表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
陸の金糸雀は謳わない  作者: カルーア
第一章 王国存亡篇(上)~交錯の冬戦争~
6/11

6. 信仰よりも近しきもの


 郊外を進みゆく汽車に降り注ぐ陽光は、いつしか無為さから離れた陰影を描き出していた。座席に浮かぶ濃薄の重なりは疲れ切った顔を掠め、閉じられた瞼を枝葉の写しが繰り返し擽るのだ。そんな中でさえ起きる兆しのない面々を見ていたロジーナは、そっと鞄に詰め込んでいた縦長のケースカバーを取り出した。


 二匹のリスと遊んでいたイレーネは無言で立ち上がるロジーナに戸惑い、そのことへの反応を伺うように周りを見渡した。しかし、頼りになるはずのマルグリットは黙したままで、他の誰もに目にしている気配すら感じ得なかったのだ。そうしてロジーナが車両から出ようと、まさにその一歩を踏み出した時である。


「周りが眠るのを待って、一体何処に行くつもりだ?」


 アイマスクを掛けた状態のマルグリットは、顔を少しも動かさずにロジーナをいきなり呼び止めた。すると、ロジーナは生唾をゆっくりと呑み込み、ケースカバーを握りしめた後で肺から空気を絞り出す。そんな緊張したロジーナの背中を眺めるイレーネは、高鳴り出した鼓動に心疾しい声を聴き取っていたのだった。


「……調律ですわ。なにせ、無理に回路を切り替えましたから。」


「その話は初耳だ。不全な身体を誤魔化した先に何がある?」


 マルグリットの指摘にロジーナは思わず口を噤み、暫くして悩みを振り切るように再び足を進ませた。イレーネは珍しく意外な行動を取ったロジーナに驚き、マルグリットに続きの一手を期待する。けれども、マルグリットはアイマスクをずらして背後を顧みぬロジーナを見届けるだけに終わってしまったのだった。


 マルグリットはどうにも事情を即座に察したようであったが、イレーネは判断を委ねるように首飾りの指輪を両手で包んでいた。イレーネには途中から走り始めた足音が聞こえており、占い師の言葉に偶然を揺さぶられていたのだ。そんなイレーネに諦めて嘆息を洩らし、マルグリットは車両の先を親指で指し示した。


 その一方、彼女らの懸念を露ほども知らぬロジーナはというと、嫌な記憶から逃れようと只々廊下を駆けていたのだった。ロジーナは上官の言葉をもって批判するも、さりとて自尊心だけは否定し得てはいなかったのだ。そうして肩で息をするロジーナは貨物車両の前で止まり、深く閉ざされた扉を開けたのだった。


「……本当にもう、私らしくありませんわ。」


 ロジーナは連結部の隙間に注意し向こう側へ飛び移ると、貨物車両の傍に取り付けてある梯子に手を掛けた。純白の手袋は錆びついた鉄のざらつきに自身を汚しつつ、登り切った上端を掴んで重い主人を引き上げる。すると、それまで遮られていた風がロジーナを直撃し、彼女の髪は勢いよく裏側へ流れたのだった。


 ロジーナは眼下に景色を収めるように立ち上がると、山々に浮かぶ黒い翼の群れを視認した。光加減に色を変え、混ざり切らぬ絵の具のように揺れる木々の様子はまるで不統一な子供の落書きを思わせる。ロジーナは吹かれる清涼な風に身体を洗われ、気が付けば後ろ暗かった感情を過ぎゆく風に渡してしまっていた。


「人が自然を作ったのか、自然が人を作ったのか……私はそのどちらを信じればよいのやら。信仰が絶対ではないと、そう思えたらって……あら?」


 長い癖毛の一束をロジーナが耳に掛けたところ、彼女はその束に隠れていた桃染の爪色に誰かの気配を捉えたのだった。直射した光に反射する白金の頭に我が目を疑ったロジーナは、登ってくる誰かの存在に慌てて駆け寄った。そして、焦るようにロジーナは細い腕を引っ張り、軽い身体を引き上げようとしたのだ。


「あぁ、もう、心臓に悪いですわ。なんて危ないことを。」


「大丈夫、今は昔よりは見えている方。」


「……イレーネ、反省をして欲しい私の気持ちが分からないかしら?それにどうやってこの場所が、いえ、もしや聞こえていまして?」


 イレーネは車両の上で座りながら頷くと、ロジーナの手元にあるケースカバーに目を移した。それに感付いたロジーナは溜息混じりに腰を下ろし、ケースカバーを開いて収められていた金属を取り出したのだった。イレーネはその意図を察して金属を受け取ると、一つの楽器を目指して各々を組み合わせていったのだ。


 それを見ていたロジーナは同梱された箱を手に取り、中からチョークを取り出してみせた。それからロジーナは車両の上に楔型の文字を綴り、別々に完成させた二つの文の間を回路の如き線によって繋げたのだ。続けてロジーナは首元より鉄黒色の鉱石を設えた十字架を外し、一方の文の上にそれを乗せたのだった。


「此方は既に終わりましたわ。イレーネ、其方はどうかしら?」


「多分……これで合っている、と思う。」


 イレーネから楽器と化したフルートを渡されたロジーナは、それをもう一方の何もない文の上に置いた。そして、ロジーナは手袋を片手だけ取り去り、回路の結びに似た等号に裸になった手を合わせたのだった。すると、深い呼吸に同調するかのようにチョークの粉は輝き、周囲を巡っていた風が落ち着き始めたのだ。


