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陸の金糸雀は謳わない  作者: カルーア
第一章 王国存亡篇(上)~交錯の冬戦争~
5/11

5. 偽りで塗られた銀世界


 枝葉に圧し掛かる結晶は連なることで氷より離れ、咲き誇る白き花々としての姿にその身を昇華させていた。痩せ細りながらも聳え立つ針葉樹を傘にして、等高線混じりの地図を持った人影が完成された雪山に蛇足を残す。それも進み始めたかと思うとすぐに止まり、また同じことを繰り返す単調な乱れであったのだ。


 双眼鏡を覗いた先には南北を貫く河川が広がっており、その果てのなさは海岸まで続いていくものと伺える。そんな河川を見下ろす丘陵の位置に吐息は我を誇示するも、不規則な天候に怯えて行方を晦ましてしまうのだ。それは朝方に源流を追って滝を臨んだのとは違い、昼前には戻れぬ不安に駆られていたのだった。

 

 目に映った景色により地図は幾度もの修正を加えられ、それを他者が見れば別土地のものと錯覚してしまうであろう。測量を終えた人影は曇った眼鏡を拭くこともせず、数字と記号の入り交じる地図を丸めて背中の鞄に片付けた。その代わりに革手袋は方位磁針を取り出し、定まらぬ針をこの場でも確かめたのだった。


「やはり、砦の所為ではなく含まれる成分のようですね。」


 若干に寒さで震えた声は男性のものであり、彼は目にかかる前髪の隙間から手に降りた角板状の形を観察する。それから彼は方位磁針を仕舞うと天を見上げ、余すところなく暗灰色で覆われた様子を眺めたのだ。そんな横顔は雪雲の奥を定かにねだっていたが、彼は叶わぬ模様として足跡のある道を引き返し始めた。


 なだらかな斜面を歩んでいたはずの彼は鬱然たる方角へ逸れると、凍り付いた樹皮に手を合わせながら見知らぬ足場を下りていく。そこには一路に目的地へ向かう明白さがあるものの、耳からは雑音ばかりが届けられていた。そんな折にインカムが再起動を試みたため、唸り出した機械音に彼は足を止めたのだった。


『ヤン先…、測…からそろ…ろ帰って…たらど…っすか?』


「すみません、もう一度いいですか?ディルク君の声が此方には。」


『流石…嫌っ…よ。第一、何…出し惜…みして…んすか。』


 途切れ途切れの音声から内容を推測したヤンは、一抹の懸念を押してインカムに施された別回路の電源を入れ直す。すると、インカムの周りにいきなり緑の靄が渦巻き、すぐにそれは弾けるように霧散したのだった。まるで打ち上げられた花火の開花を思わせる出来事の後に、生じていた雑音が嘘のように消えていく。


『これで聞こえると思い……あの、待って下さい、ディルク君は何を?』


「何って、ボルシュチを作っているんすよ。」


『……正午には到底早すぎますけど。もしかして、天気の心配ですか?」


「そうっすよ。怪しくなってからでは遅いっすから。」


 ディルクはそう言いながら櫛型の玉葱と一口大のキャベツを炒め、バターの溶ける音が届けられたことに胸を軽くしていた。これまでは砦で囁かれたように、通信の途切れがディルクにもしもの事態を憂慮させていたのだ。しかし、それもやっと皮の向かれたトマトとビーツの赤みに比して薄らいでいったのであった。


 牛肉を煮ていたスープを加えて弱火にしたディルクは、耳の疲れを取るために自身のインカムを外した。インカムより発された通知音がヤンの接近を伝え、ディルクは辺りへの警戒を解くことが許されたのだった。暫くしてヤンが針葉樹の陰から姿を現すと、ディルクは捲られた軍服の袖と共に後背を指差してみせる。


「あっ、ヤン先輩、早速で悪いっすけど僕の鞄からシュマントをお願い出来るっすか?ほら、最後の仕上げに欠かせないって言われたやつっすよ。」


「最後の仕上げですか?えっと……あぁ、青果店で教えてもらった。」


「そう、それっすよ。コクが出るとか何とか、まぁ、初めてなのに違いなんて分からないっすけど。それっぽいのを見繕ってきて欲しいっす。」


 言われるがままにヤンは立て掛けられていた鞄に向かうと、その中に詰め込まれていた機材に目を凝らしたのだった。そして、ヤンは自身が測量に躍起になっていた間を考え、ディルクが隊で生き残っている訳に笑みを洩らしたのだ。ヤンはその後にスメタナを探し出して戻ると、煮立った鍋に目を見開いたのだった。


「……赤い、ですね。本当にこれで合っていますか?」


「間違いないっすよ。僕は女性陣と違って勝手はしない主義なんで。」


 完成の合図として煮込まれた牛肉が投入され、クリーム状のスメタナで料理の飾り付けが締められる。各人が自炊用に持ってきていた木皿に深紅色は整えられ、ヤンは折り畳み式の椅子に座って眼前の色合いに口を閉じた。それからヤンは食す素振りを見せずに、手にしたスプーンを遊び用具の如く宙に泳がせたのだ。


 すると、その時になってヤンは革手袋に付着した異変に気が付き、スプーンを木皿に置くと片手のそれを剥ぎ取った。そこには樹皮に触れたと目される汚れ以外にも、粘性の液体が鈍い光沢を放っていたのだった。それが樹液であることに変わりはしないが、ヤンは漂う匂いに異物が混じっていることを直感したのだ。


