3. 双子の呼び名は同音に
東の空より差し込まれる白ばんだ光の中を、クリストフは嵩張った軍用鞄を肩に掛けながら歩いていた。彼の後を追うのは真新しい軍服に袖を通したばかりのヴィルベルトだけであり、マルグリットの姿はどこを探しても見当たらない。それどころか、彼ら以外の乗客は巨体の佇む駅構内に影も形もなかったのだった。
扉の開け放たれた車両内へと足を踏み入れたクリストフは、続いて鋼鉄の外観とは異なる漆の塗られた木箱の世界を覗き見る。すると、彼らを待っていたかのように、中央の座席からは二匹のリスが同時に飛び出してきたのだった。そこでクリストフはその場に屈み込み、挨拶代わりにと二匹の頭を撫でてみせたのだ。
「出迎えご苦労さん。おい、准尉……それを。」
ヴィルベルトはクリストフから向けられた視線を受けて、早朝にマルグリットから託された小瓶の意味を理解した。促されるままに中のナッツ類を取り出したヴィルベルトは、背丈を縮めて二匹の前に数粒ほど差し出してみせる。すると、縞模様の濃い一匹が早い者勝ちと言わんばかりに殆どを頬袋に収めたのだった。
のんびりと構えていた一匹はその事実に気が付くや、余った胡桃を土産に走り去ろうとする一匹を慌てて追いかけた。それを眺めていたクリストフは、二匹が帰った先である中央の座席へと向かっていく。しかし、クリストフは何かを警戒するように足を止めると、仄かに香るキャラメルの甘味に溜息を洩らしたのだ。
ヴィルベルトはクリストフの背中から顔をずらし、通路に食み出る真白なマグカップの形を視認した。一歩ずつ踏み出されるうちに顕になった癖毛の黒髪が、その腰まで届く長さに女性であることを忍ばせる。彼女の鋭い目付きは次第にクリストフを捉え、間を縫うようにして白金の気配がもう一人の誰かを匂わせた。
「隊長さんは何処かしら?時間はすぐそこまで迫っていますのに……。」
「何か用でもあるのか?それとも、また何かを勘繰っているのか?」
「両方……と、言いたいところですけど。今は占いでイレーネが戴いた指輪のことですわ、その方が隊長さんの知己と伺いましたもので。」
クリストフは眠っているイレーネの首に掛けられた指輪を一瞥すると、通路を挟んで反対側の対面座席へと腰掛けた。ヴィルベルトは品定めをするような視線を感じながらも、続いてクリストフの真向かいに腰を下ろす。濡れそぼった髪をした彼女はマグカップに口を付け、ヴィルベルトの皺のない軍服を眺め入った。
「ねぇ、貴方は下ろし立てのそれをどこで渡されたのかしら?」
「えっ?あぁ、確か駅から歩いてすぐの店で。えっと……それであんたは?」
「私はロジーナ、ロジーナ・ユングですわ。階級は中尉で……もう、毎日のお祈りの他に趣味という趣味は。ほら、この通りに敬虔な信徒ですのよ。」
ロジーナは首元にある大きな十字架に触れると、優しくヴィルベルトに微笑んだのだった。それからヴィルベルトの目の動きに連れられ、ロジーナはイレーネの滑らかな髪をそっと撫でてみせた。穏やかに眠るイレーネの傍では二匹のリスが胡桃を取り合っており、未だに決着の行く末は定まっていないようであった。
足元の鞄から桜色の瓶を取り出したロジーナは、それを自身のハンカチに二回ほど吹きかける。まるで香水を思わせる華麗な瓶の作りを見て、ヴィルベルトは部隊での羽振りの良さの訳にふと考えを巡らせた。ロジーナはそのハンカチを小さく畳むと、汚れを嫌う手袋がクリストフに潔癖であることを求めたのだった。
「戦場の残り香を消して下さるかしら?流石に着替えていないのは少し……。」
