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壁は文字や絵のような形をとっては脈動を繰り返し、しかし三層へと続く階段はしっかりと形を保っていた。冷え冷えとさえしていた空気は次第に熱を持ち始め、階段を降りるごとに低く吠えるような音は次第に大きくなっていく。マルタたちが地下三層に着いた頃にはこの植物の遺跡は百年の眠りから完全に覚めて正体を露わにしていた。白い壁は赤黒く変色し、浮かぶ脈動は小さくない音をたてている。音は反響して集まり吠えるような音となって冒険者たちを襲い、脈動は精神を削るように蠢く。先を見渡すと三層はこれまでにあった脇道の小部屋はないようで、ただ暗く幅広い道がずっと続いているようだった。
「先生、もしかしてこの遺跡は魔法文明のものですか?」
汗を掻くほどの熱を気にした様子もなく、興奮した様子でココがマルタに聞いた。魔法を扱うココはこの未知なる遺跡の変容に興味が尽きないようで、高度な魔法で加工された植物遺跡の壁から目を離さない。比べてマルタはしきりに汗を拭いながら少し億劫そうに答えた。
「そうだね。でもここまで強力な魔法を扱うことは魔法文明でも容易ではなかったと思うよ」
話す二人は<果ての剣>の一員であると同時に、マルタはアナヴォスに唯一存在する高等教育機関の客員教授でココはその大学に通う生徒の一人だった。
アナヴォスの存在する大陸は滅びの大陸といわれている。それは呆れるほどに文明崩壊を繰り返しているためだった。それゆえ大学でもテーマとして取り上げられやすく、特に魔法文明は滅んだ文明のうちで五大文明といわれるほどに強大な文明だった。そういう意味ではこの遺跡は学者にとっては貴重な生きた歴史そのものといってよかった。当時のままに機能し続ける過去の魔法技術の結晶があると知れれば、アナヴォスのみならず大陸中の学士が集まるのは間違いない。
ココが遺跡の変化に知的好奇心を刺激されたことで歩みが遅くなったことに苛立ったロゼが、何故かマルタへ矛先を変えて攻めるように聞いた。
「どうでもいいけど、敵は本当にギーレイだけなの?」
ロゼとマルタは初対面でこそないものの、こうして命を懸けた冒険を共にしたことはなかった。ロゼはまだ若く、どちらかといえば熟練の冒険者と組むことの多いマルタとは関係が薄い。そのせいもあってかロゼはマルタが情報を出し惜しみしていると疑っている節があり、態度もどこか刺々しい。しかしマルタは気にする様子もなく肩をすくめて答えた。
「わからないよ。百年前に全てを調べきれたわけでもないし、長い時間で遺跡そのものが変わった可能性もある」
「ふん、頭の良い学者さまを気取っている割に役に立たないじゃない」
吐き捨てるように言い放つロゼにマルタは怒りよりも呆れが勝っていた。何かをマルタが言うより前に先生と慕うココが声を上げようとするが、すかさずグリューズが割って入る。
「分からないから来たんじゃねぇか。いい加減気を張らないと死ぬぞ、ロゼ」
団長にそう言われては仕方ないと不満を隠す様子もなく不承不承ロゼはグリューズに従った。いや、従ったつもりになっていただけだった。ロゼは若く、<果ての剣>団長の冒険への初同行だったこともあるだろう。
「ロゼ、避けろ!」
必然、ハジャルが放った突然の警告がロゼに届くことはなかった。