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陸の金糸雀は謳わない  作者: カルーア
第一章 王国存亡篇(上)~交錯の冬戦争~
8/11

8. 焼き菓子の裏話


 焦茶色の髪を花々に止まる蝶のバレッタで纏める侍女姿の彼女は、温めたポットの中に大きめの茶葉を入れていた。そして、彼女は沸騰したてのお湯をそこに注ぐと、蓋をしてから蒸らすための時間を確認する。彼女はこれにて休息を与えられたかに思われたが、すぐに冷蔵庫のミルクピッチャーのことで悩み始めた。


 しかし、それも束の間のことで、彼女の懸念は暖色光を漏らすオーブン付近の後輩に移っていたのだった。バタークリームにメレンゲを入れ、後輩はそれを潰さないように灰色の髪を揺らしながらゴムベラで混ぜていたのだ。その様子に彼女は後輩のためにと、ジャムを取り出すついでとばかりに冷蔵庫へ向かった。


「リゼット、私は後に用事が控えているので一緒ではありません。」


「えっ、侍女長は作ったのに食べないんですか?」


 冷蔵庫から磁器と硝子瓶を取り出した彼女は、それらを長手盆の上に置いてから葵の花を咲かすコンコルドを引っ張った。すると、リゼットは髪につられて仰け反り、上目遣いに似た仕草で彼女を見つけたのだ。そうしてリゼットは誤魔化すように半笑いを浮かべると、オーブンの終了音に彼女は手を離したのだった。


「オーブンに口付けでもして感謝を示すべきですね。」


 彼女はそう言いながらオーブンを開けて、焼き上がった生地の香りに軽く頷いてみせた。そして、彼女は生地を触ってピエの動かぬ状態を確かめると、天板を抜き取り机上で粗熱が取れるのを待ったのだ。そんな彼女の前方にリゼットは横から手を伸ばそうとするも、軽く叩かれることで撤退を余儀なくされていた。


 仕方なしにとリゼットは円形の膨らみを見つめ、色別の香りに顔を綻ばせることとなった。そこにはラズベリー、チョコレート、アールグレイ、そしてキャラメルからシトロンまでの調和された世界が広がっていたのだ。そんな誘惑にリゼットは抗えるはずもなく、涎を垂らす姿に彼女は甘やかした自身を呪っていた。


「私は紅茶の方に戻ります。リゼット、すぐに終わらせるのですよ?」


「お任せください!私はお菓子作りが得意中の得意ですから!!」


「そうでしたね……それが他の雑務もそうでしたら良かったでしょうに。」


「あの~、侍女長。私は褒められて伸びる性格なんですよ?」


 彼女はリゼットのその発言に無性に腹が立ち、再び灰色の髪を留めたコンコルドを真下に引っ張ったのだった。リゼットは二回も首を伸ばされたことを恨み、彼女の後ろ姿に映える薄紅色の蝶にしかめ面をしてみせる。すると、見ているはずもないのに彼女は蒸らし終えたポットの蓋をリゼットに投げつけたのだった。


「失礼、少しばかり熱かったので思わず。」

 

 彼女は机に落ちた蓋を手にすると、ポットにそれを戻して二人分のティーカップを用意し始めた。そんな彼女にリゼットは聞こえるように溜息を洩らし、完成されたクリームを手早く二枚の生地の間に挟んでいった。そうして出来上がった焼き菓子に対して、リゼットは白百合の紋章が貼られた皿へと盛り付けていく。


 リゼットは数時間に亘る結果を見て貰おうと、彼女のいる食器棚の方へ目を向けた。しかし、彼女は紅茶の準備とは関係のなさそうな書類を検めており、幾枚かの写真にクリップを挟んでワゴンの下段に仕舞っていたのだ。そんな彼女の侍女ならぬ行為をリゼットは奇妙に感じ、直近の数日間の不在を思い出していた。


「……侍女長、その、マカロンは美味しいですよ?」


「知っています。それに、本日の内容を決めたのは私です。」


「あの……偶には私のために食べてくれても。」


 そう言ったリゼットの顔を彼女はじっくりと見つめ、それから横に流れた前髪を丁寧に直したのだった。彼女は黙ったまま返事もせずに、長手盆に乗ったマカロンの皿と茶会の一式をワゴンの上段へ運んでいく。そして、彼女は慌ただしく台所より離れようとしたその時、細事を付け加えるために振り返ったのだった。


「下段にある書類のことは頼みましたよ。あと、ナタン様にはくれぐれも注意して下さい。それと……私は昨日の努力の味を知っていますから。」


 無表情を崩した彼女はそのまま姿を消し、リゼットは昨晩の練習が知られていたことに顔を熱くした。台所に一人残されたリゼットはそれからワゴンを押して、迷路のような大理石の廊下を進んでいく。そうして落ちゆく光源に題目を変える彫像を眺めながら、リゼットは気が付けば目的地に辿り着いていたのだった。


 そこには一切の輪郭や取っ手はなかったものの、白馬の埋められた円盤が扉の位置を示していた。それをリゼットは時計回りに半分ほど回すと、独りでにその扉は引き戸のようにずれていったのだ。リゼットはそのまま臆することなく部屋にいるナタンを探し、彼もまた軋んだ音に読んでいた本から顔を上げていた。


 リゼットは本棚が無数に配された中を進み、その途上に置かれた縦長机にナタンを見つける。そして、リゼットは対称的に並んだ空席を知り、そこに嘗ては人数分の定位置があったのだろうと想像した。そんなリゼットが押したワゴンを既視感と共にナタンは待ち受け、視線を徐々に上段の物へと下ろしていったのだ。


