Act-05 無垢なる狂犬【イラスト有り】
「この刀はね、帝からもらったんだ」
ヒザマルを手元に戻しながら満面の笑みで、そう口にするウシワカに、
(――帝?)
ヨリトモは違和感を覚え、思わずその顔を曇らせる。
そして続けて発せられた、
「この刀で、平シゲヒラを刺したんだよ。死ぬまではいかなかったけど、結構この刀、斬れるんだ」
という、およそ可憐な容姿の少女に似つかわしくない言葉には、
(いったい、この子は何を言っているんだ……⁉︎)
と、ヨリトモは内心、戦慄さえ覚えてしまう。
いくら宿敵平氏が相手とはいえ、人を刺すという凶行に、ウシワカはいささかも憐憫を抱いている様子がない。
それが、姉に対して見栄を張るために、無理に背伸びをしている訳でもない事が分かると――この少女には、何か人間としての大事な部分が欠落しているのではないかと、ヨリトモは困惑する。
だが、ウシワカにしてみれば、それは普通の事であり、ただ為すべき事を為したという自負があるだけである。
授かった天才的戦術能力と、備わらなかった戦略的思想。――それがあまりに純粋に、一個の少女として形になったのがウシワカなのだが、まだ出会ったばかりのヨリトモに、そこまでの理解が及ぶはずもない。
(これは……『無垢なる狂犬』だ)
ヨリトモが妹に抱いたそんな危機感を、ヒロモトをはじめとする源氏諸将も共有し始めた時、
「おお、感動の姉妹対面! ――ってとこかな」
と、場の雰囲気を突き崩す様な、底抜けに明るい声が飛び込んでくる。
一同がそちらに注目すると、そこにはいつの間にか木曽ヨシナカが立っており、その側には妻のトモエと、おまけにサブローとカイソンも連れ立っている。
「久しぶりだな、ヨリトモ。ちょいと邪魔させてもらってるぜ」
ヨシナカは友軍とはいえ、一軍の本陣に無理やり押し入ってきた事に悪びれる様子もなく、そう言いながらズケズケと、ヨリトモに近付いていく。
「アンタ、調子こいてんじゃないわよ!」
すかさず前に出て、その進路を塞ごうとするマサコに、
「久しぶりだなマサコ。ツクモ神は老けねえってえのは、本当なんだな」
と、ヨシナカはその伊達男っぷりそのままに、軽口を叩く。
「美容には気をつかってるつもりだからね。アンタの方こそ、ションベン垂らしてたガキが、ずいぶんと偉くなったものね!」
「まあ、そういきり立つなよ。――お前さんの相手はあっちだろ?」
マサコの舌鋒をかわしながら、ヨシナカは作為的な身ぶりで自身の後方に視線を移す。
皆の視線がそちらに移ると、そこには――いつもの勝気さが影をひそめ、何かいたたまれない思いに目を落とす、ともかくも、『らしくない』姿のベンケイがいた。
「ベンケイ!」
宙に浮く、ツクモ神を見つけたウシワカが、声を弾ませ駆け寄っていく。
「ウシワカ……どうして……」
シャナオウの修復のため、ウシワカから目を離した事は仕方なかったが――偶然も重なったとはいえ、まさか彼女が木曽ヨシナカばかりか、姉ヨリトモとまで、こうも段取り良く接触できてしまった事に、ベンケイはやるせなさを口にする。
だがウシワカは、キョトンとするだけであり、
――すべてのタイミングが悪すぎる。
と、心中歯噛みするベンケイの思いなど、分かろうはずもなかった。
そこに、
「ベンケイ! やっぱりアンタが絡んでたのね!」
と、マサコからの怒号が浴びせられる。
一同は、なぜマサコがそこまで激昂するのか理解できなかったが、暗に事態をここまで誘導してきたヨシナカだけは、この展開に密かにほくそ笑む。
「…………」
「そのウシワカって子、トキワの子なのね……」
「…………」
「くっ、なんとか言いなさいよ! ヨシナカ、アンタもいったいなに企んでんのよ⁉︎」
黙り込むベンケイに業を煮やしたマサコは、標的をヨシナカに切りかえ糾弾を継続する。
「俺はただ、お前さんたちがチンタラしてるから、お先にキョウトまで来て、平氏を追っ払ってやっただけだぜ。こいつも源氏として、それに協力してくれただけさ」
そう言って、ウシワカの肩を叩きながら不敵に微笑むヨシナカに、
「もうあなたたちは限界のはず。バキも機甲武者として運用するには早過ぎたはずです」
と、大江ヒロモトが新たに論戦に加わり、ヨシナカ軍が抱えているであろう問題を指摘していく。
「そいつはどうかな? 戦ってのは、やりようだぜ。――なんせこいつだって、『ヤサカニの勾玉』の機甲武者を手に入れたんだしな」
「ヤサカニの勾玉――朝廷の神器?」
ヨシナカの返しに、ヒロモトの眼鏡が揺れる。その奥で光る目は、一瞬では計算し切れない違和感に激しく歪んでいた。
「私は、シャナオウ……、ベンケイからもらった機甲武者に乗ってるんだ」
ヨリトモに向かい、ウシワカは笑顔でそう言った。
姉に褒めてもらいたい妹の純粋な気持ち。だがウシワカは、ヨリトモの顔がもう先程の姉妹対面の時とは別人のものに――為政者の顔になっている事に気付く事はできなかった。
ヨリトモは表情を殺している――それは彼女が、生きていく上で欠かす事ができない処世術であった。
己の力量以上の事態に対処するには、抗うにも従うにも、まずは自身の手の内を明かさない。
今も新たな情報に対して理解が及ばないのなら、沈黙を続け、各人の動きを冷静に見据える事が最善と判断したのだ。
無邪気に微笑んでいる妹。今はもう、彼女の事を純粋に慈しめなくなっている自分を、ヨリトモは心の奥で悲しく思った。
Act-05 無垢なる狂犬 END
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