく、宙に浮いたまま玉座に近付いていく。
「タマモノマエが……復活するのね?」
「そうだ……私もここまでだ」
「これで良かったの?」
「やれるだけの事はやった……無念ではあるが悔いはない」
「違うわ、ウシワカの事よ!」
ベンケイは気色ばむ。
なぜゴシラカワが、これまで娘であるウシワカに辛く当たり続けなければならなかったのか――タマモノマエの事を話せば、すべての誤解が解けるはずであった。
それなのに、なぜそうしなかったのかと、ベンケイは言いたいのである。
「本来なら、シャナオウは私が操るべきだった……。だが私はタマモの封印のため、ここから動く事もままならぬ身。ゆえに娘であるウシワカをお前に託し、私の代わりとした……ひどい母親だったな」
ゴシラカワは自嘲気味に笑うと続けて、
「なのに、あれだけ過酷な戦場に娘を投げ込んでおきながら……最後に私は、あの子にとって普通の母親になりたかったとはな」
と、自分でも理解できない感情を、遠い目をしながら独白すると、さらに言葉を重ねていく。
「ベンケイ……お前にも世話をかけたな。生まれてすぐナガナリの所に捨てられた私を、ずっとお前は気にかけてくれた。そしてストク帝が父トバ帝の子でない事を知ったお前は、タマモを討つために一人で奴に挑み……この玉座に十八年もの間、封印されてしまった」
ベンケイが封印された過去――それもまたタマモノマエを討つためだった事を、ゴシラカワは遠い目をしながら述懐する。
まさにゴシラカワの生涯と、それに寄り添ったベンケイの時間は、タマモ討伐のためだけに費やされたものだった。
その時が――間もなく終わろうとしている。
だが、その時間が無駄ではなかったと証明する様に、
「でも、あなたはタマモに封印された私を救ってくれたじゃない。――まあ、十八年は長かったけどね」
と、ベンケイがいたずらっぽく返すと、思わず女帝もつられて吹き出してしまう。
「そうだな。お前が封印された時から私の戦いは始まったが……まさかお前を解放して、タマモを封印仕返せるとは思ってもいなかった」
「ええ、そうよトキワ。――私たちは、きっと勝てるわ」
そして、彼女たちにも訪れる沈黙の時。
女帝とツクモ神という数奇な友情を築いた二人は、見つめ合う事で――過去、現在、未来への――すべての思いを共有した。
「もし、お前たちに何かあった時は、北方オウシュウに……ヒライズミに向かえ」
「オウシュウ……ヒライズミ?」
思いもかけないゴシラカワの言葉に、ベンケイが怪訝な顔になる。
惑星ヒノモトにおけるオウシュウとは、首都キョウトから東方にあるカマクラの、さらに北方に位置する未開の地。さらにヒライズミという土地は、初めて聞く地名であった。
「すべて準備は整っている。行けば道は開かれる」
世上で大天狗と揶揄される、稀代の策士の言葉にベンケイは黙って頷く。もはやそれを問うている時間がない事を、このツクモ神はすでに感じ取っていたのである。
「ウシワカの事を頼む。これはあの子の母として……お前の友としての頼みだ」
「まかせておいて」
それが二人の最後の会話だった。
そしてベンケイも振り返らずに消えていく。
思えば奇妙な縁だった。
捨て子となった皇帝の娘を憐れんだ、朝廷のツクモ神が、その友だちとなった始まり。
やがて捨て子は源氏棟梁の後妻に、さらには皇帝となり、ツクモ神は封印を経てその娘を託された。
時に協調し、時に己の信じる道を進んだ二人――だが、その間にはいつも真の友情があった。
だからこんなあっさりとした別れでも、ゴシラカワは満足だった。
その余韻にしばし浸るゴシラカワ。
それから彼女は、静寂に包まれた御座所に残った最後の一人――ここまで無言で、一部始終を見守り続けていた、僧形の摂政シンゼイに声をかける。
「で、お前はどうするのだ?」
「なに、どうもせんさ」
いつものゴシラカワのお株を奪う様な、シンゼイの返し。
それにゴシラカワは、これは一本取られたと、フフッと苦笑してから、
「まだもう少し時間があるぞ。アントクの所に行くなり、ヨリトモの元に落ちるなり……どちらにしても母上が復活すれば、お前も無事ではいられまい」
と、同床異夢ながら共にタマモ排撃に動いてきた摂政に、キョウトを脱出するよう促す。
だがシンゼイは、身にまとった僧衣をひるがえすと、
「お前は私が帝位につけた皇帝だ――そのすべてを私は見届ける」
と、いつもと変わらぬ毅然とした態度で、そう言い切る。
この僧形の摂政が、アントク即位による平氏の専権を阻止するために、ゴシラカワは擁立された。
それから予想外の政治力を発揮したゴシラカワは、この御座所を舞台にシンゼイと火花を散らしてきた――いわば二人は、内なる仇敵であったと言っても過言ではなかった。
だがそれでも二人の思いは、ヒノモトの未来を思うという点では共通していた。
だからシンゼイも、ゴシラカワがタマモの封印のために、己の命を削っていた事を知ってから、もうこの覚悟を決めていたのだ。
「そうか……なら私は少し眠るとしよう」
シンゼイの思いを受けとめたゴシラカワは、そう言って静かに目を閉じる。
タマモノマエを封印して以来、その継続のため一睡もする事なく魔導力を使い続けてきたゴシラカワ。
彼女が眠るという事は、やがてその封印が解ける事を意味する。
妖艶なる美貌を誇った顔は今や、その激務に枯れ果て青白く痩せこけてしまっている。
それに向かって、
「トキワ……すまなかった……」
思わずシンゼイは呟く――その声が、もうゴシラカワには届かないと分かっていても。
だが彼女の口元が、微かに微笑んだ様に感じたシンゼイは、
「陛下……よい夢を」
そう言い残し、深々と玉座に向かい頭を下げると、静かに御座所を退出していった。
Act-05 女帝墜つ END
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