「……なるほどね。それを作るように指示したのは彼女かい?」


「えっ、そうですけど……どうして分かったんですか?」


 リゼットはワゴンの上段にあった全てを縦長机に置きながら、ナタンの黄土色の瞳を見つめてそう言った。しかし、ナタンは読んでいた本をどかすだけで、皿と同じ柄のティーカップに紅茶が注がれるのを静かに待ったのだ。リゼットはその意図を即座に察し、硝子瓶から苺のジャムを掬って緋色に馴染めせていった。


「何か頼まれたはずだろう?それが君の問いへの一助というわけさ。」


「あの~、頼まれたものは書類しかないんですけど。」


「それはきっと、いや、間違いなく共和国に関するものだろうよ。」


 ナタンは苺の酸味の効いた紅茶に口を付け、リゼットに書類を渡すように手を差し出した。それを見たリゼットはワゴンの下段より書類を取り出そうとするも、その際に挟まれていた幾枚かの写真を零してしまったのだった。そのため、リゼットは手元の書類を縦長机に置いてから落ちた写真を拾わんと屈んだのだ。


 ナタンは机上の文面と落ちた写真を一瞥し、納得の下にラズベリー味のマカロンを手に取っていた。そして、ナタンは出来栄えの良い真朱色を眺め、それを口に入れてじっくりと味わったのだった。目を開けたナタンは写真を持つ萎れたリゼットを見て、皿に盛られた量と余ったティーカップに理由をすぐに解した。


「つまるところ、共和国なぞ食ってしまえってことさ。」


「えっと……まるでナタン様の言っている意味が。」


「君はお菓子作りが得意だったよね。なら、マカロンの由来とは何だい?」


「えっ?あっ、はい、えっと……確か我が国に輿入れした際の妃の手土産が始まりで。その名前は……そう、アマレッティって、あっ!」


 ナタンは模範通りの答えに拍手をすると、リゼットに隣に座るように促した。すると、彼女は満面の笑みをもって自身のティーカップに紅茶を注ぎ、磁器の中の白色を加えてから座ったのだった。それから彼女は許可も得ずにシトロン味のマカロンを手に取り、それを匂わす黄檗色をすぐさま半分ほど欠けさせたのだ。


 ナタンはそんなリゼットの性格が変わらぬことに息を吐き、彼女がさぞかし手を焼いているだろう姿を想像した。そして、彼女を真似て髪留めを使うようになったところを見るに、互いにうまくやっているのであろうとも思ったのだ。けれど、この場に彼女が来なかったことは今回もまた予想の範疇であったのだった。


「その共和国由来のものだけど、君の食べているそれは何だい?」


「え~と、正式名でマカロン・ムー、ですか?」


「その通り。共和国由来を作り変えて食せ、彼女の言い分はこれだよ。そして、我が国が一ヵ月ほど前に関係を持ったのが共和国なのさ。」

 

 ナタンはそう言ってキャラメル味を手に取り、書類を片手で一枚ずつ捲っていった。その概要とは共和国の現状と研究の共有であり、付属された写真に幾人もの少女が映っていたのだった。しかし、その中には一枚だけバツ印が付けられたものがあり、別紙にその少女の死体と解剖図が事細かに説明されていたのだ。


 リゼットはその書類が如何なる内容なのかすら見当もつかず、幼げな少女の顔立ちを眺めるばかりであった。唯一にして分かったことと言えば、書類上の文字が侍女長の文字であったぐらいなのである。そこでリゼットはアールグレイとチョコレートの選択を悩み、味の濃い後者を取りつつ侍女長の存在を不審がった。


 そんなリゼットのことを知らぬままに、ナタンは彼女の筆跡で付け足された情報を確かめていた。そこには共和国の以後の戦略方針と、地図に書き込まれた貨物進路が強調されていたのだ。そして、クリップでわざわざ留められた青みがかった鉱石の写真について、ナタンは心底不快そうに嘆息を洩らしたのだった。


「僕はね、あんな汚らわしいものを作ることに反対していたんだよ。成功しようが関係ない、必ず彼が壊すに決まっている……遅かれ早かれね。」


「あの、私は侍女長ではないので政治のことはさっぱりなんですけど。」


「そうだったね。まぁ、それで彼女は利用するだけ利用して、我が国にとって最大の利益になった時に食べろと発破をかけてきたわけさ。」


「……ナタン様、侍女長って本当に何者なんですか?私が知っている限り、侍女長は修道院由来の説のあるお菓子を食べないってことしか。」


 そのリゼットの発言に図らずもナタンは吹き出し、可笑しさの中に埋もれた彼女の真顔を思い描いてしまっていた。あまりに能面な彼女であれど、素直な一面があったことは幸いであるとナタンは考えたのだ。そんな彼女のためにも追手を撒く手段を案じながら、ナタンは書類の下敷きとなっていた報告書に目を通す。


 その報告書には鉱石の場合と同様の一枚があり、それは王国との戦後を描写するだけの複数枚とは一線を画していた。というのも、そこには司令部のあった地下の廊下が大きく歪んで映っていたのだ。そうしてナタンは彼女の意志の籠った一枚を睨み、報告書に寄せられていた共和国からの疑問に解決を見たのだった。


登場人物について

ナタン=デゥボワ……帝国近衛。薄い葡萄色の髪。黄土色の目。

彼女……焦茶色の髪。侍女長。髪留めは薄紅色の蝶のバレッタ。

リゼット……灰色の髪。侍女。髪留めは葵のコンコルド。

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