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終わった、と襲い来る疲労感に身を任せようとした、その時。マルタとベスティア、そして学生たちを囲んで余りある巨大な光る円形紋様、立体魔法陣が丘に浮かび上がった。緩んだ警戒を引き上げベスティアを見てはみるがまだ意識を戻した様子はない。だとするならば。そんな思考が終わらぬうちにマルタたちは<テラスの泉>から姿を消した。
マルタの視界が切り替わった時、目の前にいたのは予想通りの人物だった。十を超える人間を有無を言わさず長距離転移させる魔法使いなどそうはいない。疲れ果てているマルタや今まさに封印されたメイデンに出来るはずはなく、加えてよくよく考えれば分かることもある。エテニティ唯一にして最高学府の長たるものが国際問題に発展しかねない今回の問題を単身マルタに任せるはずがないのだ。二重三重の保険があって然るべきで、恐らく遠見の魔法で見ていたのだろう、ということにこの段階になってマルタはようやく気付いた。中庭でマルタを制した時にユピテルは魔力を放出したが、そんなことせずともマルタは力を抑えただろう。中庭に向かうまでにマルタを止めることだって出来たはずだ。実際のところあの時放出したのは魔力だけではなく魔法もだったのだ。あえてマルタに<テラスの泉>に行かせるだけのきっかけを作らせ、監視の遠見と保険の転移魔法をマルタに仕込んだのだ。そこまでを悟るともう悪態をつく余裕もないマルタは狸め、と目の前に座るユピテルを仰ぎ見るしかなかった。
マルタが転移させられたのは大学の建物の一つだった。大学の建物は完全な木製で建てられている。それは有事の計画の一つとしてマルタが要塞化するための設計であり、その計画は少なくない回数実行されてきた。そしてその関係でこの建物が何であるかもそう間を置かずに思い出すことができた。目の前には一段高いところに座るユピテルを含む都市の上役。周りにはずらりと傍聴をする観衆たち。その観衆も諸外国の役人や使者といった低くない位を持つ者ばかりだった。突如現れたずたぼろのマルタたちを見て声を上げる観衆を制するように低く重い声が響く。
「静粛に」
その声によってまるで魔力が込められていたように音は止み、自然と視線も声の主に集まった。声の主たる老人、裁判長アクリヴォスは満足したようでゆっくりと一つ頷く。そう、ここは裁判所。罪人は国主でさえ裁くエテニティ最大の法の砦だった。
大学には大陸一を誇る図書館があった。そこにはあらゆる裁きの判例も集まり、自然と裁判所も併設された。その裁判所に勤める裁判官の中でアクリヴォスは最も公平な裁きを下すと市民から支持されている裁判官だった。一時は高齢を理由に退職を願い出たものの、それに不安を覚えた民衆が暴動寸前までに発展したために取り下げたという伝説を持つ人物でもある。短く切り揃えられた白髪と深く刻まれた皺からは年相応の老いを感じさせるが、鷹のように鋭い眼が放つ清廉な輝きは衰えない。今まさにただしき裁判が始まる。