「おいおい、そんなに酷いか?准尉、貴君もそう思うか?」
怪訝そうな顔で尋ねられたヴィルベルトは、その時になって馬脚を現した殺人鬼の影に声を失った。先程までの柔和さからは打って変わり、濁りきったロジーナの瞳はヴィルベルトに返答の是非を強いていたのだ。ヴィルベルトは迫られるままに頷いてみせると、クリストフは疑いもせずにハンカチを受け取った。
ようやく今になって動き始めた汽車は、車両を大きく揺らして彼らの身体を弾ませる。置き去りにされゆく景色に目を添わしていたロジーナは、ホームを駆ける二つの人影を捉えて様相を確かめた。すると、ロジーナは慌ただしくポットを反対の座席側へと置き直し、マグカップと雑誌を持って立ち上がったのだった。
間もなくして話し声がもたらされるや、マルグリットと後ろ髪を一つに結んだ女性が車両内へと入ってくる。ヴィルベルトはマルグリットの持つ新聞に行為の答えを推察し、背後にいる彼女の不健康そうな容姿を見澄ました。マルグリットは真っ直ぐロジーナへ近寄ると、それから気絶したクリストフを視界に収めた。
「悪いな、寛いでいるところ。」
「いいえ。それに、愚か者の相手で疲れているのは私では……。」
「あぁ、承知している。イレーネには休みを与えるつもりだ。」
「それを聞いて安心しましたわ。いつも、自分からは言いませんので。」
ロジーナはイレーネに目を落としてから、ヴィルベルトのいる隣の一角に移り座った。マルグリットは譲られた場所に位置取り、後続の彼女は空いているクリストフの横に腰を下ろす。新聞の広がりに交ざって本を開いた彼女は何も触れることをせず、ヴィルベルトは気づかれない範囲で元凶のロジーナを盗み見た。
「きっと罰が当たったんですよ。食事は平等にとのお達しですかね。」
ヴィルベルトを一瞥した後で栗毛の彼女はそう言いながら、開かれた厚手の本に書かれた見知らぬ文字を追っていく。ヴィルベルトは彼女の本に関心を寄せ、載せられた白黒の絵画に軍学校当時の記憶を再起した。一方、ロジーナはマグカップを片手に耳をそばだてつつ、雑誌に貼られた流行りの衣服を眺めていた。
「准尉の教育係を任されましたカミラ・クレイン少尉です。一応のこと、此方では敬語を使わなくても構いませんのでお気軽にどうぞ。」
「それはありがたいが……俺は部隊の説明を何もされていなくてな。」
「説明も何も、死地に送られて生き残るだけの簡単な話ですわ。」
「ロジーナ、命じられたのは私であって貴方ではありません。それに、その簡単な話とやらを乗り越えられた数を知っているはずでは?」
つまらなそうに息を吐いたロジーナは顔を上げ、マグカップの中身を確かめてから握る手に力を込める。片やカミラは俯いたままであり、途中まで読んだ証としての書き込みに指を這わせていた。ヴィルベルトが二人を流れる奇妙な空気を感じ取った次の瞬間、彼の目に留まったのは床に落ちゆく雑誌だけであった。
「ちょ、待った、待った!えっ、二人とも急にどうしたんだ?」
いつの間にか彼女らは立ち上がっており、互いに隠し持ったバヨネットを交差させていたのだ。突然の出来事を受けてヴィルベルトは狼狽えるも、ロジーナは怪しい眼光と共に不敵な笑みをカミラに向けていた。均衡する手元の震えが液面を揺らし始めたその時、新聞の奥からはマルグリットの咳払いが聞こえてくる。
すると、彼女らは出方を伺いながら少しづつ離れ、削れ掛かったバヨネットを仕舞い込んだのだ。カミラは見開きの本を閉じて座席へと戻り、それを待ってロジーナは雑誌を拾いつつ腰を着けた。ヴィルベルトは静まり返った空白に居心地の悪さを感じ、話題を探すようにカミラの頭に巻かれた包帯に視線を向けた。
