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陸の金糸雀は謳わない  作者: カルーア
第一章 王国存亡篇(上)~交錯の冬戦争~
2/11

2. 麗しく、香ばしく


 広く街路の濃淡を浮かび上がらせていた二つの照明が落ちると、窓越しの風景は勢いよく夜の一部と化したのだった。未だ座する彼らは革張りの匂いに包まれながら、揺れの失われた車体の中で誰かが動き出すのを待っていた。冷たい夜風に当たることを誰もが望んでおらず、またその気概すらもなかったのである。


 深い溜め息の下に赤茶色の毛先が初めて外気に触れると、その隙を見て放たれた氷の鞭に残る者は誰一人としていなかった。凍てつくような寒さに身体を震わせつつも、それぞれが詰め込まれていた荷物を手に歩き始める。そこには足を引きずるヴィルベルトの姿があり、彼は懸命に前を行く背中を追っていたのだ。


 閑散とした店仕舞いには目もくれず、マルグリットを先頭に彼らは地下への階段を降りていく。その先には食事処を示す絵柄と価格帯の記された看板が立てられており、後ろで控えるヴィルベルトは視線を飛ばしてこの意味を問い質していた。それに対し、二人は閉店の掲げられた扉を開けることで答えたのだった。


「待っていたよ、少し遅かったじゃないか。」


 扉に備え付けられた鈴の音に反応して、男性特有の低い声がマルグリットらを出迎えた。その声の主はカウンター席に座りながら、一心にカードで塔を組み立てている最中であったのだ。マルグリットは静かに彼へ近寄ると、カウンターに置かれていた葡萄色の酒瓶とその中身が入っている硝子の容器に目を移した。


 彼が見向きもせず遊びに耽っているのを確めたマルグリットは、薔薇色に染まる容器を手に取り氷玉を揺らしてみせる。蜂蜜と果実の芳醇な香りに抗えるはずもなく、注がれていた酒が少しずつ消えていくのは自明の理であった。それから暫くのこと、完成を前に振り返った彼を歓待したのは満面の笑みだったのだ。


「王国禁制の酒とは、商売が繁盛していて何よりだ。これは帝国産か?」


「……なぁ、俺の目には透き通って映るんだが。」


「ジーク、それは洒落のつもりか?物事が常に流動することは道理のはず。私の昇進に禁忌の一杯を宛がうなど、将来の支配人は器が違うとみた。」


 マルグリットは空の容器をカウンターに戻すと、提げていた箱型の鞄をジークに突き出してみせた。その意図を察したジークは呆れたように吐息を洩らし、色付き眼鏡を外しながら続きを促した。それを待ち侘びていた鞄は掌上で倒されるや一思いに開けられ、瞬きの内に籠められた刷物の濁りを伝播させたのだった。


「支払いは全て帝国紙幣で用意してある。無論経費も含んだ額だが、王国紙幣に対する相場が一昨日から跳ね上がったのを加味すれば足りるはずだ。」


 ジークは隙間なく並べられた札束の底に手を入れ、詰め物がないことを丁寧に調べ上げる。それが終わるのを見計らって鞄が閉じられると、カウンター上に立て掛けられていたメニュー表と交換された。重量のある鞄を手に椅子から下りたジークは、ヴィルベルトをさりげなく一瞥した後でマルグリットに視線を戻す。


 マルグリットはカウンターにもたれ掛かりながら、写真付きのメニュー表を迷うように何度となく捲っていた。ジークの黄土色の眼差しが残った二枚のカードに向けられた時、開かれていたメニュー表が音を立てて閉じられる。それが元の位置に戻されるの待って、鞄を床に置いたジークはペンと注文票を用意した。


「で、注文は?言っておくが、嫌がらせのように輸入品ばかりは止めてくれよ。確かに仕入れるのが仕事だが、近頃はどうにも雲行きがな。」


「では……ヴルストの盛り合わせと彩のアイントプフ、あとはクノープラウホ風味の帝国産ブロートを人数分。それと飲み物は酒と水以外を頼む。」


「じゃあ、アプフェルショーレといったところか。冬砦に行く前とは言え、その所為で食事もままならない部下に恨まれても知らないぞ?」

 

「此方には賭場で鍛え上げたクリストフがいる。水責め、火責め、鞭打ちに自白剤まで耐えてきた男だ。信頼には十二分に足りるだろう?」


 ジークは思わず天井を仰いだ後に、入り口付近で佇んだままのクリストフに悲哀を傾けた。一片の罪悪すらも感じていないマルグリットの朗らかな表情は、いつも誰かしらに悩みの種を植え付けるのだ。返事もせず鞄を持ったジークはクリストフに歩み寄ると、空色の瞳に宿る純朴さを慰めるようにして肩を叩いた。


 彼らの間に如何なる会話が為されたのかを知らぬクリストフは、妙に優しく頷いてくるジークに嫌な予感を募らせていた。そのままジークが店奧に姿を隠したの見て、クリストフはヴィルベルトを連れてマルグリットの正面に立った。しかし、マルグリットは何も語らずカードを手に取り眺めるだけであったのだ。


