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アクリヴォスは布でくるまれた短剣を取り出した。その短剣は酷く歪で辛うじて肉を切り裂く刃こそあったが、まるで割った石をそのまま短剣にしたような形をしていた。
短剣でアクリヴォスは己の掌を切り裂き、目の前の机に置かれていた小さな動物の頭蓋の杯に血を落とす。やがて流れ落ちる血は杯を満たし、貧血からかアクリヴォスの顔はやや蒼褪めていたが、そんなことを感じさせない張りのある声で高らかに謳い上げた。
「<真実を表すもの、アリシアよ。嘘偽りを食らう鴉を従えるものよ。いにしえの契約をもってここに乞い願う。我らに正しき導きをもたらしたまえ>」
それはとても古く原始的で、しかし強い魔法だった。初代契約者の縁者であることを示すために血を捧げ、超越的存在を召喚をする。呪いに近しい原初の魔法の一つだった。
まだ超越的存在たちに神とも悪魔とも区別がなかった頃。大いなる代償を払ってそれらと契約を交わした者たちがいた。この魔法もその一つだろう。杯に満ちていた血は揺らいで浮かび、形を作った。鮮やかな赤は灰色に変わり、次に灰が白と黒に分かれるとそれきり交わることなく二つになった。そして一つは白く小さな鳩となった。もう一つは黒く大きな鴉となった。二つは中空をくるりと舞って契約者たるアクリヴォスの双肩に止まる。
小さく可憐な鳴き声が一つ響いた。それに込められているのは理を曲げるほどの膨大な魔力。メイデンの比ではない圧倒的存在感。一瞬にして場の空気がひりつくのを如実に感じる。
「<契約は成された。混沌の子たちよ、この時この場において真と嘘は確かに分かたれた>」
白い鳩の声は成熟した女性のような艶やかさをもって場に響いた。その声は脳を震わせどうしようもなく理解させる。尋常ではない。マルタでも超越的存在などそう出会ったことはないが、偶然にも今日まさに出会っていた。水と六の獣を操る半人半魚、メイデンだ。そのメイデンでさえ魔力が十分でなかったためかなんとかマルタは抵抗ができた。しかし、まさに超越的存在として十全な力を発揮する二羽の鳥を前に反抗する意欲など沸きようもない。そんな存在と契約するために一体何を差し出したのか、想像するだけでマルタはぶるりと身を震わせた。