「えっと……そうだ、少尉の頭の怪我はどこで?」
「一昨日の調印式のあれです。何発か撃ち込んだはずなんですが……まさか敵に顔を掴まれた挙句、失神するまで後頭部をぶつけられるとは。」
カミラは自身の包帯にそっと触れると、当時の状況を思い出すようにして目を瞑った。軽くなったマグカップにポットから中身が注ぎ足され、立てられた湯気がヴィルベルトの視線を遮ろうと試みる。ロジーナは再び口の中を蕩ける甘さで充たしながら、読みかけの雑誌の箇所を開き直してヴィルベルトの方へ向いた。
「何とか仕留めはしたものの、武器を折られて散々の始末でしたわ。ソレッラ、相手がそう呼ばれていましたのが今でも耳に……。」
「どこかで聞いたような……。もしかして、聖書に出てくる修道女のことか?」
「えぇ、よくご存知で。どこかの誰かは懸命に学んだようですけど。」
ロジーナはカミラの膝上の本を注視すると、そこには幾つもの付箋が貼られていたのだった。その本はどうやら新品のようではなく、汚れて紙自体が黄ばんでいることから年季の入ったものであると伺える。カミラはこれ以上に話が拡がっていくことを嫌がったのか、厚手の本を座席の隅に避けるようにして片づけた。
それからカミラはクリストフの開かれた鞄を漁り、中からタブレット状のブドウ糖を取り出して口に含んだ。戦時中に配給される栄養素の塊を味わいながら、カミラは持て余した暇の矛先をマルグリットの新聞に差し向ける。それもそのはず、そこには王国のものでない別の語学体系にある文字が羅列されていたのだ。
「そう言えば少佐……先程から読んでいるそれって、確か共和国本社で刷っているやつですよね。本国に所縁のない時事を掴んでどうしようと?」
カミラは新聞に隠れたマルグリットに問いかけるも、返事の代わりと言わんばかりに頁だけが捲られていく。暫く待てどもマルグリットの声はなく、聞こえる優しい寝息にロジーナは飲み干したばかりのマグカップを傾けた。底に残った中身がゆっくりと移ろう中で、マルグリットはやっと読み終えた新聞を折り畳む。
「どうもしないさ。そもそも、私は新聞の類を端から信用などしていない。読むものがあるとすれば、社説に紛れた報告書ぐらいだ。」
「放っていたんですね、鳩を……いつからですか?」
「丁度ひと月ぐらい前の話だ。帝国に妙な動きがあってな、今更ながらに博打の結果が大当たりときた。それでも、舞台は隠れたままだがな。」
意味深なマルグリットの発言を受けて、その場の誰もが思索に耽るように黙り込む。つまるところ、古き城壁の向こうにくべられたのは、信仰という名の霧に覆われた敵の面影ばかりであったのだ。先の戦いでの仮面の下を知らぬ唯一人の新参者は、この時になって初めて彼らの真価を病的なまでに味わっていた。
重苦しい空気を運ぶ列車は徐々に速度を緩め、次なる停車駅を迎えようと準備を整える。流れていた残像の景色は見えるものとなり、首都から離れた郊外の様子は出奔という二文字を与えていた。車両が分岐路の傾きで陽射しを余すことなく浴びたその時、イレーネは瞼の裏に温かさを感じて目を覚ましたのだった。
登場人物について
マルグリット・ヴィンター……少佐。金髪、藤色の目。
ヴィルベルト・ノイヤー……准尉。黒髪、隻眼(片方黒色の目、片方翠色の目)。
クリストフ……中尉。赤茶色の髪、空色の目。
ロジーナ・ユング……中尉。黒色の長髪。
イレーネ……白金の髪。
カミラ・クレイン……少尉。一つ結びの栗毛色の髪。