 ロジーナは自身の波長に粉で繋がれた鉱石の波長を添わせ、双方が一部の狂いもなく重なる瞬間を待ち続けた。そうして寸刻の空白が絞り尽くされようとしたその時、突然と色落ちした景色が十字架より半球状に広がったのだった。それを確かめたロジーナはようやく手を離し、フルートを掴んで立ち上がってみせた。


 それからロジーナはヘッドスクリューに唇を合わせ、白黒の世界の中でそっと管内へと息を吹き込んだのだ。すると、木管楽器としてはやや低い音が木霊し、半透明な鉄黒色の膜を震わせたのだった。結界の如き膜は音の響きに即して表面を波打たせ、その動きを見ながらロジーナは頭部管を主管に差し込んでいく。


「魔力回路がとても曖昧。もっと、線引きが必要。」


「身体に埋め込んだ回路が本物に成り代わろうと必死なんですわ。」


「……ジーナに怪我はなかった。補助を使ったのは、何故?」


 無垢でぼやけた瞳はロジーナを見つめ、その純粋さに彼女は思わずそこから目を逸らしてしまっていた。そして、ロジーナは十字架の鉱石と同じ色の膜に過去を覗き、その模様に当時の状況を漫然と探したのだった。それは死を予感した際に見た銃弾の後景であり、瞬時に十字架の補助に頼った証拠でもあったのだ。


「ソレッラとの戦闘ですわ。第一式のサーベルが折られまして。」


「もしかして、純度の衝突とは違う?」


「違いますわ。振動が掛けられた状態を素手で掴まれて横から。」


「……そう、だからカミラ少尉が。」


 イレーネの発言を受けたロジーナは、カミラを助けに行った際に五感で味わった刺激を思い出していた。それも首を刎ねようとしたサーベルを折られ、ソレッラに銃を至近で向けられた焦燥感が肌奥から炙り出されていたのだ。イレーネはそんなロジーナの説明に対し、通信時に過った僅かな雑音を振り返っていた。


 イレーネは当時の雑音が干渉の末にあったのだと今になって知り、自らの贖罪を兼ねて風も色すらもない中を立ち上がる。そして、ロジーナの隣で目を瞑り、イレーネは優しい声色で歌ってみせたのだった。それはロジーナが吹こうとした曲の冒頭であり、言葉を為さない声をもってイレーネは奏でようとしたのだ。


「私も手伝う。それに、私なら調律が出来る。」


「それは……。もう、これではイレーネへの恩を返せそうにありませんわ。」


「ジーナの話は偶に分からない。けど、ジーナのことはずっと見てきたからよく知っている。いつだって一緒、小さい頃からずっと一緒。」


「えぇ、その通りですわ。今もここにいるのが可笑しいくらいに。」


 ロジーナはそう言うとフルートに口を添わせ、イレーネの声に合わせて音色を響かせたのだった。そこには迷いのない音程へ向かう魔力の流れがあり、曖昧だった回路はもとの位置へと戻されていったのだ。そして、安定し始めた膜は自身の色を深く染め上げ、波打ちのない綺麗な本来の模様を醸し出したのだった。


 二人の奏でる楽曲を窓を開けて聞いていたマルグリットは、美しく整った調子に自身の判断を肯定していた。マルグリットはロジーナの調律に安堵の胸を撫で下ろし、イレーネを信じた結果に先の懸念を払拭したのだ。しかし、マルグリットは尚更に自分たちが相手取っている存在を意識せざるを得なくなっていた。


「危険ではあるが、鳩に連絡を飛ばすしか他に方法は……。折角の休息がこれでは台無し、いや、こういう時に限って茶々が入るものか。」


 独り言ちたマルグリットは開かれた景色を思い、煙草を吸うために外套に手を差し入れた。そうしてマルグリットはジークからの煙草入れに触れると、未だ中身を確認していなかったことに気が付いたのだ。マルグリットは鉱石で飾られたそれを検めてみるや、そこには幾本もの煙草が種別に並べられていたのだった。


 色も味も違う系統の煙草が間を空けて配されていることに、マルグリットはジークの意図を感じて熟慮する。そして、その配置図と種別の数を記憶したマルグリットはジークの贈り物を外套に片付けたのだった。反対に自身が常備する煙草入れを取り出し、マルグリットは一本を口に咥えてから窓の外に顔を出した。


 ガスライターで火を灯された煙草より煙が昇ると、それは風に溶けるように背伸びした頭から消えていった。しかし、マルグリットの悩みは煙みたく何かに薄められることは決してなく、煙草に溜まる灰屑そのものであったのだ。そんな何度も再燃する赤色の燻りをもって、マルグリットは陰を照らし出そうと試みる。


「はてさて、向こうの盤面はどうなっているのか……。」


 口から吐かれる紫煙は失われていくのに対し、山に反響する音色は背景に足跡を残していた。もし寂しさがあるとすれば、目覚めていた者がマルグリットの他に誰もおらず、駅で入れ替えのなかった汽車が会場であったということであろう。けれども、調律者らは演者であることを断じて辞めはしなかったのであった。


登場人物について

マルグリット・ヴィンター……少佐。金髪。藤色の目。

ロジーナ・ユング……中尉。黒色の長髪。宗教信者。

イレーネ……白金の髪。視力が悪いが、耳がいい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