 そんな奇妙な行動をディルクに見られていると察したヤンは、もう片方の革手袋を外してスプーンを再び手にした。そして、意を決したように中身を掬って食べると、ヤンは感想を述べるために紐づけされた記憶に飛び込んだのだった。それは生還の暁として一昨日に味わった、勝利には程遠い現実を含んでいたのだ。


「あぁ、何と言いますか、帝国の家庭料理のあれに似ていますね。味覚みたいに繋がりがあれば……いえ、それこそ私の役目なんですけど。」


「ヤン先輩、せめて意味が分かるように言って欲しいっす。」


「そうですね……ここには嘘つきが多く、それが推理小説のようだということですよ。深い所に見えない意志が、私はそんな気がしてなりません。」


「それ、全然答えになってないっすよ。全く、政治将校はこれだから。」


 ディルクはヤンの話に理解の及ばない内容と諦め、一切を彼に託して赤白の対比に身を委ねることにした。すると、ディルクはヤンの指摘した通りに戦線で食した風味を想起し、無意識に口当たりの違いを鋭敏に求めたのだった。そして、すぐさまディルクは馴染みのないビーツの甘さで実感をもって安堵したのだ。


 帝国との一戦が終わった根拠を互いに欲し、それが今回は食事に見出されただけのことであった。ディルクは遡る記憶の中で気を失ったカミラを探し、ヤンの後付けをもって不安を除いたことを忘れられないでいたのだ。実力を信頼し理由すらも判明したが、それでもディルクは充たされてはいなかったのだった。


「そう言えば、任されていた解析の結果は出たんすか?キャロル&ルーカス社の最新型ともなれば、不足なく緻密に記録されてそうっすけど。」


 ディルクの発言に思わずヤンは表情を曇らせ、木製のスプーンをゆっくりと深紅色の中へと沈ませる。そして、静かに回された野菜は玉状の脂と共に移動し、牛肉は溶けるように自身の形を崩していったのだ。その様子にヤンは心の今を投影しているようで、反射しない表面を漠然と見下ろしながら言葉を探していた。


「……私もそう思ったのですが、記録はあれど何れにも該当しない形跡ばかりでして。緻密さが反って読み取る以前の問題を浮上させた感じですかね。」


「それって、おかしくないっすか?最新型で特注、ましてカミラ先輩は令嬢、これだけの条件で調整に手抜かりなんてあり得ないっすよ。」


「えぇ、ですから精度面に間違いはないと考えています。つまり、未発見か未解決の要素に帰着したものとして推測の域を出ないということです。」


 ヤンはそうとだけ現状を結論付けると、細身に裂かれた牛肉を掬って口の中に放り込んだ。素材の旨味を吸い込んだ牛肉を咀嚼しつつ、ヤンは軍用街に佇む青果店の説教臭い長話を思い出す。砦が完成した後の農耕事情というものは、やはり聞いた限りでは一帯をひしめく土壌の成分と関わりがあるようであったのだ。


 そのような回顧は味覚に触発されたものであったが、ヤンはそこから一貫した疑念である地盤への手掛かりを雪上の砂時計に見出していた。紺青色の小粒に合わせて時間を垂らすそれは、砦から外出する際に渡されたものであったのだった。そうしてヤンは上砂の残量を眺め、目下を流れる時刻を想起してみせた。


「ディルク君、隊の皆さんが到着するのはいつ頃でしたか?」


「夕方っすよ、まぁ、始発に乗り遅れていなければの話っすけど。」


「そうですか。では、食べ終えたら街で時間でも潰しましょう。砦に戻ってもいい顔をされませんし、大佐殿の何もするなという命令にも反しませんよ。」


「うわっ、ヤン先輩って知らぬ間にそんな命令を受けてたんすか?僻地の砦まで悪評とは、いよいよ僕らの隊は瀬戸際って感じがするっすね。」


 そう言うとディルクは空になった木皿に追加をよそい、立ち昇る湯気を顔で受け止めるように具材を覗き込んだ。その行為は暖を取ろうとする姿勢の他に、質の悪い野菜が様変わりした絵面を見定めんとする含みを感じさせていた。しかし、ヤンは能天気なディルクにそれを過分として掻き消してしまったのだった。


 ヤンの注意は既に魔法瓶からの焙煎された豆の芳香に向けられており、些かの懸念で渇いた精神を潤すことに腐心していたのだ。ヤンはコーヒーを飲むことで鼻に抜ける土っぽさに身体を浸し、それから連ねて仲間の顔を頭に思い浮かべた。隊の中で香りを纏うのは、ヤンが知る限りに彼女ら二人だけであったのだ。


 甘く蕩けるような息苦しさを忍ばせるのはロジーナの偏食により、日毎に異なる味わいを洩らすのはマルグリットの愛煙によるものであろう。ヤンはそのように断じながら、十分に飲み終えた魔法瓶の蓋をしっかりと閉ざす。ディルクはそんなヤンを見て慌てて中身を平らげ、次の場所のために立ち上がったのだった。


登場人物について

ヤン……政治将校。眼鏡を掛けている。

ディルク……ヤンとカミラの後輩。

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