おきざり
「さすがに疲れたわ…。」
セシリアは誰にでもなくそうつぶやくと行儀悪く執務机に突っ伏した。
「お疲れ様でございます。こちらをどうぞ。」
すぐに侍女がいい香りのハーブティーを入れてくれる。セシリアは一人掛けの柔らかいソファに座ると、ゆっくりとその香りを楽しんだ。
「いくらなんでも仕事が多いわ…。」
気心が知れた侍女しかいないからか、再び独り言が口をついた。そう。隣国の王女たちを交えたお茶会から一週間、とにかく仕事がセシリアのもとに舞い込んでくる。もともとジルベスターに回す前のたたき台のような仕事が多かったのだが、医療社会福祉分野や要人との折衝に駆り出されることが増えた。「セシリア様の実績をどんどん作っていけば文句をいうやつもおりますまい。」と、いい笑顔で仕事を置いて行った宰相の毛を毟りたい衝動に駆られるくらいに仕事に忙殺されている。まだ寝る時間は確保できてはいるが、王妃教育も大体大丈夫だろうと王太后からもお墨付きが出たので、実質王妃としてどんどん仕事を回されているのだ。
マルクによると、いよいよオーラリアからクラヴェハーフェンまでの陸路の整備が始まるのだそうだ。ジルベスターは唯一の男性王族として、そちらをおろそかにできず、仕事のほとんどをそちらにもっていかれているらしい。セシリアとの結婚式前に計画の形を作り、結婚式の時にオーラリアとリンダブルクとの友好の証として大々的に宣伝したいのだそうだ。ジルベスターは通常業務に追われ、陸路の整備事業に追われ、エッケ港の高波による塩害の対策を指示し、クラヴェハーフェンの事故の後始末をしていた。当然朝から晩までイェルクに拘束され、ほとんど顔を見ることがなくなった。だが、侍女たちによると相変わらず隣国の王女たちには呼ばれているらしい。
(隣国の大使たちをおろそかにするわけにはいかないのだから、仕方がないの。)
ジルベスターたちがどのようにしようとしているのかはこちらにも多くは流れてこない。戦争になるようなことはないといわれるだけだった。
(これで王妃をあの公爵令嬢か王女にすると言われたら、お父様にリンダブルクが欲しいとおねだりしてみようかしら。)
疲れて思考が過激なほうへ流れていると自覚しないままセシリアは物騒なことを考えていた。
(大体、今まであんなにべたべたと大きな犬のようにじゃれついて来ていたのに、隣国の大使が来てからぱたりとそれがやんだのは怪しい―。)
実際はセシリアを見れば、すぐにジルベスターはいつも抱きつきに来るのだが、リンダブルクに来てからすっかり慣らされてしまったセシリアはなんだか物足りないようなさみしいような不思議な気持ちだった。
明後日開かれる夜会で、何もなければ王女はともかく公爵令嬢は帰ることになる。あとは輿入れと称して送られてきた王女をどのように穏便に帰すか、ジルベスターたちは計画をしてるはずだ。
しゃらりと金属のすれるかすかな音に意識を戻される。ジルベスターから贈られた腕輪だ。
「少し気晴らしに散歩してきます。」
侍女にそう言うと、オーラリアから一緒にやってきた騎士が護衛として呼ばれてきた。オーラリアにいたころから知っている彼の顔を見た瞬間「何故だか、ロブウェル公爵家に帰りたい。」と、そう思ってしまった。
(だいぶ疲れているみたい。)
護衛の騎士に声をかけられ、彼に笑いかけると、面白いくらいに顔を赤くさせていた。そんな騎士の様子に小さく笑み、セシリアは彼を連れて庭の散策へ出掛けた。
気分を変えようと出た庭のなかで、セシリアは一番見たくなかったものを見てしまった。
ジルベスターと隣国の公爵令嬢が抱き合っていたのだ。セシリアには少なくともそう見えた。
「部屋に戻ります。」
セシリアとジルベスターの間には距離があったが、セシリアの落ち着いた声にジルベスターも気づいたらしい。だが、彼をそれ以上見ることなく、セシリアは踵を返すと素早く部屋に戻っていった。
その後、セシリアはジルベスターを絶対に部屋に入れないよう侍女や騎士、影に指示し書類に没頭する。何度か扉の外で問答する声が聞こえたが、しばらくするとそれも無くなった。
セシリアの侍女や騎士たちはセシリア個人に忠誠を誓うものたちだ。ジルベスターよりもセシリアが優先であるため、次期国王であるジルベスターを部屋に通さないなどと言う暴挙にも及べた。何がなんでも彼らをつけてくれた父に感謝だ。
セシリアはその日、鬼もかくやという鬼気迫るオーラを振りまきながら仕事をし、早めに床に入ると夢も見ずにぐっすりと眠った。