 杯と貨幣の絵がそれぞれに主役として描かれた小さめのカードは、山を作るように合わせられると頂上の役目を全うした。ようやく完成した五段の塔を前に、どこか雰囲気を変えたマルグリットは思案顔を覗かせている。もっとも、すぐさま調子を戻したマルグリットはテーブル席へと彼らを落ち着かせたのだった。


「准尉もこの店をきっと気に入るはずだ。惜しむらくは、夜に集まる客の殆どが灯りに群がる蛾のような輩ばかりということだがな。」


「……なぁ、あんたらは一体何者なんだ?」

 

「何者……とは?私が少佐でこいつが中尉だと、前にも言わなかったか?」


 マルグリットは腕を組みながら、隣に座るクリストフを指で差してみせた。しかし、わざとらしくはぐらかした回答はヴィルベルトを無性に苛立たせ、彼の拳を握る手に力を強めるだけであった。そこでクリストフは言葉を補おうとテーブルに身を乗り出し、マルグリットの代わりを買って出ることを示したのだった。


「准尉、それは唯の勘違いだ。我々が祖国を裏切ることなどあるはずもない。」


「俺にその言葉を信じろと?」


「軍人の責務とは王を守り、国に奉仕することにある。そのための手段が他と違うことなど、実に些細な問題だと思わないか?」


「あれだけの帝国紙幣が些細な問題だと?一介の軍人では決して手に出来ない量をどこで……それだけじゃない、さっきの奴だって!」


 ヴィルベルトが口調を荒げたその時、流れを遮るようにして店奧から料理を乗せたワゴンが現れたのだった。肉汁の溶け込んだ湯気と香辛料の風味を散りばめるそれは、香ばしさのみによって辺り一面の均衡を掌握していった。勿論そこにはヴィルベルトらの会話も含まれ、例外などが存し得るはずもなかったのだ。


 ジークはテーブル席へ訪れると、各自の眼前に料理を配膳していった。ハーブと香辛料の練り込まれた腸詰めや野菜が煮込まれたトマトベースのスープ、それにニンニクの染み込んだバゲットが彼らを虜にするだろうことは明らかであった。しかし、マルグリットだけは表情一つ変えずジークに視線を向けていたのだ。


「やけに早いじゃないか。作り置きでもしていたのか?」


「時間前に火を掛けておいただけさ。それも、分かり易い好みに合わせて。」


 マルグリットは不満そうな顔を浮かべながら、自身の容器にアプフェルショーレを注いだ。半透明な林檎の炭酸水を口にするマルグリットは、いつしか恥ずかしげもなく料理に手を付けていたクリストフに関心を移していた。下士官の頭を叩く様子を視界に収めたジークは、それから色違いの双眸に顔を寄せてみせる。


「話に聞いてはいたが……確かに、好事家の気持ちが分からなくもないな。」


「はっ、何のことだ?」


「……いや、なんでも。厨房で聞いていたが、君の知りたいことは隊の仲間にでも尋ねればいいさ。砦行きの列車でなら暇に耐えかねて答えるだろうよ。」


 ジークはそのように宥めると、ヴィルベルトは軍隊としてのマルグリットらの違和に改めて気づかされたのだった。次々と沸き上がる懸念にヴィルベルトは押し黙り、暗みがかった翠色にジークは忘れていたことを思い出す。そうしてジークは澱みの正体を取り出すと、それをマルグリットに差し出してみせたのだ。


 マルグリットは幾分か錆びついたケースに、所々青みがかった鉱石が埋め込まれているのを観察する。表面にうっすらと花のような模様が描かれていること以外には、他に手掛かりらしいものはありはしなかった。分かったことと言えば、マルグリットの携帯する例のものと形状が似ていることぐらいであったのだ。


「……これは煙草入れか?」


「ご名答。少し見栄えは悪いが、魔力の通った弾丸からも身を守れる代物だ。」


「冬雲で覆われた空に穴が開くとでも?」


「さぁな、けれど俺からの餞別だと思って受け取ってくれ。」


 ジークはそう言い終えるや、軽くなったワゴンを押して店奧へと帰っていったのだった。その姿を見届けた指先は煙草入れを検めようとするも、憩いの一時に水を差すのを恐れてか触れるだけに留まってしまう。彫り込まれた模様をなぞるマルグリットは、暫し始発列車での退屈な時間の潰し方に思いを巡らせていた。


 しかし、それも遂には睡魔に侵され漂うだけのものに成り下がってしまったのだった。曖昧な自分だけの景色は見知らぬ場所を映し出し、マルグリットは舟を漕いでいるその時に誰かに呼ばれたような気さえしていた。とても懐かしく大切な何かと夢の狭間で出会えたことは、全くもって久しぶりのことであったのだ。


 宙に垂れたままの飾緒を見ながら、マルグリットは夢見心地でその理由を少しばかり考えていた。それは一時に過ぎないものであったとしても、視界の上端の袖口にマルグリットは答えを得た気がしたのだ。それからはまるで心の閊えが取れたように、マルグリットの眠りを妨げる一切は消え去っていたのだった。


登場人物について

マルグリット・ヴィンター……少佐。金髪、藤色の目。

ヴィルベルト・ノイヤー……准尉。黒髪、隻眼(片方黒色の目、片方翠色の目)。

クリストフ……中尉。赤茶色の髪、空色の目。

ジーク……店の次期支配人。黄土色の目。


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