Act-06 タイムリミット
御座所の空気が凍りつく。
その意味を、ウシワカだけが理解していなかった。
源氏嫡流である姉ヨリトモの政敵を助けるという発言は、それだけで一種の反逆行為である。加えてウシワカは、自分が『皇女』であるという立場もわきまえていなかった。
西に逃げた平氏が、先の皇帝タカクラの皇女アントクを奉戴する事によって、求心力を保っている様に――もしヨシナカが本拠地キソに、現皇帝ゴシラカワの皇女を伴えば、ようやくヨリトモの旗のもとに収まりかけた東方も、どうなるか分かったものではないのである。
ヨシナカもそれを理解しているので、一瞬その目に希望の光を宿したが、
「ウシワカ……お前の好きにしろ」
と言い残し、妹に目を合わせる事なく退出していったヨリトモと、そんな姉の態度に恐れおののくウシワカの姿が、彼に野望をあきらめさせた。
ヨリトモ、ゴシラカワ、そして平氏――そのすべてに及ばなかったばかりか、無垢な少女の思いまでアテにしようとした自分を恥じると、
「ウシワカ……ありがとな」
そう言ってポンと肩を叩き、ヨリトモたちに続きヨシナカも御座所から出ていく。
夫に寄り添うトモエも、ウシワカの横を通り過ぎる時、嬉しそうに微笑みながら、
ありがとう――
と、目でそう言い、去っていった。
御座所に残ったのは、ゴシラカワ、シンゼイ、ウシワカ、ベンケイ、そして居並ぶ文官たち。
「ねえ母さん、どうしてヨシナカをいじめるの⁉︎」
そして、いきなりウシワカはぶちかました。
源氏嫡流の異母姉を『お姉ちゃん』と呼ぶ彼女は、まだ余人がいるこの状況で、惑星の頂点に君臨する女帝を『母さん』と、まるで市井の少女の様に気安く呼びかけた。
そんな場をわきまえないウシワカの態度に、ヨリトモにおけるカゲトキの様に、ここでは摂政シンゼイが、
「貴様、口をつつしめ!」
と、すかさず叱責の声を上げるが、
「いじめる? 何を言っている?」
ゴシラカワはシンゼイを制しながら、
「私はヨシナカにもチャンスはやった――だが奴は果たせなかった。ならば潔くヨリトモの傘下に入るべきだ。だが奴はそれも拒絶した。まるで子供のわがままだな」
と、真っすぐな思いをぶつけてきた娘に、『政治』と言う名の正論でもって、それを一笑に付してしまう。
だがウシワカはひるまず、
「ヨシナカから聞いた! 父さんは弟と、お祖父さんを殺したって! お姉ちゃんも……父さんの弟を殺した……。ねえ母さん、いったい源氏ってなんなのさ⁉︎」
と、今度は――姉に受け入れてもらえないやるせなさと共に――ここまで抱き続けてきた、『源氏』という一族に対する理解し難い不信感を、母に向けて投げかける。
それに対して、
「親兄弟、一族を切り捨てる事でしか生きられない者たち――それが源氏だ」
そう冷たくゴシラカワは言い放つ。
続けて、母は娘に対し、その覚悟を問うた。
「お前は自分を『源ウシワカ』と言ったな? ならばその源氏の宿業、お前が断ち切れるか⁉︎ このままではヨシナカはヨリトモに討たれるぞ」
呆然とするウシワカ。それに追い討ちをかける様に、
「お前は源氏であると同時に、皇帝である私の娘――皇女だ。そのお前がヨシナカにつけば、東方の野心家たちの中には、まだヨシナカにつく者もいるかもしれんぞ?」
と、ゴシラカワは、とんでもない提案をする。
それに傍らの摂政シンゼイが唖然とする。この女は一体何を考えているのか、と。
そしてウシワカに至っては、その胸の内を理解してもらいたかった母に――姉を裏切れ、と思いもよらぬ正反対の答えを返され、混乱極まったその顔は涙目になっていた。
「もうやめて、トキワ!」
ゴシラカワを古き名で呼ぶ者――それは、ここまで耐えに耐えて、口をつぐみ続けていたツクモ神、ベンケイであった。
「もうこれ以上、この子を利用しないで!」
頬を濡らすウシワカの傍らに浮く彼女は、続けてそう言うとゴシラカワを睨みつける。
「ほう」
これには予想外だったゴシラカワは、興味深げに親友でもあるツクモ神の顔を見つめる。
「トキワ、ごめんなさい。私は朝廷のツクモ神……そしてあなたの友達よ」
ベンケイはまるで弁解する様に、そう前置きしてから、
「でも私は今……この子の事が一番大事。この子のそばにいたいの。だから、ウシワカが皇女でも、源氏として生きていくというのなら――私はそれを支えていくわ」
そう言って、いつも以上の愛情で、ウシワカを背中から強く抱きしめる。
「ベンケイ……」
姉に黙殺され、今また母に突き放されたウシワカは――血の繋がらぬツクモ神の愛に、今度は心から涙する。
それを見たゴシラカワは、
「フフッ、好きにしろ」
と、まるでヨリトモの言葉をなぞる様に、ベンケイにそう言い放った。
そして御座所を去ろうとするウシワカの背中に、
「ウシワカ、もう一度言っておく。源氏の道は――修羅の道ぞ」
と、初対面の時に、父ヨシトモの短刀ヒザマルと共に送った言葉を、再び投げかける。
それに振り返らずに進む、ウシワカとベンケイ。
この警告が母の愛である事に気付くには、ウシワカはまだ幼すぎた。
そして廷臣も退出して、御座所はゴシラカワとシンゼイの二人だけとなると、
「フクハラの戦……惑星カラが日食を起こしたそうだな」
ゴシラカワは呟く様にそう言うと、玉座の真上を睨みつける。
「らしいな。そのおかけでヨシナカは命びろいした様なものだ」
いつもとは違う女帝の気迫に、シンゼイも今日ばかりは素直に相槌を打ちながら、同じく玉座の上を目で追う。
そこにあるのは、憎悪に満ちた面貌のまま微動だにしない、梁に埋め込まれた裸形の女。
平氏都落ちの時に――惑星ヒノモトの秘事として――平トモモリにその存在を明かした、狐の耳と九本の尾を持つ彫像のごときそれに、
「こいつの神通力は徐々に復活してきている。あの日食も、ヨシナカを平氏に討たせようとした私を邪魔をしたのだ……。もう時間は残されていない」
と、ゴシラカワは、さらなる憎悪の感情をもって、そう吐き捨てる。
それに、もはやシンゼイは何も言う事ができない。
そして、ゴシラカワはギラリとその目を光らせると、
「母上……私は必ずあなたを殺してみせる。そのためなら、私は源氏も平氏も――どこまでも追い詰めてみせる!」
と、異形の怪物を『母』と呼び、その誅滅のために手段を選ばない事を力強く宣言した。
Act-06 タイムリミット END
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